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にもかかわらず「方言が聞き取れない」が批判というか非難として広がるのは、映画が描いていた本土と沖縄の関係をそのまま反映しているようでエグい。「本土の私たちにわかるように話せ」。学校の教室の場面では「方言札」とかも映ってた。
September 22, 2025 at 10:31 AM
環境テロリストよろしく活動を「過激化」させていく子どもたち。事が大人に露見した際に、瀧内公美演じる母親が「環境問題はあなたたちに言われなくてもみんな知ってるの」みたいにキレる場面があるけれど、身の回りの生活を守るために「問題」を心から消し去る大人と、(おそらく親との関係で何かしらの鬱屈を抱えるが故に)「問題」を鎧にして自分を守ろうとする子どもの対比が印象的。守るために見ない。守るために突きつける。
September 15, 2025 at 8:16 AM
科学否定論者との対話のためには信頼が重要。確かにその通りだろう。困難な道だが。著者自身、誰も説得できていない。流動性が激しい時代に科学否定という盤石の足場を見つけアイデンティティを保護する人たちが、相対的な確からしさ(≠絶対的な正しさ)の積上げで成立する科学にどこまで回帰するか。しかも他者への信頼という不確かなものを足がかりに。科学否定論者がいることというより、それが政治と繋がることが問題なのだろうとも感じた。米国の現状はもはやそんな切り分けが無意味なところまで進行しているのかもしれないけれど。いずれにせよ、相手を無知だ時代遅れだと揶揄するのは逆効果なのだろう。他の政治的なテーマでも同じだが。
February 9, 2025 at 4:22 AM
一方、1国1文化みたいな筆致には、「比較」という方法がとられているからある程度仕方がないにしても、それでいいのだろうかという気もする。国‐文化-教育-論理のつながりがあまりにもリニアというか。とはいえ、しばしば揶揄される日本の国語教育(登場人物や筆者の心情を想像して何の役に立つのか、みたいな)の社会的意義も論じられていておもしろかった(そんな日本の教育がこれからの先行き不透明な時代で中心的役割を果たす、みたいな評価の是非は留保するにしても)。このあたりの国語教育の機能の話、それこそ別の論理をつかった論証(計量的な分析を使った実証研究とか)も読んで多元的に理解したいと思った。
February 3, 2025 at 4:23 PM
あと、小1も含めて子どもたちに先生が「成長せよ」と求める場面が多々出てきて、学校の教師も自己啓発的な言葉づかいで子どもを教える時代なんだなと思った。小6ならともかく小1からあんなこと言われてたかなぁ。時代の差だけじゃなくて地域性もあるのかもしれないけれど。
January 16, 2025 at 10:36 AM
一方、集団の中での個のあり方を日常的に意識させられた子たちが、微細な差異に敏感になり相互監視のような行動をとるシーンも挿入される。教師の長時間労働も暗示される。映画は日本の学校の功罪を淡々と描く。その距離感がいい。私のなかにも本作で描かれたような学校の清濁が流れ込んでいるのだろう。日本の治安の良さにも本作が描いた学校の社会化機能が果たしている役割は大きいのだろうとも思う。「濁」を拒否して「清」だけ取り出すのは難しい。
January 16, 2025 at 10:36 AM
アトラスのゲーム、もうちょっとアニメーション部分どうにかならないのかな、と思うことが多い。UIまわりのデザインのカッコよさには定評があるのに、アニメがあんまりなのはどういうことなんだろう。
November 16, 2024 at 1:37 PM