宮城県塩竈市にある神社。元は岩切村(現・仙台市宮城野区岩切)の冠川沿いに鎮座していた。『延喜式神名帳』には名神大社として記載されていたが中世以降は衰微、明治以降に「鹽竈神社」境内に遷座した。現在の社殿は1938年の竣工で、全額国費で造営された最後の神社とされる。
宮城県塩竈市にある神社。元は岩切村(現・仙台市宮城野区岩切)の冠川沿いに鎮座していた。『延喜式神名帳』には名神大社として記載されていたが中世以降は衰微、明治以降に「鹽竈神社」境内に遷座した。現在の社殿は1938年の竣工で、全額国費で造営された最後の神社とされる。
創建時から4時期の変遷がある。
第Ⅰ期:724年に「大野東人」によって創建される
第Ⅱ期:762年に「藤原朝狩」による大改修
第Ⅲ期:780年に「宝亀の乱(伊治公呰麻呂の乱)」による焼き討ちから復旧
第Ⅳ期:869年の「貞観地震」からの復興、1000年代中頃まで使用されたとされる
創建時から4時期の変遷がある。
第Ⅰ期:724年に「大野東人」によって創建される
第Ⅱ期:762年に「藤原朝狩」による大改修
第Ⅲ期:780年に「宝亀の乱(伊治公呰麻呂の乱)」による焼き討ちから復旧
第Ⅳ期:869年の「貞観地震」からの復興、1000年代中頃まで使用されたとされる
南部藩領と仙台藩領の境界を示すための塚群。1642年に幕府の裁定で藩境が決定されて以降に築かれたもので、大塚と小塚で構成される。奥羽山脈の駒ケ岳山頂から唐丹湾まで東西に約130km続いており、全国的にも類を見ない規模である。北上市、金ケ崎町内の約11kmは国指定の史跡。
南部藩領と仙台藩領の境界を示すための塚群。1642年に幕府の裁定で藩境が決定されて以降に築かれたもので、大塚と小塚で構成される。奥羽山脈の駒ケ岳山頂から唐丹湾まで東西に約130km続いており、全国的にも類を見ない規模である。北上市、金ケ崎町内の約11kmは国指定の史跡。
陸奥国の戦国大名。「奥州合戦」の武功で「奥州総奉行」に命じられ、現在の宮城県北部沿岸から岩手県南部を領有した。詳細は不明だが、石巻・日和山に「石巻城」、後に登米に「寺池城」を築いて本拠とした。戦国時代に伊達家の傘下に加わり「奥州仕置」で改易、滅亡した。
陸奥国の戦国大名。「奥州合戦」の武功で「奥州総奉行」に命じられ、現在の宮城県北部沿岸から岩手県南部を領有した。詳細は不明だが、石巻・日和山に「石巻城」、後に登米に「寺池城」を築いて本拠とした。戦国時代に伊達家の傘下に加わり「奥州仕置」で改易、滅亡した。
仙台市
・仙台伊達家勝山酒造:勝山/戦勝政宗
・森民酒造本家:森乃菊川
大和町
・大和蔵酒造:雪の松島/大和蔵
名取市
・佐々木酒造::宝船 浪の音
塩竈市
・阿部勘酒造:阿部勘/四季の松島/於茂多加男山
・佐浦:浦霞
石巻市
・墨廼江酒造:墨廼江
・平孝酒造:日高見
仙台市
・仙台伊達家勝山酒造:勝山/戦勝政宗
・森民酒造本家:森乃菊川
大和町
・大和蔵酒造:雪の松島/大和蔵
名取市
・佐々木酒造::宝船 浪の音
塩竈市
・阿部勘酒造:阿部勘/四季の松島/於茂多加男山
・佐浦:浦霞
石巻市
・墨廼江酒造:墨廼江
・平孝酒造:日高見
仙台市内の広瀬川に架かる橋。仙台城大手門と仙台城下町を結んでいた。「大橋」から「大町」へ昇る急坂は「大坂」と名付けられ「仙台七坂」に数えられる。川底にかつて橋脚の柱を据えるために岩盤を掘り込んだ柱穴がある。現在の橋は1938年に完成した鉄筋コンクリートのアーチ橋。
仙台市内の広瀬川に架かる橋。仙台城大手門と仙台城下町を結んでいた。「大橋」から「大町」へ昇る急坂は「大坂」と名付けられ「仙台七坂」に数えられる。川底にかつて橋脚の柱を据えるために岩盤を掘り込んだ柱穴がある。現在の橋は1938年に完成した鉄筋コンクリートのアーチ橋。
・気仙沼市:小田の浜、お伊勢浜、大谷海岸、小泉海岸
・南三陸町:サンオーレそではま
・石巻市:白浜(北上)、網地白浜、十八成浜、荒浜(雄勝)、渡波
・東松島市:月浜
・塩竈市:桂島
・七ヶ浜町:菖蒲田
・仙台市:深沼
・亘理町:荒浜(亘理)
・気仙沼市:小田の浜、お伊勢浜、大谷海岸、小泉海岸
・南三陸町:サンオーレそではま
・石巻市:白浜(北上)、網地白浜、十八成浜、荒浜(雄勝)、渡波
・東松島市:月浜
・塩竈市:桂島
・七ヶ浜町:菖蒲田
・仙台市:深沼
・亘理町:荒浜(亘理)
宮城県富谷市富谷新町にある脇本陣跡。脇本陣は『気仙屋』が勤めていた。一般公開されていないが、嘉永年間に建てられて参勤交代の際に大名の家臣の部屋として使われた御座の間や、明治天皇が1876年と1881年の東北・北海道行幸の際に御休憩された部屋が現在も使用されている。
宮城県富谷市富谷新町にある脇本陣跡。脇本陣は『気仙屋』が勤めていた。一般公開されていないが、嘉永年間に建てられて参勤交代の際に大名の家臣の部屋として使われた御座の間や、明治天皇が1876年と1881年の東北・北海道行幸の際に御休憩された部屋が現在も使用されている。
仙台市青葉区上杉にある建造物。1936年に竣工。RC造、地上4階・地下1階建て。意匠はモダニズム様式やインターナショナル様式の影響を受けている。戦後は1957年まで米軍が接収し、病院として利用していた。現在は『かんぽ生命仙台サービスセンター』として使用されている。
仙台市青葉区上杉にある建造物。1936年に竣工。RC造、地上4階・地下1階建て。意匠はモダニズム様式やインターナショナル様式の影響を受けている。戦後は1957年まで米軍が接収し、病院として利用していた。現在は『かんぽ生命仙台サービスセンター』として使用されている。
白石城下および白石市にある地名。「白石城」の外曲輪にあった侍丁で、東側で「中町」と「本町」が並行し、北には「本鍛冶小路」と接続する。名称は城の東側にあることに由来する。また東小路の一部が『古本町』と呼ばれていた。住居表示によって西半分が「大手町」になっている。
白石城下および白石市にある地名。「白石城」の外曲輪にあった侍丁で、東側で「中町」と「本町」が並行し、北には「本鍛冶小路」と接続する。名称は城の東側にあることに由来する。また東小路の一部が『古本町』と呼ばれていた。住居表示によって西半分が「大手町」になっている。
宮城県美里町のJR小牛田駅東口ロータリーで行われる鉄道イベント。例年8月第1日曜日に行われる。レールスター試乗やNゲージの展示、ミニSL、車両展示等が行われる。ステージイベントでは地元の学生によるマーチングバンドの演奏やダンスパフォーマンス等も行われる。
宮城県美里町のJR小牛田駅東口ロータリーで行われる鉄道イベント。例年8月第1日曜日に行われる。レールスター試乗やNゲージの展示、ミニSL、車両展示等が行われる。ステージイベントでは地元の学生によるマーチングバンドの演奏やダンスパフォーマンス等も行われる。
石巻市中心部にある丘陵地の北西部分。鰐山丘陵の一部。名称は「鳥屋明神(現・鳥屋崎神社)」に由来する。元は蛇田村の一部で、藩政時代の史料には『経塚』という地名が表記されている。また西麓は『山下』といった。住居表示により現在は『山下町』などになっている。
石巻市中心部にある丘陵地の北西部分。鰐山丘陵の一部。名称は「鳥屋明神(現・鳥屋崎神社)」に由来する。元は蛇田村の一部で、藩政時代の史料には『経塚』という地名が表記されている。また西麓は『山下』といった。住居表示により現在は『山下町』などになっている。
かつて仙台市にあった地名。東五番丁(現・愛宕上杉通)から仙台駅前までの道で、明治以降に開通して仙台駅正面の一等地として商店やホテルが並んでいた。昭和期の地図では、明治期の地図に『停車場前通』と表記され、現在は「駅前通」となっている道の一部も東五番町と表記されている。
かつて仙台市にあった地名。東五番丁(現・愛宕上杉通)から仙台駅前までの道で、明治以降に開通して仙台駅正面の一等地として商店やホテルが並んでいた。昭和期の地図では、明治期の地図に『停車場前通』と表記され、現在は「駅前通」となっている道の一部も東五番町と表記されている。
宮城県東松島市の宮戸島にある景勝地。「松島四大観」の1つで最も東に位置する。大高森は宮戸島にある標高106mの山で、この山頂から見た景色のことを指す。「松島湾」と「嵯峨渓」などを望める。最寄り駅の仙石線野蒜駅から登口まで車で15分、山頂までは徒歩で20分かかる。
宮城県東松島市の宮戸島にある景勝地。「松島四大観」の1つで最も東に位置する。大高森は宮戸島にある標高106mの山で、この山頂から見た景色のことを指す。「松島湾」と「嵯峨渓」などを望める。最寄り駅の仙石線野蒜駅から登口まで車で15分、山頂までは徒歩で20分かかる。
宮城県角田市枝野にある「宮城県道272号」の道の駅。2019年に道の駅として登録された。「かくだスポーツビレッジ(角田中央公園)」に隣接する。フードコートに入居する『ぱぴハウス』ではイタリアから輸入した石窯で本格ピザを提供している。また防災拠点としての機能を有する。
宮城県角田市枝野にある「宮城県道272号」の道の駅。2019年に道の駅として登録された。「かくだスポーツビレッジ(角田中央公園)」に隣接する。フードコートに入居する『ぱぴハウス』ではイタリアから輸入した石窯で本格ピザを提供している。また防災拠点としての機能を有する。
宮城県大崎市鳴子温泉にある土産物店。1920年に各旅館で土産物を販売する行商として創業。その後『おみやげゆさ』として店を構え、1967年に現在地に移転した。黒糖を練りこんだ生地にこし餡と栗を包んだ『大栗なるまん』が看板商品で、他に「しそ巻き」等を販売している。
宮城県大崎市鳴子温泉にある土産物店。1920年に各旅館で土産物を販売する行商として創業。その後『おみやげゆさ』として店を構え、1967年に現在地に移転した。黒糖を練りこんだ生地にこし餡と栗を包んだ『大栗なるまん』が看板商品で、他に「しそ巻き」等を販売している。
宮城県白石市大鷹沢三沢にある堂宇。当地を舞台とし、歌舞伎や人形浄瑠璃の仇討ち演目として人気の高い「碁太平記白石噺」に由来するもので、建物は木造平屋建、屋根は宝形造、銅板葺。内部には仇討ちを果たした姉妹の像を祀る。境内には土井晩翠の歌碑等もある。国の登録有形文化財。
宮城県白石市大鷹沢三沢にある堂宇。当地を舞台とし、歌舞伎や人形浄瑠璃の仇討ち演目として人気の高い「碁太平記白石噺」に由来するもので、建物は木造平屋建、屋根は宝形造、銅板葺。内部には仇討ちを果たした姉妹の像を祀る。境内には土井晩翠の歌碑等もある。国の登録有形文化財。
「黄金山神社」の境内にある歌碑。1954年に建立されたもので、国内初の産金を喜び詠った大伴家持の万葉歌が刻まれている。この歌の中で産金地は『みちのくやま』と呼ばれており、万葉集に登場する地名の中で最北・最東である。また万葉歌碑としても最北に位置するものである。
「黄金山神社」の境内にある歌碑。1954年に建立されたもので、国内初の産金を喜び詠った大伴家持の万葉歌が刻まれている。この歌の中で産金地は『みちのくやま』と呼ばれており、万葉集に登場する地名の中で最北・最東である。また万葉歌碑としても最北に位置するものである。
「仙台東照宮」の本殿を囲っている塀。一周79.4メートルで本殿を囲んでいて、銅瓦葺の屋根で一定間隔に格子を取り付けた連子窓がある。塀の中は神職以外立ち入ることができないが、この塀越しに透かして見ることができる。国の重要文化財に指定されている。
「仙台東照宮」の本殿を囲っている塀。一周79.4メートルで本殿を囲んでいて、銅瓦葺の屋根で一定間隔に格子を取り付けた連子窓がある。塀の中は神職以外立ち入ることができないが、この塀越しに透かして見ることができる。国の重要文化財に指定されている。
仙台藩のお家騒動。3代藩主伊達綱宗が放蕩三昧を理由に隠居させられ、2歳の息子・綱村が家督を継いだ。その後見役だった伊達宗勝が原田宗輔と共に藩の実権を握って伊達一門と対立し、刃傷沙汰へと至った。三大お家騒動の1つで、歌舞伎の題材になった。各人の企みに関しては諸説ある。
仙台藩のお家騒動。3代藩主伊達綱宗が放蕩三昧を理由に隠居させられ、2歳の息子・綱村が家督を継いだ。その後見役だった伊達宗勝が原田宗輔と共に藩の実権を握って伊達一門と対立し、刃傷沙汰へと至った。三大お家騒動の1つで、歌舞伎の題材になった。各人の企みに関しては諸説ある。
仙台市出身のバレエダンサー・振付師。旧・大町で大工の棟梁の三男として生まれ、旧制仙台二中を卒業の後に上京してエリアナ・パブロワに師事する。その後『東勇作バレエ団』や『東京バレエ団』などの結成日本のクラシックバレエの先駆者として知られている。西公園と冷源寺に銅像がある。
仙台市出身のバレエダンサー・振付師。旧・大町で大工の棟梁の三男として生まれ、旧制仙台二中を卒業の後に上京してエリアナ・パブロワに師事する。その後『東勇作バレエ団』や『東京バレエ団』などの結成日本のクラシックバレエの先駆者として知られている。西公園と冷源寺に銅像がある。
「瑞鳳寺」の山門。薬医門形式で、屋根は切妻造、本瓦葺。左右に袖塀が付く。東京・白金町にあった伊達家屋敷の門を模したもので、1971年に竣工した。境内に幼稚園があり門を送迎バスが通行する。また拝観料を徴収する旨の看板が門に掲出されているが特に受付等もなく困惑する。
「瑞鳳寺」の山門。薬医門形式で、屋根は切妻造、本瓦葺。左右に袖塀が付く。東京・白金町にあった伊達家屋敷の門を模したもので、1971年に竣工した。境内に幼稚園があり門を送迎バスが通行する。また拝観料を徴収する旨の看板が門に掲出されているが特に受付等もなく困惑する。
仙台市出身のパティシエ。エコール辻東京を卒業。24歳で渡仏して修行を積んでいたが、東日本大震災を機に帰国。2011年に『kazunori ikeda individuel(カズノリイケダ アンディヴィデュエル)』を南町通(仙台市青葉区一番町)にオープン。現在は仙台市内に3店舗を展開している。
仙台市出身のパティシエ。エコール辻東京を卒業。24歳で渡仏して修行を積んでいたが、東日本大震災を機に帰国。2011年に『kazunori ikeda individuel(カズノリイケダ アンディヴィデュエル)』を南町通(仙台市青葉区一番町)にオープン。現在は仙台市内に3店舗を展開している。
東北大学川内キャンパス内にある散策路。東北帝国大学法文学部教授・学部長を務めた阿部次郎の作品である『三太郎の日記』にちなんで名づけられた。「川内萩ホール」の外側を周遊して支倉常長像を経由し、「仙台市博物館」の前庭を通ってキャンパスに戻るルートのことを指す。
東北大学川内キャンパス内にある散策路。東北帝国大学法文学部教授・学部長を務めた阿部次郎の作品である『三太郎の日記』にちなんで名づけられた。「川内萩ホール」の外側を周遊して支倉常長像を経由し、「仙台市博物館」の前庭を通ってキャンパスに戻るルートのことを指す。
宮城県東松島市の新名物。『ちゃんこ萩乃井』で製造されている。東日本大震災以前に特産品開発で誕生したが、商品展開するタイミングで被災。2013年に地元の小麦粉と海苔を使用して改めて商品展開された。全国区のテレビ番組で多数紹介され、徐々に有名になった。
宮城県東松島市の新名物。『ちゃんこ萩乃井』で製造されている。東日本大震災以前に特産品開発で誕生したが、商品展開するタイミングで被災。2013年に地元の小麦粉と海苔を使用して改めて商品展開された。全国区のテレビ番組で多数紹介され、徐々に有名になった。