Historian of the Medieval Japan. Socio-economics
>>改めて凄い本だな。痺れながら読みきった。当時における貨幣史の常識的な理解を大分吹き飛ばしたであろう。「貨幣は流れるべきものであるがゆえに、逆に流れすぎないようにも設計された存在だということである」。
>>改めて凄い本だな。痺れながら読みきった。当時における貨幣史の常識的な理解を大分吹き飛ばしたであろう。「貨幣は流れるべきものであるがゆえに、逆に流れすぎないようにも設計された存在だということである」。
>>拝受読了。天正13年の加藤光泰を非難した秀吉朱印状の「唐国」まで「仰付」の解釈を改める。秀吉の「唐入り」構想に関わる堀説批判であり、今後の進展が楽しみ。
>>拝受読了。天正13年の加藤光泰を非難した秀吉朱印状の「唐国」まで「仰付」の解釈を改める。秀吉の「唐入り」構想に関わる堀説批判であり、今後の進展が楽しみ。
>>拡大/整理局面と武士狼藉禁止A/B型を分類設定し、政治過程に組み込むことで地頭設置に至る鎌倉側の思惑を明らかにしている。大胆な分析視角の設定と精緻な史料読解を兼ね備えており、お手本のような政治史の論文に思えた。
>>拡大/整理局面と武士狼藉禁止A/B型を分類設定し、政治過程に組み込むことで地頭設置に至る鎌倉側の思惑を明らかにしている。大胆な分析視角の設定と精緻な史料読解を兼ね備えており、お手本のような政治史の論文に思えた。
>>積読を1つ読了。多民族帝国かつ異民族の度重なる襲来という圧倒的な差異を踏まえた上で、古代帝国の崩壊・再編過程という点では各国の「中世」のアナロジーの要素も多分に含む。固有名詞が多くて読むのには時間がかかった。
>>積読を1つ読了。多民族帝国かつ異民族の度重なる襲来という圧倒的な差異を踏まえた上で、古代帝国の崩壊・再編過程という点では各国の「中世」のアナロジーの要素も多分に含む。固有名詞が多くて読むのには時間がかかった。
>>読了。既出の内容がメインだが、洗練され、一言一句に意図が込められた文章は響くものがある。そしてやはり研究史の整理、先行の論著を内在的に読み込むスタンスには学ぶべきものは多い。どういう構えで歴史学の研究をするのか、その語句・概念を選択して叙述した意味はどこにあるのか、こうした点に著者は徹底的に自覚的であり、(なかなか真似できないが)近づきたいという気持ちはある。
>>読了。既出の内容がメインだが、洗練され、一言一句に意図が込められた文章は響くものがある。そしてやはり研究史の整理、先行の論著を内在的に読み込むスタンスには学ぶべきものは多い。どういう構えで歴史学の研究をするのか、その語句・概念を選択して叙述した意味はどこにあるのか、こうした点に著者は徹底的に自覚的であり、(なかなか真似できないが)近づきたいという気持ちはある。
思いつきに過ぎないが、若い世代の中でアイデアを共有してフィードバックを得たい。
あくまで構想段階なので、博論に間に合うかは不明である。
思いつきに過ぎないが、若い世代の中でアイデアを共有してフィードバックを得たい。
あくまで構想段階なので、博論に間に合うかは不明である。
>>朝廷と足利将軍の関係、朝廷と京都を抑える畿内有力大名の関係を段階的に丁寧に抑える論文。戦国後期に内在した「公武関係」の変化を読み取る。戦国期畿内近国の内在的な変化の大きさは、私も(別件であるが)強く共感するところである。
なお、女房奉書に関する専論は少なく、その点でも色々と勉強になった。
>>朝廷と足利将軍の関係、朝廷と京都を抑える畿内有力大名の関係を段階的に丁寧に抑える論文。戦国後期に内在した「公武関係」の変化を読み取る。戦国期畿内近国の内在的な変化の大きさは、私も(別件であるが)強く共感するところである。
なお、女房奉書に関する専論は少なく、その点でも色々と勉強になった。
笹原健「イブン・アラブシャーの君主論」(『史林』108巻3号、2025年)は、非常に面白かったです。テキストから著者の思想や経験、社会的背景を上手く再構成しており、精緻な読解と構成力が勉強になる論考でした。
福地スヴェトラーナ「ソ連のシベリアと極東開発における日本軍捕虜の労働利用」(『史学雑誌』134編6号、2025年)は、素人目に見ても凄い論文でした。日ソ開戦直後に日本軍捕虜の労働使用を定めた政令の背景に、第三次五ヵ年計画の未達成課題との関連を仮説として提示し、丁寧に論証している論考です。
笹原健「イブン・アラブシャーの君主論」(『史林』108巻3号、2025年)は、非常に面白かったです。テキストから著者の思想や経験、社会的背景を上手く再構成しており、精緻な読解と構成力が勉強になる論考でした。
福地スヴェトラーナ「ソ連のシベリアと極東開発における日本軍捕虜の労働利用」(『史学雑誌』134編6号、2025年)は、素人目に見ても凄い論文でした。日ソ開戦直後に日本軍捕虜の労働使用を定めた政令の背景に、第三次五ヵ年計画の未達成課題との関連を仮説として提示し、丁寧に論証している論考です。
>>戦国期〜近世初期の妙心寺派の動向を決定付けた紫衣勅許について、獲得に至る財政的背景(荘園経営の衰退、他の財政基盤の脆弱性)、草創以来の天皇との関係の由緒化、法系から見た妙心寺派の教団化などを背景として考察する。また獲得時の相論についても再検討する内容を含む。
個人的に注目すべきは、荘園経営が応仁・文明の乱以前、なんなら15世紀中葉には衰弱していた点。こういう寺社の場合、戦国期における展開が有力な顕密寺院と異なるのは首肯できる。
>>戦国期〜近世初期の妙心寺派の動向を決定付けた紫衣勅許について、獲得に至る財政的背景(荘園経営の衰退、他の財政基盤の脆弱性)、草創以来の天皇との関係の由緒化、法系から見た妙心寺派の教団化などを背景として考察する。また獲得時の相論についても再検討する内容を含む。
個人的に注目すべきは、荘園経営が応仁・文明の乱以前、なんなら15世紀中葉には衰弱していた点。こういう寺社の場合、戦国期における展開が有力な顕密寺院と異なるのは首肯できる。
>>史学史的に重要な論考。比較封建制論を舞台とした歴史家の概念規定をめぐる営みを詳述している。荘園はmanorか、藩はclanか、といった史学史上で重要な概念規定に関する議論が示される。朝河貫一を中心に、福田徳三、中田薫、オットー・ヒエンツェを対象にしているが、マルク・ブロックなども登場する。
>>史学史的に重要な論考。比較封建制論を舞台とした歴史家の概念規定をめぐる営みを詳述している。荘園はmanorか、藩はclanか、といった史学史上で重要な概念規定に関する議論が示される。朝河貫一を中心に、福田徳三、中田薫、オットー・ヒエンツェを対象にしているが、マルク・ブロックなども登場する。
>>東関東から南奥にかけての妙心寺派の教線拡大について、「地方から地方へ」というキーワードで検討する論文。従来の研究が、各地方の寺院と中央の拠点寺院との関係に注視してきたこととは、異なるアプローチを見せる。
今月末の大会に直接関わるかは微妙なところみたいだが、地方での動向を見た上で中央の動向を位置付け直すと推察している。
>>東関東から南奥にかけての妙心寺派の教線拡大について、「地方から地方へ」というキーワードで検討する論文。従来の研究が、各地方の寺院と中央の拠点寺院との関係に注視してきたこととは、異なるアプローチを見せる。
今月末の大会に直接関わるかは微妙なところみたいだが、地方での動向を見た上で中央の動向を位置付け直すと推察している。
>>旧来の古文書学で等閑視されてきた官司下文を文書論的に分析しつつ、その背景にある中世朝廷の官司制度の変化全体を読み取る。非常に重要な論文。
また、下文と奉書という中世古文書学の二大体系を相対化しつつ、むしろ系譜的に親近性の近い系統から分析している点も興味深い。
>>旧来の古文書学で等閑視されてきた官司下文を文書論的に分析しつつ、その背景にある中世朝廷の官司制度の変化全体を読み取る。非常に重要な論文。
また、下文と奉書という中世古文書学の二大体系を相対化しつつ、むしろ系譜的に親近性の近い系統から分析している点も興味深い。
ところで、「下代」とは何か。代官の下にいる実務者なのは確かだが、実は代官の差配する内容によって実はかなり差がありそうなので、この辺は本論文とは直接関わらないものの、中近世移行期研究の中で検討する必要がありそう。
ところで、「下代」とは何か。代官の下にいる実務者なのは確かだが、実は代官の差配する内容によって実はかなり差がありそうなので、この辺は本論文とは直接関わらないものの、中近世移行期研究の中で検討する必要がありそう。
水戸市立博物館「「戦国武将書翰集」の世界」展と茨城県立歴史館「常陸平氏」展を観覧。
「「戦国武将書翰集」の世界」は全て初出のため、原本のチェックをした上で翻刻を貰えてお得でした。「常陸平氏」展は中世を通じて色んな常陸平氏関係文書が出ており、横に並ぶ考古資料や仏具・装飾品も中世のもので非常に良かった。東国の中世史に関しては、もう少し勉強せねばなるまい。
水戸市立博物館「「戦国武将書翰集」の世界」展と茨城県立歴史館「常陸平氏」展を観覧。
「「戦国武将書翰集」の世界」は全て初出のため、原本のチェックをした上で翻刻を貰えてお得でした。「常陸平氏」展は中世を通じて色んな常陸平氏関係文書が出ており、横に並ぶ考古資料や仏具・装飾品も中世のもので非常に良かった。東国の中世史に関しては、もう少し勉強せねばなるまい。
>>読了。法会の内実と性質差を分析し、先行研究を大きく転回した上で、歴史的展開のなかで位置づけ直す論文。クリアな議論の進め方が勉強になる。また、本論文自体は、法会の内実の分析を読解していくことがメインだが、一方で著者が得意とする文書論の視角を出発点に据えているところも印象的であった。
>>読了。法会の内実と性質差を分析し、先行研究を大きく転回した上で、歴史的展開のなかで位置づけ直す論文。クリアな議論の進め方が勉強になる。また、本論文自体は、法会の内実の分析を読解していくことがメインだが、一方で著者が得意とする文書論の視角を出発点に据えているところも印象的であった。
1848年のウィーン三月革命から十月革命までを鮮やかに描く社会史の名著。個々の人々や社会集団が革命や民衆暴力に巻き込まれ、巻き込んでいく様相を叙述する。時系例での整理や社会構造論的分析を排することで、西欧的市民革命の論理に回収されない革命を描き出す。また、さまざまな生業に就く人々や、女性や民族的マイノリティへの眼差しがあることが、「市民」革命的な議論を相対化しているとも言える。
小気味良い筆致に感嘆しつつ、引用されている史料以外で、どのような史料を見て、またいかに解釈しているのであろうか、と時折思う。
1848年のウィーン三月革命から十月革命までを鮮やかに描く社会史の名著。個々の人々や社会集団が革命や民衆暴力に巻き込まれ、巻き込んでいく様相を叙述する。時系例での整理や社会構造論的分析を排することで、西欧的市民革命の論理に回収されない革命を描き出す。また、さまざまな生業に就く人々や、女性や民族的マイノリティへの眼差しがあることが、「市民」革命的な議論を相対化しているとも言える。
小気味良い筆致に感嘆しつつ、引用されている史料以外で、どのような史料を見て、またいかに解釈しているのであろうか、と時折思う。