大半がタブレットを使うのでアプリのメモ帳を探した。文字数をカウントしてくれることと、ほかのiPadでも共有したい。
探すのは、かなり楽しい。さらに、いきあたりばったり、一度だけの課金でいいというので、いくつか購入して使ってみた。落ち着いたのは、いまのところ、評判が高いアプリである。
デジタルの世界は、ちょっとぼんやりしているだけで置いてけぼりをくらう。ついていくだけでも大変だ——などと書きながら、新しいアプリの使い勝手をたしかめている。
今回はアタリだったようだ。80歳もなかば過ぎながら、まだ、くらいついていられるらしい。
大半がタブレットを使うのでアプリのメモ帳を探した。文字数をカウントしてくれることと、ほかのiPadでも共有したい。
探すのは、かなり楽しい。さらに、いきあたりばったり、一度だけの課金でいいというので、いくつか購入して使ってみた。落ち着いたのは、いまのところ、評判が高いアプリである。
デジタルの世界は、ちょっとぼんやりしているだけで置いてけぼりをくらう。ついていくだけでも大変だ——などと書きながら、新しいアプリの使い勝手をたしかめている。
今回はアタリだったようだ。80歳もなかば過ぎながら、まだ、くらいついていられるらしい。
わけもなく気分が落ち込んでしまったので、いくつかの古典を現代語訳で読んでいる。
『今昔——』は、たあいのない説話集ながら楽しめる。
狐に化かされたり、隠れ里があったりして、楽しく引き込まれている。
わけもなく気分が落ち込んでしまったので、いくつかの古典を現代語訳で読んでいる。
『今昔——』は、たあいのない説話集ながら楽しめる。
狐に化かされたり、隠れ里があったりして、楽しく引き込まれている。
生意気だというだけで、秀才たちから嫌われ、不良どもからは目のかたきにされた10代だった。当時は油断があった。
長じてからは嫌われるにまかせてきた。目立たないように過ごすすべがわからないからだ。
理不尽だが、とても疲れる。年齢とともに摩擦を避けてきた。それでも、相変わらず嫌われてしまう。
出る杭は打たれるという。出てなどいなのにだれかを不快にしてしまうらしい。どこかに隙があるのだろう。
本人に悪意はまったくない。それでも嫌われる。老いてからはあきらめるしかあるまい。
生意気だというだけで、秀才たちから嫌われ、不良どもからは目のかたきにされた10代だった。当時は油断があった。
長じてからは嫌われるにまかせてきた。目立たないように過ごすすべがわからないからだ。
理不尽だが、とても疲れる。年齢とともに摩擦を避けてきた。それでも、相変わらず嫌われてしまう。
出る杭は打たれるという。出てなどいなのにだれかを不快にしてしまうらしい。どこかに隙があるのだろう。
本人に悪意はまったくない。それでも嫌われる。老いてからはあきらめるしかあるまい。
散歩のときなど、もっと早い時間に散歩しようとおもう。だが、切実ではない。
この3日ばかり、やたら疲れているらしい。横になりたいからだ。
切実ではないし、深刻に感じてはいないが、80歳の身体に暑さがじわりと効いているのだろう。
SNSに投稿しようという意欲が湧いてこない。それより、ベッドで横になっていたい。
ただ、フェイスブックへの投稿はわが家の“生命線”である。
朝晩の投稿が、愚息に対し、ぼくがまだ生きている証になっている。
投稿がとだえたらひとり暮らしのぼくに異変が生じている。SNSのわが家なりの活用法である。
散歩のときなど、もっと早い時間に散歩しようとおもう。だが、切実ではない。
この3日ばかり、やたら疲れているらしい。横になりたいからだ。
切実ではないし、深刻に感じてはいないが、80歳の身体に暑さがじわりと効いているのだろう。
SNSに投稿しようという意欲が湧いてこない。それより、ベッドで横になっていたい。
ただ、フェイスブックへの投稿はわが家の“生命線”である。
朝晩の投稿が、愚息に対し、ぼくがまだ生きている証になっている。
投稿がとだえたらひとり暮らしのぼくに異変が生じている。SNSのわが家なりの活用法である。
わかったつもりでいながら、生後8か月のパトラにすっかり翻弄されている。
たしかなのは、ぼくとの距離がかなり近くなったことだろう。だが、まだ、全面的にパトラがぼくに心を開いたわけではない。
キスをしようとして、顔を近づけると、たくみにかわされてしまう。これは、心を開いた猫の態度ではない。
それ以上に、きのうの態度がきょうも同じではない。
お気に入りの場所もその日によって変わる。変わらないのは、せいぜい、お気に入りのオモチャくらいだ。
昨夜、ぼくに寄り添って、いっとき、寝てくれたからといって、今夜も同衾はしてくれないだろう。
わかったつもりでいながら、生後8か月のパトラにすっかり翻弄されている。
たしかなのは、ぼくとの距離がかなり近くなったことだろう。だが、まだ、全面的にパトラがぼくに心を開いたわけではない。
キスをしようとして、顔を近づけると、たくみにかわされてしまう。これは、心を開いた猫の態度ではない。
それ以上に、きのうの態度がきょうも同じではない。
お気に入りの場所もその日によって変わる。変わらないのは、せいぜい、お気に入りのオモチャくらいだ。
昨夜、ぼくに寄り添って、いっとき、寝てくれたからといって、今夜も同衾はしてくれないだろう。
猫のご飯を作るときとぼくの夕飯を作るとき、生後8か月の猫のパトラを廊下に出す。特に後者の場合、ガスを使うから危険である。なおさらキッチンへ近づくのは遠慮してもらいたい。
偶然ではあろうが、パトラのご飯をぼくが作るとき、そして、ぼく自身の夕飯を作り出すと、パトラはさっさと廊下へ出ていく。もう4、5日同じことを繰り返している。
自慢するつもりではないが、飼い主としては、とても偶然とは思えない。念のためにもう一度……決して自慢ではありません。
猫のご飯を作るときとぼくの夕飯を作るとき、生後8か月の猫のパトラを廊下に出す。特に後者の場合、ガスを使うから危険である。なおさらキッチンへ近づくのは遠慮してもらいたい。
偶然ではあろうが、パトラのご飯をぼくが作るとき、そして、ぼく自身の夕飯を作り出すと、パトラはさっさと廊下へ出ていく。もう4、5日同じことを繰り返している。
自慢するつもりではないが、飼い主としては、とても偶然とは思えない。念のためにもう一度……決して自慢ではありません。
最近は隠れなくなり、顔もすっかり温和だ。気が向くと遊ぼうとねだってくる。だが、まだわずかに用心しているらしい。全面的に心を許しているわけではあるまい。
数値的には80から90パーセントほど心を開いたものの、100パーセントならこんなものではないはずだ。
パトラ、全面的に心を開いてくれるその日を待っているからね。
最近は隠れなくなり、顔もすっかり温和だ。気が向くと遊ぼうとねだってくる。だが、まだわずかに用心しているらしい。全面的に心を許しているわけではあるまい。
数値的には80から90パーセントほど心を開いたものの、100パーセントならこんなものではないはずだ。
パトラ、全面的に心を開いてくれるその日を待っているからね。
できたら夢など見たくない。だが、生きているかぎり、毎晩、夢に翻弄される眠りについている。悪夢から解放されるのであれば、死ぬのも悪くないとさえ思うときがある。
ごくまれに、穏やかな夢をみる。そんな日の朝は、目覚めも快適である。今朝がそうだった。休むつもりの朝の散歩にも出かけた。一日中、ご機嫌とまではいわないが、平穏に流れていく。
できたら夢など見たくない。だが、生きているかぎり、毎晩、夢に翻弄される眠りについている。悪夢から解放されるのであれば、死ぬのも悪くないとさえ思うときがある。
ごくまれに、穏やかな夢をみる。そんな日の朝は、目覚めも快適である。今朝がそうだった。休むつもりの朝の散歩にも出かけた。一日中、ご機嫌とまではいわないが、平穏に流れていく。
腰を痛めて立ってさえいられなかったころ、そう覚悟した。あとは、どこまで元へ戻せるかだった。下肢の、とりわけ歩くための筋肉が落ちてしまったのも承知している。
以前であれば、多少の無理で強制的に失った筋肉を復活できるはずだった。しかし、もう昔の常識は通用しない。無理がきかなくなってしまったのを、歩きはじめて知った。
少しずつ、そして、だましながら身体と折り合っていく年齢である。元どおりになれるかどうかはわからないが、どうやら、ある程度の復活は望めそうだ。
ただし、思いのほか時間はかかる。80歳だ。しかたがない。
腰を痛めて立ってさえいられなかったころ、そう覚悟した。あとは、どこまで元へ戻せるかだった。下肢の、とりわけ歩くための筋肉が落ちてしまったのも承知している。
以前であれば、多少の無理で強制的に失った筋肉を復活できるはずだった。しかし、もう昔の常識は通用しない。無理がきかなくなってしまったのを、歩きはじめて知った。
少しずつ、そして、だましながら身体と折り合っていく年齢である。元どおりになれるかどうかはわからないが、どうやら、ある程度の復活は望めそうだ。
ただし、思いのほか時間はかかる。80歳だ。しかたがない。
ほんとうに痛みがあったのかどうかあやしい。痛みは夢だったかもしれない。
琵琶湖のほとりの町の、キャンプ仲間が上京するという。ぼくは、しばらく都心まで出かけていない。腰や足に自信がないからだ。
もう、20年前からのこの旧友がいつごろ上京してくるのかはわからない。会いたいけど、きっと、都心まで出ていかれないだろう。
腰の痛みはまったくないが、明らかに筋肉が減少してしまった。いまはそちらのほうが深刻である。元どおりになってくれるのだろうか。
80歳の年齢の、わが身を思うと疑わしい。
ほんとうに痛みがあったのかどうかあやしい。痛みは夢だったかもしれない。
琵琶湖のほとりの町の、キャンプ仲間が上京するという。ぼくは、しばらく都心まで出かけていない。腰や足に自信がないからだ。
もう、20年前からのこの旧友がいつごろ上京してくるのかはわからない。会いたいけど、きっと、都心まで出ていかれないだろう。
腰の痛みはまったくないが、明らかに筋肉が減少してしまった。いまはそちらのほうが深刻である。元どおりになってくれるのだろうか。
80歳の年齢の、わが身を思うと疑わしい。
しかし、途中で発情期を迎えてしまった。発情した猫はかわいそうである。
きのうをピークに、どうやら“恋猫状態”からは脱したらしい。さて、子猫とぼくとの距離感はどうなるのかと思ったら、後退はしていない。目覚めていれば遊びたがる。
生後8か月、まだまだいたずらがひどいのはしかたがないだろう。
今年の梅雨は子猫に翻弄されてしまうようだ。それもまた年寄りには快感でしかない。
しかし、途中で発情期を迎えてしまった。発情した猫はかわいそうである。
きのうをピークに、どうやら“恋猫状態”からは脱したらしい。さて、子猫とぼくとの距離感はどうなるのかと思ったら、後退はしていない。目覚めていれば遊びたがる。
生後8か月、まだまだいたずらがひどいのはしかたがないだろう。
今年の梅雨は子猫に翻弄されてしまうようだ。それもまた年寄りには快感でしかない。
歩く距離を縮小したが、5月は、毎日、けっこう歩いた。その疲れが出てきたのだろうか? それとも陽気のせいかな?
以前なら、さらに歩いて疲れなどねじ伏せていたが、80歳ともなると用心するにこしたことがない。とりあえず、今朝の、恒例の「6,000歩散歩」はサボった。身体を休めたいと思ったからである。
その代わり、少し遠いほうのスーパーマーケットまで買い物に出かけた。3,000歩を歩いている。明日の朝、散歩をどうするかは、朝、起きてから決めたい。これも80歳のたしなみだ。
歩く距離を縮小したが、5月は、毎日、けっこう歩いた。その疲れが出てきたのだろうか? それとも陽気のせいかな?
以前なら、さらに歩いて疲れなどねじ伏せていたが、80歳ともなると用心するにこしたことがない。とりあえず、今朝の、恒例の「6,000歩散歩」はサボった。身体を休めたいと思ったからである。
その代わり、少し遠いほうのスーパーマーケットまで買い物に出かけた。3,000歩を歩いている。明日の朝、散歩をどうするかは、朝、起きてから決めたい。これも80歳のたしなみだ。
蝶夢という江戸時代の俳人が残した句だという。いたく気に入り、この句をはじめて知った老翁のほうは、これからの座右の銘にしようと決めた。
老鶯とは、字義のとおり、春を過ぎても鳴く、老いたウグイスである。残鶯、晩鶯、老鶯児ともいい、季語は夏になるそうだ。
声に張りがなくなるというが、実際には鳴き方が慣れて、巧みなウグイスである。
なればこそ、「つくろわず」に生きていきたい。老いのけじめであり、美学だと思うからだ。せめて、しゃしゃり出ないようにして余生とやらを歩いていこう。
蝶夢という江戸時代の俳人が残した句だという。いたく気に入り、この句をはじめて知った老翁のほうは、これからの座右の銘にしようと決めた。
老鶯とは、字義のとおり、春を過ぎても鳴く、老いたウグイスである。残鶯、晩鶯、老鶯児ともいい、季語は夏になるそうだ。
声に張りがなくなるというが、実際には鳴き方が慣れて、巧みなウグイスである。
なればこそ、「つくろわず」に生きていきたい。老いのけじめであり、美学だと思うからだ。せめて、しゃしゃり出ないようにして余生とやらを歩いていこう。
何が新鮮かというと、子ネコとの距離が、日々、縮まっているからだ。
10月に生まれたので、まだ、7か月余りの子である。しかし、ネコは自立を強いられ、共同生活者のぼくが安全な相手かどうかを観察し、少しずつだが、急速に警戒を解いている。
わが家の子になって10日ほどで、抱いて寝てやれるようになったのが、ぼくには何よりもうれしい。
話しかけるだけでも、また、それがネコだろうと、相手が身近にいるだけで満たされる。
用意してやったオモチャにも気に入ってくれたらしい。まずは、順調な子ネコとの生活である。
何が新鮮かというと、子ネコとの距離が、日々、縮まっているからだ。
10月に生まれたので、まだ、7か月余りの子である。しかし、ネコは自立を強いられ、共同生活者のぼくが安全な相手かどうかを観察し、少しずつだが、急速に警戒を解いている。
わが家の子になって10日ほどで、抱いて寝てやれるようになったのが、ぼくには何よりもうれしい。
話しかけるだけでも、また、それがネコだろうと、相手が身近にいるだけで満たされる。
用意してやったオモチャにも気に入ってくれたらしい。まずは、順調な子ネコとの生活である。
カラスにもそんな情緒があるとわかり、ますますコグロがかわいくなった。
最初の見立てどおり、コグロは女の子で相棒のほうが男の子だろう。2羽ともずいぶん大きくなった。相棒のほうは、ハシブトガラスらしく、額のあたりが特徴的になっている。コグロは、まだ、やさしげな額だし、全身がしなやかで、いかにも女性的である。
朝、コグロが現れるときは川の中洲からやってくる。今年は、産卵し、子育てに至っていないのだろうか?
それより、もうご機嫌をなおしてほしい。
カラスにもそんな情緒があるとわかり、ますますコグロがかわいくなった。
最初の見立てどおり、コグロは女の子で相棒のほうが男の子だろう。2羽ともずいぶん大きくなった。相棒のほうは、ハシブトガラスらしく、額のあたりが特徴的になっている。コグロは、まだ、やさしげな額だし、全身がしなやかで、いかにも女性的である。
朝、コグロが現れるときは川の中洲からやってくる。今年は、産卵し、子育てに至っていないのだろうか?
それより、もうご機嫌をなおしてほしい。
最近のネコ用グッズのあれこれの進化には驚くばかりだ。とくにネコ用のハーネス(胴輪)など、以前は見かけなかった。首輪だけだとネコは器用に外してしまう。しかも、ネコ用のハーネスはかなりかわいい。
ネコだって外が見たいだろうに、最近、ネコは家の中で飼うというのが常識になっている。とくにここ町田市はそうらしい。
今朝、ネコを散歩させているご婦人に出逢った。わが家へくる子も外へ出たがったら、素敵なハーネスをつけて一緒に散歩するつもりだ。それもまたかなり楽しみ!
最近のネコ用グッズのあれこれの進化には驚くばかりだ。とくにネコ用のハーネス(胴輪)など、以前は見かけなかった。首輪だけだとネコは器用に外してしまう。しかも、ネコ用のハーネスはかなりかわいい。
ネコだって外が見たいだろうに、最近、ネコは家の中で飼うというのが常識になっている。とくにここ町田市はそうらしい。
今朝、ネコを散歩させているご婦人に出逢った。わが家へくる子も外へ出たがったら、素敵なハーネスをつけて一緒に散歩するつもりだ。それもまたかなり楽しみ!
父親のオレが死んでも、このせがれは知らん顔だろう。いや、気恥ずかしいからそのほうがいい。
やはり、母親への思いは特別なものがあるのだろう。父親としてはそのほうがうれしいし、なぜだか、ホッとできる。
父親のオレが死んでも、このせがれは知らん顔だろう。いや、気恥ずかしいからそのほうがいい。
やはり、母親への思いは特別なものがあるのだろう。父親としてはそのほうがうれしいし、なぜだか、ホッとできる。
散歩のとき、やけにクルマが少ないなと思い、きょうが週末だったと気づいた。しかし、土曜日だと早合点した。日曜日と認識できたのは、土曜日に世話になっているサンドイッチ屋のシャッターが下りていたからだ。
土曜日のきのうは、雨のために終日、外へ出なかった。昨日は、その日が土曜日だというのはわかっていたのに、今朝はきれいに失念している。何曜日だろうと、ほぼ、関係のない日常生活である。
ただ、週末や祭日はスーパーマーケットへいかないようにしている。じゃまな男性が結構いるからだ。もっとも、現役時代の自分もそのひとりだったけど。
散歩のとき、やけにクルマが少ないなと思い、きょうが週末だったと気づいた。しかし、土曜日だと早合点した。日曜日と認識できたのは、土曜日に世話になっているサンドイッチ屋のシャッターが下りていたからだ。
土曜日のきのうは、雨のために終日、外へ出なかった。昨日は、その日が土曜日だというのはわかっていたのに、今朝はきれいに失念している。何曜日だろうと、ほぼ、関係のない日常生活である。
ただ、週末や祭日はスーパーマーケットへいかないようにしている。じゃまな男性が結構いるからだ。もっとも、現役時代の自分もそのひとりだったけど。
ほどなく、女房は入院して、かけがえのないふたりは離ればなれになった。大好きなママを失い、犬はいかにも寂びしそうだった。癌となり、手術の甲斐なく、一昨年旅立った。ぼくは涙に暮れた。
今年1月、女房が逝った。彼女を現世まで迎えにくるために犬は先発ったのだろう。
まもなく、ぼくの元へ子猫がやってくる。今朝の動画は、「わたしたちは再会できて満ち足りているわよ」との妻からのメッセージだろう。
ぼくも現世で猫と幸せにならなくては!
ほどなく、女房は入院して、かけがえのないふたりは離ればなれになった。大好きなママを失い、犬はいかにも寂びしそうだった。癌となり、手術の甲斐なく、一昨年旅立った。ぼくは涙に暮れた。
今年1月、女房が逝った。彼女を現世まで迎えにくるために犬は先発ったのだろう。
まもなく、ぼくの元へ子猫がやってくる。今朝の動画は、「わたしたちは再会できて満ち足りているわよ」との妻からのメッセージだろう。
ぼくも現世で猫と幸せにならなくては!
ぼくよりも4つばかり若いナイスガイだった。彼の死に対し、まさか——との思いが、いまもぬぐえずにいる。
同じFacebookで、昨年、やはり亡くなった別の畏友が頻繁にぼくを窺っているらしい。最初は、やはり、「ご遺族かな?」と思っていたのだが、いまだにのぞいている。
もしかしたら、ぼくへは死んだことにして、本当は生きているのかもしれない。
だからといって、「なぜ?」と思うまでもないだろう。ぼくが嫌われただけだ。
それなのにのぞきにくるのがわからない。なぜ……?
ぼくよりも4つばかり若いナイスガイだった。彼の死に対し、まさか——との思いが、いまもぬぐえずにいる。
同じFacebookで、昨年、やはり亡くなった別の畏友が頻繁にぼくを窺っているらしい。最初は、やはり、「ご遺族かな?」と思っていたのだが、いまだにのぞいている。
もしかしたら、ぼくへは死んだことにして、本当は生きているのかもしれない。
だからといって、「なぜ?」と思うまでもないだろう。ぼくが嫌われただけだ。
それなのにのぞきにくるのがわからない。なぜ……?
明日をも知れぬ年齢なので、生きものとの生活などできないはずだ。だが、ぼくが不帰の旅へ出てしまったら、その猫は姪たちが引き取ってくれるという。
子猫を迎える準備をすっかり終えた。だが、この年寄りを相手にしなくてはならない子猫が不憫で、すっかり落ち込んだ。
こうなったら、猫のために、簡単には死ねない。長生きするしかあるまい。できるかどうかわからないが、がんばって生きてみようという気になった。
明日をも知れぬ年齢なので、生きものとの生活などできないはずだ。だが、ぼくが不帰の旅へ出てしまったら、その猫は姪たちが引き取ってくれるという。
子猫を迎える準備をすっかり終えた。だが、この年寄りを相手にしなくてはならない子猫が不憫で、すっかり落ち込んだ。
こうなったら、猫のために、簡単には死ねない。長生きするしかあるまい。できるかどうかわからないが、がんばって生きてみようという気になった。
原因がようやくわかった。今月末にわが家へやってくる子ネコである。ひとり暮らしのぼくは、まだ見ぬ子ネコがすでにそこにいるのを想定して、ずっと語りかけている。しかも、声に出してだ。
もう、受け入れ準備は整い、ワクワクしながら待ちわびているのである。
反面、子ネコに心からすまないと思う。いくらでも幸せになれるはずなのに、ぼくのような年寄りと暮らさなくてはならない。不憫である。
だが、ぼくは子ネコを待っている。なんとも罪深い、そんな自分への嫌気からの煩悶である。
原因がようやくわかった。今月末にわが家へやってくる子ネコである。ひとり暮らしのぼくは、まだ見ぬ子ネコがすでにそこにいるのを想定して、ずっと語りかけている。しかも、声に出してだ。
もう、受け入れ準備は整い、ワクワクしながら待ちわびているのである。
反面、子ネコに心からすまないと思う。いくらでも幸せになれるはずなのに、ぼくのような年寄りと暮らさなくてはならない。不憫である。
だが、ぼくは子ネコを待っている。なんとも罪深い、そんな自分への嫌気からの煩悶である。
今朝も勇んで起き出したが、泣き出しそうな空にたちまち気持ちが萎えてしまい、散歩にいかなかった。昼ごろになって、傘を差し、足を濡らして買い物に出かけた。
いつもより財布が軽くなった。今月終わりにやってくる猫の餌などを買ったからである。そのあと、ネット通販で猫用のトイレも買った。
アビシニアンの長毛種のソマリという種類だという。義理の姪からのプレゼントである。猫との生活がはじまれば気分は一新するだろう。ドキドキしている。
今朝も勇んで起き出したが、泣き出しそうな空にたちまち気持ちが萎えてしまい、散歩にいかなかった。昼ごろになって、傘を差し、足を濡らして買い物に出かけた。
いつもより財布が軽くなった。今月終わりにやってくる猫の餌などを買ったからである。そのあと、ネット通販で猫用のトイレも買った。
アビシニアンの長毛種のソマリという種類だという。義理の姪からのプレゼントである。猫との生活がはじまれば気分は一新するだろう。ドキドキしている。
きのう、端午の節句が間近だというのに放り出され、拾ってきた鯉のぼりが喜んでいるように思える。きょうの買い物では、ひとり暮らしだというのに、柏餅を7個も買ってしまった。
2、3日前から放置されていたとはいえ、拾ってきてよかったのだろうかと自問していたので、鯉のぼりの笑顔がとてもうれしい。
鯉のぼりが喜んでいるとの錯覚は、拾ってきた自分の行為を正当化するあらわれに過ぎない。そのぼくは、何年ぶりの端午の節句だろうか。
喜んでいるのは鯉のぼりではなく、自分のほうだとわかってきた。いい齢なのだけれど……。
きのう、端午の節句が間近だというのに放り出され、拾ってきた鯉のぼりが喜んでいるように思える。きょうの買い物では、ひとり暮らしだというのに、柏餅を7個も買ってしまった。
2、3日前から放置されていたとはいえ、拾ってきてよかったのだろうかと自問していたので、鯉のぼりの笑顔がとてもうれしい。
鯉のぼりが喜んでいるとの錯覚は、拾ってきた自分の行為を正当化するあらわれに過ぎない。そのぼくは、何年ぶりの端午の節句だろうか。
喜んでいるのは鯉のぼりではなく、自分のほうだとわかってきた。いい齢なのだけれど……。
きっと、だれかが落としていたのだろう。中国製で、売り値は200円だという。ラベルにはかわいいイラストもある。
もう来週は端午の節句である。中国から海を渡ってきた鯉のぼりたちだ。このままゴミになってしまうのはかわいそうじゃないか。
今朝、拾い上げてきた。しばらく、ベランダで初夏の風の中を泳がせていたが、壊れてしまいそうなので部屋へ入れてやった。
わが家で節句を迎えるのも相応の縁があったのだろう。おかげで、ぼくも今年はいい端午の節句を迎えられる。
きっと、だれかが落としていたのだろう。中国製で、売り値は200円だという。ラベルにはかわいいイラストもある。
もう来週は端午の節句である。中国から海を渡ってきた鯉のぼりたちだ。このままゴミになってしまうのはかわいそうじゃないか。
今朝、拾い上げてきた。しばらく、ベランダで初夏の風の中を泳がせていたが、壊れてしまいそうなので部屋へ入れてやった。
わが家で節句を迎えるのも相応の縁があったのだろう。おかげで、ぼくも今年はいい端午の節句を迎えられる。