Une nature serious but lazy
オケは本当にロシアを感じる音で”フランスが舞台なのにロシアの音!”と感じながら聴きましたよ。シェフもよく舞台に気を配っていてオペラの修行をした人かしらと調べてみたら違ったので驚きました。
舞台が同じなのは観る側はかなり想像力を働かさねばなりませんね(シノン城とか難しかったです😅)。ソリストの方々はみなさん演技がお上手でした。仰るとおり、お稽古が大変だったことと思います。
オケは本当にロシアを感じる音で”フランスが舞台なのにロシアの音!”と感じながら聴きましたよ。シェフもよく舞台に気を配っていてオペラの修行をした人かしらと調べてみたら違ったので驚きました。
舞台が同じなのは観る側はかなり想像力を働かさねばなりませんね(シノン城とか難しかったです😅)。ソリストの方々はみなさん演技がお上手でした。仰るとおり、お稽古が大変だったことと思います。
チャイコフスキー自作のリヴレによる最後はジャンヌの火刑による死と天の赦しだけれども、チェルニアコフによる最後はやっぱり普通に終わらずラディカルで、世界をまったくの不実なものと見極めたジャンヌは法廷に火を放ち、そこにいる全ての人々を巻き添えにして死んでゆくというものだった🔥
チャイコフスキー自作のリヴレによる最後はジャンヌの火刑による死と天の赦しだけれども、チェルニアコフによる最後はやっぱり普通に終わらずラディカルで、世界をまったくの不実なものと見極めたジャンヌは法廷に火を放ち、そこにいる全ての人々を巻き添えにして死んでゆくというものだった🔥
乱世時に彼女のファナティックさを利用しながらも、それが過ぎてしまって邪魔者になってしまうと、一転救いを求めるジャンヌに対してありとあらゆる階層での裏切りと嘲りが視覚化されるとともに、神に縋るも迷いに迷いつづけるジャンヌの痛みを思わされる…。
乱世時に彼女のファナティックさを利用しながらも、それが過ぎてしまって邪魔者になってしまうと、一転救いを求めるジャンヌに対してありとあらゆる階層での裏切りと嘲りが視覚化されるとともに、神に縋るも迷いに迷いつづけるジャンヌの痛みを思わされる…。
ストーリーの中心はジャンヌの心理。ジャンヌの裁判の流れを追いつつ、彼女の記憶のフラッシュバックや幻覚などが挿入されて物語が進んでいく(過去が語られる際には正面の時計が逆回転)。
ストーリーの中心はジャンヌの心理。ジャンヌの裁判の流れを追いつつ、彼女の記憶のフラッシュバックや幻覚などが挿入されて物語が進んでいく(過去が語られる際には正面の時計が逆回転)。
ベルリオーズは1821年パリで医学生だった時のことを、1870年に出版された『回想録 』のなかでこう書いている。
バレンボイムは「ベルリオーズがいなかったらワーグナーは出てこなかった」って言ってたし、グリュックがいなかったらワーグナーも全然違う作曲家になっていたかも。ワーグナーはオーリードの独語版を自分で作ってドレスデンで上演し、音楽でドラマを作り上げていたグリュックからそのエレメントを吸収していたに違いないわ。
ベルリオーズは1821年パリで医学生だった時のことを、1870年に出版された『回想録 』のなかでこう書いている。
バレンボイムは「ベルリオーズがいなかったらワーグナーは出てこなかった」って言ってたし、グリュックがいなかったらワーグナーも全然違う作曲家になっていたかも。ワーグナーはオーリードの独語版を自分で作ってドレスデンで上演し、音楽でドラマを作り上げていたグリュックからそのエレメントを吸収していたに違いないわ。
まだある、ヴォータンの槍はフリッカの魔術か、ヴォータン自身が空手チョップで切り分けてしまう。だからノートゥングは膝でへし折り、その上折った剣で自らジークムントを刺すというね…
まだある、ヴォータンの槍はフリッカの魔術か、ヴォータン自身が空手チョップで切り分けてしまう。だからノートゥングは膝でへし折り、その上折った剣で自らジークムントを刺すというね…
物語(歌詞)と演出があまりにも乖離しているが、それが何のためなのかさっぱり理解できない。最悪なのはヴォータンがブリュンヒルデを虐待していること。第2幕でヴォータンは彼女の髪を掴んで引っ張り、彼女の顔を殴ろうとして外しモニタースクリーンを粉々に割る!第3幕でブリュンヒルデはヴォータンの胸にナイフを刺そうとしてギリギリのところで思いとどまる等々、2人のあいだのコンプリシテなど感じる隙間もない。見てて不愉快だったわ。
物語(歌詞)と演出があまりにも乖離しているが、それが何のためなのかさっぱり理解できない。最悪なのはヴォータンがブリュンヒルデを虐待していること。第2幕でヴォータンは彼女の髪を掴んで引っ張り、彼女の顔を殴ろうとして外しモニタースクリーンを粉々に割る!第3幕でブリュンヒルデはヴォータンの胸にナイフを刺そうとしてギリギリのところで思いとどまる等々、2人のあいだのコンプリシテなど感じる隙間もない。見てて不愉快だったわ。
合唱のLes Élémentsはギリシャ悲劇のコロスそのままに、物語の感情を余すところなく伝える。
もしかしたら、全体的にもうすこし抑えめの表現をした方が好みだという人がいるかもしれないけれど、ひとつの公演でこれだけのパワーを感じることは少ないし、個人的にはそのパワーに圧倒されるのを堪能した。
合唱のLes Élémentsはギリシャ悲劇のコロスそのままに、物語の感情を余すところなく伝える。
もしかしたら、全体的にもうすこし抑えめの表現をした方が好みだという人がいるかもしれないけれど、ひとつの公演でこれだけのパワーを感じることは少ないし、個人的にはそのパワーに圧倒されるのを堪能した。
イフィジェニーのTamara Bounazouはそれこそ巫女のようで、彼女の歌唱には疑いを挟む余地がない。オレストのホフマンは米国人ながらスパイアース的アクセントがほぼなかった。もう少し骨太な歌唱で苦悩と絶望を顕にしても良かったんじゃないかなと。でもこの難しい演出の要求に怯むことなく応えていて感嘆。
ピラードのタルボは彼の持ち味であるコミカルな側面を純真さに変えて成功していた(観る前は難しいんじゃないかと思ってたのに)。
トアースのセッティは見るからに凶悪で強迫観念に囚われた狂人そのもの。
イフィジェニーのTamara Bounazouはそれこそ巫女のようで、彼女の歌唱には疑いを挟む余地がない。オレストのホフマンは米国人ながらスパイアース的アクセントがほぼなかった。もう少し骨太な歌唱で苦悩と絶望を顕にしても良かったんじゃないかなと。でもこの難しい演出の要求に怯むことなく応えていて感嘆。
ピラードのタルボは彼の持ち味であるコミカルな側面を純真さに変えて成功していた(観る前は難しいんじゃないかと思ってたのに)。
トアースのセッティは見るからに凶悪で強迫観念に囚われた狂人そのもの。
前線で亡くなったギリシャ芸術家の作品で、輸血のポッシュは仲間の兵士の血を象徴しているという。イフィジェニーを想起させる少女、ディアーヌのモチーフ鹿が描かれている。
学芸員はこの芸術家は兄/弟だったと言い、2人は「あなたはギリシャ人なんですか!」と驚く。
前線で亡くなったギリシャ芸術家の作品で、輸血のポッシュは仲間の兵士の血を象徴しているという。イフィジェニーを想起させる少女、ディアーヌのモチーフ鹿が描かれている。
学芸員はこの芸術家は兄/弟だったと言い、2人は「あなたはギリシャ人なんですか!」と驚く。