行く春を近江の人と惜しみける、私は芭蕉の中でも特にこれが好きで、よく頭に浮かぶ。「人」は史実としては複数のようだが、風情としては、「有朋自遠方来」で、一対一の惜春である。自分が近江を訪ねても良いし、近江の人が来てくれたのでも良いが、やはり、去来の指摘どおり、のどかな琵琶湖がふさわしい。大事なのは、「共に風雅を語るべきもの」同士が、「いいもんだね」「ああ」くらいの口数で、少しの酒を酌み交わすことだ。互いに「共に風雅を語るべきもの」であると認め合う安心感がこの句にはある。残念ながら、こういう体験が私には無い。歳をとって、いまはやっと自分にも風雅の片端は備わってきたように感じるが、もはや孤独である。
行く春を近江の人と惜しみける、私は芭蕉の中でも特にこれが好きで、よく頭に浮かぶ。「人」は史実としては複数のようだが、風情としては、「有朋自遠方来」で、一対一の惜春である。自分が近江を訪ねても良いし、近江の人が来てくれたのでも良いが、やはり、去来の指摘どおり、のどかな琵琶湖がふさわしい。大事なのは、「共に風雅を語るべきもの」同士が、「いいもんだね」「ああ」くらいの口数で、少しの酒を酌み交わすことだ。互いに「共に風雅を語るべきもの」であると認め合う安心感がこの句にはある。残念ながら、こういう体験が私には無い。歳をとって、いまはやっと自分にも風雅の片端は備わってきたように感じるが、もはや孤独である。