マイソフ(Xではmaisov_J)
マイソフ(Xではmaisov_J)
@maisovj.bsky.social
『士官稼業』『なにわの総統一代記』ほか。
ミリタリ創作・NFはhttps://mypage.syosetu.com/1312005/
ミリタリ同人本はhttps://maisov.booth.pm/
個人サイト(ミリタリ・同人出版・艦これ記事など、1998年開設のHPを継承)https://seesaawiki.jp/maisov/
「投票日直前までまったく勝算がなかったので事前収賄が成立しない」という論点も追加。
November 27, 2024 at 9:29 PM
トートはシュペーアに負けず劣らず、停滞し始めていた弾薬生産を食い止め増進するため盛んにヒトラーから直接指示を引き出した。しかしそれはレーダーやゲーリングもやっていることだった。だから軍需の分野でシュペーアの覇権が確立したというのは、その裏返しとして、ゲーリングが戦況悪化を食い止められずヒトラーの寵を失ったということなのである。
November 24, 2024 at 6:06 AM
現代で言う地方自治体の職分はガウライターなど党組織が担っていたから、国民に戦局悪果を意識させる諸措置に党組織は抵抗したし、その「古き良きゲルマン家庭幻想」から女性の動員にも反対した。陸軍の一部にも女性動員は故郷からの手紙を通じ兵士の士気を下げると懸念もあった。捕虜や外国人労働者は農業などで広範に使われていたが、食料と受入施設の問題もあり、サボタージュの懸念もあって、政治的エネルギーをつぎ込まないと軍需産業への導入は進まなかった。こうして1941/42年冬まで、軍需生産にまつわる様々なことが先送りされ、不徹底なままだった。
November 24, 2024 at 6:03 AM
そして英仏が宣戦してきた。ヒトラーもいくらか動揺したと伝えられる。陸海空三軍いずれも、このタイミングで英仏との戦争はないと踏んでいた。9月のうちに第5波歩兵師団の動員が始まり、1940年5月まで懸命に兵員抽出(もちろん1920年生まれ組は前年夏~秋からRADに召集されて基礎訓練と西方防壁づくりをやり、冬から入営している)が続いたが、今度は装備がない。そんな軍拡の用意はないからあらゆる装備がない。ついでに合理的配分をしようにも労働統計がない。
November 20, 2024 at 11:33 PM
Aufstellungswelleの第4波までは文字通りの波てあって、召集者が鉄道で動くから、タイミングをいくらかずらすよう配慮されていた。予備役を中心とする特設師団が第2波。各歩兵師団等に間借りするように置かれていた、徴兵制施行以前に20才になった白の世代を訓練する(Erganzung)部隊を中心とするのが第4波。間に挟まる第3波は軍管区の諸部隊を核として、つまり元のチームがない白紙状態から組まれた師団で、最も戦闘力の評価は低かった。
November 20, 2024 at 11:28 PM
『電撃戦という幻』で描かれたように、陸軍将官たちは1939年の英仏との開戦に驚き、憂い、直ちに講和すべきだと(ライヒェナウすら)口をそろえたのだが、そのニュアンスは「まだ早い」であった。徴兵制を復活させ、長期の訓練を課した世代は1914年生まれ組以降であり、予備役の層が狭いからである。まして1914年組以降の数年間は、出生数が大戦により激減した世代であった。1923年のフランス・ベルギーによるルール占領では、のちにヒトラー暗殺計画に関与したシュテュルプナーゲルが激高し、フランスとの(将来の)戦争を口にしたという挿話がある。
November 19, 2024 at 9:47 PM
陸軍は西方防壁を非常に長期をかけて建設する計画を立てた。すでにヒトラーは、ホスバッハ覚書で知られる1937年11月5日の演説で、自分たちNSDAP指導者が高齢にならないうちに、英仏と開戦のリスクを冒してオーストリア併合などの問題を処理すると宣言していたが、陸軍はこれを無視したことになる。
November 19, 2024 at 9:39 PM
ヴィルヘルム・アダム上級大将は、(当時は別の名前だったが)陸軍参謀総長としてベックの前任者である。参謀総長退任後も1938年11月まで要職にいた。ヒトラーとの対立点の一つとして、西方防壁の建設計画を巡る姿勢が指摘されている。
November 19, 2024 at 9:35 PM
いまは数年おきに大学基準協会などの評価機関からカリキュラム全体、さらに個別の科目について内容を審査され、評価が公表される。評価基準とともに答案現物の提出を求められることも珍しくない。それに堪えられる軍事史・軍事学しか大学のカリキュラムに存在することはできない。
もうひとつ、近年の(入試が易しくなった)大学について回るのが、初年次教育である。例えば、1年次向け基礎科目「歴史学」を担当できない教員が史学科にいると、他の教員のお荷物になってしまう。さて、論文が軍事史ばかりの教員はポストを得られるであろうか。もちろん内容次第であり、軍事史はますます「広義」になる。
May 4, 2024 at 2:55 AM
Rudolf Absolonでググると出るので書名は省略。ドイツ語版だけWikipedia項目もある。
話を戻して、軍事史・軍事学とは何かを考えるとき避けて通れないのが「大学講座・大学教員としての要件」である。例えば講義担当者には非常勤であっても、オリジナルの論文を中心とした業績審査がある。それを満たさないスピーカーが話すときは、専任教員か業績審査済の講師が立ち会う。もちろん実践的な内容の科目を社会人実務家が担当するときは、社会人経験を自己紹介文にまとめてもらって履歴書とともに審査することもあるが、それでは「特殊講義・地雷処理概論」などが爆誕してしまう。
May 4, 2024 at 2:47 AM
その増補版が1995年までかかって6巻組で出たのが、この分野のどう見ても金字塔である。ただそれは「研究として堅いソースで、かつ思想的な批判を受けずに語れるところ」を選り好みしてやったとも言えて、「広義の軍事史」であると同時に、「一部しかミリヲタの役に立たない知識の大海」でもある。日本でいうと「海軍制度沿革」みたいなものか。給与規定の細かいところを知っていても模型に色は塗れない。
May 4, 2024 at 2:38 AM
それと並行するように、史学の方法論でコツコツ研究した著作もあった。Rudolf Absolonは工兵曹長だったが30代でブンデスアルキーフに再就職し、1960年にドイツ兵制史(1935-1945)の本を出した。参照文献欄に26.6.1936.(RGBl. I S.518とか書いてあって全く読めないが、これは1936年法令官報(Reichsgesetzblatt)第I部518頁。同様に国防省令官報(Heeresverordnungsblatt、HVBl.)もあるらしい。
May 4, 2024 at 2:31 AM