陳両光
陳両光
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#台湾外記 書き下し投稿中。ぜひ読んでみてください!コメントでもDMでもご感想・ご意見・ご指摘いただければ幸いです。
#鄭成功
散《ち》らす(X)
散《あか》れらす(O)
November 12, 2024 at 10:52 AM
(諺云く、「白鶴山や。珠嶼《しゅしょ》はそれのつくえなり。誰人《たれひと》かそれに葬らるることを得たれば、天下の一半を得たりけり。」故に德興是の舉《きょ》有り。)江《こう》を渡り金門所《きんもんしょ》(即ち浯州《ごしゅう》)、中左所《ちゅうさしょ》(即ち廈門《かもん》)を置く。又鎮海衛《ちんかいえい》、及びて陸鵝《りくが》、懸鐘《けんしょう》、銅山《どうさん》諸所《しょしょ》を建つ。それをおわりて、軍門《ぐんもん》と會同《かいどう》し、功有る將士に分け給わるために旨《し》を請く。然る後に潮《ちょう》、惠《けい》、粵東《えつとう》より、衛所を建ちたりて、京に回《かえ》りて復命《ふくめい》したり。
November 3, 2024 at 9:00 PM
山きまわりて水盡るに及び、玩べばいよいよ意味あり。また山巔を步み、大き石に「海上視師」四大字、旁らに「宋 朱熹《しゅき》 書」をえらるるを見たり。訝《が》として曰く、『先賢すでに明鑑《めいかん》有り!此すなわち天數《てんすう》なり。あに違逆《いぎゃく》す可からんや?』徘徊して下りて、其の夫役を散らす。同安縣《どうあんけん》に至り、高浦所《こうほしょ》を設く。來龍《らいりゅう》の白鶴山《はくかくさん》の上に一井をさらう。深さ十餘丈なり。生鐵《なまがね》數千斤を鎔化し、井の內に傾入す。其の所《しょ》の前は大き石二十八塊《かい》有りて、匠をして石ごと兩片《りょうへん》にさき分かしむ。
November 3, 2024 at 8:53 PM
德興驚きて覺む。漏《ろう》は方に三鼓《さんこ》なり。「此の夢は甚だしく異なり。是れ明らかに此の處の山神が上帝の命を奉り、守護すべく此に在りて、我にほしいままに開くること勿かれと求められたり。まさに後來たるときに國朝の為に嘆氣すべく、此の五代の諸侯を出すべし」と細かく思うなり。輾轉《てんてん》し、まさに再び審らかに詳しく酌奪すべしと思維《しい》す。次の早、德興、夫役を按《あん》じ、みずから嶺の上を登る。洶湧《きゅうよう》たる波濤、嵯峨《さが》たる山勢、發跡《はっせき》し環遶《かんじょう》するを遙く望む。ただに尖り、つぶらかなり、秀麗《しゅうれい》なり、雄壯《ゆうそう》なる氣概あるのみならず、
November 3, 2024 at 8:50 PM
東旭曰く、古より盛衰《じょうすい》皆《みな》數《かず》有りて、聖明《せいめい》滿枰《まんへい》の棊《ご》を空算《くうさん》したり。機關《からくり》の處を識破《しきは》したりと雖然《いえど》も、三尺から冥々《めいめい》と自《おのづか》ら主持《しゅじ》ありけり。
October 26, 2024 at 12:19 AM
紫帽《しもう》に起伏《きふく》し、蟠《わだかま》り騰《のぼ》り、隱《かく》り現《あらわ》り、實《み》ちて安江《あんこう》に歸《き》すなり。其の左輔右弼《さふうひつ》は、氣象萬千《きしょうばんせん》なり。上帝《じょうてい》業《すで》に余《よ》に此の土《ど》を保護せよと命じたり。以て後《あと》に來たる德有る者が其の中に葬らるるを俟《ま》つ。應《まさ》に國朝の為に嘆氣《たんき》すべく五代《ごだい》の諸侯《しょこう》を出《いだ》すべし。輕く開斷し、以て帝命《ていめい》に違うること勿《な》ければ幸いなり。謹み記せ!謹み記せ!』
October 26, 2024 at 12:01 AM
江を渡し(X)
江を渡り(O)
October 25, 2024 at 7:59 PM
穴《けつ》を斷てよ』という密旨《みっし》を受けたり。今此の地を觀て、應《まさ》に斬り斷つべし。遂に人夫《にんぷ》を取らんがために討《たず》ね、鍬《くわ》と鍤《すき》を備えよと、南安《なんあん》知縣《ちけん》楊廷志《ようていし》に傳《つた》う。是《こ》の夜、忽ち夢に二人跪き、德興に告げて曰く、『公地脈《じみゃく》を勘踏《かんとう》し、孽いなる穴を斬り除けよという旨《し》を奉《たてまつ》る。適〻《たまたま》此の處にて飛騰し踊躍《ようやく》するを觀たり、懷に疑惑あるゆえに、開斷《かいだん》せむと欲し、以て國患を銷《け》さむ。但し此の地は然ざるなり。その脈《みゃく》は臨汀《りんてい》に發し、
October 25, 2024 at 7:40 AM
德興山東《さんとう》の登《とう》、萊《らい》、青《せい》、曹《そう》より、また浙江《せっこう》の寧《ねい》、紹《しょう》、台《だい》、溫《おん》等の處より、有司と會同し、酌議《しゃくぎ》して踏勘《とうかん》し、分封を設置したり。閩に入るに迨《いた》りて、泉州に至り永寧衛を建ちたり。石井《せきせい》安平《あんぺい》地方に過ぎ、見たるは飛騰する龍勢、環《めぐ》りて相顧《あいかえりみ》る山、潮として信有る水なり。旗鼓《きこ》耀きを顯すごとく、印劍《いんけん》生成するごとし。徘徊《はいかい》して瞻玩《せんがん》し、奉命《ほうめい》せし時を憶《おも》いて、曾て『沿邊《えんへん》の孽《わざわ》いなる
October 25, 2024 at 7:31 AM
前明太祖は、朱《しゅ》姓、諱《いみな》が元璋《げんしょう》、字《あざな》が國器《こくき》(またの字は國瑞《こくすい》)、濠州《ごうしゅう》の人なり(今江南《こうなん》鳳陽府《ほうようふ》なり)。元《げん》至正《しせい》七年に、和陽《わよう》より兵を起こし、江を渡し英傑を延攬し、群豪を驅除す。戊申歲に至り、金陵《きんりょう》に位を即き、それを南京《なんきん》と改稱したり(今江南省にあり)。一十六載、始めて宇宙を廓清《かくせい》したりとし、方に江夏侯《こうかこう》周德興《しゅうとくこう》に衛所を設立し、功有る將士を安插《あんそう》することを命じたり。
October 25, 2024 at 7:19 AM
当然のことながら「こう訳するのは悪い!こうだ!」とか指摘してくれれば助かります。
October 25, 2024 at 7:18 AM
しおりみたいなもの↓↓↓

卷之一
bsky.app/profile/ligh...
臺灣外記卷之一

天啟《てんけい》辛酉年から崇禎己卯年まで共十九年

九閩《くびん》珠浦《しゅほ》東旭《とうきょく》氏江日昇《こうじつしょう》輯定《しゅうてい》
。。。。。
#台湾外記
登場が遅いが #鄭成功
。。。。。
紹介:
bsky.app/profile/ligh...
投稿したいのは #台湾外記 の書き下し文です。
台湾外記は #鄭成功 に関する重要な資料の一つと言われます。その記述内容は史実と伝説を併せ持ち、形式は歴史記録と小説の間である。信ぴょう性が欠けますが、鄭成功が如何様にその時代の人間に思われたを垣間見せる一作です。
。。。というものの、私もまだ読み始めたばかりので請け売りでした。
October 25, 2024 at 7:01 AM
taicool.ith.sinica.edu.tw/browse-ebook...
こちら中央研究院台湾研究所が公表してます方豪版『台湾外記』を原文にして書き下しを書きたいと思います。
臺灣文獻全文資料庫 -文獻叢刊全文瀏覽
taicool.ith.sinica.edu.tw
October 25, 2024 at 6:51 AM
鄭成功は開拓民についての恩人であり、清の暴政への不満の代弁者であり、何より両面性と矛盾を持つ魅力的な英雄と思います。
。。。。。
江日昇(18世紀前半?)は中国・福建出身。父は明軍に仕えたという。鄭氏一族が63年間の出来事を編纂し『台湾外記』を記した。
。。。。。
方豪(1910-1980)は中国・浙江出身、1949年に台湾へ移住。神父兼歴史家。『台湾外記』を校合し、台湾銀行経済研究室の発足した『台湾歴史文献叢刊』の一冊としてそれを発表しました。
October 25, 2024 at 6:46 AM
鄭成功(1624-1662)は中国・福建出身の海賊・鄭芝龍と日本・平戸の武家の娘・田川マツの長子である。当時、中国(明)が内乱(李自成など)と外敵(金、後ほどの清)に挟まれて、ついに首都が陥られ、皇帝も自害した。すでに明の武将に成り上がった鄭芝龍は明の皇族を支持するものの、すぐに清に寝返った。
鄭成功は孝より忠を、儒学より軍事を選び、清と何年もに対抗し続けた。そして戦況が厳しくなり、新たな本拠地にすべく狙ったのは台湾にあったオランダ人の植民地だ。
鄭氏とオランダ人の戦力はまさに互角、一年近い包囲戦によってようやく台湾を手に入れたが、鄭成功の命もそこでつきました。
October 25, 2024 at 6:40 AM