ここで言う刺激とは、「普段とは違うこと」である
我々は五感と記憶、それらを含むその他脳の処理作用によって常に世界を認識しながら「刺激」されている
「刺激」には「上述した器官らを経て受ける(馴染みあるものを含めた)普遍的なもの」と、「それに付加される、自身にとって馴染みないもの」の2つがあるが、ここでは後者について書くということだ
我々人間は新しいものが好きであり、つまりは新しい「刺激」が好きである
新たな習慣、新たな知識、新たな流行など、興味を引かれた経験があるのではないだろうか
それらの新たな要素を取り入れることで、満足感ある1日を過ごすことができるのだ
ここで言う刺激とは、「普段とは違うこと」である
我々は五感と記憶、それらを含むその他脳の処理作用によって常に世界を認識しながら「刺激」されている
「刺激」には「上述した器官らを経て受ける(馴染みあるものを含めた)普遍的なもの」と、「それに付加される、自身にとって馴染みないもの」の2つがあるが、ここでは後者について書くということだ
我々人間は新しいものが好きであり、つまりは新しい「刺激」が好きである
新たな習慣、新たな知識、新たな流行など、興味を引かれた経験があるのではないだろうか
それらの新たな要素を取り入れることで、満足感ある1日を過ごすことができるのだ
生物心理学的に考えれば、友達とは「自分に対して利己的な利益を有する・与える共有関係」と言い表すことができる
自己表現や自己主張ができる「自分と似ている・共通点がある」という人間は、自己表現・自己主張の好きな我々人間にとってとても都合がよい
自身の考えを伝え合う共有関係は、自身の自己表現の場を保証するからだ
さて、近頃「一人ぼっちが苦でない」「友達が必要ない」という人間が増えている現代社会ではこの「自己表現」が関係しているのではないか
インターネット上ならいつでも「自己表現」が可能だからだ
時代による意識変化は凄まじい
生物心理学的に考えれば、友達とは「自分に対して利己的な利益を有する・与える共有関係」と言い表すことができる
自己表現や自己主張ができる「自分と似ている・共通点がある」という人間は、自己表現・自己主張の好きな我々人間にとってとても都合がよい
自身の考えを伝え合う共有関係は、自身の自己表現の場を保証するからだ
さて、近頃「一人ぼっちが苦でない」「友達が必要ない」という人間が増えている現代社会ではこの「自己表現」が関係しているのではないか
インターネット上ならいつでも「自己表現」が可能だからだ
時代による意識変化は凄まじい
私は、その人間性は究極的な優しさにありふれており、人として極めて美しいと感じる
その人らは、傷つくのが自分だけになるようにしようとしているからである
紛れもない「良い事」と言えるだろう
しかし、それは本当に「正しい事」なのだろうか
その優しさで当人が蝕むような積み重なる搾取を受けていては、一方的な破滅を招くのみである
別の見方をすれば、それが「他人を傷つけたくない」というその人らの真意による本望なのかもしれない
私はそれらの自滅的な優しさも含めてその人らの人間美だと考えているが、悲しく残酷なことだとも思う
私は、その人間性は究極的な優しさにありふれており、人として極めて美しいと感じる
その人らは、傷つくのが自分だけになるようにしようとしているからである
紛れもない「良い事」と言えるだろう
しかし、それは本当に「正しい事」なのだろうか
その優しさで当人が蝕むような積み重なる搾取を受けていては、一方的な破滅を招くのみである
別の見方をすれば、それが「他人を傷つけたくない」というその人らの真意による本望なのかもしれない
私はそれらの自滅的な優しさも含めてその人らの人間美だと考えているが、悲しく残酷なことだとも思う
彼らが迫ってきた時、我々は当然恐怖を感じて背を向け逃げ出すだろう
しかしそれでは、彼らはこちらが己よりも弱い獲物であると確信し、やいと襲いかかってくる
だが、背を向け戻らず堂々と面向かい、更に一歩一歩と近ずかれると、彼らは後退りを始める
これは生物学的に立証されたことで、彼らは逆に立ち向かわれると本能で恐怖するのだ
これは、我々の日常に潜む困難なことと重ねて考えられる
どう考えたって太刀打ちできない恐ろしい問題も、勇気を出して突っ込んでみると、案外打ち倒せたりするのではないか
どんなことにも怯まないことが、重要で、大切なのかもしれない
彼らが迫ってきた時、我々は当然恐怖を感じて背を向け逃げ出すだろう
しかしそれでは、彼らはこちらが己よりも弱い獲物であると確信し、やいと襲いかかってくる
だが、背を向け戻らず堂々と面向かい、更に一歩一歩と近ずかれると、彼らは後退りを始める
これは生物学的に立証されたことで、彼らは逆に立ち向かわれると本能で恐怖するのだ
これは、我々の日常に潜む困難なことと重ねて考えられる
どう考えたって太刀打ちできない恐ろしい問題も、勇気を出して突っ込んでみると、案外打ち倒せたりするのではないか
どんなことにも怯まないことが、重要で、大切なのかもしれない
AIは「0と1」を区別しており、言い換えれば「正しいと正しくない」を判断している
しかし「何を正しい・正しくないとしたか」は分かれど、その「なぜ正しい・正しくないとしたか」という思考回路は完全なる電気信号の回路に過ぎず、こちらには分からない所謂「ブラックボックス」である
しかし同様に、例えば猫の悪事や行動も、「なぜか」は分からないが、少なくともその判断は「正しいと正しくない」に依存していると言える
もし誰かが酷い悪行をしても、それはその人にとって何らかの理由から「正しい」ことだったのだろう
AIは「0と1」を区別しており、言い換えれば「正しいと正しくない」を判断している
しかし「何を正しい・正しくないとしたか」は分かれど、その「なぜ正しい・正しくないとしたか」という思考回路は完全なる電気信号の回路に過ぎず、こちらには分からない所謂「ブラックボックス」である
しかし同様に、例えば猫の悪事や行動も、「なぜか」は分からないが、少なくともその判断は「正しいと正しくない」に依存していると言える
もし誰かが酷い悪行をしても、それはその人にとって何らかの理由から「正しい」ことだったのだろう
何を当たり前なことをと思うだろうが、今日これができている人間は思ったより多くない
課題ができていなかったり、待ち合わせに遅刻してしまったり、極めて、人の命を零してしまったり
そんなとき、「なんで私はこうなのか」「将来駄目な人間になってしまうのではないか」「また人を見殺しにしてしまうのではないか」などという愚考をしては絶対にいけない
まずは「どうやって片付けるか、間に合わせるか」「何故遅れてしまったのか、どうすれば良いか」「どうすれば未然に防げるか、自分に出来ることは何か」を考えるべきである
今日の人間は、自己を責めすぎている
何を当たり前なことをと思うだろうが、今日これができている人間は思ったより多くない
課題ができていなかったり、待ち合わせに遅刻してしまったり、極めて、人の命を零してしまったり
そんなとき、「なんで私はこうなのか」「将来駄目な人間になってしまうのではないか」「また人を見殺しにしてしまうのではないか」などという愚考をしては絶対にいけない
まずは「どうやって片付けるか、間に合わせるか」「何故遅れてしまったのか、どうすれば良いか」「どうすれば未然に防げるか、自分に出来ることは何か」を考えるべきである
今日の人間は、自己を責めすぎている
私は、涙を流すことは甘えだと思っている
上述したように、これはただの私のポリシーだ
誰かに言っているのではない
寧ろ沢山泣いて欲しいと思う
これもまた、悲しめ、苦しめという意味では無い
涙を流すことは、肩の荷を下ろすことに繋がる
医学的に、涙を流すことはストレスを発散することに直結している
特に私は、どんな発散よりも効果的だと考えている
そして、そんな羽目になって欲しくないとも願っている
しかし、私は違う
泣く必要は無い
何より泣く程の苦しみなど感じていない
感じない
へばっていては、私じゃない
「かものすけ」じゃない、と
私は、涙を流すことは甘えだと思っている
上述したように、これはただの私のポリシーだ
誰かに言っているのではない
寧ろ沢山泣いて欲しいと思う
これもまた、悲しめ、苦しめという意味では無い
涙を流すことは、肩の荷を下ろすことに繋がる
医学的に、涙を流すことはストレスを発散することに直結している
特に私は、どんな発散よりも効果的だと考えている
そして、そんな羽目になって欲しくないとも願っている
しかし、私は違う
泣く必要は無い
何より泣く程の苦しみなど感じていない
感じない
へばっていては、私じゃない
「かものすけ」じゃない、と
今も、とは言わない
ただ、以前幾度かそんな一瞬があっただけだ
そしてそれが、すぐ暫くで全く綺麗になったこと、それはちっぽけで、拡大解釈していただけだったことも、知っている
だからこそ私は、どんなことも辛いとはしないことにしている
「辛いと辛そうは違う」とはその通りなことだと思う
なら私はどちらも消す
傷ついたと感じるのは気のせいで、ただ私が弱いから
私が傷つけてしまうのも、ただ只管に私が弱いから
「我儘」は言わない
言えないのだ
私は、そんな立場にないのだ
今も、とは言わない
ただ、以前幾度かそんな一瞬があっただけだ
そしてそれが、すぐ暫くで全く綺麗になったこと、それはちっぽけで、拡大解釈していただけだったことも、知っている
だからこそ私は、どんなことも辛いとはしないことにしている
「辛いと辛そうは違う」とはその通りなことだと思う
なら私はどちらも消す
傷ついたと感じるのは気のせいで、ただ私が弱いから
私が傷つけてしまうのも、ただ只管に私が弱いから
「我儘」は言わない
言えないのだ
私は、そんな立場にないのだ
別にその人を惜しむなと言っているのではなく、自分を嫌いになることを避けなければならないということだ
ただ、その相手が元々仲が良かったり好きだったりすると間違いなく悲しくなるだろうが、まず必要なのはもう一度仲良くなれるかどうかの判断だ
もしなれないなら、残念ながら諦めるしかない
それでも、「運が悪かった」として自分を責めず他と仲良くすれば良い
それしかない、という問題でもあるのだろうが、重要なのはそれで自分の性格を嫌いになってはいけないということだ
結局、本当に嫌われているかどうかは最終的に直接尋ねなければわからない。それが人間関係なのだ
別にその人を惜しむなと言っているのではなく、自分を嫌いになることを避けなければならないということだ
ただ、その相手が元々仲が良かったり好きだったりすると間違いなく悲しくなるだろうが、まず必要なのはもう一度仲良くなれるかどうかの判断だ
もしなれないなら、残念ながら諦めるしかない
それでも、「運が悪かった」として自分を責めず他と仲良くすれば良い
それしかない、という問題でもあるのだろうが、重要なのはそれで自分の性格を嫌いになってはいけないということだ
結局、本当に嫌われているかどうかは最終的に直接尋ねなければわからない。それが人間関係なのだ
「男女平等」では、「男子が奢るべき、女子が奢られるべき」といった偏見を無くすこと、このようなことはもちろん平等と言えるが、それらはあくまで「平等を作っている」のではなく「差別を無くしている」のに過ぎないのである
わかるだろうか、平等と差別を無くすことを同じにしているわけだ
これらは格差だのポリコレだののほぼ全てにおいて言えることであり、必要なのは差別を無くすことなのだ
脳死に平等を遂行すれば「女子は頑張って準備して」とかのあのひな壇も無くなるわけで、それは話が違うと言うのだろう?
心当たった人は、矛盾に気づいて欲しい
「男女平等」では、「男子が奢るべき、女子が奢られるべき」といった偏見を無くすこと、このようなことはもちろん平等と言えるが、それらはあくまで「平等を作っている」のではなく「差別を無くしている」のに過ぎないのである
わかるだろうか、平等と差別を無くすことを同じにしているわけだ
これらは格差だのポリコレだののほぼ全てにおいて言えることであり、必要なのは差別を無くすことなのだ
脳死に平等を遂行すれば「女子は頑張って準備して」とかのあのひな壇も無くなるわけで、それは話が違うと言うのだろう?
心当たった人は、矛盾に気づいて欲しい
その上で、嫌いな人には嫌いな理由をはっきり言い伝えてから離れて避けるようにしている
それで治してもう一度近づいて来たときは和解するのが、私の人間関係におけるセオリーだ
しかしながら、忘れてはいけないのは「あなたが選ぶ立場にあること」を否定はしないが、そのようには思わず、同時に「あなたは選ばれる立場にあること」も知っておかなければならないこと
無責任に好き嫌いすることはしないようにしているのだ
その上で、嫌いな人には嫌いな理由をはっきり言い伝えてから離れて避けるようにしている
それで治してもう一度近づいて来たときは和解するのが、私の人間関係におけるセオリーだ
しかしながら、忘れてはいけないのは「あなたが選ぶ立場にあること」を否定はしないが、そのようには思わず、同時に「あなたは選ばれる立場にあること」も知っておかなければならないこと
無責任に好き嫌いすることはしないようにしているのだ
何事も経験や回数な事の証明になっているとしている
何事も経験や回数な事の証明になっているとしている
気軽に生きますよ
気軽に生きますよ
あったまわりーなーーーーー
にげこみたい
あったまわりーなーーーーー
にげこみたい
我儘も言いたい
でもだめだ
許されない
だめ
我慢
我慢しなきゃ
我慢しなきゃ
我儘も言いたい
でもだめだ
許されない
だめ
我慢
我慢しなきゃ
我慢しなきゃ
はやくあいたい
きらわれていても
はやくあいたい
きらわれていても
馬鹿みたいにゴミ
馬鹿みたいにゴミ
強いて言うなら奉仕だけさせてろ
強いて言うなら奉仕だけさせてろ
泣きてえのはこっちだ
嗚呼
お前みたいになっちまったな
泣きてえのはこっちだ
嗚呼
お前みたいになっちまったな
奉仕されるには値しないから
むしろこちらから奉仕しっぱなしが良い
いっつも言ってるけどね
奉仕されるには値しないから
むしろこちらから奉仕しっぱなしが良い
いっつも言ってるけどね
嫌われていたと知ったとき、悲しくなりませんか
嫌われていたと知ったとき、悲しくなりませんか
でもできない
抑え込まれてるから既に
でもできない
抑え込まれてるから既に