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論語はじめ現代において意訳・誤訳で訳出された内容が通説になっている古代漢文書籍を文法的に正しく翻訳して読んでみようという事で

古事記を現在は翻訳中です。
(341)でシキ氏から贈られた神の使い的な白い犬というのは、陰陽師の使う「式神」の起源と思われ、この八卦に通じた「一言主大神」というのが陰陽道の起源と思わますね。雄略天皇の時代頃から日本独自の呪術の形式も確立していったと。
January 26, 2026 at 3:28 PM
古事記(349)解説―②
「事を悪くするのは一言といえども事を良くするのも一言といえども」の意味としてはこの状況を(矢を射ち合って)最悪にするのも次の一言、それを回避するのも次の一言次第という意味と思われ。
「離の神の葛城の一言主大神」の離の神の「離」は八卦の一を意味する「離」と思われ、八卦や陰陽道に通じる神と思われます。
January 26, 2026 at 3:28 PM
古事記(349)解説―①
天皇が葛城山に紅紐に青く染めた衣服を着た役人らの行列を連れて行くと、山の反対側から全く同様の一団が登って来て山の上で出会ったと。相手も天皇の命でしているとし、同様の事が許されるのは自身以外にないとして怒り、その一団に矢を射ようとすると相手も同様に矢を構えてきて、名を互いに名乗ってから矢を射るようにしようと提案すると、相手が先に問われたので先に名乗るとし、その際に「事を悪くするのは一言といえども事を良くするのも一言といえども」と告げて、「離の神の葛城の一言主大神者」であると名乗ったと。
January 26, 2026 at 3:27 PM
古事記(349)現代語訳―②
それに対して天皇は大いに怒って矢で射るとし
官職を与えられた人等は矢を構えることを皆し
その人等一同もまた矢を構えることを皆し
故に天皇はまた問い以下
その名を告げるのが当然であるとし
一同は名を告げるを事を各々してから矢を撃つべきとし
それらに対して答え以下
私は問われる事を先にした
故に私が名を先に告げるとし
私という者は事を悪くするのは一言といえども事を良くするのも一言といえどもと告げ
離の神の葛城の一言主大神というも者だと言ったのである
January 26, 2026 at 3:10 PM
(349)現代語訳―①
ある時に葛城山(奈良と大阪の県境)に行くのが吉とし登る事をまたし
その時に官職を与えられた人等は紅紐に青く染めた衣服を着るようにと全員に与えられ
かなたのその向いの山のすそとなる所から山の上に登ってくるものがその時にあり
人(の数)は天皇の鹵簿(ロボ:行列)と同等にはゆうにあり
またその裝束の様及び人々は互いに似ていて見分けがつかず
天皇一同はそれを遠くから見て(その一団に)問うよう命令し以下
ここ倭国において私を除き他に王は無し、(天皇以外の)誰という人がそのようにして(行列で)行く事を今現在するのか
(一団は)すぐに答えて以下
この様はまた天皇の命によるものとし
January 26, 2026 at 3:09 PM
古事記(349)直訳―②
是らに於いて天皇は忿を大いにして矢が刺すとし
百官の人等は矢が刺すを悉くす
爾らが其の人等亦た矢が刺すを皆し
故に天皇は亦た問い曰く
其の名を告ぐ然りと
爾らは名を告げるを各して矢を彈く
是らに於いて答え曰く
吾は問うを見うを先にす
故に吾が名を先に爲す
吾なる者は事を惡しくして一言と雖も事を善として一言と雖もと告げ
離の神の葛城の一言主大神者と言う也
January 26, 2026 at 2:50 PM
古事記(349)直訳―①
一時葛城山を幸とし登るを又し
之が時にし百官の人等は紅紐の青摺の衣服を著し給うを悉くされ
彼に其の向いの山尾とする所自り山上に登る有るを時にし
人は天皇の鹵簿と等しくすを既にし
亦た其の裝束の状及び人衆は似るを相し傾かず
爾らが天皇は望み問うを令し曰く
茲倭國に於いて吾を除き亦た王無し誰人が此の如くして行くを今す
即ち答えて曰く
之が状は亦た天皇の命の如くす
January 26, 2026 at 2:50 PM
古事記(349)原文 
又一時登幸葛城山
之時百官人等悉給著紅紐之青摺衣服
彼時有其自所向之山尾登山上
人既等天皇之鹵簿
亦其裝束之状及人衆相似不傾
爾天皇望令問曰
於茲倭國除吾亦無王今誰人如此而行
即答曰
之状亦如天皇之命
於是天皇大忿而矢刺
百官人等悉矢刺
爾其人等亦皆矢刺
故天皇亦問曰
然告其名
爾各告名而彈矢
於是答曰
吾先見問
故吾先爲名
告吾者雖惡事而一言雖善事而一言
言離之神葛城之一言主大神者也
January 26, 2026 at 2:49 PM
古事記(348)解説
葛城の山の上に行くとそこに山の主の大猪がいて、その猪に矢を射ると怒って唸り声を上げながら向かってきて、それを恐れて皆で木の上に逃げたと。歌の内容としても葛城の山で休んでいた大王が出てきた猪に矢を射て傷を負わせ、唸り声に恐ろしくなり皆ではしばみの木の上に逃げたと。
January 23, 2026 at 1:38 AM
古事記(348)現代語訳
ある時にまた
天皇は葛城(奈良県葛城郡)の山の上に行くのが吉とし登り
(山の)主である大猪が現れ
すぐに天皇は鳴鏑(音が鳴る矢)をもってその猪を射て
その時にその猪は怒ってうなりながら寄って来て
故に天皇はそのうなり声を畏れ
榛(はしばみの木)の上に登りそこにいて
一同は歌い以下
ヤスミシシ(休みしし)
ワガオホキミノ(我が大王の)
アソバシシ(あそばしし)
シシノヤミシシノ(猪のやみししの)
ウタキカシコミ(うたきかしこみ)
ワガニゲノボリシ(我が逃げ登りし)
アリヲノ(ありをの)
ハリノキノエダ(榛の木の枝)
January 23, 2026 at 1:38 AM
古事記(348)直訳
一時に又し
天皇は葛城の山の上を幸とし登り
爾らが大猪が出で
即ち天皇は鳴鏑を以て其の猪を射
之が時にし其の猪は怒りてウタキ依り來〈宇多岐の三字は音を以てす〉
故に天皇は其のウタキを畏れ
榛の上に坐し登り
爾らは歌い曰く
ヤスミシシ(休みしし)
ワガオホキミノ(我が大王の)
アソバシシ(あそばしし)
シシノヤミシシノ(猪のやみししの)
ウタキカシコミ(うたきかしこみ)
ワガニゲノボリシ(我が逃げ登りし)
アリヲノ(ありをの)
ハリノキノエダ(榛の木の枝)
January 23, 2026 at 1:35 AM
古事記(348)原文
又一時
天皇登幸葛城之山上
爾大猪出
即天皇以鳴鏑射其猪
之時其猪怒而宇多岐依來〈宇多岐三字以音〉
故天皇畏其宇多岐
登坐榛上
爾歌曰
夜須美斯志
和賀意富岐美能
阿蘇婆志斯
志斯能夜美斯志能
宇多岐加斯古美
和賀爾宜能煩理斯
阿理袁能
波理能紀能延陀
January 23, 2026 at 1:35 AM
古事記(347)解説
吉野川(紀ノ川)の河口からすぐに吉野(奈良県吉野郡の小牟漏岳)に猪がいるという事で狩猟をするとして向かい、そこでまた胡坐(仮設の滞在地)を立てて休んでいると、天皇が虻の一団に襲われ、すぐに蜻蛉(訓読みでアキヅ)が来て虻を喰い飛び去ったと。
歌の内容としては蜻蛉が上記のような経緯で天皇のために働いて名を上げたため、その野の名前はアキヅ野になったと。
January 20, 2026 at 4:29 AM
古事記(347)現代語訳―②
シシマツト(猪待つと)
アグラニイマシ(胡坐に居まし)
シロタヘノ(しろたへの)
ソテキソナフ(袖きなそふ)
タコムラニ(手こむらに)
アムカキツキ(虻咬みつき)
ソノアムヲ(その虻を)
アキヅハヨグヒ(あきづはよ喰い)
カクノゴト(かくのごと)
ナニヲハムト(名に負はむと)
ソラミツ(そらみつ)
ヤマトノクニヲ(大和の国の)
アキヅシマトフ(あきづ島とふ)
故にその時からその野の呼び名としアキヅ野というのである
January 20, 2026 at 4:28 AM
古事記(347)現代語訳―①
(そこから)すぐにアキヅ野(奈良県吉野郡)へ行くのが良いとして御猟をし
その時に天皇は御呉床に滞在し
虻の一団が御腕を噛み
すぐにトンボが来てその虻を喰い飛び去り〈蜻蛉を訓読みでアキヅという〉
それらの事があって御歌を作り
その歌は以下
ミエシヌノ(みえし野の)
ヲムロガタケニ(をむろが岳に)
シシフスト(猪伏すと)
タレソオホマヘニマヲス(誰そ大前に申す)
ヤスミシシワガオホキミノ(休みしし我が大王の)
January 20, 2026 at 4:28 AM
古事記(347)直訳―②
シシマツト(猪待つと)
アグラニイマシ(胡坐に居まし)
シロタヘノ(しろたへの)
ソテキソナフ(袖きなそふ)
タコムラニ(手こむらに)
アムカキツキ(虻咬みつき)
ソノアムヲ(その虻を)
アキヅハヨグヒ(あきづはよ喰い)
カクノゴト(かくのごと)
ナニヲハムト(名に負はむと)
ソラミツ(そらみつ)
ヤマトノクニヲ(大和の国の)
アキヅシマトフ(あきづ島とふ)
故に其の時自り其の野を號しアキヅ野と謂う也
January 20, 2026 at 4:18 AM
古事記(347)直訳―①
即ちアキヅ野が幸として御猟し
之が時にし天皇は御呉床に坐し
爾らが虻が御腕を咋い
即ち蜻蛉が來て其の虻を咋いて飛ぶ〈蜻蛉を訓でアキヅと云う〉
是らに於いて御歌を作り
其の歌は曰く
ミエシヌノ(みえし野の)
ヲムロガタケニ(をむろが岳に)
シシフスト(猪伏すと)
タレソ(誰そ)
オホマヘニマヲス(大前に申す)
ヤスミシシ(休みしし)
ワガオホキミノ(我が大王の)
January 20, 2026 at 4:17 AM
古事記(347)原文
即幸阿岐豆野而御猟
之時天皇坐御呉床
爾虻咋御腕
即蜻蛉來咋其虻而飛〈訓蜻蛉云阿岐豆〉
於是作御歌
其歌曰
美延斯怒能
袁牟漏賀多氣爾
志斯布須登
多禮曾
意富麻幣爾麻袁須
夜須美斯志
和賀淤富岐美能
斯志麻都登
阿具良爾伊麻志
斯漏多閇能
蘇弖岐蘇那布
多古牟良爾
阿牟加岐都岐
曾能阿牟袁
阿岐豆波夜具比
加久能碁登
那爾於波牟登
蘇良美都 
夜麻登能久爾袁
阿岐豆志麻登布 
故自其時號其野謂阿岐豆野也
January 20, 2026 at 4:15 AM
(346)解説
「幸行」(行く事を幸とする)がその後の「行幸」(天皇の遠出)となっていると思われますね。天皇が遠出をする際にはその吉凶等を占ってから出かけるようにしていたため、そこへ行くのが幸(吉)とされる日にしか遠出はしないという事ですね。
アカイコの件とほぼ同じケースで、天皇はその場で婚姻を結んでしまうほどですので、目を付けた美しい女性を忘れてしまうという事はないと思われ、やはりアカイコに声を掛けた雄略天皇はその直後に亡くなったという事をこの話でも暗示していると思われます。
歌の内容としては、神の末裔である天皇が琴を弾いてその音楽に合わせて美しい女性が舞う様はこの世のものとは思えないと。
January 17, 2026 at 5:23 AM
(346)現代語訳
天皇は吉野の宮に行く事を吉とし
その時に吉野川(紀ノ川)の河口に幼い娘がいて
その顔形の見た目が良く美しい姿であり
故にそれらの幼い娘と婚姻を結んで(連れ)帰り
宮において住まわせ、さらに後の事
また吉野に行く事を吉とし
その時にその幼い娘と遭った場所に留まり
その場所において
大御呉床(仮設の滞在地)を立ててその御呉床に滞在し
御琴を弾きその女性に舞を踊るよう命令し
一同はその女性の舞のすばらしさから
御歌を作り
その歌は以下
アグラヰノ(呉床居の)
カミノミテモチ(神の御手もち)
ヒクコトニ(弾く琴に)
マヒスルヲミナ(舞するをみな)
トコヨニモカモ(常世にもかも)
January 17, 2026 at 5:21 AM
古事記(346)直訳
天皇は吉野の宮に行くを幸とし
之が時にし吉野川の濱にし童女有り
其の形は麗し美し姿とし
故に是らの童女と婚して還し
宮に於いて坐し更に後にし
亦た吉野に行くを幸とし
之が時にし其の童女の遇う所に留め
其の處に於いて
大御呉床を立てて其の御呉床に坐し
御琴を彈き其の孃子に儛いを爲すを令し
爾らは其の孃子の好ましい儛い因り
御歌を作り
其の歌は曰く
アグラヰノ(あぐらいの)
カミノミテモチ(神の御手もち)
ヒクコトニ(弾く琴に)
マヒスルヲミナ(舞するをみな)
トコヨニモカモ(常世にもかも)
January 17, 2026 at 5:20 AM
古事記(346)原文
天皇幸行吉野宮
之時吉野川之濱有童女
其形姿美麗
故婚是童女而還
坐於宮後更
亦幸行吉野
之時留其童女之所遇
於其處
立大御呉床而坐其御呉床
彈御琴令爲儛其孃子
爾因其孃子之好儛
作御歌
其歌曰
阿具良韋能
加微能美弖母知
比久許登爾
麻比須流袁美那
登許余爾母加母
January 17, 2026 at 5:20 AM
古事記(345)解説―②
歌の内容としてはそれぞれ天皇の歌を受けて、前半は三諸山(三輪山)は神の山で、その神社の垣は三諸山の白樫の木で造られていたと思われ、今後アカイコの身(残りの人生と財力)は三輪山の神(神社の垣の造営等)に捧げると。
後半は日下江(東大阪市)の入り江の蓮の花のように生命力にあふれる若い人々がうらやましいと事だと。
January 16, 2026 at 1:01 AM
古事記(345)解説―①
引田部のアカイコという女性の家は、蔵に天皇に献上できるほどの宝物があり、また衣を赤く染めることができるというのも、かなりの財力を持った家の女性と思われ、天皇が側室として迎えるにも十分な家の女性であったにも関わらず迎えが来なかったというのは、124歳まで生きたとされていますが、現実にはアカイコに声を掛けた雄略天皇はその直後に亡くなっていたからではないかと思われます。
January 16, 2026 at 12:51 AM
古事記(345)現代語訳
アカイコは一同を代表し
彼女は泣き
涙はその服の赤く染めたところの袖を濡らす事をことごとくし 
その(天皇の)大御歌に答えて歌い以下
ミモロニ(三諸に)
ツクヤタマカキ(つくや玉垣)
ツキアマシ(つきあまし)
タニカモヨラム(たにかもよらむ)
カミノミヤヒト(神の宮人)
歌うを事をまたし以下
クサカエノ(日下江の)
イリエノハチス(入り江のはちす)
ハナバチス(花ばちす)
ミノサカリビト(身の盛り人)
トモシキロカモ(ともしきろかも) 
(天皇)一同は多くの祿(褒賞)をの老女に与え贈り返す事をもってしたのである
故にこの四歌はシヅ歌とするのである
January 16, 2026 at 12:49 AM