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夫さん、妻さんはどうでしょうとクライアントと話して、そうすることにした。調べてみると、ウーマンリブの時代に広めようとしたことがあるんだって。さすが70年代。
夫さん、妻さんはどうでしょうとクライアントと話して、そうすることにした。調べてみると、ウーマンリブの時代に広めようとしたことがあるんだって。さすが70年代。
〇〇を〇〇に。
という結果として変化を表す表現を比較すると、シフトするのにかかる時間も違うように感じられるのだけれど、前者は自動詞的な移行が強く感じられて、当然、後者は他動詞。より主体が明確に関わるという意思が感じられる。
〇〇を〇〇に。
という結果として変化を表す表現を比較すると、シフトするのにかかる時間も違うように感じられるのだけれど、前者は自動詞的な移行が強く感じられて、当然、後者は他動詞。より主体が明確に関わるという意思が感じられる。
援けに応えるわけだから、前者が本来的なのだろうと思う。そのために、辞書にも第一項目としてあるのだろうけれど、現代的には後者の意味が強くて、やや第三者的。
どちらも対象のポジションを支持するとはいえ、此岸か対岸か、どちらに「身」を置いているのか、分かりづらい言葉だなと思う。
援けに応えるわけだから、前者が本来的なのだろうと思う。そのために、辞書にも第一項目としてあるのだろうけれど、現代的には後者の意味が強くて、やや第三者的。
どちらも対象のポジションを支持するとはいえ、此岸か対岸か、どちらに「身」を置いているのか、分かりづらい言葉だなと思う。
なぜって、しんどい主体は「私」であるのに、こころを客体化して、主体を「ずらす」ことで、つまり問題と向き合わないかたちで表現をやわらげているから。やわらげているのではなく、ずらしているだけだから。
「〇〇がつらい」というときに、「作業がつらい」「寒さがつらい」といった動作や状態は、主語として違和感がないのだけれど、「こころ」を使うのは厳しい感覚。
使いやすさはたしかにあって、「こころ」を状態と読み解くのがおそらく正解の筋なのかな。
なぜって、しんどい主体は「私」であるのに、こころを客体化して、主体を「ずらす」ことで、つまり問題と向き合わないかたちで表現をやわらげているから。やわらげているのではなく、ずらしているだけだから。
「〇〇がつらい」というときに、「作業がつらい」「寒さがつらい」といった動作や状態は、主語として違和感がないのだけれど、「こころ」を使うのは厳しい感覚。
使いやすさはたしかにあって、「こころ」を状態と読み解くのがおそらく正解の筋なのかな。
細やかと細かに意味の違いはないにせよ、「や」が入ることで音に滑らかさが生まれる語感が使いやすさ、普及の要因だと勝手に推測しています。
salon.mainichi-kotoba.jp
細やかと細かに意味の違いはないにせよ、「や」が入ることで音に滑らかさが生まれる語感が使いやすさ、普及の要因だと勝手に推測しています。
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