髙木大吾
banner
dy5.bsky.social
髙木大吾
@dy5.bsky.social
編集者、ライター、本の蒐集

Design Studio PASTEL Inc. (https://studio-pastel.jp)
SRHR Japan (https://jp.srhr.jp)
YOTSUBASHI BOOK CIRCLE (https://anoesis.jp/ybc)
「子ども」表記は「こども」が最新のスタンダードとのこと。「子供」の供は差別的ではないとの言説も一時期はあったけれど、それにかかわらず、私は「子ども」表記には漢字が含まれるために単語の区切りが分かりやすくて頻用していました。が、こども家庭庁からのお達しとのこと。庁名もそうですものね。記者ハンドブックどうなってましたっけ。
May 25, 2025 at 6:29 AM
旦那さん、奥さんという表現に困ることがある。夫、妻は、報道記事でもない限り、記号的すぎる場合が多い。パートナー表記は、片方が特定されないと使えない。彼、彼女の代名詞も使用シーンは限られる。名前で呼ぶのが解決策だと思っているのだけれど、名前を使えないことも。
夫さん、妻さんはどうでしょうとクライアントと話して、そうすることにした。調べてみると、ウーマンリブの時代に広めようとしたことがあるんだって。さすが70年代。
November 28, 2024 at 5:42 PM
中高齢者に向けた、おじさん呼びおばさん呼びを回避するための「おとうさん、おかあさん」呼びの違和感。
July 5, 2024 at 3:16 AM
nをvする、というコピー多いなあ。動詞を名詞化して、同じ動詞をつけるパターン。出会いに会いにいく、みたいな。おもしろくなーい。
July 3, 2024 at 6:40 PM
美容室でシャンプーをされているときに「お湯加減は大丈夫ですか?」と問われることがあるのだけれど、「大丈夫です」と言われたらきっともやっとすると思うので、「ちょうどいいです」と答えるようにしている。「大丈夫ですか?」という問いが常に難しいのは、日本語ゆえだろうか。
March 23, 2024 at 1:51 PM
〇〇から〇〇へ。
〇〇を〇〇に。
という結果として変化を表す表現を比較すると、シフトするのにかかる時間も違うように感じられるのだけれど、前者は自動詞的な移行が強く感じられて、当然、後者は他動詞。より主体が明確に関わるという意思が感じられる。
March 19, 2024 at 4:21 PM
例えば一文のみの短いコピーでも文末の句点って必要だと思う。そこでメッセージが締めくくられ、終点であり、閉じられる。句点がなく、開かれたままだと、メッセージの完全性のようなものが失われるので、句点無しというのは恣意的に用いるべきだと思う。逆に言えば、メッセージの堅牢性のようなものが強められるために、句点というのは圧力であり、重力であるとも思う。
March 7, 2024 at 4:10 PM
一見、とても簡単な「頼って」というひと言を正確に言い換えるのが、こんなにも難しいなんて。
March 6, 2024 at 4:40 PM
応援という言葉は、「力を貸して助けること」「声援や拍手を送って選手やチームを励ますこと」と辞書にある。後者は手が届かなくて、前者は加勢だから、半当事者化する。

援けに応えるわけだから、前者が本来的なのだろうと思う。そのために、辞書にも第一項目としてあるのだろうけれど、現代的には後者の意味が強くて、やや第三者的。

どちらも対象のポジションを支持するとはいえ、此岸か対岸か、どちらに「身」を置いているのか、分かりづらい言葉だなと思う。
February 21, 2024 at 6:06 AM
その人らしく、と言うとき、その人の人権が保障されているという意味を含んでいることが多い。しかし、人権というのは一様な認識のもとにある概念ではないので、「その人らしく」は福祉用語的な扱い、つまりジャーゴンのような扱いをされてしまい、自己決定や自己選択の自由や尊重といったニュアンスが届かない。しかし、「その人らしく」という言葉自体はとても適切であり、使い方次第といったところ。やはり難しい。
February 20, 2024 at 9:30 AM
「My heart will go on」とか、「心が涙を流している」とか、心を客体化する表現は、もちろん全然おかしくはなくて、心という感受の主体を際立たせることで、心を「感じる器官」として扱うことになる。器官として扱う以上、それは一部であり、それを包含する全体である感受の当事者の主体性が立ち上がってくると思う。
February 20, 2024 at 9:26 AM
「こころがつらい」という表現は、メンタルヘルスのしんどさ、深刻さをやわらげる表現として多用されているけれど、使うように修正があるとき、とてもためらわれる。
なぜって、しんどい主体は「私」であるのに、こころを客体化して、主体を「ずらす」ことで、つまり問題と向き合わないかたちで表現をやわらげているから。やわらげているのではなく、ずらしているだけだから。
「〇〇がつらい」というときに、「作業がつらい」「寒さがつらい」といった動作や状態は、主語として違和感がないのだけれど、「こころ」を使うのは厳しい感覚。
使いやすさはたしかにあって、「こころ」を状態と読み解くのがおそらく正解の筋なのかな。
February 19, 2024 at 6:48 AM
きめ細か、きめ細やかについて。結論として、心理的な事柄(配慮、支援、心配りなど)を修飾する場合は、濃やかをひらいて、こまやかと平仮名で書くか、きめ細かと書くかの2択がありつつ、きめ細やかも許容だと思います。
細やかと細かに意味の違いはないにせよ、「や」が入ることで音に滑らかさが生まれる語感が使いやすさ、普及の要因だと勝手に推測しています。
salon.mainichi-kotoba.jp
February 13, 2024 at 4:34 PM
教育を「学び」と言い換えるのはときに有効なのだけれど、もちろん言葉の意味と主体が大きく違う以上、万能ではなくて、「主体性を育む教育」という言葉がすでに主体性を奪ってしまうがために、ジレンマを抱えながら使い方を模索していかないといけない。
February 13, 2024 at 2:05 PM
「その人らしく」という言葉はとても重層的で、その使い方に悩んでいる。
February 13, 2024 at 12:05 PM
This is so Twitter-like UI. Nice. Better than Threads.
July 28, 2023 at 3:29 PM