夏炉
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夏炉
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柄谷行人、埴谷雄高、萩原朔太郎、吉岡実、武満徹、ウェーベルン、スカルラッティ、ハイドン、有元利夫、ルドン、ミロ、瀧口修造。
行く春を近江の人と惜しみける、私は芭蕉の中でも特にこれが好きで、よく頭に浮かぶ。「人」は史実としては複数のようだが、風情としては、「有朋自遠方来」で、一対一の惜春である。自分が近江を訪ねても良いし、近江の人が来てくれたのでも良いが、やはり、去来の指摘どおり、のどかな琵琶湖がふさわしい。大事なのは、「共に風雅を語るべきもの」同士が、「いいもんだね」「ああ」くらいの口数で、少しの酒を酌み交わすことだ。互いに「共に風雅を語るべきもの」であると認め合う安心感がこの句にはある。残念ながら、こういう体験が私には無い。歳をとって、いまはやっと自分にも風雅の片端は備わってきたように感じるが、もはや孤独である。
December 27, 2025 at 7:21 PM
真っ平らで無限に広がる平面に立つとする。そのとき、地平線は大きな輪になって、私をぐるっと囲む。ちょうど目の高さにあるだろう。そして、きっと私は地平線の向こう側について考える。さて、この大きな輪を目の高さから上方へ絞り上げてみよう。輪はせり上がるにつれ次第にすぼみ、天頂の一点に集まって消える。上下左右どこを見てもすべて地表になるだろう。向こう側は考えられない。穴を掘っても平面の向こう側に突き出るわけではない。さて、大きな輪を下方へずり下げてみよう。輪は私の足元に集まってくる。一点になって消える。私は宙に浮いたようになる。そのとき、あそことここが同じ場所、あの時とこの時が同じ時刻に重なり合っている
January 14, 2025 at 5:16 PM
一人で神を信じていれば良いのに、なぜ布教しなければならぬのか。子供の頃からの疑問である。神と自分の関係だけで宗教が成立する、と考えてきたからだろう。人間同士の承認の必要を認めなければ、悟りも、神を知ることも、錯覚や誤解との見分けがつかなくなる。だから、信者同士で確かめ合えるように布教するのか。しかし、信者全員が狂えば意味は無い。むしろ布教せず、互いに他者と他者のままで護教論に陥らぬ議論を深める方が有効だろう。ただし、一人の宗教は、宗教戦争も弾圧もしない代わりに、悲惨な現実に苦しむ人を救う力が足りない気がする。
January 3, 2025 at 11:47 PM
近代がある。よって、古代がある。古代の崩壊してゆく過渡期が中世であり、近代の完成してゆく過渡期が近世である。日本の場合、弥生から平安までが古代で、旧石器時代と縄文は先史時代である。
均質空間の成立をもって近代とする。たとえば、身分が平等で基本的人権がすべての人に認められている社会。隅から隅まで数学的真理が適応すべき宇宙。現在から遡行してゆけばあらゆる過去にたどり着ける時間。通信や物流が諸地域で関連し合う世界。
均質空間において人は自由である。日本の場合、北村透谷がこれを体験した。
February 25, 2024 at 10:20 AM