中古パター売場の銀と黒の列に茶色が紛れていたので確保、前の2本より少し高い4,300円。コレクターにはこの渋い色味が良いんだと説教されそうですが、だいぶ汚れて緑青も出ているのでサビを落とします
中古パター売場の銀と黒の列に茶色が紛れていたので確保、前の2本より少し高い4,300円。コレクターにはこの渋い色味が良いんだと説教されそうですが、だいぶ汚れて緑青も出ているのでサビを落とします
遠出した先の中古ショップでピックアップしてきたグリップ無しの特売品
クリーニングは固着した糊を取り除くところから
遠出した先の中古ショップでピックアップしてきたグリップ無しの特売品
クリーニングは固着した糊を取り除くところから
"難あり特価品"として1,980円で入手した1980年代のクラシックなパターを磨いて刻印にインクを差し直し、芝生の上に連れ出してみた
"難あり特価品"として1,980円で入手した1980年代のクラシックなパターを磨いて刻印にインクを差し直し、芝生の上に連れ出してみた
岩代国新一宮、会津総鎮守。崇神天皇が派遣した四将軍のうち東海道と北陸道を進んだ2人が行き会った「会津」の地に創祀した伝わる。会津盆地南西の宮川に沿って広がる境内地は巨木が立ち並び古社の風格を感じる。参道を進むと1989年に造営された立派な楼門が出迎えるが、主要社殿が2008年に焼失してから本格的な再建が進まず仮社殿に留まっているが、旧本殿の苔生した基壇は無社殿の祭祀場を思わせる様相でもある。
岩代国新一宮、会津総鎮守。崇神天皇が派遣した四将軍のうち東海道と北陸道を進んだ2人が行き会った「会津」の地に創祀した伝わる。会津盆地南西の宮川に沿って広がる境内地は巨木が立ち並び古社の風格を感じる。参道を進むと1989年に造営された立派な楼門が出迎えるが、主要社殿が2008年に焼失してから本格的な再建が進まず仮社殿に留まっているが、旧本殿の苔生した基壇は無社殿の祭祀場を思わせる様相でもある。
参道を進むと随身門の大振りな「奥州一宮」の扁額が目を引く。中世以来、同じく一宮とされる馬場都々古別神社と並立して崇敬を集めてきた。参拝時は雨に濡れて深みの増した朱塗の社殿と緑のコントラストが映えて良い雰囲気だった (2024年9月)
参道を進むと随身門の大振りな「奥州一宮」の扁額が目を引く。中世以来、同じく一宮とされる馬場都々古別神社と並立して崇敬を集めてきた。参拝時は雨に濡れて深みの増した朱塗の社殿と緑のコントラストが映えて良い雰囲気だった (2024年9月)
九十九里浜南端に鎮座して1200年以上とされる古社、延喜式内名神大社。御祭神は玉依姫命(神武天皇の母)で、北条政子も安産祈願をしたと伝わります。参道を進むと小高い丘の上に黒漆塗の権現造の社殿が建っており、授与所や摂社合祀殿も周囲にまとまっているので境内を巡るのに時間は掛からないと思います。現在、御朱印は書き置きで「全国一の宮御朱印帳」(紫表紙)のみ直書きです。
九十九里浜南端に鎮座して1200年以上とされる古社、延喜式内名神大社。御祭神は玉依姫命(神武天皇の母)で、北条政子も安産祈願をしたと伝わります。参道を進むと小高い丘の上に黒漆塗の権現造の社殿が建っており、授与所や摂社合祀殿も周囲にまとまっているので境内を巡るのに時間は掛からないと思います。現在、御朱印は書き置きで「全国一の宮御朱印帳」(紫表紙)のみ直書きです。
御祭神は経津主大神。鹿島神宮とは古代の内海(香取海)を挟んだ対岸にあり、共に国譲り神話の武神、東国開拓の守り神として朝廷や将軍の篤い崇敬を受けてきました
権現造の拝殿は昭和の改築ですが本殿と良く調和しています(元禄の旧拝殿は祈祷殿に移築)
本殿は元禄13年に幕府が造営したもので檜皮葺の両流造、壁や柱は黒漆塗に彩色が施され重厚かつ豪華です
「香取」は海軍・海自の歴代艦名でもあり、練習艦「かとり」(1998年除籍)の錨が奉納されています
大鳥居から総門までの参道は緩い登りで少し距離があります。奥宮や要石は参道から外れて分かり難いかもしれません (2023年10月8日参拝)
御祭神は経津主大神。鹿島神宮とは古代の内海(香取海)を挟んだ対岸にあり、共に国譲り神話の武神、東国開拓の守り神として朝廷や将軍の篤い崇敬を受けてきました
権現造の拝殿は昭和の改築ですが本殿と良く調和しています(元禄の旧拝殿は祈祷殿に移築)
本殿は元禄13年に幕府が造営したもので檜皮葺の両流造、壁や柱は黒漆塗に彩色が施され重厚かつ豪華です
「香取」は海軍・海自の歴代艦名でもあり、練習艦「かとり」(1998年除籍)の錨が奉納されています
大鳥居から総門までの参道は緩い登りで少し距離があります。奥宮や要石は参道から外れて分かり難いかもしれません (2023年10月8日参拝)
武甕槌大神は武道の神として名高く、10月の参拝時は本殿前で奉納演武会が行われていました。境内の鹿園では神使のシカが飼われていますが、奈良 春日大社の創建に際して分霊を鹿の背に乗せて遷したと言われています。
参道の東端にある奥宮は徳川家康が奉納した旧本宮を遷したもの。ここから坂を下った御手洗池は湧水を湛えた幽玄なビジュアルが人気ですが、実際はお茶屋さんで一服する参拝客で常に賑やかな雰囲気。
更に要石まで境内を一巡すると結構歩くので所要時間は多めに見るほうが良さそうです。(2023/10/8, 2024/1/27参拝)
武甕槌大神は武道の神として名高く、10月の参拝時は本殿前で奉納演武会が行われていました。境内の鹿園では神使のシカが飼われていますが、奈良 春日大社の創建に際して分霊を鹿の背に乗せて遷したと言われています。
参道の東端にある奥宮は徳川家康が奉納した旧本宮を遷したもの。ここから坂を下った御手洗池は湧水を湛えた幽玄なビジュアルが人気ですが、実際はお茶屋さんで一服する参拝客で常に賑やかな雰囲気。
更に要石まで境内を一巡すると結構歩くので所要時間は多めに見るほうが良さそうです。(2023/10/8, 2024/1/27参拝)