こちらにも少しずつ来ます
こちらにも少しずつ来ます
こういう場所で好意を寄せてくれていた人が
ある日突然急に離れていくことがある
寂しくとも慣れたけれども
自分の未熟さと空虚さを痛感し
納得する
反対に
不思議なことに
好意を表明して寄せてくれることはなくても
ずっと離れずにいてくれる人もいる
美しい絵も聡明な文章も愉快なつぶやきも楽しい発見も何もない
そんな何もない自分に対して
おそらくとくに何かしらの期待はなく
ただなんとなく見守るようにいてくれる人に
ずっと感謝している
もちろん
いつも愛を伝えてくれる優しい優しい人もいて
その優しさに包まれて生きている
こういう場所で好意を寄せてくれていた人が
ある日突然急に離れていくことがある
寂しくとも慣れたけれども
自分の未熟さと空虚さを痛感し
納得する
反対に
不思議なことに
好意を表明して寄せてくれることはなくても
ずっと離れずにいてくれる人もいる
美しい絵も聡明な文章も愉快なつぶやきも楽しい発見も何もない
そんな何もない自分に対して
おそらくとくに何かしらの期待はなく
ただなんとなく見守るようにいてくれる人に
ずっと感謝している
もちろん
いつも愛を伝えてくれる優しい優しい人もいて
その優しさに包まれて生きている
自分の思いや感情を言葉にすることができない
伝えたい思いを伝わるように表現するための技術が足りない
同時に
配慮もまだまだ足りない
配慮をしなくなったら「私は」言語を使う意味が無い
思い遣る気持ちを失くしたら言語とは一体なんのためのツールなのか
文字文化を持たなかった古の民も
思い遣る気持ちは常にあっただろう
見えないだれかを慮ることを意味が無いと咎められても
見える人だけを慮ることはできない
適切とは何か
思考は止めない
自分の思いや感情を言葉にすることができない
伝えたい思いを伝わるように表現するための技術が足りない
同時に
配慮もまだまだ足りない
配慮をしなくなったら「私は」言語を使う意味が無い
思い遣る気持ちを失くしたら言語とは一体なんのためのツールなのか
文字文化を持たなかった古の民も
思い遣る気持ちは常にあっただろう
見えないだれかを慮ることを意味が無いと咎められても
見える人だけを慮ることはできない
適切とは何か
思考は止めない