五十嵐
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五十嵐
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ギャングエイジ的なホモコミニュケーションの延長形のひとつとして『ベルリン・アレクサンダー広場』で描かれたような露悪趣味が嵩じた、相手をとことん不幸に陥れる遊びがあると思う
May 20, 2025 at 2:58 PM
「助かるにしろ、助からぬにしろ、兎に角、自分はこの人を離れず、何所までもこの人に随いて行くのだ」とは半ば死んでいる存在にたいする意志そのものじゃないか
May 20, 2025 at 2:56 PM
ヒロトの「ズートロ」「生乾きのパンツ」のような私的言語・ごく私的モチーフ依存に向かう方向と、マーシーの「アンダルシア」「チェインギャング」のような固有名詞がもつイメージの喚起力から離れていく方向とが交わる一点があり、ハイロウズの中後期?の二人の曲がよく似ている
April 1, 2025 at 1:51 PM
「死んでいるという状態」について連想……池澤夏樹は震災以後われわれは放射性物質による確率論的な死者だといい、大江は人類に未知の核の危険性について言及することは作家の権利だといい、更に遡ると山之口貘の「地球の上はみんな鮪なのだ」がある
March 13, 2025 at 2:08 PM
マムーリアン『喝采』の男客がキャバレーの踊り子を欲望の眼差しでみるシーンは最悪だが、こういう機微を男性側の視点で描いたのが『青春群像』や『ハズバンズ』とかの傑作だとも思う
March 10, 2025 at 2:06 PM
ふと『取り替え子』における終章「モーリス・センダックの絵本」の夫から妻への視点の切り替わりは『暗夜行路』を踏まえていると思ったりする、作中で志賀は「ガタガタにならない人間」としてひとことながら言及されており……
March 10, 2025 at 1:58 PM
「死んでいるという状態があるのではないか」という大江の問いが妙に頭を離れず(『取り替え子』の着想もこの辺からだろう)、だからどうということでもないがこの問いから思い浮かぶものがいくつかあり、ブラザー軒、被災地の幽霊譚、子育て幽霊、粗忽長屋、この頃ならダゲレオタイプの女とか……
January 24, 2025 at 5:30 AM
『古事記』のアメノウズメ、熱田神宮の酔笑人神事なんかは暗闇・恐れを笑いで征服するもの、更に前者についていえば女陰を象徴するものであって、女陰―穴―暗闇とくる、思えば『人のセックスを笑うな』は良い題名だ
December 30, 2024 at 6:30 PM
赤塚不二夫が満州にいた子供のとき、母親を強姦しようとするソ連兵を追い払おうとして間違って«Очень Хорошо!»(very goodの意)と叫んだという逸話がいかにも赤塚漫画的で印象に残っているんだが、不条理や恐れへの方策としての笑いというのは、かなりまじないにも近似していて根源的だという気がする
December 30, 2024 at 5:39 PM
古井・大江が対談で「ホセア書」の娼婦を娶るくだりを信仰ある人は字義通り捉え、そうでない人は比喩と捉えるが、前者でなければ真に迫った受容はできないと言っていて(「ホセア書」自体はカルヴァン派の解釈通りイスラエルに関する比喩には違いないわけで)いかにも実作者らしい見方だと思った
November 19, 2024 at 7:16 AM
『敗者の精神史』の数奇者しかり『本の神話学』のモーツァルトしかり、山口昌男の周縁・トリックスターの説がホイジンガやカイヨワの遊び論に接近するところが面白い
November 18, 2024 at 1:36 PM
『横道世之介』の名前を呼び合う場面はそのまま「籠もよみ籠持ち……」であって感動的
October 6, 2024 at 3:35 PM
内向の世代って後藤、黒井、古井あたりのビッグネームしかろくに読んでこなかったけど、次いで有名な阿部昭や坂上弘も滅法面白くて、阿部が退役軍人の父の戦後における死を書いているのはひと世代上の安岡と似てるが、坂上はハイブロウの家庭崩壊を描いていて、この辺の時代のグラデーションも興味深い
October 1, 2024 at 8:30 AM
大江は『レイテ戦記』にふれ「作家の(中略)ストイシズムは、軽率かつ事大主義的に、直接政治的であることを拒否している」と書いていて、はんたいに大江の画期的だったのは戦後=新しい戦前と捉えたことで、纏まらないが、いずれにせよ「非常時の思想などない」ってことはいえると思う
August 28, 2024 at 2:05 PM
戦争反対は絶対なんだが、それにつけても戦争というこの上ないスペクタクルに係る何ものかに参与することでもあるって意識は持ちつづけたい、とくに今みたいに民主主義がファッショじみている時は……
August 28, 2024 at 2:03 PM
山城むつみも引いている箇所だが、坂上弘「バンド・ボーイ」で女から乱暴にもぎ取ったハンドバッグから「さらし鯨、八十匁よく水洗いして、熱湯を通す、荒くサイに切って固くしぼり、マヨネーズにケチャップ……」という所帯じみたメモが出てくる場面は劇的だ
August 26, 2024 at 6:18 AM
坂上弘の小説が面白いとすれば「日常を虚構としてとらえるのが言葉だ」というテーゼのためで、そもそもじぶんにとって私小説の魅力は生身の作者の現実についての言説が上すべりしつづけてかえって虚構であることが浮き彫りになるところにある
August 26, 2024 at 6:16 AM
祝祭や非日常を撮るなら同じように普段の生活をとる必要があるが、それは日常をスペクタクル化することであり、それはどうなのかということはある
August 25, 2024 at 1:36 AM
『血煙高田の馬場』と『人情紙風船』って同じ1937年の映画なのか、後者はチョンマゲを付けた現代劇なんて呼ばれるけど、落語に古典というものはない、というのを地で行ってる
August 24, 2024 at 12:08 PM
「灰色の月」で餓死寸前の青年を突きとばす場面の怖さって、生理の前で思想は何ものでもないっていう怖さでもある
August 24, 2024 at 9:15 AM
先行文献読んでいないからどう言われているのかしらないが、書かれた目的(だけ?)からいえば伊藤整の『小説の方法』って『言語美』の先蹤みたいなところがあるのかな
August 24, 2024 at 2:15 AM
「いたわりつつ殺す手を見たことのない者は、人生をきびしく見た人ではない」という箴言でふと思い出したのが藤山寛美が引き揚げのとき、餓死寸前の赤ん坊の首を絞め殺す母親を見たと語る映像なんだけど、あれはどこで見られるんだろう
August 24, 2024 at 1:24 AM
『流離譚』に、土佐で武市の切腹〜板垣・後藤らの討幕ラジカル化〜薩長同盟の流れにより「勤王」から精神的な命題が失われもっぱら「討幕」という政治性が先行した、というくだりがあるが、左まきの共同戦線なんていつもこんなもんじゃないか
August 22, 2024 at 3:08 PM
なにかを批判するときには徹底的に嫌悪やルサンチマンを排して行わなければならないが、そうできるとも思えず、じぶんが実生活で政治的になれない要因でもある
August 22, 2024 at 3:03 PM
「いろんな無に顔を貸して/自分でいるよりほかなく/蚊に刺されている」は凄い
August 22, 2024 at 7:12 AM