Chandra
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ちゃんどらと言います　イベ告知したり支部に何かあった場合ﾆｼﾞｿｰｻｸの引越し先をお知らせする用の垢　今はほぼ一次創作置き場
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079『藤木の章⑤』
藤　木　の　章　⑤ 「そもそもあなたの言う『たった一つの真実』とやらはいったい何なのですか、藤木さん。僕は何を隠すために、あなた曰くこんなに多くの嘘を生み出しているんです？」 「あなたはご自身を指して誰かを愛することのない完全体と仰りました。それこそが大いなる偽りです。……あなたの母親は単身赴任していた夫の不倫やあなたの妹に当たる子を流産したことで精神的に不安定に。その夫も『息が詰まる生活だった』という台詞を最後にあなたの前から去っています。以降、あなたを取り巻く環境は良いものではなかった。信頼できる大人の不在は年頃の少年にさぞ響いたことでしょう。自分を目にかけてくれる大人は、どんな相手であっても救いに感じられた──それが人気のない倉庫に呼び出しては、あなたの人権を蔑ろにする行為を強いる相手だったとしても。 　この世で最も苦しい裏切りとは何か、あなたはご存知のはず。愛する者からの裏切りです。では愛する者に裏切られることが日常となっている者が己の心をどう守るか、それもまたあなたはご存知のはず。愛してなどいないと思い込むことです。自分も相手を愛していない。愛してない相手から酷い扱いを受けたところで、どうでもいい」 「藤木さんの大した想像力には本当に感心させられます」 「えぇ、私の話の多くは想像に過ぎない。ですが今回ばかりは皮肉かな証拠がある」 　と藤木が机上に差し出したスマホ。彼が画面をタップすると、通話中を示すアイコンが表示された。『荒垣くん、ぼくね』荒垣の顔色が変わったのはその瞬間だった。 「てめェ裏切ったな！！」刃物のように目を吊り上げて吐き捨てる。「おれが今まで散々目をかけてやったのを忘れやがったのか、このノータリン！　てめぇみたいなノロマを切り捨てないだけで相当な温情だってのに、それを、それをこんな形で」『ぼくね、きみがゆったとおりに、なに聞かれてもこたえなかったよ』叩きつけた拳によってテーブルにはコーヒーが飛び散っていた。荒垣はそれを見つめて沈黙する。……自身の失態に気づいたようだった。 「矛盾してますね、荒垣さん」無骨な視線が藤木に向く。「何者も愛さないというあなたは、あなた曰くノータリンでノロマの幼馴染に、つい昔の自分が顔を出すほど心を開いているらしい。無敵で完全体であるはずのあなたは、かつて慕っていた『先生』の元へ荒垣の娘と同じように会いに行った挙句、『先生』の物真似までして──」スマホが胸ポケットへ戻される。「特に危害を加えるでもなく、その自宅を後にしている」…… 「本題に戻りましょう。あなたがなぜ、ここまで多くの嘘を作り上げたのか」「……五月蝿ぇな」「否定ですよ。あなたは自分が先祖のような、いえ人類の多くに見られるような、たかだか愛着に振り回される愚かな存在であることを否定したかった。ゆえに決して他者を愛さない怪物の象徴として"はなちゃん"を生み出し、自身も怪物の一部として振る舞うことで己の人間性を否定した。怪しい御伽話で現実を煙に巻き、あなたという人間性の証拠を覆い隠した」………… 「否定したがってんのはあんた……あなたでしょう、藤木さん」荒垣は瞬きせず応える。「そこまで言うなら、あなたもはなちゃんに会えばいい。……はなちゃん」カップの中身が静かに波打つ。窓の外からは、踏み切りの音が。「はなちゃん」小刻みに表面の振動するテーブルを藤木は一瞥した。「はなちゃん」 　かちゃんっ。 「……はなちゃん？」 　不安定な形で皿に置いていたマドラーが滑り落ち、荒垣が首を傾げた。「はなちゃん」無音。「はなちゃん」無音。「はなちゃん。はなちゃん！」 　無音。 　親から急に手を振り払われた子どものように、彼は幾度となく呼びかける。けれどその声以外に響くものはなく、こめかみを掻いた荒垣は、心なしかやつれた顔を上げ── 　とんでもない怪物でも目撃したかのように、人智を超えた現象にでも遭遇したかのように。神の降臨でも浴びたかのように、眼を、見開いた。 「おまえ、まさか、まさか────みなみちゃんか？」
November 22, 2025 at 11:17 AM
078『藤木の章④』
藤　木　の　章　④ 「嫌な事件でした」と藤木は続ける。「ある少年が遊んでいる最中に事故に遭い、視力を失う結果になりました。彼の事故現場に居合わせていた友人は精神が不安定な状態にあり『ボクがのろった』『ボクの好きな子みんなにバラしたから、だからのろった』と譫言のように繰り返すばかりです。同日、警視庁が公表する行方不明者一覧ウェブサイトがハッキングを受け、情報改竄の被害に遭いました。ネットでは該当箇所が切り取られ、面白半分に拡散されていますよ。 　結果として『あつひこくん』は不可解な失踪を遂げたことになっています。ですがこれは誤りです。あつひこくんは失踪したのではなく、事故死です。目の見えない彼を危険な場所へ誘き出した加害者がいる。間違ってもウェブサイトで公表されていたような、人智を超えた事件ではありません。明確な人の悪意によるものです。 　最近、ある知人から相談を受けましてね。その方の母親は高齢なこともあって視力がひどく衰えているのですが、琴教室を営む程度には元気でした。ところが近頃、妙なことを仰るそうです。自分の家族が何者かにすり替われている、とか……。ついに痴呆症の始まりかとご家族も覚悟を固めていたところ、驚きの事実が発覚しました。 　彼女が日頃口をつけていたミネラルウォーター。薬物が検出されたそうですよ。 　知らず知らず薬物を摂取したことで、せん妄を発症していたわけです。となるとこのミネラルウォーターの出所が問題になる。少なくともご家族に覚えはなく、本人は段ボール箱に積まれていたその水をご家族の購入品だと思い、疑いもせず口をつけていた。目の見えないのを良いことに、悪意ある土産を彼女の元へ置いていった何者かが存在するわけです。なにしろ出入りが多い教室ですから、誰だかまでは掴めない。仕方なく琴教室を休業したそうですよ。 　この良からぬものを加えた水について、荒垣さん、あなたは心当たりがあるのではないですか」 「僕は不思議でならないですよ、藤木さん！　あなたほど想像力豊かな方が、こう考えないのはなぜだろう？ 　人は多種多様な嘘をつくが、嘘をつく動機はただ一つ。 　この場合の嘘はむしろ、あなたが今説明した傷害事件の方だと」 「…………」 「何を言っているかまるでわからないという顔ですね」 　荒垣は好青年のように笑った。 「つまりね藤木さん、薬物の混入したミネラルウォーターやあつひこくんの件、一見物語の綻びに見えるそれらの事件こそ、むしろ釣り糸なのでは？　昔からよく言うじゃないですか、怪談をすると本当に怪しいものが寄ってくる……ただの廃墟が気づけば心霊写真の常連、肝試しスポットになったとたんにね。あなたの仰る通り、木を隠すなら森の中ですよ。ホンモノにとってその手の作り話はとてもよくできた隠れ蓑なんです。 　藤木さん、あなたみたいに無から筋道を見つけ出すのがお得意な方が、この発想に行きつかないなどありましょうか？　いいえ、ありえません。あなたは意図的に可能性を排除している。僕の身辺を調べきったならわかるはず、これほど多くの証言があるとなればあなたの仰る現実的で常識的な解釈の方がむしろ難しいと！ 　教えてください藤木さん、あなたはどうして目の前の事実を頑なに否定するんです？」 「退屈なほど当たり前な話ですよ、荒垣さん。 　私は奇妙な体験談を集めることが生きがいですが、いわゆるオバケなんてものがこの世に存在しないことは、誰よりもわかっているんです。 　私がそんなもの一度も目撃したことがないのですから」 「……ははははははっ！」 　荒垣は涙が出るほど笑ってから、ぎょろりと藤木を見た。 「なるほどな。つまりあなたの目撃によってこの物語の真相は決定されるわけだ……ははは、お気になさらず、こちらの話です。みなみちゃんには言わないでくださいね」
November 21, 2025 at 3:11 AM
077『藤木の章③』
藤　木　の　章　③ 「正直、ご先祖さまたちのことは愚かだと思っています」荒垣は四つ目のガムシロップをコーヒーに垂らす。中身を掻き混ぜるマドラーとカップのふちがぶつかり金属チックな音を立て、テーブルクロスにセピア色の染みを一つ残した。青褪めた唇はそれでも優雅にカップへ吸いつく。 「僕の家系は今まで娘しか産まれなかったそうです。だからでしょうか、せっかくの特別な血を無駄にするようなことばかりしていた。 　人を愛するから憎むし、愛しているから憎みきれない。 　産まれついての怪物の素質があるにも関わらず、それを全うできず海に還る。全ての道から外れた者として万人に不幸を降らすことより、その孤独を慰めることを選んでしまう。哀れなことです。宝の持ち腐れです。 　その点、僕とはなちゃんは無敵だ。 　誰かを愛してしまう前に若くして死ぬことで完全性を手に入れたはなちゃんと、この血筋唯一の男として、決して誰かを愛することのない完全体として産まれた僕とが合わされば、ここに完璧な災いが誕生する。災いの化身として村へ舞い戻っておきながら結局平蔵には手をかけなかった荒垣の娘を発端とし、脈々と続いてきた矛盾性の輪から今度こそ抜け出せる。運良く怪物性に開花しながらも最後は何者かの手を取り海へ還ることを選んでしまった先祖代々の失態を、僕たちだけが拭える」 「なるほど。あなたは自分の中にある憎悪をはなちゃんと呼んでいるんですね」 「……はい？」荒垣は梟じみた目で藤木を見守る。それからまたにこりと笑った。 「藤木さんははなちゃんが僕の頭の中にしか存在しないものだと考えている」 「それ以外どう解釈しろと」 「奇妙な人だ。藤木さん、あなたが僕を追い始めたのは、あなた自身が奇怪な出来事の数々を目撃したからじゃありませんか」 　藤木は荒垣から目を逸らさない。笑顔を知らない子供のように。 「私が調査を始めたのは、類稀なる想像力で人をたぶらかす悪徳詐欺師を取っちめるためです。私の趣味を今後も心行くまで楽しむには、現実に人をその手に手段で害する輩を排除しなくてはなりませんから。 　私がこう言えば、あなたのような人は『調べたならあなたもよくよくご存知のはず、僕の身の回りで起こっている超常的出来事の数々を……』そう仰るでしょう。荒垣さん、確かにあなたの身辺を調べるととても現実とは思えない、それでいて嘘八百とも思えないリアリスティックな怪奇話が溢れています。アイコウモール『ＦＵＳＹＯＵ』の奇妙なアルバイト求人情報に始まり、不思議なアナウンス、虫食いのようなフロアガイド、ゴミ出し時の不穏な注意書き……たった一店舗にどうしてこれほど胡乱な噂が集まるのか。本当に人智を超えた存在がそこにいるのだと、信じたくなるほどです。 　ですが荒垣さん、これらは所詮伝聞なんです。誰かが誰かから聞いた、あるいは思い出し思い出し語った、人の頭の中にしか存在しない物語。当時の求人情報を印刷された広告に始まり、アナウンスの録音、フロアガイドの写真、実際に貼られていた注意書き……私はその他多くの実物を入手していますが、これらも全て改竄可能な物体です。それを加工できる適切な人手さえあれば、適切な人材を集める求心力さえあればね」 「藤木さん、あなたはつまりこう考えているわけですね？　あのファミレスを起点として流布された全ての話が、僕の創作物であると。僕はそのリアリティを高めるために、僕を先生と慕ってやまない皆さんを使い証拠の捏造まで行ったと。おかしな話です。どんな理由があって、僕はそんな面倒な真似をするんです？」 「木を隠すなら森の中ですよ。人は多種多様な嘘をつきますが、嘘をつく動機はただ一つ。 　たった一つの真実を、隠し通すためです。 　あなたにまつわる全ての物語が『みなみちゃんに言わないで』その一言で締めくくられるようにね」
November 20, 2025 at 3:10 AM
076『藤木の章②』
藤　木　の　章　② 「小学生の頃、担任の先生が殺されたんです。驚きましたよ。校外学習で行ったショッピングモールのお手洗いからの帰り、手を繋いでいた僕の目の前で襲われたんですから。 　最初は可哀想だと思いました。でも後々、先生がどういう人だったか知ったんです。当時こそ評判の良い教師だったものの、学生時代は酷いいじめっ子、以前赴任していた学校では何か問題を起こして転任・降格になった経歴もあるようでした。 　だから、はなちゃんに鼻を、皮膚を、髪を、腕を、太腿を。獲られちゃったのも、仕方ないと思います。 　ずっと不思議でした。あの女の子はなぜあのファミレスでふらふらしているんだろう。彼女のことを知りたくて、同級生を連れて何かとファミレスに入り浸ってましたよ。やがて気づいたんです。彼女が僕の母親とよく似ていることに。 　僕は母のアルバムから、その女の子が僕の伯母であることを知りました。 　だから僕は母を、はなちゃんの土台にしてあげたんです。 　僕には特別な血が流れている。僕の母にも、生前のはなちゃんにも。磯っぽい涙味のする、深淵なる血です。母の肉、僕の血、そして仇の皮を重ね合わせたはなちゃんは、先祖返り的に怪物としての血を濃いものにし、その一途な恨みを沸騰するような憎しみへと昇華してくれました。 　僕はこの世界を天国に変えるため、はなちゃんをみんなに知ってもらうことにしました。はなちゃんには元々そういう力があったんです。あのファミレスの店長がその顕れです。僕はあの男を一目見た瞬間、彼は人間ではないと悟りましたよ。アレははなちゃんが引き寄せた海に棲むものです。そいつに皮を取られた男本人はというと、地獄に落ちたようですね。はなちゃんの元へなんとか辿り着こうとエスカレーターを走っていたあの下劣な女と共に、醒めない悪夢の中にいることでしょう。祝祭への道は万人に拓かれていますが、はなちゃんが嫌がるものは地獄に落ちてもらうしかありません。 　皆、自分の意思で天国への扉を開けました。俗世のしがらみで苦しまずに済むからです。代わりに自分の皮を被ってこの世を歩んでくれる身代わりがいるからです。確かに、それを自分で選んだわけではない者も中にはいるかもしれません。仕方ないことです。はなちゃんは口の軽い子が好きじゃない。あなたの言うあつひこくんという少年は、まだ自分でろくにものも考えられない年頃でしたが、なにしろ口が軽かった。その目で視たものを、言ってはならない相手に言う可能性があった。だから天国へ送り出さなくてはならなかった。邪魔な守護霊は僕の力を以てすれば簡単に引き剥がせます。 　替えは山ほどあった。わざわざ呼び寄せましたから。そのせいで津波が起こり、例の村は壊滅状態に陥りましたが。そんなこと誰が気にかけますか。 　皮を与えなければ揺蕩うだけに過ぎない生き物である彼らは、目印に呼ばれてやってきます。赤ん坊を抱える母親の形をした印です。元は、荒垣の血筋を示す印でした。 　赤ん坊の子孫には人外の血が流れてますから。この世ならざるものへ先祖返り的に変貌する者もいた。先祖に似たのかな、大抵は惚れた腫れたがきっかけでした。 　この世ならざるものへ変貌したものを鎮める手段として、その目印を使っていたようです。人でなしは人でなし同士で揃うと気が落ち着くんでしょうか？　目印によって海に棲むものが寄ってくると、荒ぶっていた荒垣の血筋も落ち着き、いつの間にか諸共海へ還っているそうです。 　だが、はなちゃんに還らせはしない。 　はなちゃんは決して消えることのない憎しみとして永久に遺り続ける。この世界そのものになってもらう。 　ですから、藤木さん。僕らの邪魔をしないでください。あなたが僕らを、僕の教え子たちを嗅ぎ回っていることは彼らの目を通じて知っていました。なので僕自らあなたを招待し、あなたの求めているものを教えてあげました。これが全てです。これが真実です。これ以上のものはもうここにはありません。わかったらお引き取りください。そしてくれぐれも、この話をみなみちゃんに言わないでください」
November 19, 2025 at 3:10 AM
075『藤木の章①』
藤　木　の　章　① 「始まりはやはり、平蔵という男にあったように思います。このどうしようもない人でなしに、荒垣の娘は哀れにも心底惚れてしまった。結果として冷たい海の底へ放り捨てられることになる。ところが岸に漂着したのかそれともどこぞの船に拾われたのか、彼女は幸いにも生き残るんです。 　生還したらしたで二度と平蔵と会わなければ良いものを、彼女は再び彼のもとへ舞い戻ってしまう。ええ、自分を棄てた男へ一泡吹かせたかったのでしょう。これだから男女の間柄は面倒です。愛にせよ愛から変質した憎しみにせよ、踏まなければ良い轍を自ら踏みにいくという点では共通していますから。 　娘は今度こそ本当に殺害される。海から還ってきたものと関わってはならないという平蔵にとって都合の良すぎる言い伝えがその地にあったことが運の尽きでした。 　本当に奇妙な話ですが、平蔵は娘を真実愛していたのではないかと私は思うのです。彼は娘から永遠の愛、のようなもの、を向けられることを求めていた。実際、この地には奇習が残っているんですよ。『おまえが先にひとの赤ん坊を奪ったのだからおまえの赤ん坊をどんな目に遭わされても仕方ない』そんな理屈で、妊婦に酷い仕打ちをするようになったのです。もっと言えばその地に産まれた子孫全員が、自分は罰されて当然の存在だと信じ込むようになった。自分たちの先祖が娘に酷い真似をしたという自覚が彼らになければ、即ち真相を知っていなければ起こり得ない現象です。そして元となる真相を知る者はこの物語にたった一人しか存在しない。ええ、平蔵本人です。 　海から還ってきたものを死なせることは村人にとっては悪行には成り得ませんから。全ては明かさないにしろ、それが酷い行為であったと彼自身が周知しなければ村人にも罪悪感は芽生えないのです。平蔵はここにきて自らを省み、娘を哀れんだのでしょうか？　いえいえ、彼のような男がそんな感情抱くわけがありません。思うに、期待していたんですよ。恨み辛みは巨大であるほど、そこに元あった愛も巨大であった証左になりますから。平蔵は娘からの怨念を絶対化することで、そうまでなるほどあの娘は俺を愛していたのだと悦に浸っていたのです」 「あなたの話には登場人物が一人欠けています」 　荒垣と名乗る青年はコーヒーの香りを味わいながら言った。その様子を藤木は静かに見守る。 「藤木さん、あなたほど好奇心旺盛な方なら耳にしているはず。海に棲むものですよ。 　娘は平蔵に殺されかけたあと、海に棲む何かと出会った。故郷へ戻った際に連れていた赤子は、人外との間にこしらえた赤子です。娘の故郷に狂気的な習慣が根付いたのは平蔵の下らない感情によるものではありません。人ならざるものの血を引いた赤子の力がそうさせたのです。あなたの集めた話も、娘の連れ帰った赤子がどうなったかは奇妙に省かれているでしょう？　決して語り得ない出来事が起きた証拠ですよ……」 「もちろん海に棲むものについての伝承はお聞きしています」 　藤木は突き返すように言った。 「しかし私が今回話したいのはあくまで現実に即した話であって、フィクションについてではないのです」 「……藤木さん、あなたは先ほどコイントスやじゃんけんの怪について教えてくれたじゃありませんか。この世には常識で測りきれないものが存在すると、あなたも知っているんでしょう？」 「それは人伝てに聞いたエピソードを披露しただけであって、真実であると信じ込んでいるわけではありません。私はその手の非現実的な話が大好物ですが、その手の話で人心を操る人物が大嫌いでもあるんですよ、荒垣さん」 「……ばかちゃなあ」 　荒垣は口角を上げて呟くと、藤木の返事を待たず続けた。 「いいですよ。あなたのしたい話をしましょう。僕はなんでも話しますとも、みなみちゃんに言わない限りはね……あはははは……」
November 18, 2025 at 3:10 AM
074『口の中』
「あなたが最期に視るものです」 　歳を取るに連れ、だんだんと視力も衰えていきました。今ではもう盲と変わらない有様、しかし目の見えない代わりに耳はかえって鋭敏になったようでして。朝夕一度ずつ、私を気遣った家族が挨拶に来るのですが、床板の軋み具合で誰の足音かわかるほどです。 　さて、そんな私には近頃心配事が一つあります。目が見えないとはいえ頭と足腰はしっかりしているこの私、小さいながらもお琴の教室を営んでいるのですけれど、生徒さんの一人がある日こう仰ったんです。 『先生、お外に変な男がいます』 『変とはどういうことか、説明してくださるかしら』 『一人で棒立ちして、何もないのに笑っているんです』 　そんなの、あなた方には聞こえない自然の音色や香りを楽しんでいるだけかもしれないじゃないの。と思いつつ、生徒さんが不安がるものですから外を覗くと、塀の向こうに確かに誰か立っているようなんです。身じろぎする、わずかな衣擦れが聞こえましたから。 『なにあれ……』 『なんか、怖い……』 　しかし生徒さんが何を怖がっているか私にはさっぱりわかりません。そりゃあ男とやらがこの家への侵入を試みていれば私も危険と判断しますけど、聞くにどうもその様子はない。こちらへ危うい視線を投げかけているわけでもなさそうなのです。 　されど男が立っていることは事実ですから、念のため、私室で仕事をしている私の息子を呼んでくるよう生徒さんに頼んだ、そのときでした。 『あっ動いた』 『先生、あの男どっかに行ったみたいです。良かったあ』 　空気がほっと緩んだのを感じました。しかし私はその瞬間にむしろ、奇妙な事実に気づいてしまったのです。 　……なんだ、この足音は。 　男とやらが遠のいていることは、足音から私も感じ取っていました。その足音が妙なのです。水風船でも歩いているようと言いますか……常人の足音とわずかに、けれどもはっきり違う。革靴のものと思しき靴音に混じって存在するはずの筋肉の弾力のようなものが、からきし無い。まるで人の皮に、液体だけ詰めたような……。 　なぜこの話をしたかと申しますとね。一ヶ月前のことです。稽古の時間が近づくと生徒さんが我が家の廊下を歩いてやってくるのですが、その際、あの水風船のような足音を再び耳にしたからなのです。 　気のせいだと思いました。けれども生徒さんの一人が歩くたび、明らかにその水風船の足音がする。常人は気づかないであろう、わずかな異変。それでいて話しかけてみると返ってくる声は、確かに本人のもの。私も混乱して、稽古後は何も言わず生徒さんを見送りました。 　以来、稽古のたび、水風船の足音は増えています。 　どの方も様子は以前と変わりないのです。でも、違うのです。私、恐ろしくなってしまって……生徒さんには申し訳ないですけれど、稽古はしばらくお休みすることにしました。 　そんな私を心配して、家族は朝夕一度ずつ、声をかけに来ます。 　その足音が水風船の足音に変わったのは、いったいいつからでしょう。 　この家には人間ではないものが住んでいる。家族のふりをした何かが住んでいる。私がそれを訴えたところで誰が信じるでしょう。私にしか聞こえない、わずかな足音の変化だけで……。息子も、娘も、息子の嫁も、私の弟も。全員、声や会話の様子は以前とまったく変わりないのですから。 　あぁ……。 　みなみちゃんには、どうか、どうか、ご内密に願います……。
November 17, 2025 at 3:11 AM
073『「仕方ない」』
『一名死亡の住宅火災は不審火か　近隣でポスター燃える異変も』 　×月×日未明、△△区で住宅が燃えていると通報がありました。 　火は約五時間後に消し止められましたが、木造の住宅は全焼。焼け跡から一人の遺体が見つかりました。 　司法解剖の結果、死亡したのはこの住宅に住む◯◯さん、死因は一酸化炭素中毒だと分かりました。 ◯◯さんの親族 「失火するような不始末はない、しっかりした子でした。でも、起こってしまったものは仕方ないですね」 　警察は放火の可能性も視野に捜査しています。 　わたしの家は変な決まりがあってね。はなちゃんっていう女の子がうちに住んでるっていうテイなんだけど、えっとほんとに住んでるわけじゃなくて、住んでるってテイなだけ。そういうテイで、ゲームがはじまるんだ。 　王様ゲームの亜種みたいな。ここで言う王様がはなちゃんで、わたしたちは彼女のお願いを聞かなきゃいけないの。適当な入れ物に適当な命令書いた紙を入れて、くじ引きみたいに一人一人引いてさ。そのはなちゃんからの命令、いやお願いには、絶対従わなきゃいけないルールなんだけど、あくまでゲームだからさ。従わなくても酷い罰ゲームが待ってるわけじゃない。ブーイングはあるだろうけど、ウン、根本的にはみんなでわいわい遊ぶだけ。 　中学生の頃は、家族と折り合いが悪かった。ゲームにも不参加貫いてたよ、親が呼びに来ても「ほんッと気色悪いんだけど！　はなちゃんって何！？」……我ながらムカつくガキだったね。それが、これといって明確なきっかけがあったわけじゃないけどさ。だんだんと雪解けてったっていうか？　ま、そういうもんだよね。わたしも妹も、ぶつくさ文句言いつつもゲームに参加するようになった。それで半年前に爺ちゃんが死んだんだけど。 　えっとだから、はなちゃんからのお願いでうちの爺ちゃんが死んだんだ。 　嘘じゃないよほんとだよ。えっと自殺。えっと首吊り。うん、家族みんな泣いた。でもはなちゃんのお願いだからね、仕方ないよ。 　いや？　ただのゲームだよ、ゲームで人が死ぬわけないじゃん。お願いを無視しても酷い罰ゲームがあるわけじゃない。ただ、そう、爺ちゃんにとってはちょうどよかったんだと思う。 　今日はついにね、わたしに死んでほしいってはなちゃんからのお願いがあってここへ来たんだ。死ぬのはヤだけどお願いだからねー。別に強制されてるとかじゃないよ、わたしがしたくてするだけ。面倒だけど、ちょうどよかったし。 　きみに会いにきたのは、きみにも是非このゲームを楽しんでほしいと思ったからなんだ。 　五円玉はありますか。 　どうも。 　それじゃ、……はい。 　表だ。表が出たね？　まぁ裏だろうとどっちでも良かったんだけど、せっかく表が出たんだし……表が出たのできみの家にもはなちゃんが来ます！　そういうことにしておきましょう。だから一緒に毎日ゲームを楽しんでね毎日あのファミレスに遊びに行ってね毎日ジンジャーエールを飲んでねおしぼりで手を拭いてねホットソースをハンバーグにかけてねそしたらはなちゃんはなちゃんね降りてくるからね。 　そしたら、もう…… 　辛いことも無くなるから。 　これってなんて言うの？ 　極楽？ 　天国？ 　祝祭、とか？ 　わからないけど。それってきみが言うほど悪いものでもない。だって決めてもらえるんだもん。理由を与えてもらえるんだもん。何の因果もなく酷い目に遭ったり不幸になったりせずに済むんだよ。ちゃんと理由があって不幸になれるの。それって幸せなことじゃないかな。違う？　そっかー、わたしにはわからないや。どうせもうすぐ死ぬし、考えたところで意味ないしねー。 　てか今から死ぬし。 　じゃっ。 　みなみちゃんにだけは言わないでね！
November 16, 2025 at 6:47 AM
072『海の家』
海の家 七月一日オープン！ 夏の思い出作りにぴったりな設備が完備されています。 飲食スペース　あり シャワー　あり ロッカー　あり 更衣室　あり 休憩所　あり 皮　あり 　海水浴へ向かってる最中だったんです。ほら、今、夏休みでしょう。子どもが遊びに行きたいってうるさくてねえ、落ち落ち仕事もしてられませんよ、ははっ。 　海水浴場は駐車場から五分ほど歩いた場所にあります。うん、ちょっと冷や汗が出るくらいの日本晴れ。こわいですよー、子どもの熱中症は突然、やってきますからね。自分でも自分の状態を把握できないんでしょう、さっきまであんなに元気に走ってたのが、急にぱたっと倒れたりする。走るなよー、水飲めよー、塩飴舐めろよー、私はもうずっとその繰り返しです。そういう妖怪みたいでした。ははっ。 　ですから、そこで販売されていた水も一応買っておいたんです。自前のも持ってきていましたが、念のため。 　売り子をしているのは、海の家のスタッフであろう麦わら帽のお兄さん。なにしろ自販機よりも安くてね。目の前でサーファーがぐびぐび飲んでました。 　子どもはしばらく水遊びしたあと、砂の城を作りはじめました。ラッキー、これで休めるぞと、私はパラソルの影に腰を下ろしたんです。そこで先ほど買った水を思い出しました。 　ペットボトルの中で水が揺れて、きらきらと光っていました。 　不思議ですよね。レジャーシートの上に静置していたのに、水面がゆらゆら。今はパラソルの下、反射する太陽光もそう差し込んでいないはずなのに、きらきら。 　じっと観察してると、さらに気づいたんです。 　この水、なんだかとろみがついてるように見えるな…… 　だんだんと、私は奇妙な妄想に包み込まれていました。 　この水は水のふりをしているだけで、何か別の生き物なのではないか？ 　はははっ、ほんとに変な妄想ですよね。なぜそんなことを考えたんでしょう。水のふりをした別の生き物って、具体的になんなのか。まぁ、とにかく当時の私はそう考えた。そうとしか考えられなくなった。 　だから、たまたま足元を横切った蟹に、ペットボトルの中身をほんの少し垂らしたんです。 　蟹は慌てたように横歩きを速め、かと思えば泡を吹いてひっくり返り、動かなくなり…… 　縦に歩いていきました。 　……私はペットボトルのキャップを固く閉め、この水を販売していた青年のもとへ向かったんです。 　あるだけ水を買い込みました。 　重たくはありませんでしたよ、いっぺんに買い込んだわけではなく、一本買ってはきっちり空にして、また買いに行く、を繰り返してましたから。 　きらきら、きらきら。光る海辺で遊ぶ海水浴客を、私は見守りました。 　蟹があんなふうになるのを見たら、次に気になるものは決まってるじゃないですか。 　待てども待てども、期待した変化は起こりませんでしたけどね。 　がっかりしながら子どもを連れ帰ったのを覚えています。 　ええ、子どもも海で遊んでましたよ。当たり前でしょう、遊ばせるために連れて行ったんですから。ま、一緒に海に入るのは、私は遠慮させてもらいましたが。タオルで子どもの体を拭くときも、あまり水には触れないようにしてました笑 　何がおかしいんです？　私だってたまには好奇心のままに振る舞ったっていいじゃないですか。それともなんです、大人にはその権利もないと？　親は一生、子供の奴隷？ 　そうじゃないって言うならどういう意味なんです。 　どういう意味。なあ。答えろよ。 　熱中症なんかかかってません。頭はおかしくなってません。水分はしっかり摂りましたから。ペットボトルの中身のきらきらに気づく前に、ちゃんと飲みましたから…… 　 みなみちゃんには言わないでください。はい。
November 15, 2025 at 5:01 AM
071『催眠療法』
　今回、大きなトラブルを抱えていたわけではないのですが、心の安定のために、また催眠療法に興味もあって、受診することにしました。 　受診してみると、驚きました。自分の頭の中とはとても思えない光景が、鮮明に広がっているんです。その夢の中で、私は、丸鷄の調理を行っていました。丸鷄の内臓を取り出して、ぺしゃんこになった皮の中へ、水を注いでいるんです。コップ一杯の水です。私はそれを見て、満足しました。壁にあった鏡を見ると、なぜか私は、日焼けした男性の姿でした。とても笑顔でした。目が醒めて、先生に夢で見た光景を伝えると、それは生まれ変わりの象徴である、と教えていただきました。私は前世で、鏡に写っていた男性だったようです。性格が男っぽいと、昔からよく言われますし、納得しました。 　催眠療法によって、夢の中で見るものは、毎回同じとは限らないようです。今度はもっと別のが見られるかな？　また受診したいです。 先生からのコメント: 　生まれ変わりの象徴とお伝えしたのは貴方に前世があるということではなく、これから生まれ変わるという意味ですよ。 　夢を見てたんです。夢の中でおれは、ショッピングモールのスタッフなんです。そこには奇妙な習慣が一つあって、ゴミ置き場で赤いゴミ袋を発見したら、すぐに上司に知らせないといけない。そしてゴミ袋の中身に、"処置"しないといけない。 "処置"はいろいろ複雑で、しかも他言無用をきつく言いつけられてます。一応、詳細をまとめた冊子が事務所に保管してありますが。 　おれはそのルールを、こっそり破ってるんです。 　もう何度も赤いゴミ袋を発見してますが、一度も上に報告したことはありません。もちろん"処置"も。勝手に燃やしてます。すると不思議なことに、上司や同僚といった周りの人間が、ぼーっとしていくんです。言葉が覚束なくなって、目の焦点も合わなくなって。毎日職場にやってきて業務だけをこなす。まるで人形です。 　しかも変な話、頭が徐々に縮んでるんですよ。最終的にはみかん大にまで縮んで、ぺちゃっと皮だけが残る。中身を吸い出されてるようです。 　……怖いですか？ 　そうですよね、普通、怖いんだ。 　でも、おれは楽しくって仕方ないんです。 　皮だけになっても数日経つと、みんな何事もなかったみたいに復活します。業務をこなす様子は以前と変わりません。しかし性格や言動は、人が変わったようなんです。怒りっぽかった人がにこにことして、おそろしいくらいに機嫌が良い。 　おれの気まぐれは、そんなふうにして着々と夢の中の職場を侵食していきました。だからおれも気分が良かったのかもしれません。おれは特別仕事ができるわけではないですし、人間関係だって得意じゃない。いつも目立たないよう息を潜めてる。こうやって自分の選択で周りが変化するのは、影の支配者にでもなったようで、心地良かったんです。 　現実では、赤いゴミ袋が現れることはありませんし、おれが陰の支配者なんてことも無いわけですしね。 　毎日、毎日、鬱憤をためて、夢の中で気のおかしくなった同僚を見て溜飲を下げる。その繰り返しです。 　朝、目が覚めると、毎回がっかりするんです。あぁまたつまらない一日が始まるんだ、ってね。今日も夢と現実の乖離に泣きたい気持ちになりながら、出勤の支度をして、家を出ました。良い天気ですよ。泣けるくらい。それで涙をぐっとこらえて職場に足を踏み入れるとね、 　おれがいるんです。 　ですから、おれが仕事してるんです。にこにこにこにこ、嘘みたいに良い笑顔。おれってこんなに笑えるんだと感心しちまいましたよ。 　おれ、なんか安心しちゃってねえ。ああこうしておれの代わりにわらってくれるおれが存在するのであれば、おれはもうしんどい思いしてまで耐えなくていいんだ、って。 　だからそのまま引き返しました。 　行く宛も決まらないままふらふら歩いていると、ふと思ったんです。 　おれが存在している。 　おれとは別に、おれが存在している。 　なら、今こうして喋ってるおれはなんなのだろう。 　夢の中のまるきり別人になっていた同僚たちを思い出すんです。本当はみんなもこうして職場に足を運んで、そこでにこにこわらってる自分を発見して、じゃあもういいやと引き返したのかもしれない。 　そのあとはどこに向かったんでしょう。 　みんなは、頭がみかんみたいに縮んでましたけど。 　おれは今、どういう状態なんでしょう？ 　……みなみちゃんには言わないでください。
November 14, 2025 at 3:13 AM
070『あつひこくん失踪事件』
融合の可能性を排除できない事案に係る方々 ここに掲載されているのは、ファミリーレストランＦＵＳＹＯＵによる融合の可能性を排除できない行方不明者五十四名のうち、家族等の同意を得て掲載されている方々の一覧表です。名前をクリックすると、都道府県警察のウェブサイト上に掲載されているその方に関する詳細な内容が表示されます。 ・ ・ ・ あつひこくん（９） →×月×日××時、病院で目の治療を受けていた最中、突如として抜毛、手足及び頭部の収縮の症状が見られました。最終的にはみかん大にまで頭部が縮みましたが、本人の意識は明瞭としており、症状の自覚はありませんでした。その後頭部が落下し、胴体が消失。そのまま行方不明となりました。 　ボクんちの近くに、行ったらのろわれるとうわさのファミレスがあった。 　あっちゃんの奴はそこに行ってしまったらしい。 　家族でご飯に行くことになって、逆らえなかったんだって。 　のろいのファミレスは、チーズインハンバーグは美味しくて、店員さんの制服は巫女さんみたいでカワイかったって話だ。 　なんかずるい。 　のろわれるのはゴメンだけど、なんかずるい。 　そんなわけでのろいを解かないといけなくなったあっちゃんは、解呪の方法をネットでたくさん調べた。全部試したし、ボクも手伝った。 　結果として、あっちゃんに憑いてるっていう女の人は消えた。 　うん、そういうのがあっちゃんちに出入りしてたらしい。 　ある日突然見知らぬ人が自分んちでご飯を食べて、寝泊まりして、パパもママもそれを当然みたいに受け入れるって、想像するだけでかなり怖い話だ。 　知らない女の人から解放されたあっちゃんは、代わりに無数のおとこに見張られるようになった。やべー。 　あっちゃんはネットで見つけた解呪の方法をがむしゃらにこなした。 　なにしろ成功例が存在してしまったものだから、今回だって上手くいく、と強迫的に思い込むようになったのだ。 　でも、どれを試したって無数のおとこは消えるばかりか増えている。 　あっちゃんはどんどん頭が参って、よけい、こののろいをどうにかする方法は絶対に絶対に存在すると執着するようになった。 　今日、あっちゃんはネットで見つけた"他人の視線が気にならなくなるおまじない"を決行した。 　もう無数のおとこたちをどうにかするのは諦めて、そもそも自分が奴らを認識できなくなればいいって考えたらしい。 　実際、それは成功した。あっちゃんは「もう何も見えない！」と目元に包帯を巻いた状態で手を広げて喜んでいる。 　目の見えないあっちゃんは気づいてない。 　あっちゃんがそちらを認識しなくなったとたん、男たちは笑顔で、あっちゃんの頭へストローを刺した。 　そしてちゅうちゅうちゅうちゅう、吸った。 　でもボクは何も言わない。 　あっちゃんには一年前にボクの好きな子をみんなの前でバラした日から、ずっと死んでほしかったから。 　それでボクは解呪の方法って名目で様々なのろわれる方法をネットに流した。 　あっちゃんがやっと"他人の視線が気にならなくなるおまじない"を見つけてくれたときは嬉しかった。 　ともだちの好きな子を平気でバラすヤツ、どうせみなみちゃんには言ってはいけないことも漏らしてしまうに違いないからこれで正解だ。 　振り返ってみるとボクは好きな子をバラされたことは恨んでいても死んでほしいとまでは思ってなかった気がするけど、 　ある日見知らぬ女のひとがボクの前に現れてから急激にあっちゃんをころしてやりたいと願うようになった気もするけど、 　どうでもいい。 　今はただただあっちゃんに死んでほしい。 　あっちゃん死んで。 　死んでね。 　みなみちゃんには言わないままね。
November 13, 2025 at 3:11 AM
069『クチコミ』
★★★★ 安くて美味い。落ち着く。 　》》この度はご来店、並びに高評価いただきありがとうございます。スタッフ一同、お客様にご満足いただけるサービスを提供できるよう、今後とも精進いたします。またのお越しをお待ちしています。 ★★ ボンゴレパスタがメニューからなくなった　もう行く価値ない 　》》この度はご来店、並びにクチコミ投稿ありがとうございます。お客様のご期待に添えず申し訳ありません。スタッフ一同、お客様のご期待に添えるよう精一杯努力いたしますので、またのお越しをお待ちしています。 ★ 客がみんなご飯も食べずに私を見てきます。どうにかしてください 　》》自業自得です ★暇な主婦の食い倒れブログ★ ちょっと良いことがあったので、アイコウモールまでお出かけしました〜。 お昼ご飯は、「何食べる？」と息子と散々迷った末に、ＦＵＳＹＯＵに決定。息子も私も大の洋食好き！　ここならお値段も高くないので、お腹いっぱい食べられます。 さっそく入店したのですが、着席早々、な〜んか変な感じ……これといった理由はないのに落ち着かない気持ちになります。これが更年期ってやつですかね？ 「この順番で食べると、呪われるらしい」 息子がメニューを指しながらそんなことを言いました。どうも学校でそんな噂が流行ってるみたいですね。懐かしいな〜。私も学生時代はこっくりさんとかやってました。あれ、ほんとに指動くんですよね！　どういう仕組みなんだろ？ 注文を済ませたのち、しばらく…… 美味しそうな匂いがやってきました〜。 【画像】 お腹ぺこぺこだったので、私も息子もあっという間にペロリ。特に息子は、さすが育ち盛り、よく食べる！　「ほんとに呪われるかなぁ？」と心配しながら、＊＊＊、△△△、×××の順に食べてました。デザートの◯◯◯も欠かさずにね！ それからです。奇妙な視線に気づいたのは。 はじめは気のせいだと思ったんです。ふとした瞬間に顔を上げると、周りの客がぱっと顔を逸らす。店を出たあともそれが続くんです。何気なく周りに目を遣るたび、通行人が私から視線を逸らす。犬も、猫も、道端に貼ってあるポスターも。動画の中で喋る著名人も。みんな逸らす。みんな私を監視してる。私は呪われてしまいました。あのファミレスのせいです。あの店で＊＊＊、△△△、×××、◯◯◯の順に食べてから、私はおかしくなりました。私は息子がいると思い込むようになりました。息子がその順番で食べたのです。だから私は呪われて、私の前には息子が現れるようになった。よく日焼けした顔で、四十代になります。名前も知らない息子は日々どこからか、呪われる方法を調べてきては私に実践します。もう耐えられません。私は死にます。このブログをご覧になっている方はどうか、どうか、ＦＵＳＹＯＵで＊＊＊、△△△、×××、◯◯◯の順に食すことだけはおやめください。生半可な気持ちで試さないでください。この呪いは本物です。 今まで応援いただき、ありがとうございました。 コメント　１件 ３４ｍａａａａ: 順番は関係ないですよ〜 お店の存在を知った時点ではじまってます！
November 12, 2025 at 3:12 AM
068『莨晁ｨ?』
「この話、みなみちゃんに伝えてよー」 　くじ引きをしてたんです。何かの会社のイベントのようでした。ほら、携帯会社なんか道端でよくやってるでしょう。ガラガラとか、インスタント麺の掴み取りとか、そんな小さな催しです。 　挑戦してみると、運良く三等が当たりまして。景品はお米でした。意外とありがたいんだよなぁこういうの、と思いつつ景品を待っていたときです。「くじ引きやってんじゃん！」そんなやかましい声が後ろから聞こえまして。 　若者が三人、にやにや笑いながら近づいてきたんです。「一等Switchだってよ！」「当たるまでやるべ」嫌な感じのする連中でした。くじ引き係のお姉さんにも「すんませんね〜。コイツらデカくて、邪魔でしょ」反応に困る絡み方して。……それを口に出す勇気は、わたしには無いんですがね。 　申し訳ないですが、できるだけ影を薄くして、スタッフの方がお米を持ってくるのを今か今かと待ち侘びていました。「じゃ引くわ」「おまえダメだよ運ねぇじゃん、オレが引く」「は。おれほど運強いやつ見たことねーよ抽選全部当たるし」「言ってろ」言い合いながら、リーダー格らしき一人の青年がくじ引きに手を突っ込んだんです。がさがさがさっ、乱暴な手つきで中をまさぐっている気配がしました。「オメ長すぎるわさっさと引け」「うっせカス」くじ引き係のお姉さんも苦笑いですよ。 　青年はやっと手を引き抜くと、にやけ面のまま、くじを開いたんです 　その顔色がさっと変わりました。 「はっ……。え？　は？」 　見るからに狼狽している彼を見て、そのお仲間が「えガチ一等？　Switch？？」とくじをひったくりました。内容を確認すると、青年ほどじゃありませんが目を点にしています。残りの一人が「なに、ハズレ？　何等？」と横から覗き込み、訝しげな表情をしました。 「『言わないでと言ったのに』……なにこれ？」 　どうも予想しない言葉がそこにはあったらしい。「おねーさん、これどういう意味？」とお仲間が話しかけている隣で、例の青年はなぜか青褪めた顔で棒立ちしている。 「言わないでと、ゆったのにねえ」 　……くじ引き係のお姉さん。ガムでも噛むみたいに口をゆっくり動かして言うんです。 「言わないでと、ゆったのにねえ」 「……ちげェだろ！！　なんでオレなんだよ！　言ったのは別の奴っしょ！？」 　とつぜん青年が怒鳴ったものですから、わたしも、彼のお仲間もぽかんとしてしまいました。「オレじゃないだろ！！　オレじゃないだろ！！　オレじゃないだろ！！」青年はお姉さんへ怒鳴り続けて、当のお姉さんはにこにこ、いやにやにや、笑顔を崩さない。「言わないでとゆったのに、言ったんだから。どうなっても仕方ないねえ」 　彼、奇声を発して走り出しちゃったんです。「お、おい！？」お仲間も慌てて追いかけていきました。わたしだけが唖然として立ち尽くしていると、 「景品のお米五キロでーす！」 　……わたしは米袋を抱え、日が沈みかけの帰り道を歩きました。考えるのは例の青年のことです。彼は何をああも怯えていたのでしょう。何を言ってしまったのでしょう。「言っちゃ　だめですからね」……くじ引き係のお姉さん、あのあと私に向かって言ったんです。「言っちゃ　だめですよ」 「みなみちゃんには　言っちゃだめですよ」 　みなみちゃんとは誰なんでしょう。具体的に、何を言ってはいけないんでしょう。わからないです。つい口をついてしまうことも、そうとは知らず"みなみちゃん"なる人物に漏らしてしまうこともあるかもしれない。はて、わたしはなぜこうも真剣に考えて……あれ？ 　わたし、今、何について考えていたんだっけ？ 　……うーん、思い出せません。とりあえず、みなみちゃんには言わないでください。
November 11, 2025 at 3:09 AM
067『注文表』
注文票 人数　２名 品目　コーヒー 数量　66 【「書き間違い？　二人分しか注文されていないはずですよ」とメモされている】 「じゃんけんをしているそうなんですよ」 　藤木と名乗る男はそう語った。 「以前仕事で知り合った女性から伺った話です。彼女は住んでいる建物の窓から交差点を見下ろすのが習慣だったのですが、あるときそこに奇妙な女学生を見かけた。通行人の後ろでチョキやパー、グーを出す、つまり一人じゃんけんをしているのです。そして女学生が道行く人道行く人全員にグーを出した日、奇しくも交通事故で大勢が負傷した。 　その後交差点へ供え物をしに向かった女性の目を介して、例の女学生はどうも人間ではなかったようだと語られます。 　人間ではない女学生。彼女のする一人じゃんけん。「グー」と交通事故。ここで一つの解釈が導かれる。この女学生は、じゃんけんによって何か予言めいたものを示しているのでは？　グーとは即ち、不幸の予兆であるのでは？ 　ある村では、毎年誰が村八分になるか決める奇祭がありました。語り手は熱を出してこの祭りに欠席する。結果として、夜中、他人の家の前でコイントスをする見知らぬ連中にはち合わせる。さらには、このコイントスで「表」が出た家の者が村八分対象となることが後程明かされる。 　これらの話は二つとも、じゃんけんやコイントスといった単純な遊びで人の運命が決定される点で共通しています。そしてその決定が、一方的に行われてるという点でも。 　たとえば我々がこの出来事の一部始終を目撃すると、じゃんけんで「グー」を出されることを回避しようとするでしょう。コイントスで「表」だけは出ないよう祈るでしょう。そもそもそんな交差点や村に近づかないかもしれない。しかし、それで忌避すべき未来を本質的に退けることはできないのです。 　いいですか。じゃんけんにせよ、コイントスにせよ、この二つの話には、その意味を一方的に決定する者が存在しているのです。 　その者の根城とする場所へ赴かなければ良い、で済む話ではないのです。じゃんけんで「グー」が出ると、予言か宣告かいずれにせよ不幸が起こる。それはチョキでもパーでも構わないわけですよ。つまり、その何者かがグーで事を呼び寄せたいときはグーに意味を与えているのかもしれないし、チョキでそうしたいときはチョキに意味を与えているのかもしれない。ええそうですね、だとするとじゃんけんという行為そのものに意味がない。さらに言うと、じゃんけんの話では女学生が最後に「大きな絵に適当にはっつけたシール」と形容されているのです。そこに人間のふりをした人でなしがいて、じゃんけんを装って勝手に運命を予言あるいは決定している、という一連の行為すら偽装工作である可能性が浮上してきませんか？　より巨大な視座、この話の語り手をも含む一枚画を眺め、勝手に筆を書き足している者が存在するとは考えられませんか？ 　コイントスにしても同じです。コイントスの表裏、それどころか村の祭りと合わせて犠牲者を決定するという一連の決まり事も、そのときたまたまそういうルールで遊んでいるだけであり、本当はもっと巨大なボードゲームの上で駒を進めている者が存在するのかもしれない。となると、その手の出来事にはち合わせないようにすること自体が、どれほど無意味か、おわかりいただけるでしょう？ 　ところで今のお話。あなたはどう思われますか？ 　荒垣さん」 「……そうですねえ」 　対面のソファに浅く腰かけている藤木は一見若々しいが、照明の光によって顔面に刻まれた陰影が実年齢を物語っている。僕より二回り以上は歳上だろう。 　藤木との間に横たわるローテーブル、その上の中古ボードゲームに置いていた駒を、僕はピンッと指で跳ね飛ばす。 「コイントスやじゃんけんといった遊びはどれもよく似ていると、僕は思います。 　そういった遊びは、ただただ楽しい。それだけなんです。 　……みなみちゃんには言えないですがね、ふふっ」
November 10, 2025 at 3:12 AM
066『グー』
「コイントスやじゃんけんといった遊びはどれもよく似ていると、僕は思います」 　趣味？　……前は人間観察だったかなあ。ほら、ここ、下の交差点が窓から見えるでしょ？　あたし在宅ワークだから、気分転換にこっからよく眺めてたんだ。あはっ、気持ち良くはないよね！　あたしも自分が見られてたらと思うと、やな気分になるもん。 　今まで見た中で、一番印象に残ってる光景？　……三ヶ月前かな。ぼーっと交差点を眺めてると、ある女の子がずっとうろうろしてることに気づいたの。学校サボったのかな？　平日の、お昼の時間。学生服姿だった。 　その女の子、人のあとを尾け回してるんだ。サラリーマンのあとをふらふら尾いてったかと思えば、くるっと方向転換して今度はOLふうお姉さんの後ろをうろうろ。何が面白いって、その子、尾いてった相手の後ろでチョキしてるの。チョキのときもあれば、グーのときもあるし、パーのときもある。ちょっと変な子かも。でも、いいじゃんいいじゃん、変でいいじゃん。あたしだって学生時代は変わり者扱いで、いつもひとりだった。でも今はこうして楽しくやってるんだ。勝手に、応援する気持ちになってたね。 　あるとき、女の子が全員にグーを出してたの。尾いてく人尾いてく人の後ろでこう、拳を突き出してさ。ふぅ〜ん、今日はみんなグーの気分なのね。って眺めてたら、 　車が何台もすっ転んできて、みんな巻き込まれちゃった。 　ニュースにもなったでしょ。そうそれ。唖然としたね。人があんなふうになってるの、見たことがない。しばらくは窓に近づくのも嫌になってたよ。 　数日が経って、ふと思ったんだ。あの女の子。あの子もやっぱり巻き込まれちゃったんだろうか。最後に立ってた位置的には、確実……。それを思うと心が沈んだ。他人だとしても、人が死ぬのは胸が痛い。特に毎日見てた相手が急にいなくなるのは、自分の生活の一部が欠けたようだった。向こうはあたしなんか知らないのに、変な話だけどね。 　ずっと見ないふりしてたけど、踏ん切りつけたくてさ。交差点にお花を供えに行こうと思った。あの交差点、この建物の玄関とは反対方向にあるの。それほど通る道でもなければ、通るとしても仕事の都合で大体夜。お昼に出かけるのは久しぶりだった。 　花を買って、みんながお供物してるところにあたしも行った。そしたらびっくり、 　あの女の子がいたの。 　えっと、良いことだよね。死んでなかったんだもん。なのになんでこんな歯切れが悪いのかって言うと、上から交差点を眺めてた頃には気づいてなかったことに、気づいちゃったからなんだ。 　その子、首だけ異様に長いの。 　頭二つ三つ分抜けるくらい。上から見てたんじゃわからないよね。そんな目を引く姿なのに、誰も見向きもしないんだ。チョキ、パー、チョキ、チョキ、パー……通行人を尾け回してそんなことしてる女の子に、ガン見とまではいかなくても、チラッと見る人くらいいるはずじゃん？　でも、いないの。ていうかみんな、気づいてすらいない。 　しかも……縦に長いだけじゃなくて、なんか、薄っぺらいんだよ。 　女の子の形に切り抜いた厚紙が歩いてる、みたいな。ごめん、なんて言ったらいいかわかんない。ほんとに紙が歩いてるわけじゃない、けど、明らかに周りから浮いてる。 　あたし、ぼーっとしてた。これはなんだろう？　って思って。あたしが今見てるこれは、なんだろう？ 　するとね、女の子がぴたっと立ち止まって。 　ぺらー……と剥がれはじめた。 　もうわかんないわかんない。町全体が大きな絵で、その上に適当にはっつけてたシールが剥がれはじめちゃったみたいな。あたし花捨てて速攻で帰ったから、そのあとどうなったか知らないけど。一日経って、おそるおそる窓を覗いたりはした。でも女の子はいなかった。二回目の確認はできてない。あんな勇気、二度は出せないよ……。 　帰り、気をつけてね。あの交差点通るんでしょ。……初めて見かけたのは三ヶ月前って言ったじゃん？　何の前触れもなかったよ。ああいうのって、突然現れるんだよ。だから気をつけて。それしか言えなくてごめん。みなみちゃんには言わないでね。
November 9, 2025 at 5:29 AM
065『伝言』
「夏期講習だるー……てか聞いた？　この話。アイコウモールのFUSYOUってフェミレスであった話なんだけどさ……」 　聞いたことがあるんす。みなみちゃんには言わないでって。 　えっと、怪談みたいな？　友だちとそういう話になることあるっしょ、この間肝試し行ってさぁ、みたいな。オレ友だち多いから、そーいう話けっこう溜まるんす。で、あるとき気づいた。 　みんな同じ言葉で終わってるなー、って。 　んーと。みんな言うんすよ。みなみちゃんには言わないでって。みなみちゃんって誰？　オレそんな名前の友だちいねぇし。いやいちいち突っ込まないっしょ、みなみちゃんが誰とかさ。だるいじゃんいちいち、アゲアシ？　とか取ってくるヤツ。てっきりオレの友だちの誰かの名前をみなみちゃんと間違えてるか、ホントにみなみちゃんてヤツがいてオレとソイツが友だちだって間違えて覚えてるんだろなって。そー聞き流してたんす。 　でも、あるときぱったり気づいた。 　アレ？　さすがに全員勘違いしてるのはおかしくね？ 　……それでねえ、オレ。 　ジッケン、してみたんすよ。 　この話、みなみちゃんに伝えてよーって。 　みなみちゃんには言うなって伝えられてるわけじゃないですか。だったら、みなみちゃんに言ったらどうなるんだろう？　オレ、友だちから聞いた話を、そのまんま別の友だちに話したんす。最後の「みなみちゃんには言わないで」を「みなみちゃんに言っといて」に変えて。 　ナニソレーって笑ってました。そりゃそうすよね。みなみちゃんって知人がいるわけでもないですし。そこはもうゴリ押しっす。とにかく、みなみちゃんってヤツに今の話を伝えてほしい。みなみちゃんなら誰でもいいから、って。 　んーと。 　どうも、伝わったらしいすね。 　知り合いの知り合いの知り合いに、みなみちゃん、いたらしくて。そのまんま伝えたんですって。人伝てっすから多少は話変わってるでしょうけど、そこはどうでもいーです。オレが気になってンのは、みなみちゃんに言ったあとどうなるんだろうってこと。 　んーとね。 　その子、いなくなっちゃったんすよね。 　えっとだから、みなみちゃんに直接伝えた子っす。いなくなったというか、いなくなっていってるというか。変な話なんすけど、これ聞いたばっかの頃は、はっきりしてたんです。その子がなんていう子で、どういうふうにみなみちゃんに話を伝えて、その後どうなったか。オレも友だちも聞いたはずなんです。 　なのに、どんどんぼやけてく。忘れてるとかじゃなくて、確かに名前を知ってたはずなのに思い出せなくなって、確かにその塾にいたはずなのに名簿から消えて、確かにみんなその子を知ってたはずなのに、知らないって言う。 　その子の結末も、詳しく覚えてたはずなんです。てか、こんな内容忘れらんねー、って思ったこを覚えてます。なのに、それをころっと忘れてる。 　今はもう、塾から帰ってる最中に……いや、自分んちに到着したあとだったかな。ほら思い出せない。とにかく、塾が終わったあと、何かがあった。それだけを覚えてるんです。これもそのうち忘れるんでしょーねー。 　こんなこと、ぜったい普通じゃないっしょ。気になるじゃないですか。結局、みなみちゃんに言うとどうなるんだよ？　だから、今、話してるんです。 　忘れちゃうならもう一回同じことすればいいだけっすよねえ。 　だから、この話。 　ぜーったい、みなみちゃんに言っといてください！ 　みなみちゃんには言わないで、ね……。
November 8, 2025 at 3:49 AM
064『塾③』
【業務日報】 【日付】　×月×日 【教科】　数学Ⅱ ・ ・ ・ 【生活態度】 　生徒間で何か噂話が出回っているようです。授業に支障はありませんが、念のため。 　良い子ですよ。あの塾で初めて話しかけてくれたのも彼女でした。話が合って、学校終わりに待ち合わせて一緒に遊ぶこともありました。友達にだって紹介しましたよ。気の合う子って簡単に見つかるものでもないですし、特にあの塾……変な子、多くて。 　最初はそうでもなかったんですけど……段々と、気づいちゃって。Aちゃんって知ってますか。はい、あの目立つ子です。以前はたまに話してたんですけど、最近はあんまり……ていうのも、Aちゃんのおうちちょっと変だって、話してるうちに気づいたんです。ご飯もお風呂も終わったあと、家族全員でファミレスに行くそうなんです。いやあの、そう、そうなんですけど、そういうのじゃなくて。どう言ったら伝わるかな…… 　うん、わかります。おうちによって習慣ってそれぞれですよね。ちょっと変な習慣の一つや二つ当たり前にあります。うちだっておならしちゃったときに「失礼！」って言わなきゃいけないし……そういうんじゃなくて。そういうのじゃないんです。 　うちのおならの件に比べたら、家族でファミレスに行ってぼーッとすることくらい、なんともないように思えるかもしれませんが……たとえば、この塾に通ってる全員の家でその習慣があるとなったら、話、変わってくるでしょう。 　全員なんです。全員、寝る前に、家族みんなでファミレスへ行くそうなんです。それも同じファミレスなんです。チェーン店の別店舗、とかじゃなくて、間違いなく同じ店舗に。中には片道一時間かけて通ってる子もいます。それでいてみんな、お互いに認識してないんです。えっとだから、全員が同じ時間帯に同じ店に通ってたら、一組か二組は絶対すれ違うはずでしょ。なのにみんな、会ったことがない素ぶりなんです。会うはずがないと信じきっているというか。ファミレスの話が同じタイミングで出たとしても、へぇ、あなたのおうちにはそんな習慣があるんだね、みたいな、初めて聞いたような顔をするんです。毎回。 　揶揄われてるかもですね。そうだったらいいですね。でも、どうしてでしょう。証拠なんかないのに、みんな本当に行ってるんだろうなあって思っちゃう。 　二ヶ月前になりますか。ある晩、道端でAちゃんとたまたま会ったんです。私、一応挨拶しようと思って。向こうはご家族といるようでしたけど、思いきり正面から歩いてきたから……気づかないふりするのも難しくて。 　それで、声をかけようしたときですよ。Aちゃん私に肩ぶつけて、なんにも見えないみたいにそのまま歩いてっちゃったんです。 　感じ悪いって思います？　思いますよね。私も最初は思いました。はい、態度があんまりだったのでつい振り返って、そのとき気づいたんです。 　Aちゃん、裸足だ。 　土だらけで、たぶん、擦り傷も……。Aちゃんだけじゃないです。Aちゃんと並んで歩いてるお父さんお母さんらしき人も、みんな同じ。裸足で、何の会話も何の感情もなく、すたすたすたすたすた一心不乱に歩いてってる。 　そのとき思ったんです。あぁファミレスに行ってるんだ、って。 　なんででしょうね。私、不思議と直感したんです。他のみんなも同じようにファミレスに向かってること。そのファミレスの光景がすーっと思い描けました。鏡張りの壁。天井の通気口。四人席のテーブルに、おしぼりの匂い。行ったこともないのに。 　わかります。そこまで思い詰めるんだったら塾辞めたらいいのに、ってその通りですよ。でも、うち、経済的にあまり余裕がないんです。でも良い大学に入りたいんです。それにせっかく気の合う友達も見つけたんだし。気の合う子って簡単に見つかるものでもないでしょう、だから…… 　あっ、きたきた。 　おーい、はなちゃーん。 　はい、あの子がはなちゃんです。せっかくですし、あなたもお話ししていきませんか。お話ししていきましょう。ね、ね。そうしましょう。 　でもみなみちゃんには言っちゃだめですよ。
November 7, 2025 at 3:11 AM
063『ボードゲーム(中古品)』
譲渡・領収明細 【商品名】簡単神様ごっこ 【種目】ボードゲーム 【お客様ご記入欄】 (姓)三島 　俺の地元には、はこぎり様っていう神様がいましてね。年に一度、神職がこぎり様に扮して舞を踊る祭りがあるんです。舞の終盤になるとはこぎり様はたった一度、周りの誰かを指差す。その指差された人物一家はそれから一年、村八分状態になるんです。 　ご指名いただいた家庭は、火事とか、身内が死んだりとか……色々あるそうなんです。その穢れを広げないために関わりを断つって建前らしいですが、一年なんて長い期間、大なり小なり不幸は起きますよね。俺も子どもの頃思ってましたよ、大人はなんでこんな出鱈目信じるんだろうってね。 　十一歳のときでした。はこぎり様の祭りがある日は、村人は基本全員参加、少なくとも各家族から最低一人、舞を観覧しないといけない。やむを得ない事情で祭りに参加できない村人は、一晩家に篭っているか、そもそも村を出ているか、とにかくその辺をふらふらしてるのだけは許されないんです。たとえばその日熱を出していた俺を、本当に熱があるのか青年会の連中が確認しにきたほどでした。 　実際本当に熱があったんですが、その晩、どういうわけかころっと回復しましてね。まだ十一の子どもですから、家にたった一人じゃ暇なんですよ。それにしたって俺、何を考えてたんだか。そっから祭りに出ようとしたんです。 　畦道を歩いてました。すると暗闇の中、数人男が歩いてくるのが見えたんです。おっと。俺は家にいることになってますから、その辺をほっつき歩いている姿を目撃されるのは不味い。畦道を下りたところにある林に隠れ、通行人が過ぎるのを待ちました。 「どうする？」「どうしようかなぁ」男たちは呑気に雑談してました。暗いのではっきり見て取れたわけじゃありませんが、知らない顔だな、と思いました。その男たちがふと足を止め、ある一軒家を見上げたんです。急に何かを投げ上げ……受け止めてました。 　コイントスをしているようなんです。「表だ」「なら決まりだな」男たちはまた雑談しながら通り過ぎていきました。変な奴らだったなぁと思いつつ俺もそっと林を抜け、祭りへ向かったんです。目立たないようにして見物客に混ざりました。すると、例の舞の終盤になって、あっと驚くものを目撃したんです。 　お爺さんがはこぎり様に指差されてました。そのお爺さん、さっき道端で見かけた男たちが立ち止まった一軒家の家主なんですよ。 　やなもの見ちゃったなあって。あの男たちはきっと、今年指差す相手を探しに歩いていた青年会の連中でしょう。にしてもあんな軽く決めてるなんて。 　もう結果だけ見てさっさと自宅に戻ったんですが。布団に入って横になっていると、ふと、違和感を覚えたんです。 　先ほど見かけたコイントスの連中。明かりもない夜道のことですから断言できませんが、知らない顔でした。 　ですが、この田舎に知らない顔など存在しません。 　年齢や名前はともかく顔だけなら一度は見かけたことがあるはずです。少なくともこの村の人間ならば。あの男たちは外部の人間ということでしょうか？　だとしたらもっと嫌な話だ。外の人間に指図されて、今年除け者にする村人を選んでいるなんて……。 　後日。はこぎり様の神社にこっそり忍び込み、祭殿がある部屋を覗いたんです。本当は勝手に見ちゃならない決まりなんですが。覗いた先にあったのは、一枚の古びた硬貨。それがど真ん中に転がっているのを除き、部屋はまったくのもぬけの殻でした。 　俺は中学校を卒業後、地元を飛び出したんで、真相は断言できません。ですがあの頃、親に食ってかかったことがあるんです。なぜあんな無益な儀式をするのか。はこぎり様なんて存在しないのは皆わかっているはずだろう。幼い頃目撃した男たちについても付け足して、ね。すると両親は真剣に私を叱っていたのが、急に諦めたような目で言うんです。『うちの村にははこぎり様という神様がいて、その神様との決まりで毎年誰かが不幸にならなくてはならない。全ては神様のせい。それでいいじゃないか』『それでみんなようやく納得できたんだ。神様の仕業なら仕方ない、そう思えてるんだ。ならそれでいいじゃないか』……みなみちゃんには言わないでください。
November 6, 2025 at 3:11 AM
062『塾②』
「あのファミレスなんか変でさぁ……このあいだお昼に行ったんだけど、まぁまぁ客入ってて、けっこう賑やかめだったの。お昼の時間だもん、当たり前だよね。でも、途中から私、気づいちゃったんだ。お客さん全員、なーんにも頼んでないの。なんにも注文せずに、飲み物も飲まずに同じ話を同じ表情で繰り返してるの。飾り物みたいに……」 　てかあいつだるくね？　参考書忘れたくらいで『授業を受ける意思はないということですね。なら結構です』っていや横の人に見せてもらいますつってんじゃん。なのに『やめなさい。授業を受ける気がないのにわざわざ受ける必要はありません』しねっ。まじしねっ。 　ま確かに最近忘れもの多いけどさー……あっ、あれは謝ったじゃん！　ごめんごめん、家帰ったらやること多いからさあ、つい忘れちゃうんだよ。 　えーとまずお風呂行くでしょー。スクラブして半身浴して、マッサージするでしょー。でお風呂出てスキンケアとかしてたらもう二時間だよ！　それにカレシと毎晩通話するキマリだからぁ、あっ、そっちじゃないな、ご飯の方が先だった。うちのママけっこうとろいから、ご飯も出てくんの遅いの。急に部屋掃除しろって怒られることもあるしぃ、けっこうバタバタなわけよ。で、ご飯食べてー、アイコウモールのFUSYOUに行ってー、それから家戻ってきたらもう時間も遅いわけ。 　え？　FUSYOUでご飯食べるのかって？　ううん、何もしないよ。何も注文しないし、ただ座ってるだけ。 　うち、そういうキマリなんだぁ。 　ヘンだよねぇ、ぁははっ。 　え、だから何もしないって。家族みんなお風呂とかご飯済んだら、FUSYOUっていうファミレスに行くの。わざわざ着替えたりしないよ！　ふつうに部屋着で行く。何も食べないし、喋りもしないってば。特に用事もないし。ただ席に着いて、三十分間くらいぼーっとしてんの。それからうちに帰る。 　別に思い出の場所とかじゃないよー。 　家族会議？　わざわざ夜中にファミレスでしないでしょ！ 　なんでって言われても。なんでとかなくない？　そういうキマリなんだもん。昔からそうだったってわけじゃないけど。いつからやってたか覚えてないんだよね。 　てか、なにその顔ー……別にどこの家にもあるでしょ、変なキマリくらい。 　誰がキメたかって、 　はなちゃんだけど。 　知らなーい。どこの誰なんだろね。よくあたしんちにいるけどいつからいんのか知らないし、なんでいるかも知らないしの。とにかくみんなはなちゃんって呼ぶ。 　はなちゃん、たのしいよー。いたずらっ子だけど憎めないっていうか。ママに隠れてお菓子摘み食いしたり、あたしが宿題するの邪魔してきたり、お爺ちゃんに首吊らせたり。 　え、嘘じゃないって。なんで嘘つかなきゃいけないの？　あたし、ほんとのこと言ってんだけど。 　意味わかんない。なんであんたがきれてんの。そっちが聞いてきたんじゃん。だから嘘じゃないって！　いい加減にしてよ！ 　…………。 　……………………。 　……だいじょぶ、気にしてない。あの子、なんであんなに怒ってたんだろうね。心配してたのはわかるけどさ。いきなり嘘つき呼ばわりされたら、こっちもさぁ。明日から気まずいんですけどー、ぁはははっ……。 　確かに、なんか喉乾いたねー。水、飲む？　あたし水筒あるよー。買うのももったないでしょ。いいよ、あたしそういうの気にしないから。だから、 　水。 　飲む？ 　みなみちゃんには言っちゃだめだよー、きゃはははっ……
November 5, 2025 at 3:13 AM
061『始末書』
始末書 　この度、私××××は、下記の通り就業規則に違反する行為を犯し、皆様に多大なるご迷惑をおかけしました。当該行為について、深く反省し、心からお詫び申し上げます。 【日時】　××年××月××日 【場所】　東京都××区××ビル　B2階安置所 【不始末・不祥事等の内容及び原因】 　私は、××月××日勤務中に発生した出来事について、他言無用と言い渡されていたにも関わらず、家族に漏らしてしまいました。これは、みなみちゃんに知られかねない、危険な行為でした。 【再発防止策】 　二度と同じ過ちを犯さないために、家族は消すことにしました。家族を消すにあたり、ご協力いただいた皆様には、感謝申し上げます。 　あなたはあなたを見下ろした。横転した自動車を目にするのは初めての経験だった。物珍しげに眺めたあと、下敷きになっている人物の正体に気づく。あなたは首を傾げた。それから、あなたはあなたではなくなった。 　あなたはあなたを見下ろした。急いでいる最中だったから、行手を阻まれたことを苦々しく思った。腕時計を見る。商談まで残り一時間と三十分。舌打ちする。あなたは侮蔑の念を込め、路上の物体を一瞥した。どうせ死ぬなら誰の迷惑にもならないところで死んでくれ。あなたの苛立ちをよそに、今日も空は真っ青な快晴だ。 　あなたはあなたを見下ろした。何も思わなかった。羽を広げ、餌の散らばる地上へ降り立つ。撒き散らされたポップコーンは血が付着していた。何も思わなかった。紺色の制服を着た男がやってきて、あなたを追い払う。ポップコーンの周りには三角コーンが置かれ、あなたは餌に近寄れなくなってしまった。あなたは苛立ちもせず悲しみもせず、うろうろ、うろうろ、そばで彷徨った。うろうろ、うろうろ。 　あなたは再び腕時計に目をやった。飽きもせず路上の光景を眺め、またうろうろ、うろうろ。ポップコーンの破片を啄み、これは誰だろうと首を傾げ、そして舌打ちする。赤子をあやし、期末テストの話題で盛り上がり、スマホを熱心に眺める。耳にはめたイヤフォンからは流行りのポップソングが流れている。排水溝から顔を出し、自動車の下敷きになった物体の横を素早く駆け抜けた。別の排水溝へ潜り込む。信号は青になり、アクセルを踏み込む。あなたは。あなたは。 　ただ横断歩道を歩いただけだった。 　広がる血液は排水溝へ滴り落ち、うごめく。あなたの血液に潜んでいた限りなく水に近い、しかし水ではないソレ。あなたはあなた以外になることを覚える。あなたはあなただ。だは、あなたはあなたでいたくない。ずっとそう願っていたはずだ。あなた以外の誰かもそう願っていた。よって、あなたがあなた以外となることであなたになるあなた以外の誰かにとっても、あなたは歓迎すべき事象だ。 　あなたは歩む。 　滴り、広がり続ける。 　ゆるやかに。きわやかに。 　あなたはそしてあなたを求む者たちと出会う。あなたはそのたびにあなたを分け与えてやる。あなたはもはやあなたではない。"あなたたち"だ。あなたたちの歩みは止まらない。あなたたちの使命を果たすまで。あなたたちの希う、祝祭の日まで。 　そうそれはすべてがあなたとなる日。 　あなたがすくう。あなたが満たす。あなたが溶かす。苦しみ喘ぐ民を解放する。決して癒えることのない渇きから。決して逃れることのできない輪廻から。あなたが全てを包み、覆い隠し、永遠の解放を。終わることのない宴を、今。 　この地上に！ 「可哀想に。まだ若いでしょう」 　安置所であなたの体を見下ろす若い男が言った。手元の紙に何か書き込んでいる。あなたは首を傾げ、戻した。「まさか」男が振り向いた。「先輩？」あなたの言葉を不審に思ったようだった。 　あなたは首を傾げ、戻した。 　あなたは首を傾げ、戻した。 　あなたは首を傾げ、 「可哀想なものか。これは喜劇だよ」 　男も首を傾げた。 　二人で首を傾げ、戻した。 　首を傾げ、戻した。 　鏡写しのように笑い合った。 「みなみちゃんには言わなければ良いだけだ」
November 4, 2025 at 3:11 AM
060『台本』
１　生存者との面会シーン　あなたは病院にて生存者A、生存者Bと面会する。 生存者A「FUSYOUでしょ？　よく行きますよ。安いし味も悪くないですしね。何より長居してもけっこう文句言われないんです、ははは……」 はなちゃん「女の子の死体があるんだって！」 生存者A「えっ？　女の子の死体？」 あなた「　　　」 生存者A「聞いたこともないです。あったら、大騒ぎどころの話じゃないでしょう。こわいなぁ。最近の子ってそうですよね。SNSであることないこと書き立てて。お店の迷惑になるとか考えないんですかね？　そういう悪ふざけが原因で閉店したお店なんていくらでもあるんですから、まったく……」 あなた「　　　」 はなちゃん「なんで黙ってるの？　また見て見ぬふりするの？　全部いつも通りだ、変なことなんて起きてないってまた自分に言い聞かせるの？」 あなた「 あなた「 あなた「」 「FUSYOUでしょ？　よく行きますよ。安いし味も悪くないですしね。何より長居してもけっこう文句言われないんです、ははは…… 　えっ？　女の子の死体？ 　聞いたこともないです。あったら、大騒ぎどころの話じゃないでしょう。こわいなぁ。最近の子ってそうですよね。SNSであることないこと書き立てて。お店の迷惑になるとか考えないんですかね？　そういう悪ふざけが原因で閉店したお店なんていくらでもあるんですから、まったく……」 「FUSYOU……ぁあ、あのやばい店でしょ？　アイコウモールの……。いや、近寄れないですよ。みんな噂してます。血まみれの女の子が出る、呻き声が聞こえる、そこでたむろしてたサークルが全員おかしくなった……嫌な話を挙げたらきりがないです。それくらいやばい場所なんです。あたしの知り合いで霊感ある子はみんなあそこはやばいって言います。なんでそんなやばい場所になっちゃったかは、わからないですけど……」 「はぁ。FUSYOU。さっきも話しましたよね。よく行きますが変な話なんて聞きません。お客さんも普通にいらっしゃいますし。どこかしらやばい店だったら、客足も途絶えてるはずでしょう。そうならないってことは、何もかも根も葉もない噂だってことです。まったく」 「あたしも最初は信じてませんでした。やばいやばいって言うけど別に普通の店じゃん、みんなこんな話アッサリ信じちゃって馬鹿じゃない？　って。 　馬鹿なのはあたしの方だったって、最終的には理解できたんですけど」 「馬鹿なんです。みんな馬鹿馬鹿、馬鹿ばーっかり。人の迷惑考えない馬鹿、胡乱な噂をすぐ信じる馬鹿。周りにもいましたよ、そういう人。FUSYOUに変なものが出るって聞いて、確かめるためにわざわざお店に行って、それで、死んじゃったんです」 「怖かった。友達が白目剥いて倒れてるのに、店員もお客さんもぼけーっと眺めるだけ。誰も声をかけたり、救急車呼ぼうとしないんです。なんなのこの人たち、ってあたしも半分キレてたんですけど。途中から気づいたんです。 　あれ、あたしが友達って呼んでるこの子。 　誰？」 「別に変なことなんて起きてないですよ。普通にお店に入って、普通に死んだだけ。死に場所に変も普通もないでしょ？　どこで死ぬか、予め決まってるわけでもないですし。 　確かに、『ごめんなさいごめんなさい』って言いながら急に水を吐いて、それが人間一人の胃袋に収まっていたとはとても思えない量で、しかもその水、意思があるみたいにうごうごしてましたけど。 　そんなの誰にでもあることでしょ？」 「FUSYOUってやばいらしいよ、じゃ確かめに行こうよって一緒に話した覚えはあるんですけど。この子が誰だかはちっとも思い出せないんです。あたしたちはいつ出会って、なんでそんな話をしたんだろう。 　この子、四十代くらいのおじさんなのに」 「じゃあなんですか。今起こってることは変なことだって言うんですか。今朝から嘔吐しっぱなしなんです。飲んだ覚えのない水が口から湧き出て止まらなくて、それがちょっと目を離した隙に全部消えてる。でも、こんなのよくある体調不良でしょう。別に変なことじゃない。私に起こっているのは、変なことじゃない！」 「最近思うんです。全部ハリボテだったんじゃないかって。つまり、その瞬間あたしたちの生活に"変なもの"が混じったんじゃなくて、あたしたちの生活は全部とっくにすり替わられてて、あたしはそのボロが剥がれる瞬間にたまたま立ち会っただけなんじゃないかって。ようは、みんなお飾りなんです。偽りです。人形劇みたいなもの。既に全部終わってるのに、終わってないふりをする　だって　だって 　みなみちゃんには言っちゃ　だめだから」
November 3, 2025 at 3:53 AM
059『ネットニュース』
　××日朝、◯◯区の公園で血まみれの女性が見つかり、病院に搬送されました。女性に外傷はなく、意識もはっきりしているとのことです。警察は女性が事件に巻き込まれた可能性もあるとみて捜査しています。…… 　それはどこにでも現れる。自動車から射す光を良いものと勘違いしてのこのこ車道に飛び出していった子猫の死骸。めっきり口を利かなくなった息子のために用意し、けれど結局食されることのなかった残飯、を棄てたゴミ袋。その芳しい腐敗臭に誘われ、棲みつき、卵を植えつける。卵は一週間と経たず孵り、百は下らない数で以って立ち所に世界を制圧する。「うわっ　蛆がわいてるよ」何者かがあなたの子どもたちを覗き込んで言った。あなたが棲家としていたゴミ袋の口は硬く縛られ、もう戻ることができなくなってしまったが、どうでも良い。あなたは自分の子どもたちの命運すら興味がない。あなたの頭にあるのは龍頭徹尾、次の棲家、次の食物、次の交尾相手だけだ。 　あなたは決して長くはない命の中でそこかしこを巡る。だからこそ世界の異変も感知した。それを処理し、認識する機能こそないが、感知はしていた。あなたの餌場が多いことに。『うわっ　蛆がわいてるよ』あなたの子どもを見て吐き捨てた人間が、ここでは物言わぬ肉塊となってあなたの子どもたちの揺籠と化していることに。 　顔。と呼ばれる部位が半月状に陥没している。いつぞや轢かれて死んだ子猫のきょうだいは今、その男の皮膚を舐め刮いで飢えを凌いでいる。室温は日毎に上昇し、子猫にとっては耐え難い、しかしあなたには快適な環境を与える。 　交尾に勤しんでいるあなたはところが異変を感知する。何かが接近している。何かがあなたの揺籠を、おびやかしている。 　あなたは冷たい蛇口の上にとまり、成り行きを窺った。 　ぽちょぽちょり。 　ぽちょぽちょり。 　ぽちょ　ぽちょり。 　蛇口から滴る水。あなただけでなく、あなたと番った雌たちも異変に勘づいたようだった。 　ぽちょぽちょり。 　ぽちょぽちょり。 　ぽちょり　ぽん 　ぽんっ 　ぽんっ 　締め切っているはずの蛇口と排水溝の間をいたずらに行き来する、|水のようなもの《・・・・・・・》。あなたは水が重力に従うものだと本能で知っている。ゆえにそれは水ではない。 　かつて同じものを見かけた。それは今顔面が欠けて床に横たわる人間が|そう《・・》なってしまった原因でもある。あなたはその原因たる女とこの男が母子であった事実を目撃している。理解するまでの脳はないため、目撃しているだけだ。引きこもりの息子に対し無償の愛と呼ばれるものを捧げていた女が、いかにしてその息子を死に至らしめたか。 　暑い夏の日だった。女は朝から水仕事で、汗をぽちょぽちょり流していた。ほんのり赤い顔でコップ一杯の水を汲んだ。そしてあなたがするように、あなたの仲間たちがするように、水を口に含んだ。 　飲んだだけだ。何事もなく水仕事に戻る。何も変わらない。だが、あなたも、あなたの仲間も、みな羽根を震わせた。先ほどとは何かが違うことを、察知していた。 　息子は何気なく現れた。冷蔵庫から飲み物を取り出そうとしていた。 　激しい物音。 　女は血の付着した手を台所で洗い流すと家を出ていった。二度と戻ってこなかった。死んだ子猫のきょうだいが餌皿の前で空腹を訴えても。二度と。二度と。 　子猫はじきに自分で餌を取ることを覚えた。あなたと同じように。 　奇妙で、ありふれていて、しかしやはり奇妙なその事件は、誰にも悟られず風化しようとしている。あなたはそれを気にかけない。近々自分も死ぬのだ。自分が死ぬ事実すらどうでも良い。今更思考したとて手遅れなものが、世界には山ほど存在する。 　みなみちゃんには言っちゃ、だめ。
November 2, 2025 at 5:03 AM
058『猛犬注意！』
《猛犬注意！》 《猛犬注意！》 《猛犬注意！》 《猛犬注意！》 《猛犬注意！》 《猛犬注意！》 《猛犬注意！》 《猛犬注意！》 《猛犬注意！》 《猛犬注意！》 《猛犬注意！》 《猛犬注意！》 《猛犬注意！》 《猛犬注意！》 《猛犬注意！》 《猛犬注意！》 　ごめんなさい、五月蝿いですよね。窓、閉めますね。お客さんが来ると興奮しちゃうみたいで……よいしょっと。お待たせしてすみません。じゃあ、お話しますね。 　保護司を務めている方だったんです。夫婦共に人柄が良く、悪い噂は聞きませんでした。でも近頃は様子がおかしくて……これまでお庭の手入れは欠かさなかったのに、今や雑草が生え放題。生ゴミを放置して、匂いも酷いです。 　見かねてお隣さんが訪ねたそうなんですが、玄関にも…… 《猛犬注意！》 《投函お断り！》 《防犯カメラ作動中！》 《縺ｿ縺ｪ縺ｿ縺｡繧?ｓ縺ｫ縺ｯ隧ｱ縺励∪縺帙ｓ縺碑?逕ｱ縺ｫ蜃ｺ蜈･繧贋ｸ九＆縺》 　ステッカーが山ほど貼ってあって。何が変って、そのお宅、犬なんか飼ってないんですよ。訪ねていったお隣さんも不思議に思ったそうでね。とりあえずインターフォンを押し、玄関前に立っていたんですが、待てども待てども老夫婦は現れない。 　五分は経ったでしょうか。痺れを切らして立ち去ろうとすると、庭のほうから物音が聞こえたんです。こう、ワンちゃんが芝生の上で遊んでいるような。あらっ、本当に犬を飼いはじめたのかしら、とそちらを覗くとですね、 　浅黒い肌をした中年男性が無表情で転げ回っている。 　もう、びっくりを通り越して固まるしかなかったですって。当然ですよね。 　唖然として男を眺めていると、男がぐるっとこちらを見て、 　わうわうわうわうわうッ！ 　吠え立てながら四つん這いで向かってきたんです！　もちろんお隣さんもすぐに逃げたそうですよ。噂はすぐに広がりました。通報？　しようにもね、その犬……いや、男。いつもいるわけじゃないんです。警察が近場にいるときに限って、姿を見せないんです。写真や動画にも、すばしっこくてとても捉え切れなくて……。 　ご夫婦は未だに見かけません。心配してないわけじゃありませんが、あまり関わりたくないのが本音です……昼間に姿を見せないだけで、ご存命ではあるようなので、それで充分かなって。 　いやね、夜中に庭で何か燃やしている気配がするんですよ。勝手に燃やすこと自体、違法なはずですが……みんな関わりたくなくて、何も言わないんです。匂いも酷いんですけどね……。 　なにしろ夜ですから、それがご主人かは、はっきりとは確認できないんですが。背格好で、ご主人ってことにしてます。それでいいじゃないかって。はい。 　やっぱり、変なことが起きてるんでしょうか？　変なことって言うのは、つまり……すみません、上手く言えないんですが。私たち、こう、何かしたわけじゃないじゃないでしょう。罰当たりなことをしたとか、酷く人に恨まれるようなことをしたとか。そういう人、聞いたことないですよ。件のご夫婦だって保護司に始まり、社会奉仕活動に熱心に取り組んでいたわけですし。特にご病気をしたとか、身内に不幸があったという話も聞きません。だから、なんでこんな急に？ 　すみません、世の中悪いことが起きて当然な人がいるって言いたいわけじゃないんです。不幸って、何の因果もなく起こることだってわかってます。にしたって、事故だったり自然災害だったり、あるいは土地に根差した遺恨であったり。理屈としては受け入れられるものなわけでしょう。こんな、何の前触れもなく……みんなで奇妙な出来事を共有して、見て見ぬふりする羽目になったのって、初めてで……どうしたらいいか。 　……犬が芝生の上で遊ぶような音。最近、いろんなお宅から聞こえるんです。 　ごめんなさい。五月蝿いでしょう。お客さんが来るといつもこうで。さっきご飯あげたばかりなのに。 　みなみちゃんには言わないでくださいね。
October 31, 2025 at 3:09 AM
057『玄関のステッカー』
《猛犬注意！》 《投函お断り！》 《防犯カメラ作動中！》 《みなみちゃんには話しませんご自由に出入り下さい》 　目の前の男を、私は確かに知っているのだが、見知らぬ他人のように思えた。違和感を拭い切れなかった。 　浅黒い肌に浮く、真っ白な歯列。紫の唇で作り上げる卑しい笑み。その割に瞳は獣がするような無機質な光を湛えている。 　どれもよく知っているものであるにも関わらず、今ではそのどれもが福笑いの薄っぺらいパーツとしか見えない。 「充実してますよ」 　男は嘯いた。彼が職場でうだつの上がらない中年扱いされていることが、私は不思議でならない。今でこそ冴えない中年にしか思えない彼にも、ぎらついた青年期はあったのだ。人との争いを歓迎し、犯罪まがいに金を稼ぎ、ついには前科もついた。若者は中年にもおそろしい青年時代が存在し得ることを知らず、中年が最初から中年として存在すると考えている節がある。彼の青年期を知っている私だけが、現在の彼との乖離に首を傾げる。 　初めて顔を合わせたのは二十年も前になる。彼はまだ卑しい薄ら笑いが張りついてはおらず、目を爛々と光らせ、大口を開けて笑っていた。『俺は昔から何かを怖いと感じたことがないんだ』『怖いってどんな感じだ？　楽しいか？』『いいなァ、いつか俺も遭ってみたいよ、怖いものに』彼は世界中のものを見下していた。自分を心の底から脅かすものなどこの世に存在しない。そう思っていた。法的な裁きや社会制裁すら、彼からすると本当の恐怖には成り得なかったのだ。なんと傲慢。 　その傲慢さが今では懐かしい。 　にこにこにこにこ笑う彼と改めて対面して思う。 　三島、おまえは本当の恐怖というやつに出会ってしまったのだろう。 　おまえはそうやって、危なっかしいものに首を突っ込む男だった。もとをただせば争いごとを好んだのも、犯罪まがいの行いに手を染めたのも、そのためだったんだろう。 　三島という男は確かに目の前にいる。しかし私は彼がもうこの世のどこにもいないことを悟っていた。おまえは首を突っ込みすぎたんだ。世の中、何があっても踏み込んじゃならない領域は確かに存在する。 「そちらの様子はどうです。充実していますか」 　ぁあ充実している、何匹も鴉が窓へ突進しては、庭先でぱたぱた死んでいる。死骸には蛆がわき、蝿の羽音と強い腐臭が煩わしい。妻はその状況に頭が参り、自室にこもって何日も出てこない。腐臭は妻の部屋から匂っているのかもしれない。どちらでも良いことだ。 　この男がやってきた日のことを思い出す。『久しぶりに、顔を見たくなりました』にこにこにこにこ、男は死臭を漂わせながらやってきた。それを三島と呼んで良いのかもうわからない。彼が訪れてからというもの、近所の様子が変だ。住人が私たち夫婦に奇妙な眼差しを向け、ひそひそ言葉を交わし、庭に生ゴミを投げられていることもあった。 　三島は軽い思い出話を終えると立ち去ったはずなのに、以来私は毎日三島と顔を合わせる。鏡を見ると、水面を覗くと、必ず三島と遭う。にこにこにこにこ、こちらを見つめている。その瞳を潰してやろうと私は手を伸ばすが、奴には届かない。鏡面の、水の、冷たい感触が指に伝わるばかりだ。 　庭に棄てられた生ゴミには腐りかけの、臓器のような肉が詰まっていた。処理に困って最近は夜、庭先でひそかに燃やしている。燃える生ゴミは凄まじい匂いを放つものの、不思議と胸がすっとする。そうして幾晩経たのち、妻の部屋の扉がとつぜん開いた。 　三島が出てきた。私は奴を棍棒で叩いてやろうとするが、さっと逃げられる。 　三島はもはやこの家のどこにでもいる。塀の向こうからも我が家を覗き見している。ひとの不幸が好きなのだ。庭の生ゴミも奴の仕業に違いない。奴はいったいどこからやってきたのか。どこへ帰っているのか。 　みなみちゃんには言わないでほしい。
October 30, 2025 at 1:07 PM
056『前日譚』
「店長がどういう人かって？　普通のオッサンですよ。頼りになるかって言うと、微妙ですね。スタッフにも本部の人たちにもぺこぺこして、けっこうすぐ慌てるし。本人は気づいてないかもしれないすけど、気も短いって言うか、ちょっと軽口叩かれただけで顔真っ赤にしますし(笑) あれでも耐えてるつもりなんでしょうけどね。ま、オッサンなんてみんなそんなものじゃないすか。俺はああはなりたくないっすけど。……交友関係？　さァ、彼女はいると聞きましたが、本当のとこはどうだか。確か相手は、シングルマザーって話だったような……？」 　臙脂色のリボンタイはぎとついている。それを解こうとするあなたの手を、何かが阻んだ。サランラップだ。これはサランラップの芯だ。あなたはそう考えて、そのサランラップの芯をぽっきり折ってしまう。 　遠目には清潔に見えたブラウスは、目を凝らすとところどころ汚れがあった。あなたは肩を落とす。遠くからは汚れなき少女に見えたこの人形も単なるガラクタに過ぎなかった事実に、肩を落とす。 　面倒だったので、スカートのホックは引きちぎった。下半身を包むこの紺色の布が、親指の爪ほどしか大きさのない金属プレートで守られているだけなんて。不安を誘われる代物だ。あなたは感心し、不思議がり、嘲笑う。 　中身はガラクタなのに、リボンタイ、ブラウス、スカートを身につけているだけで特別な生き物に見えるのはなぜだろう。その特別性は対象へ神秘を与えると同時に、人並みの尊厳を奪ってもいる。たとえばの話、ソレが女王として振る舞えば、あなたは傅くだろう。だが人間として少女としての一面を一瞬でも見せれば、あなたは待ってましたと言わんばかりに棍棒を振り翳すはずだ。特別なものは、あなたより優位であるうちは神であるが、その強さが一片でも欠けようものならば、一転して搾取の対象となる。 　リボンタイ、ブラウス、スカートは、若さや性別といった属性にも入れ替えて語ることができるだろう。 　中身はガラクタだ。 　ガラクタに過ぎないのだ。 　あなたがブラウスを剥くと、新聞紙などをまるめて作ってある、人形の芯が目に入った。あなたはそれを引き剥がした。力まかせに引き剥がすごとに、紙片が飛び散り、『……交差点で玉突き事故……』といった文面が目の端に映る。胃の腑から怒りが込み上げ、あなたは手の力を強める。 　こんなガラクタが。 　ガラクタのくせに。 　あなたの怒りを受け止めには、この人形は役不足だ。腹部を無惨に毟られた人形を、あなたは無関心に一瞥し、今後のことを考える。考えながら淡々と人形を解体する。既に憂さ晴らしですらない。単なる処理だ。片づけだ。 　あなたは真実を知っている。本当のことを悟っている。しかし目の前の現実を歪曲することをやめない。なぜなら、あなたは正しいからだ。あなたは正しいから、過ちを犯すことはなく、したがってあなたの犯したことは、全て正しい行為に変換される。あなたが現実を歪曲しているのではなく、現実が勝手に歪曲している。あなたはそう考えている。よってあなたに非はない。あなたは真っ当な市民だ。 　あなたは窓を開けた。アパート前の道路を、別のガラクタ人形が歩いている。臙脂色のリボンタイ。清潔そうなブラウス。紺のスカート。あなたはそれを目で追い、煙草に火をつける。捕まえはしない。そこまでの体力は残っていない。ガラクタ人形たちが耳障りな笑い声を上げながら路上を歩くのを、静かに、怒りをこらえて、眺める。 　ガラクタだ。 　全部ガラクタだ。 　明日は仕事がある。仕事は好きでも嫌いでもない。だが、仕事のない男に女はついてこない。だから仕事をする。退屈な仕事だ。それでもやらないよりはマシだ。 　あなたは明日のことを考える。明後日のことを。明々後日のことを。誰も想像のできない数年後のことを。 　日は暮れつつある。すべてが地の底へ沈む。これからのことも全て沈んでしまえばいいのにと思う。あなたを好く女。あなたを憎む女。全て沈めばいい。 　これはみなみちゃんには言ってはならない。 　決して。 　決して。
October 29, 2025 at 3:10 AM
055『シップレコーダーの記録』
これは、荒垣湾震災にて一時行方不明となっていた△△号シップレコーダーにて確認された音声記録です。△△号は一週間の信号途絶後、××沿岸部にて発見されました。乗組員の姿はありませんでした。なお、乗組員のものと合致しない一部音声につきましては、現在調査中です。 「ひかり──ひかりが見える──あそこだ、あの岩礁の向こう──違う、灯台じゃない！　見えないのか、あのひかりが！」 「惑わされるな──きっと帰れる、あのひかりを追えばウチに帰れるはずなんだ──見ろ、岸辺だ──陸だ、陸が近づいてきたぞ！」 「待て──何かおかしい、何か変だ──あれは本当に陸か？」 「＊＊＊ろ！　振り返るな、立ち止まるな、走れ！！　＊＊＊は──＊＊して、＊＊＊＊＊るんじゃない！　＊＊＊＊＊＊＊＊────」 「先生が、言うことには、それはひかり、ひかりであるからに、我々は目を開いてはならず、直視してはならず、然して目を灼くそれを、悪しきものと我々は捉えるようになったけども、実のところそうではないと、目を灼くからといってそれが悪いものであるわけではないと、強すぎるひかりもまたそこに居るものを損なってしまうのだと説かれまして、なるほどなぁと納得した次第です、 　ひとの魂も同じこと、ひとの魂が崩れるのは、ひとの魂が脆いせいであって、そこに在るものが悪いわけではない、むしろ強大なひかりたるそれを、我々は頭を垂れて迎え入れるべきなのです、と考えると、市井の反応にはがっかりするばかりでございます、そう語ったのはいったい誰だったか、個体名をはっきりさせる必要は存在せず、我々はただ我々として在る、それだけで良いのであった、良いのであった、あはははは…… 　そうこれは失くしたものの悦び、棄てたものの悦び、人間は一人一人に価値があると、そう教えられてきましたね、我々もその通りだと考えてきました、けれどそれが重荷であったことを否定できないでしょう、価値の重さイコゥール責任の重さであるからして、我々はむしろ、生に自由ではなく不自由を見出すようになった、個々の価値を語れば語るほど、我々は羽根をむしられていった、あなたもそれはよくご存知でしょう、だからここに訪れたはずです、この、祝祭に…… 　祝祭に…… 　祝祭に…… 　祝祭にににににににににに」 「みなみちゃんには言っちゃだめ」 「みなみちゃんには言っちゃだめ」 「みなみちゃんには言っちゃだめ」 「みなみちゃんには言っちゃだめ」 「みなみちゃんには言っちゃだめ」 「双子って不思議ですよね。聞いたことがありませんか？　一方が腐ったバナナを食べて食中毒で苦しんでいたら、別の場所でぴんぴんしていたはずのもう片方も腹痛に襲われる。一方が交通事故に遭って片腕を失ったら、同時刻もう一方も鉄骨の下敷きになって片腕を失う。そんな奇妙な現象が双子にはよく降りかかるそうなんです。真偽のほどは定かではありませんがね」 「みなみちゃんには言っちゃだめ」 「みなみちゃんには言っちゃだめ」 「みなみちゃんには言っちゃだめ」 「娘の考えを聞きたいの。たとえば、人間をほぼ百パーセント死に至らしめるウィルスを生み出す、破壊不可能な装置がここにあるとする。対して、ウィルスへの抗体を持つ人間も存在する。抗体を持つ人間のおかげで限定的な平穏を得てはいるけれど、当該人物が死ねば抗体ごとウィルスへの対抗策は消失してしまう。また抗体所持者は抗体を持つ自覚がなく、それを本人に知らせれば装置がフル稼働する仕組みになってるの。装置がフル稼働すれば何人死ぬかわからない。……この場合私の行動として適切なのは、そんな状態に陥ると知っておきながら抗体所持者に接触すること？　それとも抗体所持者がいつ消えるかわからないと知った上で目先の平穏を確保すること？」 「みなみちゃんには言っちゃ　だめ」
October 28, 2025 at 3:10 AM