あの清談会の日。真っ向から告白を受けた澄は、魏の予想通り答えを先延ばしにしていた。
「…では、次の週にレンカウを訪ねます。返事は、その時に」
それが、今日であった。澄が背にした窓の外には、優美に剣に乗った真っ白な仙師が小さく見える。澄の元に彼が着くのは、およそ半柱香にも満たないだろう。
しかし魏は、何となく、それこそ持ち前の勘から、これは良い方向に向くだろうと夫の腕の中でにんまり笑うのだった。
終わり
あの清談会の日。真っ向から告白を受けた澄は、魏の予想通り答えを先延ばしにしていた。
「…では、次の週にレンカウを訪ねます。返事は、その時に」
それが、今日であった。澄が背にした窓の外には、優美に剣に乗った真っ白な仙師が小さく見える。澄の元に彼が着くのは、およそ半柱香にも満たないだろう。
しかし魏は、何となく、それこそ持ち前の勘から、これは良い方向に向くだろうと夫の腕の中でにんまり笑うのだった。
終わり
まるで親からの叱責に耐える子供のように顔をしかめる澄に、今度は魏が口を開いた。
「受け入れちゃいけないなんて、誰が言ったんだ?お前自身が受け入れたいって思うなら、誰がそれを止められるって言うんだ」
そしてそれは、曦に対しても同じであった。現に、澄から窘められても引きやしなかった。
「なあ江チョン。俺はもう江氏の人間じゃないけどさ、それでもお前の幸せを願ってるんだ」
江は志に重きをおく。それなら、宗主は心に正直な仙師じゃなきゃな。
そういって解決した体で帰り支度を始める夫夫に、澄はまだ終ってないと静止をかけた。
↓
まるで親からの叱責に耐える子供のように顔をしかめる澄に、今度は魏が口を開いた。
「受け入れちゃいけないなんて、誰が言ったんだ?お前自身が受け入れたいって思うなら、誰がそれを止められるって言うんだ」
そしてそれは、曦に対しても同じであった。現に、澄から窘められても引きやしなかった。
「なあ江チョン。俺はもう江氏の人間じゃないけどさ、それでもお前の幸せを願ってるんだ」
江は志に重きをおく。それなら、宗主は心に正直な仙師じゃなきゃな。
そういって解決した体で帰り支度を始める夫夫に、澄はまだ終ってないと静止をかけた。
↓
「これにどう返事を返したものかと、思い悩んでいたらついに先日真っ向から問われてな」
澄が卑屈な笑みを漏らすのは、恐らくその際に明確な答えを言えずにいたからなのだろう。嘲笑にも似たそれは彼の顔に影を落とした。
「かの高名なタクブクンは、どうやら俺に懸想しているらしい。お慕いしていると言われてしまった」
木箱を項垂れながら抱える哀愁漂う澄の姿に、口を開いたのはワンジーであった。
「あなたは兄上をどう思っているのか」
彼らしい真っ直ぐな問いに、澄は珍しく迷いを見せた。
「悪い気はしていない。だがそれがいけない。」
↓
「これにどう返事を返したものかと、思い悩んでいたらついに先日真っ向から問われてな」
澄が卑屈な笑みを漏らすのは、恐らくその際に明確な答えを言えずにいたからなのだろう。嘲笑にも似たそれは彼の顔に影を落とした。
「かの高名なタクブクンは、どうやら俺に懸想しているらしい。お慕いしていると言われてしまった」
木箱を項垂れながら抱える哀愁漂う澄の姿に、口を開いたのはワンジーであった。
「あなたは兄上をどう思っているのか」
彼らしい真っ直ぐな問いに、澄は珍しく迷いを見せた。
「悪い気はしていない。だがそれがいけない。」
↓
文の最後。その一文には「はやく貴方にお逢いしたい」と綴られていた。そして共に入れられていた花だ。相手が相手なら求婚と受け取られても可笑しくはないものだった。
だが受け取ったのは澄であり、相手は他ならぬタクブクンである。間違いがあってはならぬと、それとなく返した。
「その言葉はいずれ迎えられる大切な方にとっておけ」と。
「かなり直球だな」
「他に言い方があるか!」
だが魏ウーシェンの言った通りだ。とため息を吐く。
私は「かなり直球」に伝えた。だが帰ってきた文はあまり芳しくないものだった
「_貴方に宛てた言葉です」
「叶うなら、直ぐにでも飛んでいきたい」
↓
文の最後。その一文には「はやく貴方にお逢いしたい」と綴られていた。そして共に入れられていた花だ。相手が相手なら求婚と受け取られても可笑しくはないものだった。
だが受け取ったのは澄であり、相手は他ならぬタクブクンである。間違いがあってはならぬと、それとなく返した。
「その言葉はいずれ迎えられる大切な方にとっておけ」と。
「かなり直球だな」
「他に言い方があるか!」
だが魏ウーシェンの言った通りだ。とため息を吐く。
私は「かなり直球」に伝えた。だが帰ってきた文はあまり芳しくないものだった
「_貴方に宛てた言葉です」
「叶うなら、直ぐにでも飛んでいきたい」
↓
「兎の様子!?」
魏が驚愕したように叫ぶが、つい口から出てしまったのはなにも魏だけではなかった。
「わざわざこんなことで文を送ってくるな!」
そう、澄もまた、当時叫んだのだ。
しかし律儀には律儀をと、文でのやり取りは続いた。それは魏との間のものよりも頻繁に、濃密に交わされていた。
しかし変化は訪れる。
曦がようやく閉閑を解いたのだ。
最初の文から一月半が経っていた。
「問題はここからだった」
曦からの手紙に、コソに自生する花が添えられるようになったのだ。それだけなら澄も似たようなことを魏にした。その手前無下にもできなかった。
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「兎の様子!?」
魏が驚愕したように叫ぶが、つい口から出てしまったのはなにも魏だけではなかった。
「わざわざこんなことで文を送ってくるな!」
そう、澄もまた、当時叫んだのだ。
しかし律儀には律儀をと、文でのやり取りは続いた。それは魏との間のものよりも頻繁に、濃密に交わされていた。
しかし変化は訪れる。
曦がようやく閉閑を解いたのだ。
最初の文から一月半が経っていた。
「問題はここからだった」
曦からの手紙に、コソに自生する花が添えられるようになったのだ。それだけなら澄も似たようなことを魏にした。その手前無下にもできなかった。
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茶器を今度はそっと置いた澄は、暫く躊躇った後続けた。
程なくして、澄の元に閉閑中の身である曦から文が届いた。こちらの手違いで貴方の文を私が読んでしまったと。
当初澄はなんと律儀な事だろうとだけ思っていた。なんて事はない、誰が読んだってどうにもならない内容だ。だからお気になさらず。そう短く綴って文を返した。
返事は矢を射るよりも速かった。
あまりの速さに何事かと冷や汗を隠しながら自室で書を開けた。
↓
茶器を今度はそっと置いた澄は、暫く躊躇った後続けた。
程なくして、澄の元に閉閑中の身である曦から文が届いた。こちらの手違いで貴方の文を私が読んでしまったと。
当初澄はなんと律儀な事だろうとだけ思っていた。なんて事はない、誰が読んだってどうにもならない内容だ。だからお気になさらず。そう短く綴って文を返した。
返事は矢を射るよりも速かった。
あまりの速さに何事かと冷や汗を隠しながら自室で書を開けた。
↓
曦曰く、それは確かに温もりがあったのだと。俗世を絶ち、その身が人のそれとは随分とかけ離れた体温だった中。たった一枚の乾いた花弁で心が洗われたと。そして思い出したのだ。かつて背を預けるまでに信頼した彼の事を。
心は尽きることのない野心で渇き、育ち故に愛に欠けた男だった。しかし彼も、確かに温かかったのだと。
曦の中で止まっていた時が動き出したのは、その頃からだった。
一度区切りを入れ、澄が再び用意されていた茶で唇を湿らせている間。魏は、そう言えばと回想にふけった。一度、文の包み紙から白檀の香りがしたのを覚えている
↓
曦曰く、それは確かに温もりがあったのだと。俗世を絶ち、その身が人のそれとは随分とかけ離れた体温だった中。たった一枚の乾いた花弁で心が洗われたと。そして思い出したのだ。かつて背を預けるまでに信頼した彼の事を。
心は尽きることのない野心で渇き、育ち故に愛に欠けた男だった。しかし彼も、確かに温かかったのだと。
曦の中で止まっていた時が動き出したのは、その頃からだった。
一度区切りを入れ、澄が再び用意されていた茶で唇を湿らせている間。魏は、そう言えばと回想にふけった。一度、文の包み紙から白檀の香りがしたのを覚えている
↓
曰く、藍宗主とも文を交わすようになっていたと。きっかけは藍氏の外弟子が文の使いで間違えて魏宛のものを寒室、しかも未だ閉閑の最中出会った曦に渡してしまった時だった。
普通であれば閉閑中は俗世から己を断ち切り、精神を統一する修行。文を受け取ることなどそもあり得ぬ事だ。しかし、曦は他でもない江宗主からの文だと、書を開けたのだ。内容はなんて事無いものだった。金宗主と共に夜狩りに行ったこと。そこで美しい毛並みの牡鹿を捕らえたこと。今度の蓮の時期に雲夢へ来るといいという誘い。
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曰く、藍宗主とも文を交わすようになっていたと。きっかけは藍氏の外弟子が文の使いで間違えて魏宛のものを寒室、しかも未だ閉閑の最中出会った曦に渡してしまった時だった。
普通であれば閉閑中は俗世から己を断ち切り、精神を統一する修行。文を受け取ることなどそもあり得ぬ事だ。しかし、曦は他でもない江宗主からの文だと、書を開けたのだ。内容はなんて事無いものだった。金宗主と共に夜狩りに行ったこと。そこで美しい毛並みの牡鹿を捕らえたこと。今度の蓮の時期に雲夢へ来るといいという誘い。
↓
「何もない。何もなかったんだ」
含みのある言い方に、魏はある手に出ることにした。
「そうか…俺は噂で、江宗主は毎晩タクブクンに文を渡したりコソに会いに行ったりしているって聞いたもんだから…」
「それはあちらの方だ!」
ガシャンと派手に散らばった茶器と葉を、魏の元に行かないようせっせとワンジーが集める。あとの二人の様子は対極にあった。
にんまりとしたり顔で頬杖を付いている魏と、怒りで顔を真っ赤にさせながらもまんまと鎌にかかった事に気づいて目が泳ぐ澄である。
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「何もない。何もなかったんだ」
含みのある言い方に、魏はある手に出ることにした。
「そうか…俺は噂で、江宗主は毎晩タクブクンに文を渡したりコソに会いに行ったりしているって聞いたもんだから…」
「それはあちらの方だ!」
ガシャンと派手に散らばった茶器と葉を、魏の元に行かないようせっせとワンジーが集める。あとの二人の様子は対極にあった。
にんまりとしたり顔で頬杖を付いている魏と、怒りで顔を真っ赤にさせながらもまんまと鎌にかかった事に気づいて目が泳ぐ澄である。
↓
「うん」
私は江宗主ではなく、心配する君が心配するだったんだ。とでも言っているような目に澄の表情筋が痙攣した。常なら「この恥知らずめ!」と一蹴していたところだったが、生憎今の澄にその余力は無かった。
「なら江チョン。タクブクンと何があったんだ?あの人とは毎日顔を合わせてるんだ。俺たちが何かの力になれるかもしれない。」
澄も引きこもっていた時期があったが、タクブクンの様に正式に閉閑でもされたら堪ったもんじゃない。
↓
「うん」
私は江宗主ではなく、心配する君が心配するだったんだ。とでも言っているような目に澄の表情筋が痙攣した。常なら「この恥知らずめ!」と一蹴していたところだったが、生憎今の澄にその余力は無かった。
「なら江チョン。タクブクンと何があったんだ?あの人とは毎日顔を合わせてるんだ。俺たちが何かの力になれるかもしれない。」
澄も引きこもっていた時期があったが、タクブクンの様に正式に閉閑でもされたら堪ったもんじゃない。
↓
「お前たちに話すような事ではないっ」
茶器を乱暴に叩き付ける澄に、魏はこれはやっぱり当たりだったと眉を跳ね上げる。
「そうか?それなら誰に話してるんだ。主管か?門弟か?それとも下町の妓女か!」
「その煩い口を閉じろ!さもなければ縫うぞ!」
「江宗主」
私の夫に手は出させぬ。そう顔に書いたような面持ちで魏を庇うワンジーに澄は歯噛みした。
まあまあ、落ち着けって。と澄の怒りを煽ったはずの魏が二人をなだめる。
「俺たちは何も、お前を怒らせたくって来たんじゃないぞ?
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「お前たちに話すような事ではないっ」
茶器を乱暴に叩き付ける澄に、魏はこれはやっぱり当たりだったと眉を跳ね上げる。
「そうか?それなら誰に話してるんだ。主管か?門弟か?それとも下町の妓女か!」
「その煩い口を閉じろ!さもなければ縫うぞ!」
「江宗主」
私の夫に手は出させぬ。そう顔に書いたような面持ちで魏を庇うワンジーに澄は歯噛みした。
まあまあ、落ち着けって。と澄の怒りを煽ったはずの魏が二人をなだめる。
「俺たちは何も、お前を怒らせたくって来たんじゃないぞ?
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