自分も間違いなく「みんなが見たい終わり方」よりも「自分が書きたい終わり方」を優先するから。
世の需要からモノを作ってるわけではなくて、自分が作りたいモノに需要が運良くあった、という人間だからこれは避けられない。
自分も間違いなく「みんなが見たい終わり方」よりも「自分が書きたい終わり方」を優先するから。
世の需要からモノを作ってるわけではなくて、自分が作りたいモノに需要が運良くあった、という人間だからこれは避けられない。
ただ自分が理想とするラインを作品内でも徹底したいだけで、それだけが唯一実現可能な誠実さであるわけです。
なもので前述のような知らず知らずの加担が一番ダメージが大きい。誰が悪いってわけでもないんだけどね。
ただ自分が理想とするラインを作品内でも徹底したいだけで、それだけが唯一実現可能な誠実さであるわけです。
なもので前述のような知らず知らずの加担が一番ダメージが大きい。誰が悪いってわけでもないんだけどね。
ライターさんがそれをもじってつけてきたキャラクターの名前をスルーしてしまって、知らず知らずのうちに加担してしまうという事態も起きたりして。
苦手だなと思っているものに対しても知識がなければ、思想を貫けないというお話でございました。難しいね。
ライターさんがそれをもじってつけてきたキャラクターの名前をスルーしてしまって、知らず知らずのうちに加担してしまうという事態も起きたりして。
苦手だなと思っているものに対しても知識がなければ、思想を貫けないというお話でございました。難しいね。
なかなか言いづらい話。
ニコ動世代ではあるんだけれど、昔から『淫夢』というのに苦手意識があってまったく触れてこないでいたんです。
あれ自体ではなく、ゲイビデオを見て皆で笑うという感覚がどうもしっくりこなくて。
ネットミーム連発人間がそもそも苦手なこともあって、自分の中ではスルーする対象になっていたわけです。
でも結構最近それをパロディしたものや、モチーフにしたものがメインストリームの中にあってモヤっとしているんですよね。色々な価値観が書き換えられている中で、それはそうなんだ……って。
なかなか言いづらい話。
ニコ動世代ではあるんだけれど、昔から『淫夢』というのに苦手意識があってまったく触れてこないでいたんです。
あれ自体ではなく、ゲイビデオを見て皆で笑うという感覚がどうもしっくりこなくて。
ネットミーム連発人間がそもそも苦手なこともあって、自分の中ではスルーする対象になっていたわけです。
でも結構最近それをパロディしたものや、モチーフにしたものがメインストリームの中にあってモヤっとしているんですよね。色々な価値観が書き換えられている中で、それはそうなんだ……って。
コンセプトを徹底している美しさと同時に、それを自分とコンテンツや役者との上下関係と錯覚して横柄になってしまいかねない危険性の方が気になってきてしまう。
僕はアイマスが大好きだけど、キャストとキャラクターを同一視させるギミックの発明にはしっかり功と罪があると思う。
コンセプトを徹底している美しさと同時に、それを自分とコンテンツや役者との上下関係と錯覚して横柄になってしまいかねない危険性の方が気になってきてしまう。
僕はアイマスが大好きだけど、キャストとキャラクターを同一視させるギミックの発明にはしっかり功と罪があると思う。
良い作品の良い芝居というのは、役者のトーンを合わせること、同じ地平に立たせることが必要不可欠で、その重要性を考えなきゃいけない。キャスティングから作品作りであって、そこを担う人がもっと芝居に興味を持たなきゃいけない。
特にゲーム業界の製作者って芝居に興味ある人が少ないイメージがある。大抵が「キャラに合ってるか」「感情がわかりやすいか」「音としてキレイか」ってところに留まってる。
良い作品の良い芝居というのは、役者のトーンを合わせること、同じ地平に立たせることが必要不可欠で、その重要性を考えなきゃいけない。キャスティングから作品作りであって、そこを担う人がもっと芝居に興味を持たなきゃいけない。
特にゲーム業界の製作者って芝居に興味ある人が少ないイメージがある。大抵が「キャラに合ってるか」「感情がわかりやすいか」「音としてキレイか」ってところに留まってる。