例えば原作者からの指摘が厳しくて指示書が読めないと脚本家が言ったとき。脚本家を変える判断もできた。もともと「ベテランじゃない方が」と原作者サイドが言ってたのだからやっぱり無理だったという話で。ここで腹を割って脚本家と話して続けるか降りるか話していれば。実はベテランじゃない方がと言われていたと包み隠さず言えば「じゃあ降りるわ」となり互いに苦しまなくてすんだ。
ベリーダンスを原作者と見に行ったとき。内容の話はしなかった、ではなく、しなきゃいけなかったんだよ!膝詰めて!チャンスだったのにな。
どちらも恐れと逃げがある。
「難しい人」という表現でショックを受ける声も多く見たが、当時話されていたことを隠すほうがよろしくないので報告書に入ったことは仕方がないし、そもそもドラマや映画は共同作業なので、原作者に限らず、オリジナル作品の脚本家もそう言われることあるし、撮影監督や美術でも言われるし、役者もよく言われる。信念=こだわりが強い、あるある。
脚本は「バイト先で上手くいかなくて鬱になった女の子が、実家と折り合いが悪く帰ることもできず、生活費のためにクレジットローンに手を出して借金を作った」という設定だったのに、映像化の段階で「ウインドウの可愛くて高価な洋服を欲しそうに見ている女の子」と演出され、要するに「贅沢したせいで借金背負った」に変わっていた。
本当に「心底どうでもいい」バイアスと単純化。テレビやってて毎度うんざりするのがこの「もっとわかりやすく!」ってやつ。そのわかりやすさって何?だからつまんねーんだよと悪態つきたくなる(ついてる)
脚本は「バイト先で上手くいかなくて鬱になった女の子が、実家と折り合いが悪く帰ることもできず、生活費のためにクレジットローンに手を出して借金を作った」という設定だったのに、映像化の段階で「ウインドウの可愛くて高価な洋服を欲しそうに見ている女の子」と演出され、要するに「贅沢したせいで借金背負った」に変わっていた。
本当に「心底どうでもいい」バイアスと単純化。テレビやってて毎度うんざりするのがこの「もっとわかりやすく!」ってやつ。そのわかりやすさって何?だからつまんねーんだよと悪態つきたくなる(ついてる)