それやるなら裏で示し合わせとかないとワンチャンやられたやつが死ぬで
それやるなら裏で示し合わせとかないとワンチャンやられたやつが死ぬで
喋ってて消費エネルギー少なくて済む人の方が一緒にいて楽なんだからそっち選ぶよねってだけの話で
喋ってて消費エネルギー少なくて済む人の方が一緒にいて楽なんだからそっち選ぶよねってだけの話で
あなたには頼れないから頼ってねえんだわ
頼れるヤツにはんな事言われなくても頼ってるから
あなたには頼れないから頼ってねえんだわ
頼れるヤツにはんな事言われなくても頼ってるから
自分のやりたい企画なんだよね?
不慣れだからじゃねえんだよこっちだってべつに慣れてねえけどやってるだろうが
自分のやりたい企画なんだよね?
不慣れだからじゃねえんだよこっちだってべつに慣れてねえけどやってるだろうが
人に頼って困った状況の方が多いから頼りたくない
信じられるのは自分だけ自分でやった方が早い
ってなるじゃん
子供の時からそう
人に頼って困った状況の方が多いから頼りたくない
信じられるのは自分だけ自分でやった方が早い
ってなるじゃん
子供の時からそう
教えて貰って自分でも調べて10-12月に出回るってネットに書いてたから採用して
いざ11月末にそろそろ買っとこうかな〜って思うんですけど普通の花屋で売ってますかね?って確認したら「もう無いよ11月半ばくらいがピークじゃない?」って言われて実際ギリギリ花屋さんに残ってたの買わせてもらったみたいな状況で
3週間月持たせて
実がボロボロおちちゃって
ベストな状態で準備できなくて
12月に手に入る植物って聞いたじゃん
茶室に生けるまで言ったのに
信頼できない
教えて貰って自分でも調べて10-12月に出回るってネットに書いてたから採用して
いざ11月末にそろそろ買っとこうかな〜って思うんですけど普通の花屋で売ってますかね?って確認したら「もう無いよ11月半ばくらいがピークじゃない?」って言われて実際ギリギリ花屋さんに残ってたの買わせてもらったみたいな状況で
3週間月持たせて
実がボロボロおちちゃって
ベストな状態で準備できなくて
12月に手に入る植物って聞いたじゃん
茶室に生けるまで言ったのに
信頼できない
ワイが困ってる人を助けようとしちゃうのは
自分が困ってる時に誰も助けてくれなくて悲しかったから
ワイが困ってる人を助けようとしちゃうのは
自分が困ってる時に誰も助けてくれなくて悲しかったから
ヒロインに刺さなきゃいけないセリフを初日ウケたからってワイじゃなくて客にベクトル飛ばした主役をみてあーベテランでもこんなもんなょだってなって
その向けられた感情を打ち返すことでこっちの芝居成立させてたのに
自分でやらざるを得なくて
なんで仲間にそんな仕打ちができるのって思ったよね。初舞台で。初舞台で。座組の仲間が信じられないのはここから。
稽古重ねて「この人は芝居変えない人だ!」ってなったら石ころの中でダイヤ見つけたみたいな感じで即懐くよね。
ヒロインに刺さなきゃいけないセリフを初日ウケたからってワイじゃなくて客にベクトル飛ばした主役をみてあーベテランでもこんなもんなょだってなって
その向けられた感情を打ち返すことでこっちの芝居成立させてたのに
自分でやらざるを得なくて
なんで仲間にそんな仕打ちができるのって思ったよね。初舞台で。初舞台で。座組の仲間が信じられないのはここから。
稽古重ねて「この人は芝居変えない人だ!」ってなったら石ころの中でダイヤ見つけたみたいな感じで即懐くよね。
内面を感じてからセリフを言うみたいな手法だとズレやすいんよ演劇では。
気分が乗らなくても自然と転がるように
とはいえメンタルは芝居に出るからメンタル管理もやらなあかん(落ちてるときバレまくってる
内面を感じてからセリフを言うみたいな手法だとズレやすいんよ演劇では。
気分が乗らなくても自然と転がるように
とはいえメンタルは芝居に出るからメンタル管理もやらなあかん(落ちてるときバレまくってる
その「生物であるところの舞台演劇という表現において材料である役者はいかに再現性のある芝居をするか」が一生議論されてきたわけで
その議論の末に効果が高そうだっていう方法がスタニスラフスキーとかであって、後期スタニスラフスキーだと「内側から毎回作るやつだと役者本人のメンタルとかが影響して毎回おなじ結果を得るのむずくねえ?」ってとこにたどりついてるやけで、
その「生物であるところの舞台演劇という表現において材料である役者はいかに再現性のある芝居をするか」が一生議論されてきたわけで
その議論の末に効果が高そうだっていう方法がスタニスラフスキーとかであって、後期スタニスラフスキーだと「内側から毎回作るやつだと役者本人のメンタルとかが影響して毎回おなじ結果を得るのむずくねえ?」ってとこにたどりついてるやけで、
芝居を変えるのでも、同じ方向性や効果を得られる状態で出力の強さが変わるのは大丈夫、出力されたものに適した力でこっちも返せばいいだけだから。
方向性や効果を変えたら指揮者が観客に与えようと狙ったものを提供できなくなるし、ドミノのコマが1個ずれるわけだからスムーズにそのあとが繋がらなくなる
それは料金をもらって演劇体験を売る仕事として、製作者が意図した質のものを売れなくなってしまう訳で・・・
芝居を変えるのでも、同じ方向性や効果を得られる状態で出力の強さが変わるのは大丈夫、出力されたものに適した力でこっちも返せばいいだけだから。
方向性や効果を変えたら指揮者が観客に与えようと狙ったものを提供できなくなるし、ドミノのコマが1個ずれるわけだからスムーズにそのあとが繋がらなくなる
それは料金をもらって演劇体験を売る仕事として、製作者が意図した質のものを売れなくなってしまう訳で・・・