古事記を現在は翻訳中です。
太子の歌の前半は旗や弓とといったものが対立するように歌われており、これは太子と穴穂御子の対立を表わしており、その権力争いに利用され翻弄される妻(女性)らはあわれ(弱い存在)であると。
後半は河に鏡と珠を持って入水自殺をする様を歌っており、この歌では妹とは衣通王、妻とは本妻を指すと思われ、衣通王が珠を持ち本妻が鏡を持ち三者で入水するという事で、これは三種の神器の内の珠(倭国)と鏡(出雲)が敗者という事を表しており、つまりこの権力争いでの勝者は剣(大和)であるという事かと。
太子の歌の前半は旗や弓とといったものが対立するように歌われており、これは太子と穴穂御子の対立を表わしており、その権力争いに利用され翻弄される妻(女性)らはあわれ(弱い存在)であると。
後半は河に鏡と珠を持って入水自殺をする様を歌っており、この歌では妹とは衣通王、妻とは本妻を指すと思われ、衣通王が珠を持ち本妻が鏡を持ち三者で入水するという事で、これは三種の神器の内の珠(倭国)と鏡(出雲)が敗者という事を表しており、つまりこの権力争いでの勝者は剣(大和)であるという事かと。
歌う事をまたし以下
コモリクノ(こもりくの)
ハツセノガハノ(はつせの河の)
カミツセニイクヒヲウチ(上つ瀬にいくひをうち)
シモツセニマクヒヲウチ(下つ瀬にまくひをうち)
イクヒニハカガミヲカケ(いくひに鏡をかけ)
マクヒニハマタマヲカケ(まくひに真珠をかけ)
マタマナスアガモフイモ(真珠なす吾がもふ妹)
カガミナスアガモフツマアリトイハバコソニ(鏡なす吾がもふ妻ありといはばこそに)
イヘニモユカメ(家にも行かめ)
クニヲモシヌハメ(国をもしぬはめ)
この歌のようにし、つまり自死を共にし
故にこの二歌というものは讀歌(ヨミ歌:黄泉歌)とするのである
歌う事をまたし以下
コモリクノ(こもりくの)
ハツセノガハノ(はつせの河の)
カミツセニイクヒヲウチ(上つ瀬にいくひをうち)
シモツセニマクヒヲウチ(下つ瀬にまくひをうち)
イクヒニハカガミヲカケ(いくひに鏡をかけ)
マクヒニハマタマヲカケ(まくひに真珠をかけ)
マタマナスアガモフイモ(真珠なす吾がもふ妹)
カガミナスアガモフツマアリトイハバコソニ(鏡なす吾がもふ妻ありといはばこそに)
イヘニモユカメ(家にも行かめ)
クニヲモシヌハメ(国をもしぬはめ)
この歌のようにし、つまり自死を共にし
故にこの二歌というものは讀歌(ヨミ歌:黄泉歌)とするのである
故に(太子の元に)追ってきて到り
その時に(衣通王を)すぐ傍に置いて歌い以下
コモリクノ(こもりくの)
ハツセノヤマノオホヲニハ(はつせの山の大尾には)
ハタハリダテサヲヲニハ(旗張り立て竿尾には)
ハタハリダテオホヲニシ(旗張り立て大尾にし)
ナカサダメル(なかさだめる)
オモヒズマアハレ(思ひ妻あはれ)
ツクユミノコヤルコヤリモ(つく弓のこやるこやるも)
アズサユミタテリタテリタテリモ(あずさ弓立てり立てりも)
ノチモトリミル(のちもとりみる)
オモヒズマアハレ(思ひ妻あはれ)
故に(太子の元に)追ってきて到り
その時に(衣通王を)すぐ傍に置いて歌い以下
コモリクノ(こもりくの)
ハツセノヤマノオホヲニハ(はつせの山の大尾には)
ハタハリダテサヲヲニハ(旗張り立て竿尾には)
ハタハリダテオホヲニシ(旗張り立て大尾にし)
ナカサダメル(なかさだめる)
オモヒズマアハレ(思ひ妻あはれ)
ツクユミノコヤルコヤリモ(つく弓のこやるこやるも)
アズサユミタテリタテリタテリモ(あずさ弓立てり立てりも)
ノチモトリミル(のちもとりみる)
オモヒズマアハレ(思ひ妻あはれ)
歌うを又し曰く
コモリクノ(こもりくの)
ハツセノガハノ(はつせの河の)
カミツセニイクヒヲウチ(上つ瀬にいくひをうち)
シモツセニマクヒヲウチ(下つ瀬にまくひをうち)
イクヒニハカガミヲカケ(いくひに鏡をかけ)
マクヒニハマタマヲカケ(まくひに真珠をかけ)
マタマナスアガモフイモ(真珠なす吾がもふ妹)
カガミナスアガモフツマアリトイハバコソニ(鏡なす吾がもふ妻ありといはばこそに)
イヘニモユカメ(家にも行かめ)
クニヲモシヌハメ(国をもしぬはめ)
此の歌の如くし即ち死を自らすを共にす
故に此の二歌なる者は讀歌とす也
歌うを又し曰く
コモリクノ(こもりくの)
ハツセノガハノ(はつせの河の)
カミツセニイクヒヲウチ(上つ瀬にいくひをうち)
シモツセニマクヒヲウチ(下つ瀬にまくひをうち)
イクヒニハカガミヲカケ(いくひに鏡をかけ)
マクヒニハマタマヲカケ(まくひに真珠をかけ)
マタマナスアガモフイモ(真珠なす吾がもふ妹)
カガミナスアガモフツマアリトイハバコソニ(鏡なす吾がもふ妻ありといはばこそに)
イヘニモユカメ(家にも行かめ)
クニヲモシヌハメ(国をもしぬはめ)
此の歌の如くし即ち死を自らすを共にす
故に此の二歌なる者は讀歌とす也
故に追い到り
之が時にし懷に待りて歌い曰く
コモリクノ(こもりくの)
ハツセノヤマノオホヲニハ(はつせの山の大尾には)
ハタハリダテサヲヲニハ(旗張り立て竿尾には)
ハタハリダテオホヲニシ(旗張り立て大尾にし)
ナカサダメル(なかさだめる)
オモヒズマアハレ(思ひ妻あはれ)
ツクユミノコヤルコヤリモ(つく弓のこやるこやるも)
アズサユミタテリタテリタテリモ(あずさ弓立てり立てりも)
ノチモトリミル(のちもとりみる)
オモヒズマアハレ(思ひ妻あはれ)
故に追い到り
之が時にし懷に待りて歌い曰く
コモリクノ(こもりくの)
ハツセノヤマノオホヲニハ(はつせの山の大尾には)
ハタハリダテサヲヲニハ(旗張り立て竿尾には)
ハタハリダテオホヲニシ(旗張り立て大尾にし)
ナカサダメル(なかさだめる)
オモヒズマアハレ(思ひ妻あはれ)
ツクユミノコヤルコヤリモ(つく弓のこやるこやるも)
アズサユミタテリタテリタテリモ(あずさ弓立てり立てりも)
ノチモトリミル(のちもとりみる)
オモヒズマアハレ(思ひ妻あはれ)
故追到
之時待懷而歌曰
許母理久能
波都世能夜麻能意富袁爾波
波多波理陀弖佐袁袁爾波
波多波理陀弖意富袁爾斯
那加佐陀賣流
淤母比豆麻阿波禮
都久由美能許夜流許夜理母
阿豆佐由美多弖理多弖理母
能知母登理美流
意母比豆麻阿波禮
又歌曰
許母理久能
波都勢能賀波能
加美都勢爾伊久比袁宇知
斯毛都勢爾麻久比袁宇知
伊久比爾波加賀美袁加氣
麻久比爾波麻多麻袁加氣
麻多麻那須阿賀母布伊毛
加賀美那須阿賀母布都麻阿理登伊波婆許曾爾
伊幣爾母由加米
久爾袁母斯怒波米
如此歌即共自死
故此二歌者讀歌也
故追到
之時待懷而歌曰
許母理久能
波都世能夜麻能意富袁爾波
波多波理陀弖佐袁袁爾波
波多波理陀弖意富袁爾斯
那加佐陀賣流
淤母比豆麻阿波禮
都久由美能許夜流許夜理母
阿豆佐由美多弖理多弖理母
能知母登理美流
意母比豆麻阿波禮
又歌曰
許母理久能
波都勢能賀波能
加美都勢爾伊久比袁宇知
斯毛都勢爾麻久比袁宇知
伊久比爾波加賀美袁加氣
麻久比爾波麻多麻袁加氣
麻多麻那須阿賀母布伊毛
加賀美那須阿賀母布都麻阿理登伊波婆許曾爾
伊幣爾母由加米
久爾袁母斯怒波米
如此歌即共自死
故此二歌者讀歌也
衣通王が太子の歌に応えて、帰ってくるならば夜は足元が見えず貝など踏んでは危ないので、日が明けてから帰って来るべきと。つまりすぐに戻ってきても暗殺されるような危険があるという事だと思われ。
後半の歌は太子が流されて日も経ち、成長の速いニワトコの木も長く伸びたという事で、帰って来るのを待ちきれず迎えに行く事にしたと。
衣通王が太子の元に行くという事で、この歌の内容では太子と衣通王は相思相愛のようですが、そうであれば太子と共に四国に流されるはずであり、都に残っている事から不倫の件に関して衣通王側に咎めがなく、この行動は兄を騙した事への罪悪感的なものからではないかと思われます。
衣通王が太子の歌に応えて、帰ってくるならば夜は足元が見えず貝など踏んでは危ないので、日が明けてから帰って来るべきと。つまりすぐに戻ってきても暗殺されるような危険があるという事だと思われ。
後半の歌は太子が流されて日も経ち、成長の速いニワトコの木も長く伸びたという事で、帰って来るのを待ちきれず迎えに行く事にしたと。
衣通王が太子の元に行くという事で、この歌の内容では太子と衣通王は相思相愛のようですが、そうであれば太子と共に四国に流されるはずであり、都に残っている事から不倫の件に関して衣通王側に咎めがなく、この行動は兄を騙した事への罪悪感的なものからではないかと思われます。
その衣通王は歌を(太子に)献上し
その歌は以下
ナツクサノ(夏草の)
アヒネノハマノ(あひねの浜の)
カキカヒニ(牡蠣貝に)
アシフマスナ(足踏ますな)
アカシテトホレ(明かして通れ)
故に後に
また(太子を)慕う思いに堪えずきれず追って行き
歌う事をその時にし以下
キミガユキ(君が行き)
ケナガクナリヌ(け長くなりぬ)
ヤマタズノ(やまたず:ニワトコの木の)
ムカヘヲユカム(迎へを行かむ)
マツニハマタジ(待つには待たじ)
〈その言い伝えとしては山多豆(やまたず)というものはそれらは造木(みやつごき)なるものと今はいうのである〉
その衣通王は歌を(太子に)献上し
その歌は以下
ナツクサノ(夏草の)
アヒネノハマノ(あひねの浜の)
カキカヒニ(牡蠣貝に)
アシフマスナ(足踏ますな)
アカシテトホレ(明かして通れ)
故に後に
また(太子を)慕う思いに堪えずきれず追って行き
歌う事をその時にし以下
キミガユキ(君が行き)
ケナガクナリヌ(け長くなりぬ)
ヤマタズノ(やまたず:ニワトコの木の)
ムカヘヲユカム(迎へを行かむ)
マツニハマタジ(待つには待たじ)
〈その言い伝えとしては山多豆(やまたず)というものはそれらは造木(みやつごき)なるものと今はいうのである〉
其の衣通王は歌を獻し
其の歌は曰く
ナツクサノ(夏草の)
アヒネノハマノ(あひねの浜の)
カキカヒニ(牡蠣貝に)
アシフマスナ(足踏ますな)
アカシテトホレ(明かして通れ)
故に後にし
亦た慕い戀るに堪えずして往き追い
歌うを時にし曰く
キミガユキ(君が行き)
ケナガクナリヌ(け長くなりぬ)
ヤマタズノ(やまたずの)
ムカヘヲユカム(迎へを行かむ)
マツニハマタジ(待つには待たじ)
〈此の云いは山多豆なる者は是らは造木なる者と今す也〉
其の衣通王は歌を獻し
其の歌は曰く
ナツクサノ(夏草の)
アヒネノハマノ(あひねの浜の)
カキカヒニ(牡蠣貝に)
アシフマスナ(足踏ますな)
アカシテトホレ(明かして通れ)
故に後にし
亦た慕い戀るに堪えずして往き追い
歌うを時にし曰く
キミガユキ(君が行き)
ケナガクナリヌ(け長くなりぬ)
ヤマタズノ(やまたずの)
ムカヘヲユカム(迎へを行かむ)
マツニハマタジ(待つには待たじ)
〈此の云いは山多豆なる者は是らは造木なる者と今す也〉
其衣通王獻歌
其歌曰
那都久佐能
阿比泥能波麻能
加岐加比爾
阿斯布麻須那
阿加斯弖杼富禮
故後
亦不堪戀慕而追往
時歌曰
岐美賀由岐
氣那賀久那理奴
夜麻多豆能
牟加閇袁由加牟
麻都爾波麻多士
〈此云山多豆者是今造木者也〉
其衣通王獻歌
其歌曰
那都久佐能
阿比泥能波麻能
加岐加比爾
阿斯布麻須那
阿加斯弖杼富禮
故後
亦不堪戀慕而追往
時歌曰
岐美賀由岐
氣那賀久那理奴
夜麻多豆能
牟加閇袁由加牟
麻都爾波麻多士
〈此云山多豆者是今造木者也〉
前半の歌は遠く四国から鳥の使いを都(奈良)に出すので、その鳥の鳴き声を聞いたら私の名を聞いてください、つまり都の人々にどうか私の事を忘れないで下さいと。後半は(326)夷振の歌の上と対応した下の歌で(326)は自分が追いやられるきっかけとなった歌で、それに対してどうにか都に戻ってきたいと、また自分は陥れられたと思いつつも、カルオホイラツメという女性への未練も込めた歌と思われます。
前半の歌は遠く四国から鳥の使いを都(奈良)に出すので、その鳥の鳴き声を聞いたら私の名を聞いてください、つまり都の人々にどうか私の事を忘れないで下さいと。後半は(326)夷振の歌の上と対応した下の歌で(326)は自分が追いやられるきっかけとなった歌で、それに対してどうにか都に戻ってきたいと、また自分は陥れられたと思いつつも、カルオホイラツメという女性への未練も込めた歌と思われます。
また(四国に)流される事をまさにし
その時に歌い以下
アマトブ(空飛ぶ)
トリモツカヒソ(鳥の使いの)
タヅカネノ(鳴き声の)
キコエムトキハ(聞こえた時は)
ワガナトハサネ(私の名を聞いてください)
この三歌というものは天田の振り(振り付きの歌)なのである
歌う事をまたし以下
オホキミヲ(大王を)
シマニハブラバ(島に追いやるなら)
フナアマリ(船の破片で)
イガヘリコムゾ(帰ってくるぞ)
ワガタタミユメ(吾が畳ゆめ)
コトヲコソ(ことよこそ)
タタミトイハメ(畳といはめ)
ワガツマハユメ(吾が妻はゆめ)
この歌というものは夷振の歌の一部の下(の歌)なのである
また(四国に)流される事をまさにし
その時に歌い以下
アマトブ(空飛ぶ)
トリモツカヒソ(鳥の使いの)
タヅカネノ(鳴き声の)
キコエムトキハ(聞こえた時は)
ワガナトハサネ(私の名を聞いてください)
この三歌というものは天田の振り(振り付きの歌)なのである
歌う事をまたし以下
オホキミヲ(大王を)
シマニハブラバ(島に追いやるなら)
フナアマリ(船の破片で)
イガヘリコムゾ(帰ってくるぞ)
ワガタタミユメ(吾が畳ゆめ)
コトヲコソ(ことよこそ)
タタミトイハメ(畳といはめ)
ワガツマハユメ(吾が妻はゆめ)
この歌というものは夷振の歌の一部の下(の歌)なのである
亦た流るを將にし
之が時にし歌い曰く
アマトブ(天飛ぶ)
トリモツカヒソ(鳥もつかひそ)
タヅカネノ(たづかねの)
キコエムトキハ(聞こえむ時は)
ワガナトハサネ(吾が名問はさね)
此の三歌なる者は天田の振り也
歌うを又し曰く
オホキミヲ(大王を)
シマニハブラバ(島にはぶらば)
フナアマリ(船あまり)
イガヘリコムゾ(いがへりこむぞ)
ワガタタミユメ(吾が畳ゆめ)
コトヲコソ(ことよこそ)
タタミトイハメ(畳といはめ)
ワガツマハユメ(吾が妻はゆめ)
此の歌なる者は夷振の片の下也
亦た流るを將にし
之が時にし歌い曰く
アマトブ(天飛ぶ)
トリモツカヒソ(鳥もつかひそ)
タヅカネノ(たづかねの)
キコエムトキハ(聞こえむ時は)
ワガナトハサネ(吾が名問はさね)
此の三歌なる者は天田の振り也
歌うを又し曰く
オホキミヲ(大王を)
シマニハブラバ(島にはぶらば)
フナアマリ(船あまり)
イガヘリコムゾ(いがへりこむぞ)
ワガタタミユメ(吾が畳ゆめ)
コトヲコソ(ことよこそ)
タタミトイハメ(畳といはめ)
ワガツマハユメ(吾が妻はゆめ)
此の歌なる者は夷振の片の下也
亦將流
之時歌曰
阿麻登夫
登理母都加比曾
多豆賀泥能
岐許延牟登岐波
和賀那斗波佐泥
此三歌者天田振也
又歌曰
意富岐美袁
斯麻爾波夫良婆
布那阿麻理
伊賀幣理許牟叙
和賀多多彌由米
許登袁許曾
多多美登伊波米
和賀都麻波由米
此歌者夷振之片下也
亦將流
之時歌曰
阿麻登夫
登理母都加比曾
多豆賀泥能
岐許延牟登岐波
和賀那斗波佐泥
此三歌者天田振也
又歌曰
意富岐美袁
斯麻爾波夫良婆
布那阿麻理
伊賀幣理許牟叙
和賀多多彌由米
許登袁許曾
多多美登伊波米
和賀都麻波由米
此歌者夷振之片下也
オホマヘヲマヘ宿禰はもはや勝ち目がないと判断して、御子の兄弟でもある太子の命は取らないという条件で降伏させると約束し、そうして捕らえられた太子の歌の「カルヲトメ」とは異母妹の「カルオホイラツメ」を指しており、この一連の不倫という不祥事からの太子の失脚については、実はカルオホイラツメも加担して仕組まれた事で、その事に気付いての恨み節のような内容であると思われます。
またカルオホイラツメは「衣通王」(その身の光が衣を通して溢れ出たから)との明らかに良い別名がある女性で、何かしら特別な功績のあった人物であり、つまりこの王位継承争いにおいて重要な役割を果たしたためと思われ。
オホマヘヲマヘ宿禰はもはや勝ち目がないと判断して、御子の兄弟でもある太子の命は取らないという条件で降伏させると約束し、そうして捕らえられた太子の歌の「カルヲトメ」とは異母妹の「カルオホイラツメ」を指しており、この一連の不倫という不祥事からの太子の失脚については、実はカルオホイラツメも加担して仕組まれた事で、その事に気付いての恨み節のような内容であると思われます。
またカルオホイラツメは「衣通王」(その身の光が衣を通して溢れ出たから)との明らかに良い別名がある女性で、何かしら特別な功績のあった人物であり、つまりこの王位継承争いにおいて重要な役割を果たしたためと思われ。
その太子は捕えられ歌い以下
アマダムカルノヲトメ(天だむ輕をとめ)
イダナカバ(抱なかば)
ヒトシリヌベシ(人知りぬべし)
ハサノヤマノ(はさの山の)
ハトノシタナギニナク(鳩したなぎに鳴く)
歌う事をまたし以下
アマダムカルノヲトメ(天だむ輕をとめ)
シタタニモ(したたにも)
ヨリヌテトホレ(をりぬてとほれ)
カルヲトメドモ(輕をとめども)
故にそのカル太子という者は伊余の湯(愛媛県道後温泉?)に流刑されたのある
その太子は捕えられ歌い以下
アマダムカルノヲトメ(天だむ輕をとめ)
イダナカバ(抱なかば)
ヒトシリヌベシ(人知りぬべし)
ハサノヤマノ(はさの山の)
ハトノシタナギニナク(鳩したなぎに鳴く)
歌う事をまたし以下
アマダムカルノヲトメ(天だむ輕をとめ)
シタタニモ(したたにも)
ヨリヌテトホレ(をりぬてとほれ)
カルヲトメドモ(輕をとめども)
故にそのカル太子という者は伊余の湯(愛媛県道後温泉?)に流刑されたのある
その歌のようにし兄弟で争うべきでないと申し上げ(アナホ御子の元に)降伏し参上し
我らの天皇の御子は異母兄の王に対して兵で危害を及ぼす事はしない
もし兵という者が危害を及ぼすなら人々が笑う事をきっとするとし
私めが(太子に降伏を)勧め提案することをもってし捕えるとし
一同は兵装を解き(軍の)滞在を退け
故にオホマヘヲマヘ宿禰はそのカル太子を捕え
(家を)出で参上するのを率い(降伏を)勧め提案することをもってし
その歌のようにし兄弟で争うべきでないと申し上げ(アナホ御子の元に)降伏し参上し
我らの天皇の御子は異母兄の王に対して兵で危害を及ぼす事はしない
もし兵という者が危害を及ぼすなら人々が笑う事をきっとするとし
私めが(太子に降伏を)勧め提案することをもってし捕えるとし
一同は兵装を解き(軍の)滞在を退け
故にオホマヘヲマヘ宿禰はそのカル太子を捕え
(家を)出で参上するのを率い(降伏を)勧め提案することをもってし
其の太子は捕うを被り歌い曰く
アマダムカルノヲトメ(天だむ輕をとめ)
イダナカバ(抱なかば)
ヒトシリヌベシ(人知りぬべし)
ハサノヤマノ(はさの山の)
ハトノシタナギニナク(鳩したなぎに鳴く)
歌うを又し曰く
アマダムカルノヲトメ(天だむ輕をとめ)
シタタニモ(したたにも)
ヨリヌテトホレ(をりぬてとほれ)
カルヲトメドモ(輕をとめども)
故に其の輕太子なる者は伊余の湯に於いて流される也
其の太子は捕うを被り歌い曰く
アマダムカルノヲトメ(天だむ輕をとめ)
イダナカバ(抱なかば)
ヒトシリヌベシ(人知りぬべし)
ハサノヤマノ(はさの山の)
ハトノシタナギニナク(鳩したなぎに鳴く)
歌うを又し曰く
アマダムカルノヲトメ(天だむ輕をとめ)
シタタニモ(したたにも)
ヨリヌテトホレ(をりぬてとほれ)
カルヲトメドモ(輕をとめども)
故に其の輕太子なる者は伊余の湯に於いて流される也
此の歌の如くし之を白し歸し參り
我らが天皇の御子は伊呂兄王に於いて兵を及ぼす無し
若も兵なる者を及ぼすなら人が咲くを必ずす
僕が進むを貢ぐを以てし捕う
爾らは兵を解き坐すを退く
故にオホマヘヲマヘは其のカル太子を捕え
出で參るを率い進むを貢ぐを以てし
此の歌の如くし之を白し歸し參り
我らが天皇の御子は伊呂兄王に於いて兵を及ぼす無し
若も兵なる者を及ぼすなら人が咲くを必ずす
僕が進むを貢ぐを以てし捕う
爾らは兵を解き坐すを退く
故にオホマヘヲマヘは其のカル太子を捕え
出で參るを率い進むを貢ぐを以てし
如此歌參歸白之
我天皇之御子於伊呂兄王無及兵
若及兵者必人咲
僕捕以貢進
爾解兵退坐
故大前小前宿禰捕其輕太子
率參出以貢進
其太子被捕歌曰
阿麻陀牟加流乃袁登賣
伊多那加婆
比登斯理奴倍志
波佐能夜麻能
波斗能斯多那岐爾那久
又歌曰
阿麻陀牟加流袁登賣
志多多爾母
余理泥弖登富禮
加流袁登賣杼母
故其輕太子者流於伊余湯也
如此歌參歸白之
我天皇之御子於伊呂兄王無及兵
若及兵者必人咲
僕捕以貢進
爾解兵退坐
故大前小前宿禰捕其輕太子
率參出以貢進
其太子被捕歌曰
阿麻陀牟加流乃袁登賣
伊多那加婆
比登斯理奴倍志
波佐能夜麻能
波斗能斯多那岐爾那久
又歌曰
阿麻陀牟加流袁登賣
志多多爾母
余理泥弖登富禮
加流袁登賣杼母
故其輕太子者流於伊余湯也
前半の歌は大前小前宿禰の家を取り囲んだアナホ御子の軍が、大前小前宿禰が降伏して家から出てくれば、氷雨は止む(矢の雨が降らずに済む)でしょうと。
後半の歌はそれに応え出てきた大前小前宿禰が、宮人(王族)の足に付けた小さな鈴が落ちた(家族内の争い)という小さな事で里人(民)まで巻き込んで戦をするまでもないでしょうと。
前半の歌は大前小前宿禰の家を取り囲んだアナホ御子の軍が、大前小前宿禰が降伏して家から出てくれば、氷雨は止む(矢の雨が降らずに済む)でしょうと。
後半の歌はそれに応え出てきた大前小前宿禰が、宮人(王族)の足に付けた小さな鈴が落ちた(家族内の争い)という小さな事で里人(民)まで巻き込んで戦をするまでもないでしょうと。
そのオホマエコマエスクネは一同を代表し膝を打つ事を手でし
カナデを舞い(歌に合わせて踊り)やって来て(アナホ御子の前に)参上し歌い
その歌は以下
ミヤヒトノ(宮人の)
アユヒノコスズ(あゆひの小鈴)
オチニキト(落ちにきと)
ミヤヒトトヨム(宮人とよむ)
サトビトモユメ(里人もゆめ)
この歌というものは宮人の振り(振り付け付きの歌)なのである
そのオホマエコマエスクネは一同を代表し膝を打つ事を手でし
カナデを舞い(歌に合わせて踊り)やって来て(アナホ御子の前に)参上し歌い
その歌は以下
ミヤヒトノ(宮人の)
アユヒノコスズ(あゆひの小鈴)
オチニキト(落ちにきと)
ミヤヒトトヨム(宮人とよむ)
サトビトモユメ(里人もゆめ)
この歌というものは宮人の振り(振り付け付きの歌)なのである
それらの事があってアナホ御子は軍を立ち上げ
オホマエヲマエスクネの家を囲み
一同はその門(の前)に到り
大氷雨(激しい氷雨)がその時に降り
故に歌い以下
オホマヘヲマヘスクネガ(大前小前宿禰が)
カナトカゲ(かな戸陰)
カクヨリコネ(かくよりこね)
アメタチヤメヌ(雨たち止めぬ)
それらの事があってアナホ御子は軍を立ち上げ
オホマエヲマエスクネの家を囲み
一同はその門(の前)に到り
大氷雨(激しい氷雨)がその時に降り
故に歌い以下
オホマヘヲマヘスクネガ(大前小前宿禰が)
カナトカゲ(かな戸陰)
カクヨリコネ(かくよりこね)
アメタチヤメヌ(雨たち止めぬ)