「アクロバンチのキャラデザ」→「スラングルのキャラデザ」ですね、失礼しました
「アクロバンチのキャラデザ」→「スラングルのキャラデザ」ですね、失礼しました
しかし私は最初の現場での聖さん達の楽しそうな仕事ぶりを見ていましたから、基本的に脚本とはそういうものだ(笑)と、刷り込まれた気がします
自分の好きなものを好きと言っていい、そのうち誰かがきっと声をかけてくれる
聖さんにそう教わったのは私だけではないでしょう
しかし私は最初の現場での聖さん達の楽しそうな仕事ぶりを見ていましたから、基本的に脚本とはそういうものだ(笑)と、刷り込まれた気がします
自分の好きなものを好きと言っていい、そのうち誰かがきっと声をかけてくれる
聖さんにそう教わったのは私だけではないでしょう
ついでながら久保宗雄さんが書かれた3本もその個性が活かされたものです。キグラス奇襲指令は冒険小説ネタ(鷲は舞い降りた、かな)ですし、出現!! 神聖亜空獣は怪獣ものでその手があったかと驚かされたのを覚えています
聖さんも久保さんも一脚本家として埋没せずご自分の書きたいものを存分に書いていました
ついでながら久保宗雄さんが書かれた3本もその個性が活かされたものです。キグラス奇襲指令は冒険小説ネタ(鷲は舞い降りた、かな)ですし、出現!! 神聖亜空獣は怪獣ものでその手があったかと驚かされたのを覚えています
聖さんも久保さんも一脚本家として埋没せずご自分の書きたいものを存分に書いていました
タツノコ出身とは言え天野さんは当時もうご自分のスタイルに目覚めており、その絵のアニメへの移し替えの難しさはモスピーダで証明済みでした。後に「天使のたまご」が作られますがあそこまで再現してもヒットには結びつきません、地球物語においておや
タツノコ出身とは言え天野さんは当時もうご自分のスタイルに目覚めており、その絵のアニメへの移し替えの難しさはモスピーダで証明済みでした。後に「天使のたまご」が作られますがあそこまで再現してもヒットには結びつきません、地球物語においておや
34話「迷宮の少女」、これは個人的には問題作(笑)です。当時テレビアニメの人気のバロメーターは各アニメ誌の反応でしたが、スラングルは放映開始以後ほぼ無視された状態で、スタッフも気にしていました
34話「迷宮の少女」、これは個人的には問題作(笑)です。当時テレビアニメの人気のバロメーターは各アニメ誌の反応でしたが、スラングルは放映開始以後ほぼ無視された状態で、スタッフも気にしていました
15話「電子世界からの脱出」からは聖さんが自由にプロットを出しています。これは明らかに「トロン」ですが、Macやアミガを入手して活用していた聖さんらしく電脳世界のゲーム性を取り入れています
18話「 鋼鉄巨人の復活」はタロスです、弱点も同じなんじゃなかったでしたっけ。アルゴ探検隊へのオマージュは当時のマニアの嗜み、でした
19話「 怪物たちの夜」、これはスター・ウォーズの一作目で話題になったモンスターチェスの世界をアニメにしようというアイデアです。もちろんブラウン「闘技場」に加え「フリークス」の要素も入っていたかと
15話「電子世界からの脱出」からは聖さんが自由にプロットを出しています。これは明らかに「トロン」ですが、Macやアミガを入手して活用していた聖さんらしく電脳世界のゲーム性を取り入れています
18話「 鋼鉄巨人の復活」はタロスです、弱点も同じなんじゃなかったでしたっけ。アルゴ探検隊へのオマージュは当時のマニアの嗜み、でした
19話「 怪物たちの夜」、これはスター・ウォーズの一作目で話題になったモンスターチェスの世界をアニメにしようというアイデアです。もちろんブラウン「闘技場」に加え「フリークス」の要素も入っていたかと
とは言え初期の5話「G線上のゴリラ」ではバッハの曲名をサブタイでパロディにしただけで具体的な元ネタはありません(のはず
とは言え初期の5話「G線上のゴリラ」ではバッハの曲名をサブタイでパロディにしただけで具体的な元ネタはありません(のはず
さて聖さんは全体で八本の脚本を担当されています。山本優さんとその友人だった合戸陽さんに次ぐ本数ですから堂々たるローテーションの一角
さて聖さんは全体で八本の脚本を担当されています。山本優さんとその友人だった合戸陽さんに次ぐ本数ですから堂々たるローテーションの一角
聖さんがスラングルに参加されたのは今で言うSF考証的な関わりからでした。監督の四辻たかおさんとは京都のライブハウスを通じての知り合いだった‥と聞いた気がするのですが、正直京都時代のことはロックにも海外特撮にも疎かった自分は右から左に聞き流しており、正確なことは記憶していません。
覚えているのは、きっかけはバクシンガーだったと
聖さんがスラングルに参加されたのは今で言うSF考証的な関わりからでした。監督の四辻たかおさんとは京都のライブハウスを通じての知り合いだった‥と聞いた気がするのですが、正直京都時代のことはロックにも海外特撮にも疎かった自分は右から左に聞き流しており、正確なことは記憶していません。
覚えているのは、きっかけはバクシンガーだったと
後に夏目雅子で市川が書いた日曜劇場や騎馬奉行に通じる一作
後に夏目雅子で市川が書いた日曜劇場や騎馬奉行に通じる一作
内容的には当時既に衰退期にあったスポ根を、やや愚直な演技の主役にやらせる古典的な作りがどうにも古くなっており、見どころは少ないが市川の実質的最終作である「ばらもん地獄の女」はとんでもない内容で一見の価値はあるかと。
「妖術武芸帳」はこの前年タケダアワーで打ち切られた作品。この話はその妖術〜のオマージュだ
内容的には当時既に衰退期にあったスポ根を、やや愚直な演技の主役にやらせる古典的な作りがどうにも古くなっており、見どころは少ないが市川の実質的最終作である「ばらもん地獄の女」はとんでもない内容で一見の価値はあるかと。
「妖術武芸帳」はこの前年タケダアワーで打ち切られた作品。この話はその妖術〜のオマージュだ