事実世界は、各Dを中心にそのDの要因セットを集めた形が基本になっています。各要因の要因値にDがあれば、またそのDを中心とする要因セットが作られる。そんな再帰構造を成す。
その上部にそれを踏まえて言語構造が載る。こちらのほうは主体の価値観や注目点によって編成と構造が変わってくる。そんな自由と任意性がある。
そういう上下二重構造が事実と言語の関係となります。
事実世界は、各Dを中心にそのDの要因セットを集めた形が基本になっています。各要因の要因値にDがあれば、またそのDを中心とする要因セットが作られる。そんな再帰構造を成す。
その上部にそれを踏まえて言語構造が載る。こちらのほうは主体の価値観や注目点によって編成と構造が変わってくる。そんな自由と任意性がある。
そういう上下二重構造が事実と言語の関係となります。
そんなAIが出現するには、大きなブレークスルーが必要です。それができれば、トンネルを抜けたあとのような新しい景色が期待できます。
そんなAIが出現するには、大きなブレークスルーが必要です。それができれば、トンネルを抜けたあとのような新しい景色が期待できます。
その試みの中心課題を二つ挙げます。
① D-A解析をニューラルで行うこと。その中心は、D-detector をニューラル的に構成することです。
② 運動や動体の把握を、ニューラルで構成すること。そこでのニューラルは、例えば速度センサーのような、非通常なニューロンをも導入してよいとする。
その試みの中心課題を二つ挙げます。
① D-A解析をニューラルで行うこと。その中心は、D-detector をニューラル的に構成することです。
② 運動や動体の把握を、ニューラルで構成すること。そこでのニューラルは、例えば速度センサーのような、非通常なニューロンをも導入してよいとする。
科学の探求が原子にまで至ったときに、そこからは二手に分かれて、一つはよりミクロな素粒子へ向かい(それは宇宙にもつながる)、もう一つは原子分子の組み合わせ的無限世界の方向に向かって、有機分子から生命へ、さらに心脳へと向かう。これらはどちらも「好奇心」の系譜だ。古代ギリシャ哲学で言うなら「自然学派」にあたる。心は本来、外向的で素直に外部に向かって伸びていく。
科学の探求が原子にまで至ったときに、そこからは二手に分かれて、一つはよりミクロな素粒子へ向かい(それは宇宙にもつながる)、もう一つは原子分子の組み合わせ的無限世界の方向に向かって、有機分子から生命へ、さらに心脳へと向かう。これらはどちらも「好奇心」の系譜だ。古代ギリシャ哲学で言うなら「自然学派」にあたる。心は本来、外向的で素直に外部に向かって伸びていく。
共鳴は視覚に限らないですが、この本では特に視覚を重点的に論じています。
共鳴は視覚に限らないですが、この本では特に視覚を重点的に論じています。
総じてこの本は(言語は別にして)ヒト以外にも共通な、基礎的な心脳機能を主に問題にしています。「思考」をより一般的に考えるなら、思考はもっとずっと多種多様で豊かな領域であることは確かです。
総じてこの本は(言語は別にして)ヒト以外にも共通な、基礎的な心脳機能を主に問題にしています。「思考」をより一般的に考えるなら、思考はもっとずっと多種多様で豊かな領域であることは確かです。
自著『非AI的心脳理論』は語の原初的意味を扱うという方針です。例えば、「きれい」という語は元々、秩序性を核にしてその肯定的価値づけが伴っています。団体のマスゲームはその感覚を前提にして、肯定を得ることを目指してやるものでしょう。全体主義国家のマスゲームも同じ感覚を当てにして、その肯定を体制に向けさせようと企てるものでしょう。自由主義を掲げる者はその魂胆を感じて否定的に見てしまいますが、その感覚も「きれい」周りの二次的意味となるのでしょう。
自著『非AI的心脳理論』は語の原初的意味を扱うという方針です。例えば、「きれい」という語は元々、秩序性を核にしてその肯定的価値づけが伴っています。団体のマスゲームはその感覚を前提にして、肯定を得ることを目指してやるものでしょう。全体主義国家のマスゲームも同じ感覚を当てにして、その肯定を体制に向けさせようと企てるものでしょう。自由主義を掲げる者はその魂胆を感じて否定的に見てしまいますが、その感覚も「きれい」周りの二次的意味となるのでしょう。
ディープラーニングの生みの親の一人であるヤン・ルカン(Yann LeCun)が自動運転技術を例にあげて、こう言った。——17歳の人間が20時間ほどで自動車の運転を身に付け、ほとんどが事故も起こさないのに対し、AIは何百万時間分もの運転データによるトレーニングを経ても、自律運転を実現できていない。 ここに「世界に対する理解」という点で、「大きな見落としがある」とルカンは指摘する。——
心脳学は、そこで言う欠落を的確に指摘できるものでありたいと思います。
ディープラーニングの生みの親の一人であるヤン・ルカン(Yann LeCun)が自動運転技術を例にあげて、こう言った。——17歳の人間が20時間ほどで自動車の運転を身に付け、ほとんどが事故も起こさないのに対し、AIは何百万時間分もの運転データによるトレーニングを経ても、自律運転を実現できていない。 ここに「世界に対する理解」という点で、「大きな見落としがある」とルカンは指摘する。——
心脳学は、そこで言う欠落を的確に指摘できるものでありたいと思います。
心脳研究にもアーキ派とインプリ派の2系統があり、機能から迫る心脳学はアーキ派、ニューラル・ベースのAIはインプリ派です。
インプリ派はいずれアーキテクチャまで到達したいと思い(もしかしたら、もう到達したと思っている?)、アーキ派はいずれインプリに到達したいと思っています。
心脳研究にもアーキ派とインプリ派の2系統があり、機能から迫る心脳学はアーキ派、ニューラル・ベースのAIはインプリ派です。
インプリ派はいずれアーキテクチャまで到達したいと思い(もしかしたら、もう到達したと思っている?)、アーキ派はいずれインプリに到達したいと思っています。
心脳の機能(例えば思考)について考察する際に、それは脳のどの部位でするものなのかという要素は、考えに全く入ってきません。もしそれを言うとすれば、(私にとっても現科学にとっても)半わかりの脳科学の知識に寄りつつ、確度の低い推測をすることになります。
心脳の機能(例えば思考)について考察する際に、それは脳のどの部位でするものなのかという要素は、考えに全く入ってきません。もしそれを言うとすれば、(私にとっても現科学にとっても)半わかりの脳科学の知識に寄りつつ、確度の低い推測をすることになります。
ノウハウ本そのものが、研究のフロンティアになります。
ノウハウ本そのものが、研究のフロンティアになります。
心脳学にも実験と理論がある。ところが心脳学に関しては、理論家は何の持ち札もなく純理論をやるということはあり得ない。というのは、かれは心脳の観察に日々浸っているからだ。かれは自分自身の心脳を持ち、それを日々使用し、観察している。他者の心脳についても日常的に経験し観察する。
心脳学にも実験と理論がある。ところが心脳学に関しては、理論家は何の持ち札もなく純理論をやるということはあり得ない。というのは、かれは心脳の観察に日々浸っているからだ。かれは自分自身の心脳を持ち、それを日々使用し、観察している。他者の心脳についても日常的に経験し観察する。
① シナプスの変化…やや長期的、
② 活動の変化…極く短期的。
我々の目的は、ニューロン系によって「目で見て分かるような」カタチを作ることです。初めカタチが無いところにカタチを作り出し、そしてそのカタチが変化し得る。
① シナプスの変化…やや長期的、
② 活動の変化…極く短期的。
我々の目的は、ニューロン系によって「目で見て分かるような」カタチを作ることです。初めカタチが無いところにカタチを作り出し、そしてそのカタチが変化し得る。
レゴで作るカタチ vs レゴのピース = 心 vs ニューロン。
あるいは同じことですが、
心 vs レゴで作るカタチ = ニューロン vs レゴのピース。
レゴで作るカタチ vs レゴのピース = 心 vs ニューロン。
あるいは同じことですが、
心 vs レゴで作るカタチ = ニューロン vs レゴのピース。
次いで、共鳴がどんな仕組みで起きるのかが問題になりますが、この仕組みは基本、仮説です。これを仮定すると説明できることが多い——『非AI的心脳理論』は残念ながらそれ以上のことは言っていません。
次いで、共鳴がどんな仕組みで起きるのかが問題になりますが、この仕組みは基本、仮説です。これを仮定すると説明できることが多い——『非AI的心脳理論』は残念ながらそれ以上のことは言っていません。
「心脳」がテーマです。私は最近、
『非AI的心脳理論 —— 共鳴するD-A構造』
という本を出版しました(電子出版は6/27刊、単行本は7/31刊)。
わたしの中心にあってわたしそのものなのが心脳です。その心脳がなぜこんなふうに働くのか? そこを分かりたい。本書はその問いに一つのありうる解を提案します。
「心脳」がテーマです。私は最近、
『非AI的心脳理論 —— 共鳴するD-A構造』
という本を出版しました(電子出版は6/27刊、単行本は7/31刊)。
わたしの中心にあってわたしそのものなのが心脳です。その心脳がなぜこんなふうに働くのか? そこを分かりたい。本書はその問いに一つのありうる解を提案します。