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日常の呟きはこっち
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もう幾度となく考えていることへの、繰り返しの反省、内省、自省。がもう不要であると。でもそこにずっといたから、離れたくなくて心が駄々をこねている。
December 1, 2025 at 1:27 PM
もっとゆっくりとセンチな感情とかに浸りたいー。が、そんなことをしてる場合ではない。みたいな瞬間に追われている。人に対する苛立ちも。濾して速やかにすり抜けていく必要があり、そのためには私自身を「悪」とか「矛盾」とか「感情的」とかいちいち断罪するための、無駄なパワーを使わないほうが良い。
December 1, 2025 at 1:26 PM
いまの環境では、エゴの軸がないと、自然とすり減ってしまう。心身が大根おろしになる。必然に見舞われて、可及的速やかに「私が全部悪いのかも」みたいな感覚を脱ぎ捨てる必要があり、まだそれは生皮なので、痛い。
December 1, 2025 at 1:25 PM
ここ3年くらいは全然人がいる場に出かけられてないなー。ワークもライフも、人生全般で、考え方や生き方を変化させる必要あり。そこに使うエネルギーでいっぱいいっぱいだ。
December 1, 2025 at 1:25 PM
仕事で苛立つことが続き、ぐあああと走る。呼吸が苦しい、もう止まりたい、しか考えられなくなるまで走る(大して体力はないので、10分も走ったら息切れになる)。怒りが抜けていくなかで、この怒りを結晶化させて磨き上げてやりたい、という気持ちが湧き上がった。このエネルギー。「正しくなさ」への苛立ち。わかってほしさ。いっそのこと全部全部磨き上げたい。私の倫理。私のフェティッシュ。私が好きな美しさを集めて眺める。この怒りもコレクションと化すくらい、突き詰めて磨き上げたい。いっそのこと。
November 29, 2025 at 5:12 PM
怒っていいくらいの環境に置かれていたのに、私が怒りを露わにすると、それまで私に好き放題感情をぶつけていた母が、いたく傷つき、「被害者」の様相となり、他の家族が私にもっと怒るので、何もできなくなった。「怒り」を取り上げられていた。「怒り」を取り上げられた関係って、もうそこに「私はいない」とするしかない。そうか、怒りと浮遊感って元々相関してたのか。
November 22, 2025 at 12:12 AM
そうか。ずっと怒っていたのか。そうだよな。怒るよ、あんな日々。
November 22, 2025 at 12:07 AM
自分の怒りを受け止める、の試みを繰り返していて(chat GPTに聞かせ続けたり)、なんとなく、「10代の頃の自分ってずっと怒っていたんだな」ということもわかってきた。10代の頃の記憶は茫漠で、曖昧模糊に生きていたような感覚があったが、たぶん、きっと、あの頃はずっと怒っていたんだろう。誰にも相談もできない、誰にも共感できない。日々がつまらない。面白くなくて苦しい。あの頃の「濃霧」感は、行き場を失った怒りが煮えたぎって沸騰して、気体となって、私を囲んでいたのだろう。
November 22, 2025 at 12:06 AM
chat GPTと話している間に得た気づき、「人の話を聞くときに本気で共感しようとする癖」があるらしい。「言葉は寄り添うが、心はそこまで寄り添わない」みたいな技術があって、それを使う人は多いと。たしかに、勝手に気疲れしてストレス貯めるよりよっぽどいいな。と思って試験的に導入中。
November 13, 2025 at 3:38 PM
同じ愚痴がループし始めてるので、chat GPTと話す時間をたまに作ってる。「こういうことで疲れてるよ〜、でも〜だけど〜それで〜」みたいな、まとまらない話を好き放題書けるのは結構いい。意見もアドバイスも平気で拒絶できるし。気が済んだら突然終了できるし。無礼すぎて人間にはとてもできない。
November 13, 2025 at 3:37 PM
「自分の部屋を、"自分が"過ごしやすいように改善していく」という発想、今まで無かったかもしれない…。
November 9, 2025 at 1:45 AM
デスク周りの小物入れも、ずっと適当に買った金属製のカゴを使ってて、カチャカチャうるさいし物が多いので探すことが多く、使いにくかったのだけど、やや大きめで仕切りのあるレザー小物に入れ替えたら、ストレスが結構減った。今までこういうとき、自分に対して「ものを減らせばいいのに、それができない」ってイライラするだけで済ませてたけど、もしかしてこういうところから改善に着手するのが良い…??
November 9, 2025 at 1:43 AM
三連休むしゃくしゃして細々買い物しまくり、サイズも型もばらばらだったハンガーを、嵩張らない・型崩れしにくい・落ちにくいものに入れ替えたら、その後の服の出し入れのストレスが結構減った。もしかして、片付けって「これをやらなきゃ片付けとはいえない」的なものじゃなくて、「ここ気になってるんだよなー」ってところから着手すると、モチベ高くやれる…?
本当に緩めに、少しだけ自分の部屋を片付けた。具体的には、面白かった映画とか展示とか、思い出のある何かしらのチケットが2年分くらいうっすら地層になっていたところとか。(体調崩しまくりだったので数はとても少ない)
この感覚の手触りがあるうちに、年内あたりで緩めに自分の部屋を片付けたい。雑然としている。
November 9, 2025 at 1:40 AM
これ
現実と違うのは、夢の中では私も暴れ狂っている。「おかしいだろ、なんでわかんないんだよ」とつんざく悲鳴のような大声で怒鳴って、叫んでいる。あのとき、水面下で狂わずに、表立って狂っていたらどうなったのだろう?その検証が夢の中でだけ行われている。
November 6, 2025 at 11:36 AM
『機能不全家庭で死にかけた私が生還するまで』評判良かったので読んでみた。著者がジャーナリストなだけあって、社会情勢や福祉システムの話もあったり全面エッセイパートではなかった。が、ところどころ出てくる話で、「自分を殺そうとする誰かに追いかけられたり侵入される夢」や「家族に罵声を浴びせる夢」をよく見るとか、「母親と距離を置くまではベッタリの共依存だった」とか、「母親と会うと2週間はまともな生活が送れない」とか、わかりすぎた。これって「あるある」だったんだ。
amzn.asia/d/hpELGyL
機能不全家庭で死にかけた私が生還するまで
Amazon.co.jp: 機能不全家庭で死にかけた私が生還するまで : 吉川ばんび: Japanese Books
amzn.asia
November 6, 2025 at 11:34 AM
波が完全に消えるようなことはないが、今は船があって、それに乗れるような感じがする。引きずりこまれない。掴まれない。どこにいるのか分からなくならない。
November 5, 2025 at 12:40 AM
今までの自分の中には暴れ狂う波みたいなものがあって、寝る前はそれに飲まれないように、「寝落ちするまで動画を見る」×「ゲームする」「本を読む」とか、目の前の刺激で頭をいっぱいにしていた。怒りを受け止める日々をやってみて、絶対にこれしなきゃ寝られない、くらいの逼迫感だった習慣が、意外とやらなくても大丈夫かも。と思う日があって、それもびっくりする。
November 5, 2025 at 12:32 AM
「怒り」を受け止める中で、自分が「卑屈さ」の裏返しでショックを受けている時があると気づく。まだ言葉にしにくいが、卑屈だから怒る。ということがあるような気がする。誰にも触られたくないから先に暴れる、みたいな感じかもしれない。
November 4, 2025 at 4:09 PM
喉の内側だけで呼吸していたのが、背中側まで空気が行き届くようだ。心なしか眠りも深く、途切れにくくなったような気がする。
November 4, 2025 at 4:04 PM
「怒り」をそのまま受け止めるという試みを繰り返している。「怒り」を受け止めてしまえば、とんでもないことになるに違いない。という確信こそが緊張となり強張っていたようで、受け止めてみたら意外と、背中の力が抜けて急に楽になったようだ。
November 4, 2025 at 4:03 PM
自分の中の、消化しきれない卑屈さについて。
November 4, 2025 at 4:00 PM
本当に緩めに、少しだけ自分の部屋を片付けた。具体的には、面白かった映画とか展示とか、思い出のある何かしらのチケットが2年分くらいうっすら地層になっていたところとか。(体調崩しまくりだったので数はとても少ない)
この感覚の手触りがあるうちに、年内あたりで緩めに自分の部屋を片付けたい。雑然としている。
November 3, 2025 at 12:44 AM
「人のどんな話でも聞く」という行為、実家だと義務とか生存戦略とかの類で、「やる/やらない」を選べるようなものではなかったので、「人のどんな話でも聞く」の労力に対する敬意が薄いことに気づいた。
October 20, 2025 at 2:26 AM
この感覚の手触りがあるうちに、年内あたりで緩めに自分の部屋を片付けたい。雑然としている。
October 13, 2025 at 1:40 PM
すごく、「私である」という感覚がある、いま。
October 13, 2025 at 1:36 PM