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njeoisr.bsky.social
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しんどい
『平和と愚かさ』に出てきた『チェルノブイリ』を一気見した。エンタメであることの意味にめちゃくちゃ意識的で順当に面白く、普通に啓蒙された。一応根本原因のようなものが明らかにされて糾弾もされているけど、おそらく問われているのはマネジメントの問題でも官僚組織の問題でもなく、そもそも人為的なシステムを超越してしまっているテクノロジーを扱うことの不可能性であるような気がして、普通にやっぱ原発ダメだろ、となったのだけど、しかし311の後は別の複雑性を感じていたような気もする。その辺は確かに『平和と愚かさ』の全体と呼応してるなと思った。
January 3, 2026 at 6:48 AM
東浩紀『平和と愚かさ』、とても面白かった。破滅的で最悪な所業を生み出す悪の愚かさの様相は軽薄でしょーもないのだし、そもそも出来事は理性や論理とは無関係に起こってしまう。その事をどう考え、どう記憶するべきなのか。博物館の役割や、人文学の役割を更新しようとしていたのもとても具体的な問題として啓発される。加えて強く感じたのはこれまでの東浩紀の書物からの一貫性で、「数値化」の概念はデータベースや最適化の話からの、「リゾート」の話は運営と制作の一致の話からの繋がりを感じたし、加えて、それをより普遍的な問題として書き直しているように思えて良かった。改めて、とても誠実な人だなと思った。
January 2, 2026 at 11:27 AM
「(…)ぼくたち加害側の──望むと望まざるとにかかわらず、加害者の継承者とみなされる立場にいるものの──責務は、加害の忘却にもなければ、被害側による物語化の全面的な受容にもなく、加害のその無意味さそのものの断固たる記憶にあるのではないか。 /ひとが、ひとを、まったくの気まぐれで、なんの計画も意味もなく殺すという、その愚かさを記憶することに。」(東浩紀『平和と愚かさ』p.206)
December 29, 2025 at 3:28 AM
「世界が絡み合い(ネットワーク化し)、再分裂している時代に、「こちら」と「あちら」に何か意味があるのだろうか。アパルトヘイト願望が実際にわたしたちの時代のひとつの特徴であるなら、その場合現実のヨーロッパは、それ自体がけっしてふたたび以前のような、つまりモノカラーの状態になることはないだろう。ようするにヨーロッパはもはや、(たとえかつてはそう言えたとしても)二度とふたたび世界の特異な中心にはならない。これからは、世界は文法的に複数形で活用していくことだろう。世界は複数形で生きられるだろうし、この新しい条件を逆戻りさせることは絶対的に不可能である。」(アシル・ンベンベ『ネクロポリティクス』106)
December 6, 2025 at 12:37 PM
松本卓也『斜め論』。相変わらずサクッと読めてしまうのが凄い。『創造と狂気の歴史』が西洋哲学史の裏面をなぞるような構成だったのに対して、こっちは臨床の話をベースにしながら最後ハイデガーを再読するような感じで面白い。学生運動を経た上野千鶴子と信田さよ子の理論や実践を垂直的な運動から水平的な運動への移行として描いていて、それを指して「一度限り決定的に」ではなくて「そのたびごとに」なんだ、って言ってたのが印象的だった。垂直(押し付け)でもなく水平(横並び)でもない「斜め」の肝要は多分、偶然性とか変容とか、そういう話なんだと思う。
October 15, 2025 at 8:19 PM
「二〇一〇年代後半におけるシンギュラリティをめぐる語り口においても、人間的知性を超える機械の普及によってむしろ人間にしかできないことに専念できるという希望が語られている。いずれの語り口も、人間の営為は機械によって代替されると同時に代替されないという矛盾した二つの前提によって支えられている。「何もかも生きた機械がやってくれ」るのに、なぜか「好きなことだけ」は人間に残されている。「人間=機械」(翻訳)と「人間≠機械」(純化)という二枚舌によって駆動される機械のカニバリズム。だが、私たちの「現在のなかの未来」は、必ずしもその枠内にのみあるわけではない。」
September 28, 2025 at 3:51 AM
「技術がいかなる未来をもたらすのかを予測するより前に、変化をもたらすとされる先端技術が浸透するなかで、過去と現在と未来を語る私たち自身の言葉、イメージ、観念が変化しつつあることに目を向けよう。機械とともに生きる未来を展望する私たちのよってたつ大地自体が、機械という他者との関わりにおいて流動している。」(久保明教『機械カニバリズム』講談社、2018年、p.125)
September 22, 2025 at 1:40 AM
「異質な他者とも共有されうる「一つの世界」を前提にしなくても、現に私たちはさまざまな存在と関わっている。多様な実践の領域を俯瞰できる視点、「経験的-超越論二重体」としての人間を想定せずとも、私たちは新たな関係や概念や情動を生みだすことができるし、現にしている。一方の世界にあるものが他方の世界には「ない」ことを通じて、どちらの世界にも還元できないものが「ある」ことを喚起する否定型のアナロジーは、「一よりは多く、複数よりは少ない」世界を生きていくうえで重要な役割を担いうるのである。」(久保明教『機械カニバリズム 人間なきあとの人類学へ』講談社、2018年、p106)
September 21, 2025 at 6:36 AM
>姿勢の内実──その人のこと──はいつまでもわからないかもしれない。だが、それでも、少なくとも、その姿勢の前後に時間があったということを、そのような人がいたという事実を、異なる身振りを通じて私たちは確かに感じられるようになる。
artscape.jp/article/47799/
山川陸|大和楓《仰向けで背負う》《シッティング・イン・ザ・タイム》(後編) – artscape
《仰向けで背負う》(2025) ※東京都現代美術館 開館30周年記念展「日常のコレオ」にて展示 会期:2025/08/23〜2025/11/24 会場:東京都現代美術館[東京都] 公式サイト:https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/30th-Anniversary/ 《シッティング・イン・ザ・タイム》(2025) ※大和楓 個展「シッティング・イン・ザ...
artscape.jp
September 15, 2025 at 1:44 AM
>本作においては、ドローイングを通じて導き出された、時代を越えて共通する排除にともなう姿勢を「型」として扱っている。/決してわかりえない他者のことを、ある姿勢に重なることで、せめて考え始め、考え続けることは可能になるはずだ、という強い信が大和にはある。
artscape.jp/article/47789/
山川陸|大和楓《仰向けで背負う》《シッティング・イン・ザ・タイム》(前編) – artscape
《仰向けで背負う》(2025) ※東京都現代美術館 開館30周年記念展「日常のコレオ」にて展示 会期:2025/08/23〜2025/11/24 会場:東京都現代美術館[東京都] 公式サイト:https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/30th-Anniversary/ 《シッティング・イン・ザ・タイム》(2025) ※大和楓 個展「シッティング・イン・ザ...
artscape.jp
September 15, 2025 at 1:43 AM
「(…)日本では、人が集合するとろくなことはないという、支配する側の恐怖感とそれにもとづく差別意識などが、支配される側にも強く根づいていて、しばしばまったく不条理であるようなこまかい規則や全く無意味な行動の強制となって、私たちの日常生活をまんべんなく切り刻んでいる。」(酒井隆史『スネーク・ピープル ジグザグデモ、あるいは戦術こ系譜』洛北出版、2025年、375頁)
September 3, 2025 at 4:18 AM
「大衆的示威行動は、時空間の一時的占拠を通し、日常の回転を遮断する力能を現出させることによって、要求や存在そのものを表現し、社会に知らしめる、動かすことをその本質としている。それが、たとえば交通利用者にとって「迷惑」であることは自明の前提だ。したがって、デモ行使の側が迷惑を理由にして自主規制をはじめた瞬間に、デモやストライキそのものを守る理由がその土台から揺らいでしまう。」(酒井隆史『スネーク・ピープル ジグザグデモ、あるいは戦術の系譜』洛北出版、2025年、pp.324-325)
September 1, 2025 at 8:16 AM
「要するにそれは、壮大なる武勇伝の上演にすぎないのだ。かつて「ジグザグデモ」が、「指導者たち」にそう指弾されたように。そして、大江(健三郎)はその十年後には、かつての変わり身のはやい「指導者」よろしく、「浮きあがり」の糾弾の側に立ち、おなじ口ぶりでジグザグをかたづけてしまうのだ。しかし、われらがスネーク・ダンスは、そうしたひとりの小説家の自虐と自己救済の材料に使われて終わるような「タマ」ではない。」(酒井隆史『スネーク・ピープル ジグザグデモ、あるいは戦術の系譜』洛北出版、2025年、63頁)
August 18, 2025 at 3:57 AM
「「この映像の中には○○が出てきます」 /この構文の不気味さは、一見鑑賞者に対し見る/見ないの選択肢を与える配慮をしているようでいて、自分たちとあきらかに異なる他者や事物を「事前に承認が必要なもの」として一方的に名指し、歓迎されざるもののように扱う無邪気さにある。」(百瀬文『なめらかな人』講談社、2024年、pp.222-223)
August 10, 2025 at 9:45 AM
「(…)奇妙なものを初めて目にしたときの困惑や不安は、生じてしまうときは生じうるというたぐいのものであって、それ自体が悪いというわけではおそらくない。ただ、その混乱の経験にひとりで向き合うことに耐えられず、それらしい正当な理由づけをして納得しようとするのは、たぶん傲慢とか不遜とか呼んでもいいことのような気がした。」(百瀬文『なめらかな人』講談社、2024年、p.104)
August 5, 2025 at 4:25 PM
「常に、被爆という経験によって契機を得た世界化と、その同じ経験によって抹消された歴史の奥からせりあがってくるような細民たちの衝動が渦巻くこの街は、旧軍都として、平和都市として、高度に管理されなければならない。この国家の為政者たちからすれば、広島の教育や治安の取組みが常に、東京に次ぐか、あるいはそこにすら先んじるかのような、生政治の実験場のようにあるのは道理なのだろう。」(東琢磨『ヒロシマ独立論』青土社、2007年、pp.74-75)
July 7, 2025 at 1:00 PM