AがBの代わりに仕事をしている、というのと一人で仕事をしているというのでは同じことをやってても全然感想が変わる
結局のところ努力してるのも苦しんでるのも頑張ってるのも全部一人の人間がやっていることなのでそこに人にやらせて自分は楽をしている人間はいないんだけど
一方で人格ごとに苦しみは違う、個々の人格には個々の挑戦がある、も事実で
だからこそ要圭には普通のキャラクターの何倍もの魅力が詰まってるなーと思う
AがBの代わりに仕事をしている、というのと一人で仕事をしているというのでは同じことをやってても全然感想が変わる
結局のところ努力してるのも苦しんでるのも頑張ってるのも全部一人の人間がやっていることなのでそこに人にやらせて自分は楽をしている人間はいないんだけど
一方で人格ごとに苦しみは違う、個々の人格には個々の挑戦がある、も事実で
だからこそ要圭には普通のキャラクターの何倍もの魅力が詰まってるなーと思う
恋愛とは誰かを代わりのいない存在だと思い込む勘違いだ、とか
恋愛とは誰かを代わりのいない存在だと思い込む勘違いだ、とか
自分は待つことしかできない
能動的に愛する側だと相手から同じ気持ちが返ってこなくても自分が愛を捧げた時点で目的は達成されている
自分は待つことしかできない
能動的に愛する側だと相手から同じ気持ちが返ってこなくても自分が愛を捧げた時点で目的は達成されている
私は二重人格の要圭が好きだし片方だけ取り出すようなことはどうしても想像できないんだけど、パッと人格変わった時に目の前の人から「お前じゃない」ってされるの辛すぎる
人格ごとにその辺分けてる人はそんなひどい展開はしなくて、何かしら円満な関係なんだろうけど、想像したら心臓がギューってなるな
私は二重人格の要圭が好きだし片方だけ取り出すようなことはどうしても想像できないんだけど、パッと人格変わった時に目の前の人から「お前じゃない」ってされるの辛すぎる
人格ごとにその辺分けてる人はそんなひどい展開はしなくて、何かしら円満な関係なんだろうけど、想像したら心臓がギューってなるな
一つの体で好きな人違うと大変だろうな
相手から見ても今日の要圭には恋してるけど明日の要圭には恋してないってなるわけだし
修羅場になる創作もありそうだろうけど私が読んだ中には無かった
昔読んだ二重人格ものの少女漫画は、同じ人を好きになった結果人格同士で嫉妬とかしてたんだよね
そういう意味でははるけいちゃんも嫉妬の話は出来るのか
あんまり楽しくないから私は書かないだろうけど
一つの体で好きな人違うと大変だろうな
相手から見ても今日の要圭には恋してるけど明日の要圭には恋してないってなるわけだし
修羅場になる創作もありそうだろうけど私が読んだ中には無かった
昔読んだ二重人格ものの少女漫画は、同じ人を好きになった結果人格同士で嫉妬とかしてたんだよね
そういう意味でははるけいちゃんも嫉妬の話は出来るのか
あんまり楽しくないから私は書かないだろうけど
二次創作にも「ある」と「ない」があり、ないから書く、あるから書くがあるよね(原作にはどっちもないのは前提として)
二次創作にも「ある」と「ない」があり、ないから書く、あるから書くがあるよね(原作にはどっちもないのは前提として)
そんな夜鷹純、見たいような見なくないような
20歳で引退して、そこから先も人生は続くのに彼の中にはもう何もない、というのが良い
親友が生きる意味をくれたわけだが、結局それは他人のものであって夜鷹純自身の中には無い(ように書かれてる気がする)
そんな夜鷹純、見たいような見なくないような
20歳で引退して、そこから先も人生は続くのに彼の中にはもう何もない、というのが良い
親友が生きる意味をくれたわけだが、結局それは他人のものであって夜鷹純自身の中には無い(ように書かれてる気がする)
葉流火に対してと同じくらい激重感情抱けるような人は流石に無理だろうし、そうなると全ての感情がぼやけた味になりそうだけど
葉流火に対しての気持ちに一切恋愛感情がなかったらこの人に会って恋を知ったみたいなのならある、かなぁ?
まあでも少なくとも恋して二重人格にはならないだろうな
葉流火に対してと同じくらい激重感情抱けるような人は流石に無理だろうし、そうなると全ての感情がぼやけた味になりそうだけど
葉流火に対しての気持ちに一切恋愛感情がなかったらこの人に会って恋を知ったみたいなのならある、かなぁ?
まあでも少なくとも恋して二重人格にはならないだろうな
とにかく穏やかで満ち足りていて何も心をざわつかせるものがない
礼儀正しく相手を尊重して自分の境界を越えることも越えられることもない
たまに現実なのかわからなくなるんだけど画面越しに葉流火の姿を見るとちゃんと心臓が潰れそうなくらい苦しいからああまだちゃんと俺は生きてるんだなって思い出す
とにかく穏やかで満ち足りていて何も心をざわつかせるものがない
礼儀正しく相手を尊重して自分の境界を越えることも越えられることもない
たまに現実なのかわからなくなるんだけど画面越しに葉流火の姿を見るとちゃんと心臓が潰れそうなくらい苦しいからああまだちゃんと俺は生きてるんだなって思い出す
ABっていうマイナーカプがあるんだけど、AB自体は友達として仲良しだしその二人のカプも想像は付くんだけど他キャラとの関係性考えるとしっくり来なさすぎて流行らない
ぼばで例えたらはるちゃんがモブと付き合うようになったとして、葉流火のことなら俺よりモブが詳しいぞ?みたいなことを智将に言わせられるかというと無理かなっていう……
顔カプとかだとほんと二人でイチャイチャしてるところは想像できても他の設定と噛み合わなさすぎて難しいとかあるよね
そしてオタクはパラレルワールドに行くことになるのだった
ABっていうマイナーカプがあるんだけど、AB自体は友達として仲良しだしその二人のカプも想像は付くんだけど他キャラとの関係性考えるとしっくり来なさすぎて流行らない
ぼばで例えたらはるちゃんがモブと付き合うようになったとして、葉流火のことなら俺よりモブが詳しいぞ?みたいなことを智将に言わせられるかというと無理かなっていう……
顔カプとかだとほんと二人でイチャイチャしてるところは想像できても他の設定と噛み合わなさすぎて難しいとかあるよね
そしてオタクはパラレルワールドに行くことになるのだった
結構Xにいない人もいそうだしね
結構Xにいない人もいそうだしね
そこまでして与えられた未来を要圭のために全部捨てて小手指に来た葉流火との賢者の贈り物的なすれ違いがキモなので、互いが互いのために捧げたものの価値は高ければ高いほどいい
そこまでして与えられた未来を要圭のために全部捨てて小手指に来た葉流火との賢者の贈り物的なすれ違いがキモなので、互いが互いのために捧げたものの価値は高ければ高いほどいい
見た上で「違う」と思ってくれた人、ぜひお話ししたいけど勿論無理なのであった
あーー、話したいよ……
誰かとここどう思う?ってざっくばらんに相談したい
見た上で「違う」と思ってくれた人、ぜひお話ししたいけど勿論無理なのであった
あーー、話したいよ……
誰かとここどう思う?ってざっくばらんに相談したい
つまり圭ちゃんが無くした記憶は智将で、智将が目覚めた後も圭ちゃん側には記憶は戻らない、圭ちゃんと智将の記憶は自動で同期されるわけではなくて、同時に目覚めている場合は共通の記憶になるけど、完全に寝てる時の記憶はないって考えたらどうかな
幼少期の野球関係ない記憶とかがどうなってるかわかんないけど、葉流火に出会ってからの記憶はほぼ野球だから、そこがごっそりなくなったままなら圭ちゃんの過去の記憶がほぼない状況にも説明つく気がする
そういう記憶の有無によって圭ちゃんの存在が生まれたのが最近では?と疑われてるわけですが
普通の?二重人格って人格の切り替わりにより自分がやったはずなのに記憶がない、みたいなのはあるけど、人格分裂前の記憶って共有されてるじゃないですか
その辺ぼばはどうなってるんですか?っていう
つまり圭ちゃんが無くした記憶は智将で、智将が目覚めた後も圭ちゃん側には記憶は戻らない、圭ちゃんと智将の記憶は自動で同期されるわけではなくて、同時に目覚めている場合は共通の記憶になるけど、完全に寝てる時の記憶はないって考えたらどうかな
幼少期の野球関係ない記憶とかがどうなってるかわかんないけど、葉流火に出会ってからの記憶はほぼ野球だから、そこがごっそりなくなったままなら圭ちゃんの過去の記憶がほぼない状況にも説明つく気がする
つまり要圭は性格を変えるほど自分を追い込んだ、自ら二重人格になったということが作品の根底にある
単に成熟しただけでその時点では別に二重人格になってなかったとしたら実際にはそこまでは追い込まれてなかった、ということになる
つまり要圭は性格を変えるほど自分を追い込んだ、自ら二重人格になったということが作品の根底にある
単に成熟しただけでその時点では別に二重人格になってなかったとしたら実際にはそこまでは追い込まれてなかった、ということになる
この子達を愛さないとか正気か?って気持ちでいっぱいです
この子達を愛さないとか正気か?って気持ちでいっぱいです
桐島さんがひかわに行ったのが夏彦から逃げるためじゃなくて自分の可能性を信じたから、になることでめちゃくちゃポジティブなエピソードになったのの逆バージョンで諦めないための二重人格じゃなくて諦めたからの二重人格になる
しかもこの説で整合性を取るならその辺をまるっと忘れて勘違いしていたという説明にならざるを得なくて後味が悪いことこの上ない
というところまで考えるとそうじゃないといいなーって思ってしまうのだった
桐島さんがひかわに行ったのが夏彦から逃げるためじゃなくて自分の可能性を信じたから、になることでめちゃくちゃポジティブなエピソードになったのの逆バージョンで諦めないための二重人格じゃなくて諦めたからの二重人格になる
しかもこの説で整合性を取るならその辺をまるっと忘れて勘違いしていたという説明にならざるを得なくて後味が悪いことこの上ない
というところまで考えるとそうじゃないといいなーって思ってしまうのだった