しらふじ
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休憩所　アヴポルとスタクル。
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(2/2)
「それこそ、人の手はあたたかいものだという、おまえの思い込みだ」 　触れていないのに、丁寧に手を解き、アヴドゥルは言った。 「ポルナレフ。おまえたちを助けないという約束を破ったことも、豪勢な夕飯をおごるという約束を果たせなかったことも、わるかったと思っている。すまなかった」 　真剣な目でまっすぐにポルナレフを見るアヴドゥルに、ポルナレフは言いたかったことも抱えていた感情も行き場を失ってしまった気がした。鼻でわらい、アヴドゥルから大袈裟に目を逸らした。 「ずるいなあ、おまえ。死んだやつをまえに、おれがなにも言えるわけねえだろ」 「ずるいのは、わかっている。死に逃げをした自覚もある。申し開きのしようもない」 「そうかい」 　そう言ってポルナレフはカフェオレを一口飲んだ。甘さに、波立っていた心が鎮まっていく。 「なあ、アヴドゥル。おまえ、なんでここにいんの？」 　アヴドゥルはぱちりと瞬きをした。 「なぜ、とは……」 「おれは死んだことねえから知らねえけどさ。死んだら、てめーの信じるところに行くもんじゃねえの？　実際、両親も妹も、こうやっておれのまえには来ちゃくれなかった。なのになんでおまえはここにいるんだ？」 　アヴドゥルは困ったように首をかしげた。 「わからないんだ。行くならば、たぶんアアルなんだが、行き方がわからなくてなあ」 「アアル……？　ああ、エジプトの。なんの神かは知らねえけど、迎えとかが来るもんじゃねえの？　知らねえけど」 「まあわたしも死んだのは初めてだから勝手がわから ないのだが……腕を縫い繋いだ痛みで朦朧としていて、はっきりと意識を取り戻したときには、空港にいた。おまえが、ジョースターさんと承太郎と、別れたところを見ていた」 　ポルナレフは無意識にアヴドゥルの手をじっと見ていた。 「生きている人間にはわたしのことは見えないようだし、これからどうしたらいいかもわからないしで、それならとおまえの後を追った。まさか姿が見えて、こうやって会話もできるとは思っていなかったが」 　のろのろと視線を上げ、ポルナレフは言った。 「なんで、おれだった？　ジョースターさんや承太郎じゃなくて、おれなの、なんで」 　アヴドゥルは少し考えるように瞬きをした。 「あの二人は家族だが、おまえはひとりだろう」 「……そうだな」 「ひとりで帰れるのか、心配だった」 　ポルナレフは片眉を跳ね上げた。 「てめっ、死んでまでおれの心配かよ！　おれのこと、どこまで」 　アヴドゥルは遮るようにかぶりを振った。 「生きていたら、わたしもおまえと同じ気持ちだったと思う。帰る地はあれど、迎えてくれる人はいない。その寂しさと旅の喪失を抱えてひとりで帰るのは、きっと、かなりしんどい」 　ポルナレフは息を飲んだ。心臓が縮まったようにぎゅうと痛んだ。旅が終わり、承太郎たちとの別れが近付くにつれてのしかかっていた感情を言い当てられたと思った。だからそれを押し退けて、楽しかったことだけを、この男が言うであろう言葉を胸に、前を向こうともがいていたのだ。 「ポルナレフ」 　ポルナレフの正面で片膝をつき、アヴドゥルは言った。 「いまのわたしならば、おまえに憑いてどこにでも行ける。肩をささえることはできないが、話し相手にはなれる。きっと、いないよりマシだ。それに」 　アヴドゥルはポルナレフを見上げてほほえんだ。 「この世に未練があるとすれば、おまえの故郷が見たい。おまえという男を育んだ地を見てみたい。……わたしをフランスへ連れて行ってくれないか」 　そう言って、アヴドゥルは右手をポルナレフに差し出した。ポルナレフは茫然に近い気持ちでアヴドゥルを見つめ、それから、はっと鼻でわらった。 「バカか。プロポーズまがいのことをしてんじゃねえよ」 　もし、アヴドゥルが生きていても、同じことを言ってくれただろうか。そうしたら、もっとわらって、アヴドゥルは甘いカフェオレを、自分は甘くないカフェオレを飲みながら楽しい気持ちでフランス行きの飛行機を待っていたかもしれない。たとえ、故郷で妹がいない現実が待っていたとしても、ともに来てくれる人がいたなら、少し安心して向き合えたかもしれない。 　そんな光景を想像し、ポルナレフは頭を振った。そんなことはなんの意味もない。この現実にアヴドゥルはいない。でも、目のまえには幽霊のアヴドゥルがいて、話をしている。なんだか頭がふわふわする。そりゃそうだ。幽霊がでてくるなんて思っていなかった。いや、このアヴドゥルってのも、幻覚かもしれない。おれだけが見えてる幻覚。都合のいい思い込み。だとしたら、おれはおれが思ってるよりも心が壊れてる。わらえねえな。前を向いてるつもりなのにな。 　まあ、この際どうだっていい。たとえ幻覚であろうといま、おれが生きているのは間違いないし見えていること、聞こえていることも間違はいないのだ。 「いいぜ、アヴドゥル」 　ポルナレフはアヴドゥルの手に自分の手を乗せる仕草をした。触れ合う感触はなかったが、やはりあたた かいなと思った。 「ジャン＝ピエールさまが案内するフランス観光ツアーだぜ。パリは通るだけだしモンサンミッシェルにもニースにも行かないがな！」 　それを聞いてアヴドゥルは、それはいいとわらった。 「お願いしよう」 「ところで、さっきおれに『憑いて』って言った？『付いて』じゃなくて？」 　アヴドゥルはうなずいた。 「わたしは幽霊だしな。でも大丈夫だ、悪霊じゃあない。おまえの友人のモハメド・アヴドゥルだ」 　ポルナレフはわらって肩をすくめた。 「自分で言うかあ？　まあいいけどさ」 　甘いカフェオレを一気に飲み干した。あたたかさと安心が胸に広がった気がした。そろそろ搭乗の時間だ。 　こうして、ポルナレフとなんとも奇妙な幽霊とのフランスへの帰郷が始まった。
August 20, 2025 at 11:40 AM
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夏だし幽霊の話でもどうでしょ
アヴポル　陽気な幽霊と銀の騎士(1/2)
印刷された本の本文の体裁で画像化されたテキストです。付記に「陽気な幽霊と銀の騎士」、「しらふじ」と記載されています。 以下は本文の内容です。 　もう振り返らない。 　ここからまた新しく人生を始めるために。 　握り締めた航空券に記された搭乗口へ向かう。 　ジョセフと承太郎との別れ際に口にした言葉は本心だ。このおよそ五十日間の旅は、つらくとも楽しかった。本当に楽しかった。 　ジョセフの穏やかで豪快な笑い声、承太郎が吸っていた煙草の匂い。自分にだけはやけに生意気だった花京院の鮮やかな赤茶色の髪。歩く度にイギーの爪が地面にぶつかる音、ぷーぷーと鼻を鳴らしていたいびき。 　もう振り返らない。だけど、そういう楽しかったことは胸にしまって前を向くことはいいはずだ。悲しみや寂しさや虚無感を、嬉しさや楽しみや幸福感で薄めて生きていけ。人生とはそういうものだ。あいつならきっと、そうやっておれを励ましてくれる。 　シャルル・ド・ゴール空港行きの搭乗口の手前にあるカフェでテイクアウトのカフェオレを買う。普段はそんなことしないのになんだかそんな気分になり、ミルク多め、砂糖多めにしてみた。ロビーのいちばん端のベンチに座り、カフェオレをすする。 「……あっま」 　少し後悔したが、今日のところはわるくないと思った。搭乗までは、まだ時間がある。 　行き交う人々の気配を背中で聞く。 　いまでも、どこかでオレンジ色のローブの裾が揺れている気がする。前を行く背中で跳ねていた黒い髪がそこに見える気がする。褐色の肌に映える琥珀色の瞳がこちらを見ている気がする。 　そんなはずはないのに。だって、あいつは目の前で消えた。俺を殴り飛ばしたのを最後に、いなくなった。おもわず眉間にしわが寄る。頭を振って、カフェオレを一口飲む。甘い。ふう、と息をついて、肘掛けに肘をつき、手のひらに顎をのせた。ぱちぱちと二度瞬きをして、もういちど息をつく。 「……なあ。いくらなんでも近くねえか」 　ポルナレフがそう言うと、目の前の、やけに近くで顔を覗き込んでくる逆様になった男の顔の目が真ん丸になった。 「なッ、え、あ、え！？　見えてる！？」 　うわ、声も聞こえたよ。ポルナレフは額に手を当てた。 　よく知った顔の男は結った後ろ髪をぴょんと跳ねさせ、その図体に似合わない軽快な動きでぴょいっと飛びすさった。ただし、上下は逆だ。それに気づいたのか、空中でひょいと半回転して、足で地面に着いた。 「わ、っと、あ、え、その……見えているのか？　ほんとうに？」 　男の声は頭の中に柔らかく響くようだった。独り言なのか訊ねられているのかよく分からない抑揚だったが、ポルナレフはチャリオッツを自身に薄く投影させて声に出さずに答えた。 「たぶん」 「マジか。見えているのか。いつから」 「おれがここに座って、カフェオレ飲んでるときから。なんか胡座組んだやつが逆様になって空中に浮いてすげえ近い距離でおれのこと見てるなあって。気のせいかと思ったけど、あまりにくっきりとしてるし……なに、それでいて重力の影響あんの？　ローブも髪も、その耳飾りもひらひら垂れ下がってたからよ」 「ああ、そこは、ほら。わたしも二十うん年を重力の中で生活していたから、こういう姿勢をとればこうなるだろうという思い込みだろうな」 「へえ。そんなもんかね。そんで」 　ポルナレフは一度目線を外して、男を睨んだ。 「おまえ、本当にモハメド・アヴドゥルか？」 　死んだはずのアヴドゥルの姿形をとっている男は、片眉を上げた。 「そうだ、と言うのは簡単だが……なにをすれば信じ てくれるだろうか？」 「おまえと初めて戦った場所は？」 「香港、タイガーバームガーデン」 「名乗らせていただこう。ジャン＝ピエール・ポルナレフ」 「メルシーボークー。自己紹介、恐縮の至り」 「おまえと大喧嘩して決別した場所は？」 「インド、カルカッタ。飯屋の前」 「おまえがいないあいだ、おれが舐めたのは？」 「便器」 「なんで知ってる？」 「ジョースターさんが嬉々として話してくれた」 「男の友情とは？」 「連れション」 「あの館に入るまえ、おれがおまえに取りつけた約束は？」 「……豪勢な夕飯をおごれ」 　ポルナレフは大きな溜息をつきながら頭を抱えた。 「マジか……本物かよ……」 「信じてもらえたか」 　どことなく嬉しそうに弾んだ声に、ポルナレフは勢いよく顔を上げてアヴドゥルを睨んだ。 「てめえッ！　どの面下げておれのまえに……！」 　アヴドゥルは怯むことなく、くちびるのまえに人差し指を当てて静かにするよう指示を出す。ポルナレフははっとして黙った。おもわず声に出していた。周りの人たちがポルナレフの様子を窺うように遠巻きにこちらを見ている。 「ポルナレフ、聞いてくれ」 「なにを……」 　舌打ちをして、ちらとアヴドゥルを睨んで、その腕から目を離せなくなった。 「おまえ、その腕……」 　アヴドゥルは自分の腕を見て、ああ、という顔をし た。くちびるに指を当てたとき、ローブが下がり腕が露わになった。肘から少し下、腕に一周、焦げたような痕が点々とついていた。 「これか」 　アヴドゥルは右腕のその部分を左手で摩った。ポルナレフはおもわず下くちびるを噛んでいた。アヴドゥルに殴り飛ばされ、振り返ったときにはもう、腕しか残っていなかった。あのときの、身の内側を這い上がる強烈な冷たさを感じるのは人生で二度目だった。 「わけもわからず真っ暗闇に飲み込まれて茫然と漂っていたら、目のまえに自分の腕が現れて……掴もうにも、そのための手が目のまえにあるのだからどうしようもなくてなあ。咄嗟に〈赤い荒縄〉（レッドバインド）を細くして先を尖らせて、腕の断面に突き刺して引き寄せて、そのまま縫い合わせたんだ。普通に熱いし痛いしでびっくりした。両腕ともやらないといけなかったからキツかったな。だが、おかげで腕を取り戻せた。やろうと思えばできるものだな」 　アヴドゥルはあっけらかんと言い、わははとわらった。ポルナレフの目の前で手のひらを握ったり開いたりして見せる。ポルナレフはそれを茫然として見つめ、恐る恐ると口を開いた。 「なあ、アヴドゥル、おまえ、ほんとうに、死んだんだよな？」 　アヴドゥルは口を閉じ、ほんの少しだけ寂しそうな顔をして、左手をポルナレフに差し出した。ポルナレフはその手を掴もうとして目を見開いた。手はアヴドゥルの手をすり抜けて、かくんと下がった。ポルナレフはくちびるをぎゅうと結んだ。それからもういちど手を持ち上げ、アヴドゥルの手の上で、まるでほんとうに触れているかのようにとめた。 「……触れねえけど、あったかい気がする」 　アヴドゥルはほほえんで、指が二本欠けてしまったポルナレフの手を大事そうに包んだ。
August 20, 2025 at 11:40 AM
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(2/2)
「ひとりで戦うな、仲間を頼れって言ったのはてめーだろ。その言葉、そっくりそのまま返す」 　アヴドゥルはぼんやりとポルナレフを見上げている。 「おまえだけだろ。妹を殺されたおれの気持ちがわかるのは」 　見上げていた目を少し見開いて、アヴドゥルはくちびるをぎゅっと結んだ。手を伸ばしてポルナレフの手首を掴んで引き寄せる。ポルナレフは素直に従った。 　引き寄せたポルナレフの腰に腕を回し、腹筋あたりに顔を埋める。五秒ほど経ったころ、アヴドゥルはぶふっと噴き出して肩を震わせた。ポルナレフは怪訝な顔をしてアヴドゥルの頭頂部を見下ろした。 「……なんだよ」 「ん、ふふ……おまえ、なぜ服を着ていないんだ。んっ、ふふふ……直に肌じゃ、ベタついて、泣きづらいだろう……」 　肩を揺らしてわらい続けるアヴドゥルに片眉を上げ、ポルナレフはその肩を掴んで剥がした。なるべく目線を下げるようにしているアヴドゥルの顎を掴んで上を向かせる。 「アーヴードゥールー？」 　今度は目線をなるべく横に向けてわらうのを堪えていたが、すぐにンふっ！　と吹き出した。 「いや、すまん……ここで泣いたら、おまえの腹筋の溝に涙が流れるのだろうかと思ったら、ふふっ、なんだか、わらえてしまって……」 「てめーなあ！」 　アヴドゥルの両頬を指で摘んで伸ばし、ポルナレフも、んふっと噴き出した。 「間抜け面」 「ふまん」 「おれ、せっかくいいこと言ったのによ」 「ほうはは。ひひはほ」 　互いに顔を見つめ、ふふふっとわらった。少し安心した気持ちになって、ポルナレフはアヴドゥルの頬を両手でぱちんと挟んだ。 「元気出たか？」 「……ああ」 「それなら、おまえの母ちゃんの話を聞かせてくれよ」 　向かいのソファに座ったポルナレフに、アヴドゥルは目を丸くした。 「思い出すにもさ、少しは楽しいほうが、おまえの母ちゃんもたぶん嬉しいだろ」 　ポルナレフに摘まれた感触が残る頬を撫で、アヴドゥルはわらった。 「そうか……そうだな。いままでに母のことをだれかに話したことは、なかった気がする」 　テーブルに肘をつき、手に顎を乗せてポルナレフは訊ねた。 「美人だったか？」 「もちろん。なにせ、わたしの母さんだからな」 　夜は少しずつ丁寧に星々を滑らせながら更けていく。　 　得意げな声で言うアヴドゥルを見つめて、ポルナレフはひひっとわらった。 「そうかい」
August 17, 2025 at 11:24 AM
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ちょっとお盆の気分のはなし
アヴポル　オンブラ・マイ・フ(1/2)
印刷された本の本文の体裁で画像化されたテキストです。付記に「オンブラ・マイ・フ」、「しらふじ」と記載されています。 以下は本文の内容です。 　今日はポルナレフとアヴドゥルが同室だった。 　部屋のドアを開けたアヴドゥルに続いて部屋に入り、ポルナレフはベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。 「あー！　今日もつっかれたなあ……やっと休めるぜ」 　それからくるりと仰向けになり、目に入る白く煌々とした天井の蛍光灯の光に顔を顰めた。そういえば、アヴドゥルから小言が飛んでこない。アヴドゥルに目をやると、彼は窓の外をぼんやりと見たまま立ち尽くしていた。なにをしているんだろう。いつもならばさっさと脱いだローブをハンガーに掛けて埃を丁寧に払い、重々しい耳飾りを外しながらベッドに寝転がるポルナレフに風呂のあとにしろと言っているところだ。 　ポルナレフは肘をついて身体を起こした。 「アヴドゥル？　どうした」 　わずかに頭が揺れて、アヴドゥルは振り返った。 「いや、……すまない。なんでもないんだ」 　軽く頭を振って、少し疲れたような顔をして言った。 「ポルナレフ。先に湯を使ってくれるか」 「え、ああ……わかった。そんじゃお言葉に甘えて」 　ポルナレフは寝転がったまま勢いをつけて跳ね起きた。 「疲れてんなら、ちょっと寝たらどうだ？　あとで起こしてやるよ」 「ああ……寝ていたらたのむ」 　ポルナレフはひらりと手を振ってバスルームへと向かった。 　――ありゃ疲れてたんじゃねえな。 　ぬるいシャワーを頭から浴びながら、ポルナレフはさっきのアヴドゥルを思い返していた。 　もちろん、疲れてはいた。砂漠の気候は厳しく、今日は移動距離も長く、敵襲もあった。しかし、そういう物理的な疲れではなくあれは、心が欠けたみたいな顔だった。 　この旅には仲間がいて、みんなが互いに気を遣い合っている。その中で、旅に重大な影響を与えるようなことは除き、マイナスなことは口や態度に出さないことはうっすらと暗黙の了解になっている。だから、アヴドゥルのそういう表情は見たことがなかった。 　シャワーを止め、髪が含んだ水分を落とし、タオルで拭う。下着だけ履いて、そわりと疼く胸を抑えて浴室を出た。 　部屋に戻ると、アヴドゥルは備え付けのソファに座っていた。脱いだローブは雑に背もたれに掛けられている。アヴドゥルがもたれているから、その部分はしわになっているだろう。ポルナレフはそっと近づいた。 　耳飾りは外されていた。片方の手でその端を握り、もう片方の手は肘置きに肘をつき、頭を乗せている。その体勢でアヴドゥルは眠っていた。 　やっぱり疲れていただけなのだろうか。起こしてやると言ったのだからと肩に手を伸ばしたところでポルナレフはぎくりとした。触れる寸前で手を止めた。アヴドゥルの頬に、涙が流れた跡があった。 　やけに心臓がうるさく鳴っている。見てはいけないものを見てしまったような気分だ。気まずさ半分心配半分でポルナレフは意味もなく口を開けたり閉じたりした。今日、なにかあったっけ？　 おれなんかやべえことした？　承太郎はなんか要らねえこと言ってねえっけ？　ジョースターさんは……いや、イギーか？　それとも花京院が心配か？　ぐるぐると考えているうちに、半々だった割合が、心配のほうにぐうっと傾いた。もしかしてイヤな夢でも見てんじゃねえのか？　経験がある。疲れているときの浅い睡眠は、そういったものを見がちだ。 　ポルナレフは躊躇いなくアヴドゥルの肩を掴んで揺さぶった。 「おい、アヴドゥル。起きろよ。大丈夫か？」 　アヴドゥルはすぐにはっと目を開けた。瞼に溜まっていた涙が落ちて、腕の上を滑っていった。それをぼんやりと見て、アヴドゥルは親指の付け根で目を拭った。 「アヴドゥル」 　アヴドゥルはポルナレフの顔を見上げて、観念したというように軽く肩をすくめた。 「この近くに、昔、母と住んでいたんだ。子どものころ……十を少し越えるくらいまで」 　ポルナレフははっとして口を噤んだ。 「あれからかなり時が経って、もう平気かと思ったが、そうでもなかったな。普段は母のことなんてほとんど思い出さないのに、こういうときだけ掘り起こして、恋しいとか、つらかったとか思い出すのは薄情だなと、少し悲しくなってな」 　すっと目線を下げて、アヴドゥルは言った。自嘲しているような表情だった。 「おまえに偉そうなことを言っておいて。過去に囚われているのは、わたしのほうだ」 　ポルナレフはおもわずアヴドゥルの胸ぐらを掴んだ。アヴドゥルは驚いた顔でポルナレフを見て いる。 「違う、薄情なわけあるか、アヴドゥルのくせに、馬鹿みてえなこと言ってんじゃあねえぞ」 　あのとき、インドでひどい言い合いをしたとき、妹を殺されたおれの気持ちがおまえにわかるか、と言い放った後悔が、じわりと身の内側で熱を持って焦げる。苦さが喉から迫り上がるようだ。 「なんで、おまえは……」 　過去を振り切ったふりして強くあろうとするのかと言いかけて、ポルナレフは顔を歪めた。簡単なことだ。そうでないと生きられなかったからだ。銀の髪の端から、拭いきれなかった水分がひとつ、ぽたりと滴った。 　妹を殺され、それに歯を食いしばり復讐という目的を持って強くあろうとしたポルナレフに対し、理不尽に母を亡くしたアヴドゥルは、その事実は忘れて思い出だけを胸にしまって前を向くことで強くあろうとした。 　ただそれだけが決定的に違う、似たもの同士。だから、ポルナレフにはわかる。 「過去のつらいことなんて、そう簡単に振り切れるわけねえだろ。それを経験しちまってるんだからよ」 　言ったら、無性に悲しくなった。そんな生き方を強いられてきた自分もアヴドゥルも、ただ悲しいと思ってしまった。胸ぐらを掴んでいる、変に力が入ってしまった手をぎこちなく解く。アヴドゥルの服の胸元に強くしわが入っていた。アヴドゥルの胸元から目を逸らし、ポルナレフは手を下ろした。知らず力を入れすぎたせいで、指が痺れてだるい。それからも目を逸らして、ポルナレフはアヴドゥルに言った。
August 17, 2025 at 11:24 AM
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今はパリダカール間ではないんだけどダカールラリーパロ。いろいろ調べた上での想像だよ。雰囲気で読んでください
August 5, 2025 at 4:02 AM
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(2/2)
最後まで戦ってくれて」 　堪えられなかった涙がふたつ、膝に落ちた。つい、言葉が口をついて出た。 「なあ、アヴドゥル」 　そう声をかけて、彼がこちらを見ないことは一度もなかった。 「おれ、おまえのこと、好きだった。やっぱ、いまも」 　炎が震えた。まるで湧き上がる嬉しさにわらうみたいに。 「そうか。おまえと出会ったときから、おまえの心に炎を灯し続けた甲斐があったというものだ」 　ほっとしたような、そしてしてやったりというような声色に、ポルナレフはわらった。同時に涙も零れた。 「おまえさ。そういうのは、生きてるときに言ってくんねえとさ……」 　腕で拭って、それでもどんどん出てくるから、諦めた。 「なあ、おれもそっちに連れてって」 　炎が大きく揺れた。いちど大きく揺れて、それを落ち着けるようにふわふわと小さく震える。 「わたしの知っているポルナレフは、そんなことは――」 「わかってる！」 　遮って、ポルナレフは叫んだ。ぼたぼたと音がするほど涙が落ちた。 「おれだって、おれの知ってるアヴドゥルは、絶対に連れてってくれないことぐらいわかってる！　でも、いまだけ、言うだけはいいだろ！　こんな行き場のねえ気持ち、ずっと溜め込んでたら、破裂しちまう！　そしたらおれ、もう、立ち直れ ねえよ……」 　誰にも言えなくて、ひとりで口にもできなかった弱音本音が、涙といっしょにぼたぼたと落ちる。落ちて落ちて、それでも止まらない。生きることが苦しい。でも生きなきゃならない。苦しい。まるで子どもに戻ったみたいに、わあわあと声を上げ、頭を抱えて泣きじゃくる。 　ぐいと、上半身が抱き寄せられた。 　その動きに目を見開いているうちに、ポルナレフは大きな胸板と褐色の腕に抱きしめられ、その左胸に耳をつけていた。 「連れてはいけないが、待っている」 　掠れた声だった。ポルナレフの銀色の髪に、なにか、ぽたぽたと滴った。動いていないはずなのに、その胸の奥の心臓がどくどくと叫んでいた。それが聴こえる。耳を通して、自分の心臓に響く。 「おまえが、その心にある使命を終えて、いつかここに来るまで、わたしはずっと待っている」 　さらにぎゅうと抱きしめられた。大事なものを守るようなしぐさだった。とてもあたたかくて、ポルナレフは目を閉じた。ぼたぼたと落ちていた涙が、頬を伝って流れた。オレンジ色のローブの腕の部分に染み込んでいく。 「ポルナレフ。わたしのいとおしい人。どうか、前を向いて、生きて」 　切実な声が紡ぐ祝福と祈りの言葉に、ポルナレフはうなずいた。ローブの背中側を両手で握りしめ、その言葉を脳の奥に、全身の骨ひとつひとつに刻みつけて、血液にのって体を巡らせるように、何度もうなずいた。 「待ってろよ、アヴドゥル。必ず会いに来るから」 　ポルナレフの頬にあたたかい手のひらが添えら れた。上を向かせるその動作に、ポルナレフは目を閉じたまま従った。 　くちびるに、くちびるが触れた。 　柔らかくてあたたかくて、気持ちがいい。身体の力が抜ける。こんなにも安心する。ふわふわと幸せな気持ちに漂い、ポルナレフはすとんと意識を落とした。 　 　カーテンの隙間から差し込む陽の光に顔を顰めて、承太郎は瞼を開けた。手の甲で目を擦り、ゆっくり瞬きをする。そしてはっとした。昨夜、ポルナレフを待っているつもりで結局眠ってしまった。羽毛布団をばさりと跳ねのけて身体を起こした。 「うおっ。びっくりした。どうした承太郎。おはよう」 　承太郎は茫然とした。見れば、もう髪型をきっちりとセットしたポルナレフが、ソファでフランス語の新聞を読みながらインスタントのコーヒーをすすっていた。 「ポルナレフ……」 「おまえも飲む？　あんま美味くねえけど、寝ぼけた頭には効くぜ」 　ポルナレフは新聞を畳んでテーブルに放った。そしてソファから立ち、伏せてあるマグカップをひとつ手に取った。それを目で追い、承太郎は言った。 「おまえ、昨晩、どこかへ出かけただろ」 　ポルナレフは一瞬、動作を止めて、それからインスタントコーヒーのビンを捻った。豆の焙煎香に近い、甘ったるいようなツンとするような独特な香りが漂う。 「……大丈夫か」 　適当な量の粉をマグカップに入れて、沸騰温度で保温しておいたポットの湯を注ぐ。そして承太郎に振り返って、ポルナレフはほほえんだ。 「アヴドゥルに会った」 　承太郎は瞠目した。陽の射した海のような翠色の瞳が揺れる。 「ちょっと話した。前を向いて生きろって言われたよ」 　マグカップを持ち、承太郎に差し出す。 「……って言ったら、信じるか？　承太郎」 　マグカップを受け取って、ポルナレフの碧色の瞳をじっと見る。光を帯びた虹彩が美しいと思った。おもわず、ふっとわらった。 「おまえがそう言うなら、信じるほかないな」 「へへ。わるいな。おれだけ話しちまって」 　口にしたコーヒーは舌に苦みばしって、ポルナレフが言ったとおりに美味しくなかった。おかげで、目が覚めた。 「口直しに、美味い朝メシが食いたいな」 「賛成。昨日、エジプト支部のハリドに美味い店教えてもらったんだ。そこに行こうぜ」 　夜は明けた。砂漠の砂は、夜のすべてを飲みこんだ。誰がいてもいなくても、世界は続いていく。
July 29, 2025 at 2:39 PM
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アヴポル　砂漠の夜の夢(1/2)
印刷された本の本文の体裁で画像化されたテキストです。付記に「砂漠の夜の夢」、「しらふじ」と記載されています。 以下は本文の内容です。 　日付が変わったころ、ポルナレフはベッドから身体を起こした。隣のベッドでこちらに背を向けて眠っている承太郎の様子を窺う。規則正しい寝息が聞こえていて、ポルナレフは静かにベッドから下りた。財団から支給された夜用の分厚い外套をとり、部屋から出た。 　扉が閉まる最小限に抑えた音が聞こえたあと、承太郎は寝返りを打ち、仰向けになった。常夜灯が照らすぼんやりとしたオレンジ色の天井を見つめ、大きく息をはいて額を撫でた。 　もし、外套を持たずに出ようとしたなら、止めようと思っていた。 　しばらくそのままの体勢でいて、それからまた横向きになり、上等な羽毛布団を肩までかけて、無意識に身体を丸めた。 　あれから、心に穴が空いたまま生きているのはポルナレフもジョセフだってそうだ。そして自分も。ただ、それに引け目を感じているのは、たぶん、自分だけ、誰の死に目にもあっていないからだ。 　ポルナレフはいつ帰ってくるだろう。それまで起きていたいような、なにも知らないふりして眠ってしまいたいような気持ちを抱えて、承太郎はぎゅうと目を閉じた。 　 　スピードワゴン財団がスタンドの矢の発掘調査のために用意してくれた宿は町外れにあり、砂漠地帯と近かった。 　月と星明かりに呼ばれながら、ポルナレフは静かに町を出て、砂漠へと足を踏み入れた。 　砂漠は昼夜の温度差が大きい。あの旅の砂漠の夜も寒かった。おなじ匂いがする。あの旅の夜の、 しんとした冷えた砂の匂い。ポルナレフは前を閉めず羽織っただけの外套の襟元を握りしめた。 　さくさくと、ポルナレフの歩調に合わせて砂が鳴く。肺に取り込む空気が冷たい。月と星がよく見える。十五分ほど歩いたところに岩場があり、その岩に囲まれて誰かが焚火をした跡があった。その岩のひとつに、ポルナレフは腰掛けた。 　ズボンのポケットから煙草とライターを取り、火をつける。煙草の先が赤くなり、煙が細く昇った。 　ポルナレフは一度だけ吸い、煙草を指に挟んだまま、ぼうと焚火の跡を見つめた。乾ききって冷えきった砂と僅かな木の燃えさしは、岩に風を遮られてそこに黙って佇んでいる。ライターは持っているが、燃やすものがない。おれには熾せない。吸わずにただ燃えゆく煙草の灰が、重力に引っ張られて落ちた。 　そのとき、誰かが砂を踏む音がかすかに聞こえた。 　旅人だろうか。もし声を掛けられたら、すぐそこに町があるからそっちへ行った方が早いと言えばいい。襲ってくるなら返り討ちにしてやればいい。いまはひとりで向き合いたい。再びエジプトの地を踏む機を得たのは、きっとそのためだ。 　その心積りとは裏腹に、その誰かは静かに、ポルナレフの座る岩の隣にやってきた。ポルナレフはちらと、その足元を見る。 　見覚えのあるブーツだった。紅海で再会して数日は宿で磨いたりもしていたが、カイロに近づくにつれそれどころではなくなったのか、最後に見たときはだいぶ薄汚れていたなと、そんなことを覚えている。地面に付くんじゃないかと思うほど 長い丈の、オレンジ色のローブが揺れている。 　ポルナレフはその顔を見上げようとして、やめた。醒めてしまうと思った。 　ずっと見つめていた、冷えきった燃えさしに炎が灯った。 　鼻の奥がつんとした。もうそれでじゅうぶんだと思った。 　その人は、ポルナレフの隣に座った。ふわりと、香り慣れた香水の、懐かしい匂いがした。 「……寒くはないか」 　低い穏やかな声が、耳を撫でた。脳がびりびりと、快感を伴いながら痺れた。 「おまえが、炎を熾してくれたから」 　あのときとおなじでいたかったのに、声が震えないようにするのに、精いっぱいだった。そうか、と言った安心したような声にじわりと涙が滲んで、煙草を持っていない方の腕で拭った。 「元気だったか、ポルナレフ」 「ああ。それなりにな。おまえは？　アヴドゥル」 　ふふとわらった気配がした。 「わたしも、それなりにな。家族には報告できたか？」 「したよ。喜んでるかどうかはわからねえけど」 「復讐の是非はわたしにもわからないが、おまえが帰ってきたことは喜んでいるさ」 　ポルナレフは静かに燃える炎を見つめた。 「そうかな」 「ああ」 　ポルナレフは、短くなった煙草を岩に押し付けた。すると直ぐに、吸殻は一瞬で燃えて細かな灰になり、見えなくなった。旅をしているあいだ、よくやっていた一連の流れだ。ポルナレフは吸殻 のあった場所を見つめた。そこにはもうなにもない。あのときみたいに。 「おまえは、帰れなかったのに」 　顔を見ることはできない。だからどんな顔をしているのかはわからないけど、たぶん、困ったような顔をしていると思う。返答に少し間があった。 「そうだな」 「おまえ、後悔してねえの」 「後悔？」 　ポルナレフは歯を食いしばって、その隙間から押し出すように言った。 「あんな死に方で」 　焚火跡に灯された炎は、そういえばパチパチと爆ぜる音がしない。なにかを燃やしているのではない。ただそこにある炎。 「してない」 　炎は揺らぎもせず、ただ静かにポルナレフの顔を照らしている。 「あの状況で、おまえたちが無傷で助かるか、誰かが重症を負いそれを庇いながら戦うかを天秤にかけたとき、わたしは前者を選ぶことができた。正解だっただろう」 　淡々とした言い方に、ポルナレフはおもわず拳を握った。 「そんなもん、後者でも、やってみねえと……！」 「ポルナレフ」 　その声に、ポルナレフの心は怯んだ。穏やかな声だったのに、大人にぴしゃりと叱られた子どものように、苦い正しさを飲み込んだ。そんなことは、最終的にギリギリで勝利した自分がいちばん良く分かっている。 「ありがとう。いなくなったわたしの代わりに、
July 29, 2025 at 2:39 PM
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ちょっとアヴポルっぽいね。寂しいけど
July 25, 2025 at 2:47 PM
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わ〜ほんとですか！ありがとうこざいます！あんまり救いのない話で感想など出づらいと思いますので、ちょっとよかったなと思ったらいいね押していただけると嬉しいです…♡
May 18, 2025 at 3:40 AM
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お正月だよすごろくしようぜスタクルin空条邸
January 2, 2025 at 2:09 PM
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右手は8分音符、左手はシンコペーションってどう弾くの？昔はできたはずなんだけど、どうしても弾けない…どう練習したらいいのこれ？？？
December 29, 2024 at 3:10 AM
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「ナイル川の渡し賃」外伝
アヴポル　Jからの手紙
December 19, 2024 at 2:09 PM
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(2/2)
December 19, 2024 at 2:08 PM
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♐️ラスト
アヴポル　ナイル川の渡し賃(1/2)
December 19, 2024 at 2:08 PM
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♐️その7.5.2
日々つく
アヴポル　出来レース？
December 17, 2024 at 10:59 AM
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♐️その7.5.1
アヴポル　二重奏
December 17, 2024 at 10:59 AM
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(2/2)
「こっちこそ、言うのが遅くなっちまった」 　なにか言おうとしたアヴドゥルをさえぎり、ポルナレフはアヴドゥルの目をまっすぐ見て言った。 「あのとき、助けてくれてありがとな。おかげで、おれは自分の生を大切にできたよ」 　にっとわらうポルナレフの表情に、あの旅の太陽の下でなんども見た笑顔と、自分よりも経験を積んだ思慮深さが混ざっていて、アヴドゥルは眩しいものを見るように目を細めた。 「……どういたしまして」 　そう言って、アヴドゥルは階段から腰を上げた。 「さあ、そろそろ行くか」 「えっ、行くってどこへ、地獄？」 　間抜けな顔で見上げてくるポルナレフに、アヴドゥルは眉をひそめた。 「おまえはなにを言っているんだ。おまえには、会わなきゃならん人がまだいるだろう」 　ポルナレフはぽかんと口を開けた。アヴドゥルはふっとわらって言った。 「素敵なマドモアゼルがお待ちだ」 　はっとした表情になったポルナレフは、階段から跳ぶように降りてアヴドゥルのローブの胸のあたりを掴んだ。 「おまえ、会ったのか！？　あいつに……シェリーに！」 　白い肌を上気させて嬉しそうな顔で詰めよるポルナレフに、アヴドゥルはおもわずわらった。 「ああ。挨拶をさせてもらったよ」 「そ、そうか！　なあ、いい娘だろ！？　美人で、器量が良くて……いつまでも、おれのかわいい妹……シェリー……」 　ポルナレフはアヴドゥルのローブを力強く掴み 直した。 「てめえ！　シェリーを口説いてねえだろうな！？　まさか手ェ出してねえだろうな！」 「なんだこの手は、痛いぞ。口説くわけないだろう」 「ンだと！？　シェリーに魅力がねえっていうのか！？」 　なんだこいつめんどくさいな、みたいな顔でアヴドゥルはポルナレフをじとりとにらんだ。 「おまえという兄がいることがわかっていて口説く馬鹿がどこにいる。それでなくても、彼女はとてもいいお嬢さんだ。わたしなどとても釣り合わないほどにな」 　ポルナレフは手を離して、下を向いた。 「……おまえや花京院ほど、安心してシェリーを任せられるやつはいねえよ」 「なんだって？」 　顔を覗き込むようにしてくるアヴドゥルに、ポルナレフはかぶりを振った。 「なんでもねえよ。それこそ……後悔なんて少しもない中でたったひとつ、おれが望んだことなのかもな」 　そのとき、遠くのほうから聞き覚えのある犬の吠え声と、ポルナレフの名前を呼ぶ青年の声が聞こえた。 「おっと、待ちきれなかったようだな。長話が過ぎてしまったか」 　ポルナレフは弾かれたように、その声が聞こえた方向へ走っていった。 　イギー！　花京院！　と大声で呼ぶポルナレフの後ろ姿を、アヴドゥルはゆっくりと歩いて追った。
December 5, 2024 at 11:45 AM
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♐️その7
アヴとポ　話をしようよ(1/2)
印刷された本の本文の体裁で画像化されたテキストです。付記に「話をしようよ」、「しらふじ」と記載されています。 以下は本文の内容です。 　ポルナレフは見覚えのある広場を歩いていた。もう何年もまえのことで、たった一度しか歩いていないのに、まるで昨日のことのように覚えている場所だった。 　そう、あれはＤＩＯの館を探して歩き回り、ちょっと休憩にと日除けの布を被って階段に座り込んでいたところ、乞食と間違えられてアウドゥルに叱られたのだ。そもそも叱られるってなんだ。そう歳も変わらなかったくせに、偉そうに。 　そんなことを思い出して、おもわず苦笑した。そのとき、背後から声がした。 「よう、ポルナレフ」 　ポルナレフは目を見開いた。もう何年も聞くことのなかった声が、脳に一気に蘇って目眩がした。ゆっくりと振り返る。さっきはそこにいなかったはずの、オレンジ色のローブを着た大柄な男が、階段に座っていた。 「久しぶりだな。それでも、わたしが願っていたよりも、だいぶと早かったが」 「アヴドゥル……」 　ポルナレフは見開いていた目をすっと細めた。 「おまえ、ほんとうにアヴドゥルか？」 　アヴドゥルはひとつ瞬きをして、ほんの少し寂しげに、ばつがわるそうに頬をかいた。 「そうか。まあ、……いちど騙しているのだし、疑うのも無理はないな。そうだな……シンガポールでおまえが警察に拘束された日の夜、憂さ晴らしといって三人でホテルのバーで飲んだウイスキーの銘柄を言えばいいか？　ジョースターさんおすすめのボウモア十八年だったな。ジョースターさんとおまえはロック、わたしはトゥワイスアップだった。あとからきた承太郎もロック、花 京院はジンジャーエールだったな。それとも」 　アヴドゥルはいたずらっぽくわらった。 「紅海でおまえが〈審判〉に願った三つ目がなんだったかを言えばいいか？」 「……言ってみろよ」 「それだけは、叶ったんだろう？」 　ああ、こいつは、ほんとうに本物かもしれない。喉元にせりあがってくる暗く重い感情をポルナレフは奥歯を噛み締めてとめた。 「……おれ、足とか目とか、なくなったはずなんだが、いまはある。それに、これはあのときの旅装だ。この場所といい、おまえがおれをここに引き込んだのか？」 　アヴドゥルは少し考える素振りをした。 「そうとも言えるし、半分はおまえが望んだものだとも言える。ここは、そういう曖昧な場所さ」 　そう説明してもなお、この状況の判断をしかねる様子のポルナレフに、アヴドゥルは困ったように首をかしげて、自分の隣を手のひらで示した。 「立ち話もなんだ、ここに座らないか」 「……ここには座るなと、かつておまえから叱られたはずだが」 　掠れた声にアウドゥルは片眉を上げて、それから大きな声でわらった。 「なんだ、そんなことをまだ根に持っていたのか？　おまえらしいな、ポルナレフ！」 　ポルナレフはぎゅっと眉根を寄せた。あのときからなにひとつ変わらない豪快なわらい声に、ずきりと胸が痛み、しかし次には心があたためられてゆるんでいくのを感じた。口から、自然と当時の語気で言葉がこぼれた。 「そんなことって……眉吊り上げて怒ってたくせ によ」 「そりゃあ、国には国の決まりごとがあるものだ。だが、いまここには、わたしとおまえ以外にだれもいないんだ」 　アヴドゥルは左手をポルナレフに差し出した。 「ずっと待っていた。おまえとゆっくり話がしたくてな」 　その手をじっと見て、ポルナレフも左手を差し出した。 「……ああ。おれも、おまえと話がしたかったよ」 　交わされた握手は固く、とてもあたたかかった。 　 「てめーよお！　なに勝手におれとイギーをかばって、なに勝手に死んでんだよ！」 　涙目で肘鉄を繰り出すポルナレフの肘を手のひらで受けとめ、アヴドゥルはわらった。 「すまん」 「おいコラ、マジで笑いごとじゃねえぞ！　おまえ死んだんだぞ！　よかったのかよそれで！　おれなんかを、かばって……」 　吠えた勢いがあっという間に萎えて、ポルナレフは視線を落とした。アヴドゥルはその肩を軽く叩く。 「よくなかったら、ここで待ってなどいないさ。ただ……」 　アヴドゥルは少し言葉を探すように瞬きをした。 「おまえとイギーをかばったことに後悔などない。咄嗟に動けた自分を何度も褒めた。だが、ほんの少しだけ悔しいという思いはあったかもしれないな」 　ポルナレフはじろりとアヴドゥルを見た。 「それを、人は後悔っていうんだぜ」 　アヴドゥルはかぶりを振った。 「いいや。どうしてかばってしまったんだ、という思いは少しもない。あるわけがない。ただ、……わたしは、皆が無事にあの旅を終えたあとの、その先にある生活を見てみたいと望んでいた。夢を見てしまったんだ」 　ポルナレフは目を見開いてアヴドゥルを見つめる。 「だが、あのときわたしが生きたところで、おまえが死んでいた可能性もある。イギーもそうだ。花京院が生きたとしても、ジョースターさんと承太郎が死んでいたかもしれない。結局のところ、あの旅はそういうものだったんだ。それがどうしようもなく、悔しかった」 「アヴドゥル……」 　アヴドゥルはポルナレフを見つめて、自嘲気味にうつむいた。 「そして、やはりわたしは自分勝手だったな。わたしがああいう死に方をすればおまえがどうするかなど、少し考えればわかることなのにな」 　伏せた目を上げ、ポルナレフの目を真っ直ぐに見て、アヴドゥルは言った。 「ポルナレフ。おまえにわたしの生を押しつけて、わるかった。ゆるしてくれ」 　ポルナレフは一瞬だけ怯み、それからくちびるを噛んで、首を横に振った。 「いーよ。たしかに押しつけられたとは思ったが、それを負担だと思ったことは、いちどたりともねえよ。おかげで、ぎりぎりのところで何度も踏みとどまって、おれができることは、たぶんやりきったと思ってんだ」 「……ポルナレフ」
December 5, 2024 at 11:45 AM
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おまけ
さっきの話の続き
印刷された本の本文の体裁で画像化されたテキストです。付記に「再会(おまけ)」、「しらふじ」と記載されています。 以下は本文の内容です。 「うーん。想像してたザワークラウトと味が違う」 「ここは日本だから、日本人好みの味になっているのだろうな」 「うん、なんか、酸味がぬるい」 「醤油とか出汁が入っているんじゃあないか？」 「ふーん」 　ポルナレフはもう一口バケットサンドを頬張った。 「ま、わるかねえな」 「……そうか」 　アヴドゥルは小さく笑った。 　腕を引っ張られ、どこへ連れていかれるのかと思えば、エジプトにもある、コーヒーチェーン店だった。 「おれ、コーヒーとザワークラウトのサンドイッチがいい。おまえは？」 「……甘いやつあるか」 「なんだ、きたことねえの。甘いやつな」 　トレイを持って二人で席につき、ポルナレフに渡されたマグカップの中身は、ホワイトチョコレートの味がした。 「甘くてうまい」 「そりゃよかった」 　そう言ってポルナレフはサンドイッチを頬張った。 「おまえ、いまなにしてるの」 　サンドイッチを三分の一ほど食べたところで、ポルナレフはぽつりと訊ねた。 「なんの因果か、ここでも占い師として、ひとり立ちしたところだ」 　アヴドゥルがそう答えると、ポルナレフは心なしか嬉しそうな顔をしてそうか、と言った。 「おまえは？　ポルナレフ」 「おれは、大学生してる」 「そうか……妹さんは元気か？」 　コーヒーを口に運びかけた手を止めて、ポルナレフはアヴドゥルを見つめた。 「なんで妹がいるってわかった？　占い師の本領発揮？」 　アヴドゥルは肩をすくめた。 「まさか。今、おれにも両親がいるから。そうかなと思っただけだ」 「そうか。よかった。おれもおまえも、ひとりぼっちじゃないんだな」 　今度は明確に、安堵と嬉しさが混じった顔だった。それにアヴドゥルは胸に温かさが沁みるのを感じた。 「……おれのことも、そう思ってくれるんだな」 「そりゃ、そうだろ。だっておまえ、あのとき」 　ずっとひとりで、ひとりぼっちで死んじまったじゃねえか。そう言いかけて、ポルナレフは口を噤んだ。しばらくして、ぽつりと言った。 「ＤＩＯは、承太郎が倒したぜ。イギーと花京院は死んじまったが」 「……そうか」 　あのときの、最低限の結果がわかる報告だ。よかったとも、残念だとも言うのは違うと思い、アヴドゥルは言葉少なに返事をした。 　それからしばらく二人はなにも言わなかった。 　ポルナレフは、「そのあと」の話をしなかった。彼があれからなにをしてどう生きたのか、ジョセフと承太郎とどう関わっていたのか、そういうことは一切語らなかった。アヴドゥルも聞こうとは思わなかった。そもそも、あの時点で死んだ自分 には知りえないことだ。知る必要もない。 　ただ、あのような形で「助けてくれてありがとう」とポルナレフが告げたということは、彼なりに納得できるようなその後だったのだろう。アヴドゥルにはそれだけで十分だった。 　アヴドゥルが甘いモカを飲んでいると、ポルナレフはそういえば、とつぶやいた。 「おまえ、なんで日本にいるの？」 　アヴドゥルはマグカップをテーブルに置いた。 「人に呼ばれたんだ」 「誰に」 「ジョセフ・ジョースター」 「ジョセフ・ジョースター」 　二人の声はぴったりと重なった。顔を見合わせて、同じタイミングで噴きだした。 「おれたちに内緒で集めて、サプラーイズ！　とかやるつもりだったのかな」 「まあ、考えられる予測ではあるな」
December 4, 2024 at 1:55 PM
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(2/2)
退場した。そう思った。どんな罵詈雑言を聞かされるのだろう。 　しかし、次の瞬間、アヴドゥルはポルナレフを抱きしめていた。 「あのとき、助けてくれて、ありがとう」 　ポルナレフはそう言うと、両目からぼたぼたと涙を落とした。思ってもみなかった言葉と態度に、横っ面をはたかれたような衝撃があった。目眩がするのを腕に力を入れることで堪える。アヴドゥルはなにも言うことが見つからないまま、その名前を口にすることもできないまま、彼の背をさすり続けた。 　そのうちに、アヴドゥルはようやく周りの様子に気づきだした。日本の空港で異国の男二人が抱きついて感動の再開、とは言えない様子に、人々は好奇の目を向けている。大半の人々は気にしながらも通り過ぎていくが、囃し立てる人もいれば、顔をしかめてひそひそとなにかを言い合う様子も見える。 「あ、お、おいポルナレフ。あの、そのだな……」 　さすがにいたたまれなくなってきたアヴドゥルは、ポルナレフの肩をつかんでそっと離そうとした。その瞬間、ポルナレフはアヴドゥルが羽織っているオレンジ色の薄手のカーディガンの胸元をつかみ、それで自分の顔を思いきり拭った。 「あっ、おい！」 　突然の行動に、アヴドゥルはおもわず声をあげた。それにかまわず、俯いたままポルナレフは言った。 「……おまえ、いま、いくつ？」 　アヴドゥルは訝しげな顔で答えた。 「二十三、だが」 「働いてる？」 「一応、食い扶持はある」 「じゃあ、サンドイッチとコーヒー奢れよ」 　言うが早いや、ポルナレフはアヴドゥルの腕をつかんで反対の手で荷物を持ち、歩き出した。 「あ、おい！　まて、荷物……」 　アヴドゥルもつかまれた反対の手でキャリーバッグの取っ手をなんとか握り、ポルナレフに続いた。 　人々はそれを見送り、なにもなかったかのように、空港はいつもの空間を取り戻した。
December 4, 2024 at 11:26 AM
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♐️その6
アヴポル　再会(1/2)
印刷された本の本文の体裁で画像化されたテキストです。付記に「再会」、「しらふじ」と記載されています。 以下は本文の内容です。 　日本、Ｎ田空港。パリからおよそ十二時間半。 「やあっと着いたぜえ」 　肩を回しながら、独りごちる。先方の計らいで、初めてファーストクラスに乗せてもらった。今まで知ることのなかった待遇に、まだ二十歳を迎えぬ青年は初めのうちは緊張したものの、次第にその快適さに引き込まれた。料理を堪能し、こりゃあもうエコノミーなんて乗れねえぞと思いながら手足を伸ばして寝た。それでも、半日に及ぶフライトは長かった。 　着陸前に、自慢の銀髪を格好良く立ててセットできたのはありがたく、祖国から遠く離れた国にたったひとりで降り立ったが、気持ちには余裕があった。 　簡単な英語で入国審査を終え、流れてきた荷物を引っ張りあげる。到着口のゲートをくぐり、機内で日本時間にセットしておいたデジタルの腕時計に目を落とした。先方が迎えに来てくれる時間まで四十分ほどあった。 「コーヒーでも飲むか」 　大きな荷物を転がす人々で賑わう通路を進み、壁に描かれている空港内の地図を見て、カフェの文字を探す。世界的に有名なコーヒーチェーンのロゴを見つけた。知った店があって助かったと地図から目を離し、振り返ったところで、異国人と目が合った。ここは日本なのだから自分だって異国人なのだが、それでも異国人だとわかる、アラブ風の民族衣装の男だった。その男が、訝しげな眼差しをこちらに向けていた。 　その瞬間、うなじがぞわりと逆立った。 　物心ついた頃から抱えていた、奇妙なもやもやがすっと晴れ、鮮明な記憶が蘇る。 　そして、それはどうやら、相手も同じだったらしい。 　黒髪鳶眼、銀髪碧眼。褐色肌、白い肌。編み上げた髪、逆立てた髪。 　そして思わず背後に出現した、赤い鳥人と、銀の甲冑。 「おまえ……！」 「な、なんで……！」 　二人は互いに驚愕の表情を浮かべた。 　先に動いたのは、銀の甲冑だった。素早くレイピアを突き出し、褐色肌の男の眉間を狙う。 　一瞬を思わせる動きだったが、褐色肌の男と赤の鳥人は微動だにしない。眉間に突き刺さる寸前、レイピアはぴたりと止まった。 　正確には、止めた。銀の甲冑を操る青年に、本当にレイピアを突き刺す気などなかった。 　そして、同時に止められていた。レイピアを止めた瞬間には、炎の縄がレイピアに絡まり、銀の甲冑の腕をも縛り上げていたのだ。 　両者の力は、寸分違うことなく噛み合い、見事な殺陣を演じていた。 　二人の妙な距離感と雰囲気に、道行く人々はちらりと目を向けては、関わらないようにと、さっと通り過ぎていく。あわや殺し合いに発展しかねないやりとりだが、大騒ぎにならないのは、普通の人々には、二人の人間以外なにも見えていないからだ。 　周りのそんな空気感を気にすることもなく、銀の甲冑を操る青年は静かに口を開いた。 「……おれのやることはお見通しだってか？　アヴドゥル」 　アヴドゥルと呼ばれた男は、安堵したような、 それでいて寂しそうな表情で言った。 「なに。相変わらず、いい腕をしているな。ポルナレフ」 　ポルナレフと呼ばれた青年は、くちびるを噛み締めて、レイピアに込めていた力を抜いた。それが伝わったのか、絡みついていた炎の縄も同時に霧散した。レイピアを下ろすと同時に、銀の甲冑も消える。 「おれ、いつか、おまえに会えたら、言いてえこと、あったんだよ」 　♭ 　物心ついた頃から、これはいつかの続きだという奇妙な感覚があった。両親に恵まれ、兄弟こそいなかったものの、幸せな人生だと胸を張って言えるくらいの道を歩いてきたが、ふとしたときに訪れる一抹の寂しさと悔恨に晒される心があることに気づいていた。そしてそれは、いま生きているこの人生はいつかの続きであり、そのいつかの人生が感じさせているものだと理解し受け入れていた。 　おおよそ現実的な話ではない。ゆえに、それをだれかに言うつもりはない。他人に理解してもらえる感覚ではないことはわかっている。 　だから、二十歳を過ぎたら探しに行こうと決めていた。どこに、なにを、などという目的も確証もない。ただ、自分の心に居座り続ける奇妙なこの思いに、ここからの人生をかけて向き合おうと決めた。 　学問を治めながら、母に占星術を教わった。幸い、自分の才はそこにあったらしい。母のつても あったが、二十歳過ぎには独り立ちできる実力を伴うことができた。 　その矢先に、ニューヨークの大きな不動産会社の社長から、声がかかった。なぜ、だれもが知る世界の名だたる不動産会社が、占い師として独り立ちしたばかりのエジプトの若造に目をつけたかはわからない。しかも、指定場所は日本の東京だ。騙されているのかと思ったが、送られてきた名刺と資料を見る限りは本物だ。発達が著しいインターネットの情報も、信用できるだろう。きっと、これはなにかの縁だ。腹を括って、同封されていたカイロ発東京行のファーストクラスのチケットを手に、日本へ渡った。 　空港に降り立ち、ひとりの異国の青年の後ろ姿を見たとき、全身の毛が逆立つような衝撃を受けた。間を置かずその青年が振り返った瞬間、いつかの記憶が鮮明に蘇り、脳を揺さぶった。いつかの自分がだれに会い、なにをしていたのかが思い出される。そして、目の前にいるフランスから来たであろう青年のことも。 　彼の攻撃に対応できたのは、彼の目に翻った不安と期待が混じった色が見えたからだ。前世の記憶という、信じ難い事実を前にしても、彼の起こした行動に応えてやろうという余裕があったのは、とても不思議に感じられた。 「おれ、いつか、おまえに会えたら、言いてえこと、あったんだよ」 　俯きながらひと言ひと言、押し出すように発せられた言葉に、アヴドゥルは顔をしかめて思わず身構えた。いつかのとき、自分がどのように終わったのかが、脳を掠める。彼に――ポルナレフに対し、恨まれても仕方ないことをして、自分は
December 4, 2024 at 11:25 AM
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(2/2)
「まあ、すげえうまかったからな」 「鳥とはいえ、いただきものだし、食べずにいて後日どうだったかと訊かれたら返答に困ってしまうだろう」 「まあ、そりゃそうだな」 「そういうわけさ」 　アヴドゥルがそう言ったとき、三羽の小鳥がアヴドゥル側のテーブルにとまった。 「おまえやっぱり鳥じゃねえか。しかも増えてるし」 「親鳥認定されてしまったか」 　アヴドゥルは苦笑いをしながらガレットの端をさっきより大きく切り出して紙ナプキンの上にのせた。三羽の小鳥はついばみあって、やがて一羽が嘴にくわえて飛び、そのあとを二羽が追いかけていった。 「ふーん……あっそう……」 　ポルナレフはぶつぶつとつぶやきながらガレットをフォークで口に運んだ。 「まあ……あのクッソくだらねえ茶番劇はいま思い出しても腹立つけど、まあ鶏はうまかったし、おまえが生きてたんだからゆるしてやるよ。クッソ腹立つけど」 「どうもありがとう……すごい言うな……」 　アヴドゥルは小さくなって肩をすくめた。この話題は当分触れないほうがよさそうだ。 「そんでよ。結局、マジシャンズレッドってなんなの」 　ポルナレフの疑問に、アヴドゥルは少し考えて、口を開いた。 「考えようによっては、コウモリなのかも、しれないな……」 　二人で顔を見合って、同時に噴き出し、わらった。 　時間は正午にさしかかって久しい。コインランドリーはもう完了しているだろうが、回収に行けるのはもう少し先だ。
December 2, 2024 at 2:08 PM
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♐️その5
アヴポル　後日談(1/2)
印刷された本の本文の体裁で画像化されたテキストです。付記に「後日談」、「しらふじ」と記載されています。 以下は本文の内容です。 　ふと目を覚ますと、カーテンから入る陽が厚い。のそりと身体を起こして時計を見れば十時過ぎを指していた。おっと、寝過ごした。いくら休日だからって、ちょっと油断したな。ポルナレフは頭をかき、こちらを向いてぐっすりと眠っているアヴドゥルの肩を揺らした。 「おい、起きろよアヴドゥル」 「んむ……」 　豊かな黒髪に顔を埋めていたアヴドゥルは、目を閉じたまま眉をひそめて、顔にかかっている髪を指で耳にかけた。 「おはよう……」 「おう、おはよう」 「いま、なんじ……」 「十時過ぎだぜ。おれもいま起きたとこ」 　アヴドゥルはぱちぱちと何度か瞬きをして、ポルナレフを見上げた。 「寝すぎたな」 「まったくだ」 　アヴドゥルは掛けシーツを背からずり落としながら起き上がり、ポルナレフと軽くキスを交わした。 「いまから洗濯して飯つくるってのもだるいよなあ。もうさ、ぜんぶコインランドリーに突っ込んで、そのあいだにカフェでブランチでもしようぜ」 　ポルナレフの提案にアヴドゥルはうなずいた。 　二人は着替えて、洗濯物を車に積み込み、近くのコインランドリーのいちばん大きな洗濯機に洗濯物を入れた。 　それから、行きつけのカフェへ行った。今日はいい天気なので、大きな白いパラソルの下のテラス席で、ブランチの蕎麦粉のガレットとカフェ・ ラテを注文した。 「ここのガレットうまいよなあ。おれもうここ以外で食べる気にならねえもん」 　卵とハムとチーズのガレットを切り分けて口に運びながらポルナレフは言った。 「そうか？　わたしはおまえがつくるガレットがいちばんうまいと思うが」 　きのことナスを炒めたものと卵とチーズのガレットをもふもふと咀嚼するアヴドゥルを、ポルナレフはまじまじと見つめた。 「おまえ、たまに、恋人として満点の回答をするよな」 　そのとき、小鳥が二羽飛んできて、アヴドゥル側のテーブルに止まった。目を丸くするポルナレフにアヴドゥルはくちびるに人差し指を当てて見せた。それから紙ナプキンにガレットの欠片をのせてやると、小鳥たちはそれをついばんで、嘴にくわえると飛びさっていった。 　おもわず息を詰めていたポルナレフは感嘆の声を上げた。 「マジか、おまえすごいな。ああいう鳥が人間に寄ってくるなんて、初めて見たぜ」 　アヴドゥルは肩をすくめてわらった。 「たまにあるんだ。マジシャンズレッドが鳥だから、なにか近しいものを感じるのかもしれんな」 「え？　ああ、あいつ鳥か。あまりに人間っぽい見た目してるから、鳥だってこと忘れるぜ」 　付け合わせのトマトとロマネスコと豆のサラダをつつきながら、ポルナレフはふとなにかを思い出した。 「なあ、鳥といえばさ。おまえが潜水艦を買うためにアラブの富豪に変装したついでにみんなと共 謀しておれを騙すために知りもしねえ父親になりすましてくっだらねえ茶番劇を繰り広げたときの小道具の一環だったニワトリいたろ。ふざけた名前つけてたやつら。あいつらどうしたんだ？」 　事実とできる限りの嫌味を共存させた説明をひと息に話したポルナレフに反論する余地もなく、アヴドゥルはきまりのわるい顔をしてフォークとナイフを下ろした。 「まさか、あの島にまだいたりすんの？」 　アヴドゥルは少し考えるような素振りをして言った。 「退院してから、カイロのレストランに連れていっただろう」 　退院というのは、ＤＩＯを倒したあとの話だ。日常を過ごすにおいて、その名は必要のない限りは口にしないようにしている。 「ああ。イギー連れてな、約束通り豪勢なメシを食おうって」 「そのときに食べた鶏料理」 「あー。あれはうまかったよな。茹でた鶏にナッツのソースかかったやつとか、スパイスに漬け込んだ鶏をとうもろこしの粉につけて揚げたやつとかな。炭火焼きにしたやつなんてほとんどイギーが食っちまってさ。おれももっと食べたかったのによ……って、おい、まさか」 「そう、あれ。これを調理してくれと、事前に持ち込んでおいたんだ」 　さらっと言ったアヴドゥルを、ポルナレフはじっと見つめた。そして徐に口を開いた。 「ひくわ」 　アヴドゥルはびくっと肩を揺らした。 「なぜ⁉︎　……あ、持ち込み料金はきちんと 払ったぞ！」 「そこじゃねえよ。マジシャンズレッドが鳥だって言っておいて、くっだらねえ茶番劇の小道具に使った鶏をためらいなく食ってることにひいてんだよ」 「マジシャンズレッドは、どちらかといえば人なので」 「コウモリかよ。どっちからもきらわれるぞ」 　アヴドゥルは肩をすくめた。 「まあそう言ってくれるな。実をいえば、あの鶏はみなと食べようかと思って用意していたものだったんだ」 「みんなで？」 　首をかしげるポルナレフに、アヴドゥルはふふとわらった。 「いや、語弊があるな」 　潜水艦を買うために、いつも世話になっている顧客に目標の商社とつないでもらったのだが、その際に怪我をして臥せっていたことを話さざるを得ない状況になった。それを聞いた顧客は養生するようにと、まるまると太ったニワトリ三羽を寄越してくれたのだ。みんなと合流したときにでもありがたくいただこうと思っていたが、ポルナレフが〈審判〉のスタンドに襲われてうやむやになってしまった。 「おれはわるくねえからな！」 　はいはい、と流してアヴドゥルは続ける。 　スピードワゴン財団に世話を任せ、旅を続けた。そのうちにニワトリのことは忘れていたが、ポルナレフとイギーと豪勢なメシを約束したときに思い出したのだ。 「あれは、いいニワトリだったんだよ」
December 2, 2024 at 2:08 PM
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♐️その4
ポとスタクル　おれの足には
印刷された本の本文の体裁で画像化されたテキストです。付記に「おれの足には」、「しらふじ」と記載されています。 以下は本文の内容です。 　その日は皆、とにかく疲れきっていた。移動距離も長かったし、敵襲もありなんとかそれを退けたからだ。 　せめてゆっくりと休もうとグレードの高い宿の宿泊手続きを待ち、ロビーのソファに五人五様で座りぐったりとしていたときだった。 「……どんな大変な　ことがあったって」 　聞こえてきた小さな声に、ポルナレフは顔を上げた。 「君の足の　その下には」 　同じように顔を上げていたアヴドゥルと目が合う。そして花京院を見た。 「とてもとても丈夫な　ばねがついているんだぜ……」 　ソファにもたれてぼうっとしながら半ば無意識のようにポルナレフの知らない言語で歌のようなものをうたっていた花京院は、全員から見られていることに気づき、はっとして赤くなった。 「あ、あれっ、ぼく、いま、もしかして、うたってた？」 　ポルナレフとアヴドゥルは同時にうなずいた。 「や、いやだな、疲れていて……つい、浮かんだものが口に出てしまったようだ……ちょっと承太郎、英訳しなくていいから！　もう、みんなもにこにこしてこっち見ないでくれるかい？」 　花京院が口ずさんだのは日本語だったので、ご丁寧にもその内容を英訳してジョセフとアヴドゥルとポルナレフに教えていた承太郎は肩をすくめた。 　日本の子供向け番組で流れていた曲なのだと、花京院は言った。やけに耳に残るメロディーで、やけに心に残る歌詞だったのだと恥ずかしそうに 言う花京院に、なんだ憎たらしいだけじゃなくて年相応にかわいいところもあるんじゃねえかと思ったものだ。 　それを思い出して、ポルナレフは小さくわらった。傍らのシルバーチャリオッツが首かしげる。 「ふふ。ちょっとな。昔のことを思い出したんだ」 　黒い背景に白字がずらりと並ぶパソコンのディスプレイから、小さな窓の外へと目を向ける。 「わたしの……いや」 　小さくかぶりを振って、ポルナレフはつぶやいた。 「なあ。おれのこの足にも、ばねはついてんのかなあ」 　ポルナレフの言葉を、窓から入った穏やかな風がさらっていく。それが届いたなら、きっと花京院は言うはずだ。 　││ついているよ。がんばれ、ポルナレフ。 　それだけの確信があるのに、つい口に出してしまった心細さに、ポルナレフは奥歯を噛み締めた。
November 30, 2024 at 1:40 PM
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♐️その4
ポとスタクル　おれの足には
印刷された本の本文の体裁で画像化されたテキストです。付記に「おれの足には」、「しらふじ」と記載されています。 以下は本文の内容です。 　その日は皆、とにかく疲れきっていた。移動距離も長かったし、敵襲もありなんとかそれを退けたからだ。 　せめてゆっくりと休もうとグレードの高い宿の宿泊手続きを待ち、ロビーのソファに五人五様で座りぐったりとしていたときだった。 「……どんな大変な　ことがあったって」 　聞こえてきた小さな声に、ポルナレフは顔を上げた。 「君の足の　その下には」 　同じように顔を上げていたアヴドゥルと目が合う。そして花京院を見た。 「とてもとても丈夫な　ばねがついているんだぜ……」 　ソファにもたれてぼうっとしながら半ば無意識のようにポルナレフの知らない言語で歌のようなものをうたっていた花京院は、全員から見られていることに気づき、はっとして赤くなった。 「あ、あれっ、ぼく、いま、もしかして、うたってた？」 　ポルナレフとアヴドゥルは同時にうなずいた。 「や、いやだな、疲れていて……つい、浮かんだものが口に出てしまったようだ……ちょっと承太郎、英訳しなくていいから！　もう、みんなもにこにこしてこっち見ないでくれるかい？」 　花京院が口ずさんだのは日本語だったので、ご丁寧にもその内容を英訳してジョセフとアヴドゥルとポルナレフに教えていた承太郎は肩をすくめた。 　日本の子供向け番組で流れていた曲なのだと、花京院は言った。やけに耳に残るメロディーで、やけに心に残る歌詞だったのだと恥ずかしそうに 言う花京院に、なんだ憎たらしいだけじゃなくて年相応にかわいいところもあるんじゃねえかと思ったものだ。 　それを思い出して、ポルナレフは小さくわらった。傍らのシルバーチャリオッツが首かしげる。 「ふふ。ちょっとな。昔のことを思い出したんだ」 　黒い背景に白字がずらりと並ぶパソコンのディスプレイから、小さな窓の外へと目を向ける。 「わたしの……いや」 　小さくかぶりを振って、ポルナレフはつぶやいた。 「なあ。おれのこの足にも、ばねはついてんのかなあ」 　ポルナレフの言葉を、窓から入った穏やかな風がさらっていく。それが届いたなら、きっと花京院は言うはずだ。 　││ついているよ。がんばれ、ポルナレフ。 　それだけの確信があるのに、つい口に出してしまった心細さに、ポルナレフは奥歯を噛み締めた。
November 30, 2024 at 1:36 PM