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論語はじめ現代において意訳・誤訳で訳出された内容が通説になっている古代漢文書籍を文法的に正しく翻訳して読んでみようという事で

古事記を現在は翻訳中です。
古事記(348)解説
葛城の山の上に行くとそこに山の主の大猪がいて、その猪に矢を射ると怒って唸り声を上げながら向かってきて、それを恐れて皆で木の上に逃げたと。歌の内容としても葛城の山で休んでいた大王が出てきた猪に矢を射て傷を負わせ、唸り声に恐ろしくなり皆ではしばみの木の上に逃げたと。
January 23, 2026 at 1:38 AM
古事記(348)現代語訳
ある時にまた
天皇は葛城(奈良県葛城郡)の山の上に行くのが吉とし登り
(山の)主である大猪が現れ
すぐに天皇は鳴鏑(音が鳴る矢)をもってその猪を射て
その時にその猪は怒ってうなりながら寄って来て
故に天皇はそのうなり声を畏れ
榛(はしばみの木)の上に登りそこにいて
一同は歌い以下
ヤスミシシ(休みしし)
ワガオホキミノ(我が大王の)
アソバシシ(あそばしし)
シシノヤミシシノ(猪のやみししの)
ウタキカシコミ(うたきかしこみ)
ワガニゲノボリシ(我が逃げ登りし)
アリヲノ(ありをの)
ハリノキノエダ(榛の木の枝)
January 23, 2026 at 1:38 AM
古事記(348)直訳
一時に又し
天皇は葛城の山の上を幸とし登り
爾らが大猪が出で
即ち天皇は鳴鏑を以て其の猪を射
之が時にし其の猪は怒りてウタキ依り來〈宇多岐の三字は音を以てす〉
故に天皇は其のウタキを畏れ
榛の上に坐し登り
爾らは歌い曰く
ヤスミシシ(休みしし)
ワガオホキミノ(我が大王の)
アソバシシ(あそばしし)
シシノヤミシシノ(猪のやみししの)
ウタキカシコミ(うたきかしこみ)
ワガニゲノボリシ(我が逃げ登りし)
アリヲノ(ありをの)
ハリノキノエダ(榛の木の枝)
January 23, 2026 at 1:35 AM
古事記(348)原文
又一時
天皇登幸葛城之山上
爾大猪出
即天皇以鳴鏑射其猪
之時其猪怒而宇多岐依來〈宇多岐三字以音〉
故天皇畏其宇多岐
登坐榛上
爾歌曰
夜須美斯志
和賀意富岐美能
阿蘇婆志斯
志斯能夜美斯志能
宇多岐加斯古美
和賀爾宜能煩理斯
阿理袁能
波理能紀能延陀
January 23, 2026 at 1:35 AM
古事記(347)解説
吉野川(紀ノ川)の河口からすぐに吉野(奈良県吉野郡の小牟漏岳)に猪がいるという事で狩猟をするとして向かい、そこでまた胡坐(仮設の滞在地)を立てて休んでいると、天皇が虻の一団に襲われ、すぐに蜻蛉(訓読みでアキヅ)が来て虻を喰い飛び去ったと。
歌の内容としては蜻蛉が上記のような経緯で天皇のために働いて名を上げたため、その野の名前はアキヅ野になったと。
January 20, 2026 at 4:29 AM
古事記(347)現代語訳―②
シシマツト(猪待つと)
アグラニイマシ(胡坐に居まし)
シロタヘノ(しろたへの)
ソテキソナフ(袖きなそふ)
タコムラニ(手こむらに)
アムカキツキ(虻咬みつき)
ソノアムヲ(その虻を)
アキヅハヨグヒ(あきづはよ喰い)
カクノゴト(かくのごと)
ナニヲハムト(名に負はむと)
ソラミツ(そらみつ)
ヤマトノクニヲ(大和の国の)
アキヅシマトフ(あきづ島とふ)
故にその時からその野の呼び名としアキヅ野というのである
January 20, 2026 at 4:28 AM
古事記(347)現代語訳―①
(そこから)すぐにアキヅ野(奈良県吉野郡)へ行くのが良いとして御猟をし
その時に天皇は御呉床に滞在し
虻の一団が御腕を噛み
すぐにトンボが来てその虻を喰い飛び去り〈蜻蛉を訓読みでアキヅという〉
それらの事があって御歌を作り
その歌は以下
ミエシヌノ(みえし野の)
ヲムロガタケニ(をむろが岳に)
シシフスト(猪伏すと)
タレソオホマヘニマヲス(誰そ大前に申す)
ヤスミシシワガオホキミノ(休みしし我が大王の)
January 20, 2026 at 4:28 AM
古事記(347)直訳―②
シシマツト(猪待つと)
アグラニイマシ(胡坐に居まし)
シロタヘノ(しろたへの)
ソテキソナフ(袖きなそふ)
タコムラニ(手こむらに)
アムカキツキ(虻咬みつき)
ソノアムヲ(その虻を)
アキヅハヨグヒ(あきづはよ喰い)
カクノゴト(かくのごと)
ナニヲハムト(名に負はむと)
ソラミツ(そらみつ)
ヤマトノクニヲ(大和の国の)
アキヅシマトフ(あきづ島とふ)
故に其の時自り其の野を號しアキヅ野と謂う也
January 20, 2026 at 4:18 AM
古事記(347)直訳―①
即ちアキヅ野が幸として御猟し
之が時にし天皇は御呉床に坐し
爾らが虻が御腕を咋い
即ち蜻蛉が來て其の虻を咋いて飛ぶ〈蜻蛉を訓でアキヅと云う〉
是らに於いて御歌を作り
其の歌は曰く
ミエシヌノ(みえし野の)
ヲムロガタケニ(をむろが岳に)
シシフスト(猪伏すと)
タレソ(誰そ)
オホマヘニマヲス(大前に申す)
ヤスミシシ(休みしし)
ワガオホキミノ(我が大王の)
January 20, 2026 at 4:17 AM
古事記(347)原文
即幸阿岐豆野而御猟
之時天皇坐御呉床
爾虻咋御腕
即蜻蛉來咋其虻而飛〈訓蜻蛉云阿岐豆〉
於是作御歌
其歌曰
美延斯怒能
袁牟漏賀多氣爾
志斯布須登
多禮曾
意富麻幣爾麻袁須
夜須美斯志
和賀淤富岐美能
斯志麻都登
阿具良爾伊麻志
斯漏多閇能
蘇弖岐蘇那布
多古牟良爾
阿牟加岐都岐
曾能阿牟袁
阿岐豆波夜具比
加久能碁登
那爾於波牟登
蘇良美都 
夜麻登能久爾袁
阿岐豆志麻登布 
故自其時號其野謂阿岐豆野也
January 20, 2026 at 4:15 AM
(346)解説
「幸行」(行く事を幸とする)がその後の「行幸」(天皇の遠出)となっていると思われますね。天皇が遠出をする際にはその吉凶等を占ってから出かけるようにしていたため、そこへ行くのが幸(吉)とされる日にしか遠出はしないという事ですね。
アカイコの件とほぼ同じケースで、天皇はその場で婚姻を結んでしまうほどですので、目を付けた美しい女性を忘れてしまうという事はないと思われ、やはりアカイコに声を掛けた雄略天皇はその直後に亡くなったという事をこの話でも暗示していると思われます。
歌の内容としては、神の末裔である天皇が琴を弾いてその音楽に合わせて美しい女性が舞う様はこの世のものとは思えないと。
January 17, 2026 at 5:23 AM
(346)現代語訳
天皇は吉野の宮に行く事を吉とし
その時に吉野川(紀ノ川)の河口に幼い娘がいて
その顔形の見た目が良く美しい姿であり
故にそれらの幼い娘と婚姻を結んで(連れ)帰り
宮において住まわせ、さらに後の事
また吉野に行く事を吉とし
その時にその幼い娘と遭った場所に留まり
その場所において
大御呉床(仮設の滞在地)を立ててその御呉床に滞在し
御琴を弾きその女性に舞を踊るよう命令し
一同はその女性の舞のすばらしさから
御歌を作り
その歌は以下
アグラヰノ(呉床居の)
カミノミテモチ(神の御手もち)
ヒクコトニ(弾く琴に)
マヒスルヲミナ(舞するをみな)
トコヨニモカモ(常世にもかも)
January 17, 2026 at 5:21 AM
古事記(346)直訳
天皇は吉野の宮に行くを幸とし
之が時にし吉野川の濱にし童女有り
其の形は麗し美し姿とし
故に是らの童女と婚して還し
宮に於いて坐し更に後にし
亦た吉野に行くを幸とし
之が時にし其の童女の遇う所に留め
其の處に於いて
大御呉床を立てて其の御呉床に坐し
御琴を彈き其の孃子に儛いを爲すを令し
爾らは其の孃子の好ましい儛い因り
御歌を作り
其の歌は曰く
アグラヰノ(あぐらいの)
カミノミテモチ(神の御手もち)
ヒクコトニ(弾く琴に)
マヒスルヲミナ(舞するをみな)
トコヨニモカモ(常世にもかも)
January 17, 2026 at 5:20 AM
古事記(346)原文
天皇幸行吉野宮
之時吉野川之濱有童女
其形姿美麗
故婚是童女而還
坐於宮後更
亦幸行吉野
之時留其童女之所遇
於其處
立大御呉床而坐其御呉床
彈御琴令爲儛其孃子
爾因其孃子之好儛
作御歌
其歌曰
阿具良韋能
加微能美弖母知
比久許登爾
麻比須流袁美那
登許余爾母加母
January 17, 2026 at 5:20 AM
古事記(345)解説―②
歌の内容としてはそれぞれ天皇の歌を受けて、前半は三諸山(三輪山)は神の山で、その神社の垣は三諸山の白樫の木で造られていたと思われ、今後アカイコの身(残りの人生と財力)は三輪山の神(神社の垣の造営等)に捧げると。
後半は日下江(東大阪市)の入り江の蓮の花のように生命力にあふれる若い人々がうらやましいと事だと。
January 16, 2026 at 1:01 AM
古事記(345)解説―①
引田部のアカイコという女性の家は、蔵に天皇に献上できるほどの宝物があり、また衣を赤く染めることができるというのも、かなりの財力を持った家の女性と思われ、天皇が側室として迎えるにも十分な家の女性であったにも関わらず迎えが来なかったというのは、124歳まで生きたとされていますが、現実にはアカイコに声を掛けた雄略天皇はその直後に亡くなっていたからではないかと思われます。
January 16, 2026 at 12:51 AM
古事記(345)現代語訳
アカイコは一同を代表し
彼女は泣き
涙はその服の赤く染めたところの袖を濡らす事をことごとくし 
その(天皇の)大御歌に答えて歌い以下
ミモロニ(三諸に)
ツクヤタマカキ(つくや玉垣)
ツキアマシ(つきあまし)
タニカモヨラム(たにかもよらむ)
カミノミヤヒト(神の宮人)
歌うを事をまたし以下
クサカエノ(日下江の)
イリエノハチス(入り江のはちす)
ハナバチス(花ばちす)
ミノサカリビト(身の盛り人)
トモシキロカモ(ともしきろかも) 
(天皇)一同は多くの祿(褒賞)をの老女に与え贈り返す事をもってしたのである
故にこの四歌はシヅ歌とするのである
January 16, 2026 at 12:49 AM
古事記(345)直訳
爾らがアカイコ
之が泣き
涙が其の服の丹で摺る所の袖を濕るを悉くす
其の大御歌に答えて歌い曰く
ミモロニ(三諸に)
ツクヤタマカキ(つくや玉垣)
ツキアマシ(つきあまし)
タニカモヨラム(たにかもよらむ)
カミノミヤヒト(神の宮人)
歌うを又し曰く
クサカエノ久(日下江の)
イリエノハチス(入り江のはちす)
ハナバチス(花ばちす)
ミノサカリビト(身の盛り人)
トモシキロカモ(ともしきろかも)
爾らは祿を多くし其の老女に給り遣り返すを以てす也
故に此の四歌はシヅ歌とす也
January 16, 2026 at 12:45 AM
古事記(345)原文
爾赤猪子
之泣
涙悉濕其所服之丹摺袖
答其大御歌而歌曰
美母呂爾
都久夜多麻加岐
都岐阿麻斯
多爾加母余良牟
加微能美夜比登
又歌曰
久佐迦延能
伊理延能波知須
波那婆知須
微能佐加理毘登
登母志岐呂加母
爾多祿給其老女以返遣也
故此四歌志都歌也
January 16, 2026 at 12:45 AM
古事記(344)解説
天皇が引田部のアカイコに声を掛けてから80年も経過しているという事でその天皇自身がまだ生きているかどうかという話ですが、雄略天皇は124歳まで生きているという事なので。歌の内容としては前半は三諸山(三輪山)の白樫の木のように橿原(橿原市あたり)の乙女が老いてしまったのは大変な事態であると。後半は引田部の草原の青草のように若々しければまだしも、あまりに老いすぎてしまったと。
January 13, 2026 at 9:12 AM
古事記(344)現代語訳―②
その歌は以下
ミモロノ(三諸の)
イツカシガモト(いつ樫がもと)
ガシガモト(樫がもと)
ユユシキカモ(ゆゆしきかも)
カシハラヲトメ(橿原おとめ)
歌う事をまたし以下
ヒキタノ(引田の)
ワカクルスバラ(若来栖原)
ワカクヘニ(若くへに)
イネテマシモノ(いねてましもの)
オイニケルカモ(老いにけるかも)
January 13, 2026 at 9:11 AM
古事記(344)現代語訳―①
それらの事を聞いて天皇は大いに驚き以下
私はずっと前の事で既に忘れてしまったという状況で
あなたは(天皇の)意思を守り(天皇の)命を待ち若い日々を無駄に過ごし
それらは愛らしい事なはだだしくその気持ちを思うと悲しいとし
婚姻を欲すにはそのあまりに老いてしまってはばかられ
婚姻を成す事はできないとして御歌を贈り
January 13, 2026 at 9:11 AM
古事記(344)直訳
是らに於いてを耳にし天皇は驚くを大いにし曰く
吾は事を先にし忘るを既にす然り
汝は志を守り命を待ち盛んな年を過ぐを徒にす
是らは愛しを甚だし心の裏を悲し
婚を欲すに其の老いを極むに憚る
婚を成すを得ずして御歌を賜り
其の歌曰く
ミモロノ(三諸の)
イツカシガモト(いつ樫がもと)
ガシガモト(樫がもと)
ユユシキカモ(ゆゆしきかも)
カシハラヲトメ(橿原おとめ)
歌うを又し曰く
ヒキタノ(引田の)
ワカクルスバラ(若来栖原)
ワカクヘニ(若くへに)
イネテマシモノ(いねてましもの)
オイニケルカモ(老いにけるかも)
January 13, 2026 at 9:04 AM
古事記(344)原文
耳於是天皇大驚曰
吾既忘先事然
汝守志待命徒過盛年
是甚愛悲心裏
欲婚憚其極老
不得成婚而賜御歌
其歌曰
美母呂能
伊都加斯賀母登
賀斯賀母登
由由斯伎加母
加志波良袁登賣
又歌曰
比氣多能
和加久流須婆良
和加久閇爾
韋泥弖麻斯母能
淤伊爾祁流加母
January 13, 2026 at 9:04 AM
古事記(343)現代語訳―③
アカイコは一同を代表し答え
その年月を天皇の勅命を受けて大いなる(妻にするという)勅命を待ち仰ぎ
今日となるに至り八十の歲を経て、容姿は今は既に老いて頼る所(美しさ)も無くなってしまい(天皇の前に)現れた次第と申し上げ
自身の(積年の)思いとし出で参上をもってしたと申し上げた
January 10, 2026 at 2:34 PM