そこでスキャン画像に簡単な加工を施し、A3サイズに4面付けのPDF画像を作製し、そのデータを持って近所のコンビニで印刷。後はちまちまとカッターで断裁&中型ホチキスで製本して縮刷影印本を作ってシャツの胸ポケに入れ、電車の中で気軽に読めるようにした。
そしたら読書効率が大幅に良くなった。「手間暇かけたのだから読まなきゃ」という意識が働くようだ。
そこでスキャン画像に簡単な加工を施し、A3サイズに4面付けのPDF画像を作製し、そのデータを持って近所のコンビニで印刷。後はちまちまとカッターで断裁&中型ホチキスで製本して縮刷影印本を作ってシャツの胸ポケに入れ、電車の中で気軽に読めるようにした。
そしたら読書効率が大幅に良くなった。「手間暇かけたのだから読まなきゃ」という意識が働くようだ。
それはそうと、相変わらずレジ周辺に平積みされている本は、つい手にしてパラパラページを捲ってしまいたくなるものばかり。他の書店で見かけても気にならなかった本も、この書店で並べられると何故か興味を惹かれる。でも経済的制限から、2冊に厳選して購入。
その後、馴染みの古書店さんにも立ち寄り3冊程購入。
新刊の本や古書を自由に買える、というのは平和の証なのかもしれない。
それはそうと、相変わらずレジ周辺に平積みされている本は、つい手にしてパラパラページを捲ってしまいたくなるものばかり。他の書店で見かけても気にならなかった本も、この書店で並べられると何故か興味を惹かれる。でも経済的制限から、2冊に厳選して購入。
その後、馴染みの古書店さんにも立ち寄り3冊程購入。
新刊の本や古書を自由に買える、というのは平和の証なのかもしれない。
仲蔵は、某人気講談師の講談を聞いて興味を惹かれた。王莽は元々興味があったが「中国史物の小説は読まない」なる変な縛りを自分に設けてていた(今はそんな縛りはない)。残虐記なる小説は初めて知ったが、ちょっと刺激的な小説も読みたい気分になった。
さあ、これらの本をいつ読む事になるのか、我ながら楽しみであるなぁ。
仲蔵は、某人気講談師の講談を聞いて興味を惹かれた。王莽は元々興味があったが「中国史物の小説は読まない」なる変な縛りを自分に設けてていた(今はそんな縛りはない)。残虐記なる小説は初めて知ったが、ちょっと刺激的な小説も読みたい気分になった。
さあ、これらの本をいつ読む事になるのか、我ながら楽しみであるなぁ。
私は研究者でもなく一介の本好きではあったが、注文してから届くまでのワクワク感や、梱包を解いて本を開いた時に予想以上に魅力的だった時の喜びはかけがえのないものだったな。
今はかなりの古典籍をデジタル閲覧できる時代になってそれはそれで大いに有り難いけれど、現物にしかない魅力もあり、両方の良さを味わう事ができて幸せだった。
しかし古書業界にとっては難儀な時代かもしれない…。
今までお世話になりました。
私は研究者でもなく一介の本好きではあったが、注文してから届くまでのワクワク感や、梱包を解いて本を開いた時に予想以上に魅力的だった時の喜びはかけがえのないものだったな。
今はかなりの古典籍をデジタル閲覧できる時代になってそれはそれで大いに有り難いけれど、現物にしかない魅力もあり、両方の良さを味わう事ができて幸せだった。
しかし古書業界にとっては難儀な時代かもしれない…。
今までお世話になりました。
思いが昂じてつい買ってしまう。
さすがに求職活動中は本を買うのを控え目にしていたけどね。何だかんだ言って、本を買うのは生活費を結構な割合で圧迫するから…(個人差)。
こういう積読活動は久しぶりで、それが再開できるようになった事自体が嬉しいかもしれない。
思いが昂じてつい買ってしまう。
さすがに求職活動中は本を買うのを控え目にしていたけどね。何だかんだ言って、本を買うのは生活費を結構な割合で圧迫するから…(個人差)。
こういう積読活動は久しぶりで、それが再開できるようになった事自体が嬉しいかもしれない。
3月になって再就職が決まり、今は多忙の日々を送っている。そうなると不思議なもので、寸暇を惜しんで本を読むようになった。私にとって読書というものは、実生活との結びつきが大きいのだということをこの度改めて実感することとなったのであった。
3月になって再就職が決まり、今は多忙の日々を送っている。そうなると不思議なもので、寸暇を惜しんで本を読むようになった。私にとって読書というものは、実生活との結びつきが大きいのだということをこの度改めて実感することとなったのであった。
これは、趣味性ゼロの完全なる業務用・業界用のテキストで、我々が書店等で手にする本達がどういう工程で作られるのかがよくわかる。
これは、趣味性ゼロの完全なる業務用・業界用のテキストで、我々が書店等で手にする本達がどういう工程で作られるのかがよくわかる。
その後現在に至るまで、津波に原発事故に次々襲い来る天災、世界的疫病の蔓延、そしてまた大地震………。
個人的な出来事としては、従兄を難病で亡くし、その葬儀の支度をしている最中に母がサギに遭い、その夜にお風呂場で亡くなりそれを翌朝私が発見し…等々…。
あれ以降安定した日常が壊され続けている印象。むしろ、そんなものはただの幻想だったのかもしれない、と思う今日この頃。
その後現在に至るまで、津波に原発事故に次々襲い来る天災、世界的疫病の蔓延、そしてまた大地震………。
個人的な出来事としては、従兄を難病で亡くし、その葬儀の支度をしている最中に母がサギに遭い、その夜にお風呂場で亡くなりそれを翌朝私が発見し…等々…。
あれ以降安定した日常が壊され続けている印象。むしろ、そんなものはただの幻想だったのかもしれない、と思う今日この頃。
それが今日やっと動けるようになった。まあ動きとしては完全に初めてではなかったので、明日からはなるべく無駄がない動きで消耗を軽減させたい。
それが今日やっと動けるようになった。まあ動きとしては完全に初めてではなかったので、明日からはなるべく無駄がない動きで消耗を軽減させたい。
昔の私だったら、300文字程度のことならいくらでも書けたものだ。ブログをやっていた時は、2,000文字を超えないと満足しないくらいだったのに、今はすっかり「140文字制限」に慣らされてしまった。何と嘆かわしい…と一瞬思ったが、常に2,000文字以上の駄文を書き綴っていた時の方が良くない状態だったのでは?と自己反省の気持ちも同時に浮かぶ。
いやいや、それでも140字制限に慣れてしまいすぎるのも良くない。だって、言葉を尽くして意思疎通をしようという気持ちも薄れてしまったからね。
昔の私だったら、300文字程度のことならいくらでも書けたものだ。ブログをやっていた時は、2,000文字を超えないと満足しないくらいだったのに、今はすっかり「140文字制限」に慣らされてしまった。何と嘆かわしい…と一瞬思ったが、常に2,000文字以上の駄文を書き綴っていた時の方が良くない状態だったのでは?と自己反省の気持ちも同時に浮かぶ。
いやいや、それでも140字制限に慣れてしまいすぎるのも良くない。だって、言葉を尽くして意思疎通をしようという気持ちも薄れてしまったからね。
しかし、「昔は良かった」という郷愁(?)哀愁(?)にとらわれて「今」を悪く言うのも違うかも。時代は常に流れているので、その流れの過程である「今」を受け入れ、そうして常に新たな目を以て見つめると、それはそれで昔とは違った楽しさがあると思うのであった。
閑話休題
…と、思いの丈をぶつけてもまだ文字数に余裕がある。Bluesky、𝕏よりも私向きだったのかも。
しかし、「昔は良かった」という郷愁(?)哀愁(?)にとらわれて「今」を悪く言うのも違うかも。時代は常に流れているので、その流れの過程である「今」を受け入れ、そうして常に新たな目を以て見つめると、それはそれで昔とは違った楽しさがあると思うのであった。
閑話休題
…と、思いの丈をぶつけてもまだ文字数に余裕がある。Bluesky、𝕏よりも私向きだったのかも。
読書ってのは、身辺が落ち着いてから初めて没頭できるものなのだなぁ…。
読書ってのは、身辺が落ち着いてから初めて没頭できるものなのだなぁ…。
それまでデジタルとの縁が浅い生き方だったので、そういう意味ではこの半年間は有意義だったかもしれないなぁ。
それはそうと、𝕏では140字だった文字数がここは300字。文字と心に余裕ができるね。
それまでデジタルとの縁が浅い生き方だったので、そういう意味ではこの半年間は有意義だったかもしれないなぁ。
それはそうと、𝕏では140字だった文字数がここは300字。文字と心に余裕ができるね。