うね鮨
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うね鮨
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健康をミキサーに入れて粉々にする
→失われるものは何か?
アラフォーにもなると、両親が体調を大きく崩してしまうなんてことはほとんど不可避のイベントとして発生する。回りの知り合いからの話でも、同じように大変な事態が発生したことをちょくちょく聞く。そうなることは十分に予想がついたはずなんだけど、何故か、なんとなく、「今ではない」と思ってしまっていた。そして今そうなってしまっている。こういうときにこんなに勝手な人生を送ってずっと貧乏人をこじらせている自分に本当に嫌になっている。今回の件で、現代美術界隈と自分の現代陶芸的表現の擦り合わせについて考えていくとは、もういいやとなった。父は、陶芸はやっぱり「かたち」だと言った。やっぱりそうなんだと思う。
September 12, 2025 at 9:18 AM
父が大病を患っている、ということを先週母からの連絡で知った。明日から入院、のち手術をしていくらしい。そして手術では、声帯を取ってしまうとのことだった。なので今週は実家に帰り、ささやかに会話をした。父とはもともとたくさん会話する方ではなかった(自分にとって父は、いつまでも威厳ある「父」なので。)ので、最後の肉声による会話も「いつも通り」な感じだった。それでも最後に「陶芸で身をたててるって奇跡みたいなことしてるんやから、頑張ってください」と言われたことは嬉しかった(最近作家活動のことで悩んでいたこともあり)し、翌日家を出るときに直接「手術頑張って」と言えたことには満足している。でもやっぱり悲しい。
September 12, 2025 at 9:12 AM
まぁあと現実的な問題としてあることでいうと、価格が上げられているわりに別に生活が潤うほど売れてるわけでは全くないということで、一度でも病院に大きくお世話になるようなことがあれば一瞬で破産するような、その程度の通帳残額でずっと生きているのは変わらない。所持金は変わらないのに加齢と共に身体は弱くなっていってるので、リスクだけが上がっている。
August 30, 2025 at 3:44 PM
自分の制作しているもののなかでも器ものの価格が少しずつ上げられてきていて、それは(頻度よく売れるなら生活経済的に)もちろん嬉しいことではあるのだけど、生活雑器ではなくアート的なものとして扱われ出しているということになんとなくもやもやしたものは感じていて、そこからの影響なのかはわからないけど、最近は現代アートの界隈というものにますます興味がなくなってきた。というより、自分は結局自分が作っているものへの自己解釈が好きなだけで美術的な何処の文脈やワールドに位置をおさめていくかなんていう活動にはいうほど興味が湧かないんだということに気づきつつある。
August 30, 2025 at 3:40 PM
でもあの「絶対に自分の考え方は正しい」という感情自体は、作家という不安定な生き方をする側としては非常に大事なメンタルであることは確かで、いきすぎると人間関係を失ってしまうが謙遜しすぎても金目的の人に利用されて大損する、常に自我のバランスを考え続けなくてはなぁ~という反省を込めて。SNSって言葉の暴力のタガがあまりにも外れやすい恐ろしい世界なのに、あまりにも大衆に浸透しすぎている。
April 3, 2025 at 5:42 AM
精力的な制作をしてるわけでもなくほとんど発表活動もしてないのに界隈に雑な暴言吐きまくってるせいで当然のように周りから人が離れて孤独になってしまってる人が、自分は何年も前から不当な無視をされ続けているってSNSで言っててコワッてなった。学生時代の頃に一瞬でも知り合いだったのが嫌になるくらいに。
April 3, 2025 at 5:38 AM
自分の身体と技術が十分に元気なうちに、自分の骨壺を作っておくのはかなり良いのかもしれない。年をとってからそういうことをしようとすると「生きるのを諦めているように感じる」気がして、あまり気乗りしないかもしれないが、今のうちなら「いつかここに入るんだな!それまでは頑張って生きるぞ」という、むしろ活力側への解釈になりそうで、そういう点でも作りたさがある。あとは、さっかく焼きものの技術を持っているのに自身の骨壺を作らないのは単純にもったいないなという気持ち。
March 30, 2025 at 10:26 AM
現代アートにおけるバナナ、現代陶芸における蟹。
February 27, 2025 at 7:31 AM
なんか最近あの人SNSで見かけないな~酒に身体やられてるからちょっと気になるな~~と思ってたら去年自分の力で以て逝っちゃったという話を聞いた。もちろん驚いたし、この世界のどこにも居なくなってしまったんだなぁという気持ちも湧いたが、その選択肢を選んだことに関しては何も考えなかった。長く生きることはあくまで副次的なもので、価値のあるものを何かひとつ感じられて、本人がそう望んだなら、早く終わらせてしまったこと自体は、まぁ、という感覚がある。(もちろん、新しい何かをする時間が全て失われることへの「勿体無さ」は多分に思う)
February 27, 2025 at 7:29 AM
陶芸教室から陶芸をやり始めた人(今では作ったものを店に定期納品できるレベルになっている)が、自分のことを作家と名乗っていいのかみたいなことで悩んでるという話を聞き、数年作家から技法を学び個人で使える窯を購入し納品までしているのに何故??と思ったが、制作を教室でしていることと専門の大学や院を出てないことが精神的なネックになっているらしい。むしろ、教育機関を経ずに活動できているのはバイタリティーを評価する立派な「学歴」だと思ったのだけど、一般(ここで一般と引き合いに出すと、まるで一般の人がめっちゃバカみたいな感じに見えてしまうからもっと良い言葉が欲しい。)の人にとっては悩みの種らしい。
January 9, 2025 at 1:07 AM
現在急性腸炎で入院(明日退院する)しているパートナーのお見舞いのために病院へ行った。面会申請書を書くときに受付のおじさんに患者とはどういう関係?と聞かれたので、「まだ籍は入れてないので、まぁ、彼氏ですかね」と言ったら、親族以外は基本入れないと言われたんだけど、「まぁ籍入れるって決まってるんなら、夫って書いたらいいよ」と言われたのでそう書いたら、提出するときに「患者が退院したら、ちゃんと籍入れるんだよ!」と笑いながら言われた。おじさんの前世はキューピッドだったのかもしれない。
December 29, 2024 at 2:43 PM
掃除という行為があんまり好きじゃなくて、それはマニュアルが渡されることなく掃除することだけを指示されたとき、仕方ないから自分なりに頑張って(しかしふんわりとした)プロセスでやっていたら高い確率で「ここはこうした方がいいんじゃない?」と横槍を入れられるから簡単に心がざらついてしまうからで、何か言うなら最初からマニュアルを渡すか一度でいいから見本を見せてほしい。あと個人的には「特定の場所が綺麗になる」ことが達成されるなら何をやっていても、速度が人によって大きく違っていても、それは正解だろという気持ちがあるので、今言われてもなぁみたいな気持ちがどうしても湧いたりする。そんなこと考える自分が全部悪い。
December 25, 2024 at 7:00 AM
作品と呼ばれるものを購入・所有したいと思えるのは、転売といったお金稼ぎ目的を除けば「パーソナルスペースの雰囲気が良くなる」から発生すると思っていて、個人的な気持ちでいうとその雰囲気の良さは=作品自体のバランスの良さ(綺麗さ、美しさなどの総合的評価)からくると思っているので、そうなると最低限以上の工芸的技巧の高さは必要だとなってくるし、アートの制作方法でちょくちょくある「コンセプトに沿った結果出来上がった形がそのままある」状態の形は自分の気持ちとはずれてくるなというのがある。もちろんアートは多様であり、購入する人の感情もまた多様なので、あくまでこれは僕が僕自身の作品に対して思っていること。
December 23, 2024 at 5:23 AM
僕は雑学が好きなんだけど、自分からそういった知識を調べようとはあまりしな(調べるって行為がとにかくめんどくさい)くて、じゃあどうやって雑学を得ていくのというと、とにかく(その場限りでもいいから)人間関係を増やして話を聞くことで得るという方法をとっている。それは賢いとかズルいとかよりも手前の、自分はそういう性格だからこのやり方しかなかった生存戦略みたいなもので、作家活動においてもこのやり方はじゃんじゃんやっている。自分からアプローチするよりは作家同士の知り合いを増やして、展示の機会や美術の知識を他人から得る。一人でやっていけない奴は全員ザコみたいなことを言う人もいるけど、僕にはこれしかできない。
December 16, 2024 at 4:15 AM
昨日見た夢で、僕が自分の作品を廊下に保管してたら(何故か居た)父親が何かのタイミングで欠かしてしまったらしく、それについて謝ってきた。僕は作品が欠けてしまったことへの怒りを声ににじませながら「でも、そもそもここに置いた僕も悪い。置くなら置くで発生するリスクに対する対処への努力を怠っていたのも悪い」と返した。せっかくの夢の中なのに、現実みたいな怒りかたしてて、夢ですら自分はこんなにダルいのかと自分で自分にクタクタになって目が覚めた。とはいえ、7:3くらいで相手が少し悪いくらいのときに、まるで10:0かのような謝りかたをされたときの「こっちの3の悪さが不問になりそうな気まずさ」が嫌いなのは確か。
December 15, 2024 at 8:17 AM
○○焼が○○焼たりえたのは、人や物を移動させることが今よりも難しかったがゆえに、その土地のものだけを使うことで自然と生まれた特色だった。今は物流もそうだし窯自体にもバリエーションができたので、わざわざその呼び方をするのは「本当に由緒正しい工芸品」か「その名前でブランディングすることでセールスしやすくなっているもの」のどちらかだ。だから、お店でふと出てきたお皿に対して「これって○○焼かな?」と言うことは、よほど格式の高い店でないかぎりは、単なる特徴当てゲームでしかない(しかしながら、それも案外楽しいものだったりする。)
December 14, 2024 at 5:17 AM
福岡の搬入に行ってきた。貸しギャラリーアトリエみたいなところに参加者たちと3泊して、日中は設営とかして、夜は宿場で合作の制作をやるみたいな生活をしていた。そんな書き方をすると忙しライフのようにも見える(実際睡眠時間は少し短めだったからそうかもしれない)けど、近くのモーニングがすごく良かったり、良い感じの居酒屋に連れてってもらったり、深夜までやってるスーパー銭湯に行ってだらだらしたり、0時過ぎてから焼き肉に行ったりと、わりとちゃんと旅行的エンジョイをして過ごした。そういう話を他人にしたら「大学生みたいだね」と言われたんだけど、大学生みたいって何????という感情に締め付けられてしまうのであった。
December 9, 2024 at 12:05 PM
陶芸はプロセスの最後に必ず「焼く(熱を通す)」プロセスがあり、焼き固まることで実用性を獲得することや見た目が変化することそのものが最大の魅力なわけだけど、個人的には「熱反応で変化するもの」が全部やきものとして面白いという捉え方をしていきたいなーとかぼんやり思ったりしている。土・釉薬・炎の組み合わせを最大限静謐にしていく伝統工芸を大きくリスペクトしていることをもちろん前提に、石とか鉄とか、そのへんに売ってる何かしら、ある程度の熱を与えてもボロボロにならないもの、それを粘土で造形されたものと一緒に焼いてみたりすると、自分が初めて焼きもの表現を眼にしたときのワクワク感を少しでも追体験できたりする。
November 27, 2024 at 4:18 AM
今日は集荷対応や梱包をしながら、次に参加するイベントの告知用画像をねちねち作るなどしていた。いつもギャラリーの人や一緒に参加する人に作ってもらってるので、イベントの画像デザインをするのはすんごい久しぶりで、まぁ当たり前だけど素人なわけで、しかし今回に関してはそういう素人が作ったポスター特有のかしこまってない「街のイベント」感が自然に出て良かったんじゃないかと思う。それで出来上がったものを見て思ったのは、(複雑な編集スキルが無いからしょうがないんだけど)とにかく画像にしろ文字にしろ情報を上に上に乗せていって全体のバランスをとっていて、なんだか自分が陶芸でやってる装飾の方法論に似ているなと思った。
November 25, 2024 at 1:00 PM
A/Dギャラリーのグループ展が終わった。場所が場所なので、きっとすごくたくさんの人たちに見られたのだろう。僕はずっと金沢にいたので一度挨拶に行ったとき以外は全く在廊せず、基本的にはずっとエゴサから得られる情報だけを見ていた。地方に住む人間は基本的に在できないのでみんなもっと雑に感想を書いてほしい。でももうSNSってそういう時代じゃないのかな。各種SNSにいくつか投稿されてた感想はありがたく読ませて頂いた。僕は作品のコンセプトを隅から隅までガチガチに固めてるタイプではない(ある程度まで固めて、最後の一歩は自身のフェチズムとかで感覚的にまとめがち)ので、鑑賞者独自の視点で作品が見られるのも好き。
November 25, 2024 at 2:38 AM
うつわは用途という圧倒的な価値基準があるけど、ことオブジェ作品に関しては焼き上がったときに「これこれ~!こういうのが作りたかったの!」ってすぐなるものじゃなく、作者自身がしばらく「なんだこれ…?」となってしまうようなものの方が、後からじわじわと価値が出てくる(価値に気付ける)ようになるのでむしろ良いのではという気持ちがある。やきものは焼成プロセスのときに一度作者の視界から完全にはずれるからこその価値判断の仕方というか。
November 23, 2024 at 4:26 AM
あなたにとってアートとは?みたいな質問、いつかその答えについての自問自答で悩んでくじけてダメになってしまう可能性が高いので答えたくないし考えたくないみたいなのがある。あなたの座右の銘は?という質問に(ほとんどの人にとって)意味が無いくらいいやらしい問いかけだなと思う。そういう質問に答えられる、要はタレント性の高さをメディアや鑑賞者はアーティストに求めてるのかなぁとかそういう邪推すらしてしまう。アーティストは別にパワフルじゃなくてもデカイ所業をしてなくても眼がギラギラしてなくても万年不健康であっても全然良い。
November 22, 2024 at 11:48 PM
宝石の国最終巻を読んだわけだが。神となったフォスが最後に消えるとき、徐々に初期の姿に戻りながら少しだけ独りごちるところ、「それは貴方の純粋な願いだ、煩悩なんかでは決してない。だから気持ちが軽いままでいられるんだ」という凄まじい描写を達成していて、改めてこの漫画のあまりにも高い完成度(そしてこの場面にもっていくための残酷な展開)にゾッとした。あとこれは昔からずっと思ってることなんだけど宗教学者の方による本気の解説を聞きながら本編を読む会とか開かれてほしい。
November 22, 2024 at 12:30 AM
作品、願わくば自分が信頼できる方の手のもとに渡ってほしいという我が儘があるが、しかしそうすると自分の手の届かない場所で行われる展示(そしてそこに関わる全ての人たち)を否定してしまう態度になりかねないので、制作物に金銭価値を付与して場に差し出すのはある程度ドライなモチベーションでやった方がすんなりいく(そのなかで信頼できる方と巡り会えれば尚良し)という考え方でやっている面があるのは否定できない。それでいうとうつわものは日常で実際に使われて自然と愛着が湧いてくるアイテムなので、信頼が後から付いてくる可能性が高いという作者にとって非常に都合の良い側面がある。
November 22, 2024 at 12:23 AM
今年は初夏あたりからほとんど毎月のように体調が崩れていて、それもあって新作が全然作れていないんだけどそのわりに(とてもありがたいことに)展示を通して作品が売れてくれたりここのブースに置きましょう案件がきたりしていて、しかしそうなると自分では納得しきれていない過去作をひっぱりだすしかないみたいなのをやっていて、ありがたいのに、悔しいなぁ…という気持ちばかりが増えていく。この冬はたくさん制作したい。
November 21, 2024 at 12:37 AM