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多分、スマトラ沖地震に関しては、友人家族、同じコンドミニアム一家、路面店のおばあちゃん、と3つの要素が幼少期の心への負荷として残ってるんだろうなって今になって思う。良くも悪くも東日本の時は中学生から高校生に変わる時期だったし、身近な人の出来事じゃなかったからどこか遠い場所の出来事として昇華してしまってる部分があると思う。なんと我ながら失礼なことだろう。
February 24, 2024 at 10:29 PM
そもそも何かを言いたくて書き連ねてるわけじゃないから、記憶の整理というか、気持ちの整理というか。なんかこの2人の出来事がちょうど2つの震災に自分の中では紐づいてるのが不思議な縁だなとか思ったり。いや、もちろん全然3.11の方は関係ないんだけど。ただの答辞を読み上げた生徒会長なだけなんだけど。本当に申し訳ないくらいに当時の記憶はその身近な人の出来事によって潰されてて。なんかちょっと小説読んでてグッときたというか(二次創作でそんなことまで思うなよって話だけど)なんか吐露したい気分になった夜中通り越して明け方になってしまったわけで(苦笑)
February 24, 2024 at 10:16 PM
多分周りからしたらなんで私が悔しげになってるかも分からなかったと思うな。クラスメイトが若くして亡くなることに対して泣いてると思われてたと思うし、そんなに関わってなかったやんって言われたら、本当風前の灯レベルの関わりだったんだけど、せっかく(生徒会長を務めてたような)真面目な彼女が実はアニメが好きでこんなオタクとも気さくに話してくれるような関係になろうとしてたことを知ってしまった自分になんとも言えなくって。
すごくすごく地震とは関係のない話だけど、正直私の中では地震=生徒会長だったクラスメイトのイメージが鮮烈で。
February 24, 2024 at 10:12 PM
自分の見ていたアニメがちょうど彼女がハマりたてのコンテンツだったらしく。急接近して彼女の推しのグッズあげたりできるななんて思ってた数週間後に亡くなったから本当にショックで。これから仲良く出来るはずだった子と、こんなタイミングで別れてしまうのかと思ったら悔しくて。彼女の新しい、まだ周りの人にもそんなに話してないから共通の話ができるのが私だけってその時彼女から言われてたのがちょっとした優越感だったのに、自分にとっての関わりはたったの数週間で自分には泣く資格もないなって思い始めたらもう呆然とするしかなくて。
February 24, 2024 at 10:09 PM
3.11があったその数日後には中学の卒業式だったから急いで原稿を書き換えたんだと思う。地元のTV局からのカメラには生きてる彼女が立派に答辞を読み上げてる姿が残ってるはず。だから、地震や津波の記憶よりも彼女がもうこの世にいないことの方が東日本の方の記憶に紐づいてて。本当、当事者には申し訳ないくらい関係のない、繋がりのない記憶にはなってるんだけど。高校3年間も同じクラスだったその子とはほぼ接点も仲のいい友人も被らず、ただのクラスメイトとして卒業するんだろうなって思っていたんだけど、高校3年生の秋冬頃に急に距離が近くなって。
February 24, 2024 at 10:04 PM
ちなみに自分の中での記憶が鮮明でない代わりに、2011年はよく覚えてて。というよりも、自分が中学を卒業する時の生徒会長をよく覚えてて。中高一貫だったから高校もそのまま進学したけど、中学時に生徒会長だった彼女は高校3年生の時かな、心臓の持病によって虹の橋を渡ってて。持病があったことすら知らなかったから、体育の授業をまともに受けてないことも不思議に思ってて。彼女の幼馴染は知ってたらしいし、最後のお別れも出来ているんだと思う。自分がなぜその子を覚えてるかって言ったら、彼女が読み上げた卒業生代表としての答辞の言葉を覚えてて。
February 24, 2024 at 10:00 PM
東日本は多分自分が当事者の近くから話を聞いていないのが記憶の定着に曖昧な部分がある理由だろうなって思ってる。
そもそもこんなにつらつら書いてるのも自己満でしかないけど、言語化したい時ってあるよね。その二次創作で取り扱ってる内容がナイーブだったんだけど、当事者というよりは当事者じゃない人側の目線の話だったから余計なんか思うところがあって。あぁ、あの時の自分はこうしてあげればいいんだなとか、社会には当事者がもちろんいるから、有事の際にはこうしない方がいいんだろうなって自戒するいいきっかけになった小説だったな。あくまで二次創作だからだけど、視点は大事だよなって思ったりして。
February 24, 2024 at 9:55 PM
同級生は男の子だったからあまり関わりはなかったけど、下の名前で呼ぶくらいの同じ家のよしみだったけど。しばらく呆然とした記憶はずっとある。ある家族は生き残ってしばらくしたら子どもらしく遊んでるのに、丸っとひと家族自分たちの世界から消えてるのがなんか怖かったんだと思う。小学校はその同級生を弔うために学校の敷地内に植樹した。今同級生でどれだけの子がこの出来事を覚えてるんだろうな…彼には友だちがいたんだろうか…それくらいの関わりでしかないから鮮明に覚えてるって言っていいんかって話だけど。
February 24, 2024 at 9:52 PM
また別のご家族に至ってはお話は聞けなかった。だって、一家全員帰らぬ人になったから。日本人が被害に遭った時はすぐに国から報告がある。だから、私の知ってるご家族の母親以外はすぐに学校を通じて連絡網で回ってきた。同じコンドミニアムに住んでる同級生だった。なぜか母親だけ見つかってないって話を当時聞いて数日後に分かったのが、母親が外国人であったから、日本人じゃなかったから家族と認識されずに報告から漏れてたらしい。現地入りした日本の親戚が遺体確認の際にようやく分かったと聞いてとても可哀想に思ったことを覚えてる。
February 24, 2024 at 9:48 PM
そこのご家族とは仲良くしていたからそっとしておくように親からも聞いてて。なるべく海に近寄らないように話されてたのを覚えてる。
ホテルで阿鼻叫喚の中、西洋人たちや他の外国人とかが自分たち日本人とは違って身一つで逃げようとしない様について呆れながらも潜り抜けて逃げる様も聞いた。どうやらこの後に及んでもキャリーケースと共に逃げようとした様子に驚いたらしい。そのご家族は生きているからその話を聞けたし、体験してない身としてはいちばん身近な話だった。
February 24, 2024 at 9:45 PM
当時自分がシンガポールに住んでて、プーケットはよく行く観光地だったから行ったことのない東日本よりも想像に容易いのもあるんだと思う。あとちょうど津波の3ヶ月前に旅行で行ったばかりだったのも覚えている。20年も経つのか…
日本人がそこそこの世帯数住んでいるコンドミニアムに住んでたんだけど、クリスマス時期だったから自分の知ってる人たちもちょうど、タイに行ってて。
私の住んでた家は窓から海が見える地域だったんだけど、タイから命からがら生きて家族全員で帰ってきた後輩は暫くカーテンも閉め切るくらいには外も見られなくて。それくらい近いところまで水が迫ってきたのを体験として聞いて。
February 24, 2024 at 9:42 PM
津波といったら私の中では東日本のよりも実はスマトラ沖地震の方が記憶があって。不思議なんだよね。当時中学卒業を間近にした日本の東で起こった出来事よりも、小学生の頃に起こった近いようで遠い国のことを思い出すのが。でも、私にとってはそっちの方が鮮明に覚えてて。13年前と20年前って言ったら普通に東日本の方が記憶に新しいはずなのに。
February 24, 2024 at 9:35 PM
二次創作ものだから想像でしかないけど、地震やら津波やらのテーマにしたものを読んだからふと思い出して。
February 24, 2024 at 9:31 PM
これで早速分身の方はフォローできたけど、こちらは同じ名前の別人だったりしたから機能しなかった🥺
February 9, 2024 at 9:06 AM
もちのロン
February 8, 2024 at 10:11 AM
ありがとうございます🙌ww
February 7, 2024 at 11:30 PM