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kyoko-np.net/2018030601.h...
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自分は外食をすると酒を飲んでしまうということもあり、基本的に「体力を要する外食」の回数は一週間に3度までにしておいた方がよいな、と感じる。GWは千葉-三陸遠征の流れで五連続外食となったせいで胃腸の具合が完全に狂い、結局完全に立て直すまで十日かかってしまった。
⑴移動距離が長く、⑵拘束時間も長く、⑶場合によっては長期的展開を左右するような交渉を伴う集中力を要する日程が毎日続く。おそらく前期最大の山場であろう。
こういう時になるべく気をつけたいのは、優先度の観点から日々のルーティンを疎かにしないようにすることだろう。毎日データを打ち込むようなタスクを後回しにしてしまったりしない方がいいし、毎日少しずつ読み進めているような本も少しペースを落としてでも続けた方がいい。さもないと、「嵐」が去った後にルーティンを立て直すことにエネルギーを要することになってしまう。
自分は外食をすると酒を飲んでしまうということもあり、基本的に「体力を要する外食」の回数は一週間に3度までにしておいた方がよいな、と感じる。GWは千葉-三陸遠征の流れで五連続外食となったせいで胃腸の具合が完全に狂い、結局完全に立て直すまで十日かかってしまった。
⑴移動距離が長く、⑵拘束時間も長く、⑶場合によっては長期的展開を左右するような交渉を伴う集中力を要する日程が毎日続く。おそらく前期最大の山場であろう。
こういう時になるべく気をつけたいのは、優先度の観点から日々のルーティンを疎かにしないようにすることだろう。毎日データを打ち込むようなタスクを後回しにしてしまったりしない方がいいし、毎日少しずつ読み進めているような本も少しペースを落としてでも続けた方がいい。さもないと、「嵐」が去った後にルーティンを立て直すことにエネルギーを要することになってしまう。
⑴移動距離が長く、⑵拘束時間も長く、⑶場合によっては長期的展開を左右するような交渉を伴う集中力を要する日程が毎日続く。おそらく前期最大の山場であろう。
こういう時になるべく気をつけたいのは、優先度の観点から日々のルーティンを疎かにしないようにすることだろう。毎日データを打ち込むようなタスクを後回しにしてしまったりしない方がいいし、毎日少しずつ読み進めているような本も少しペースを落としてでも続けた方がいい。さもないと、「嵐」が去った後にルーティンを立て直すことにエネルギーを要することになってしまう。
ただ、そうした「傲慢案件」も、それが単なる「無能案件」にも関わらずそれを責め立てるという別種の「傲慢案件」に対する防衛反応として生じていることが多いので、そもそもそれが発生しないようなコミュニケーションスタイルに改めるべきなのだが、そのスタイルを知らないということもまた別種の「無能案件」であり…といった形で、結局は無限背進が続くことになる。
ただ、⑴それがグルーミングになりうる相手かを判断する観察力、あるいは、⑵そもそも、それがグルーミングになり得ない相手が存在するのだという想像力、を持っている人は思ったほど多くはない。⑴や⑵を持っていないことは端的な「無能案件」なので、それを責めるのはお門違いです。そうなると、そのことを責められることなく、自分が⑴と⑵を持っていないということを学習する場が必要になる、ということになるのだと思います。
その上で終わった後のフィードバックでその表現が「相手のためになっていたか」「いっしょになっていたか」を探ります。そこに答えはないけど、ずっと探り続けるのがトレーニングですね。
つまり「素直な反応」といっても素直が一通りしかないわけじゃないので「素直な反応」のなかでもなぜその表現を自分は手に取ったのか、別の表現を手にすることもできたのか、その辺を深めていきます
ただ、そうした「傲慢案件」も、それが単なる「無能案件」にも関わらずそれを責め立てるという別種の「傲慢案件」に対する防衛反応として生じていることが多いので、そもそもそれが発生しないようなコミュニケーションスタイルに改めるべきなのだが、そのスタイルを知らないということもまた別種の「無能案件」であり…といった形で、結局は無限背進が続くことになる。
ただ、⑴それがグルーミングになりうる相手かを判断する観察力、あるいは、⑵そもそも、それがグルーミングになり得ない相手が存在するのだという想像力、を持っている人は思ったほど多くはない。⑴や⑵を持っていないことは端的な「無能案件」なので、それを責めるのはお門違いです。そうなると、そのことを責められることなく、自分が⑴と⑵を持っていないということを学習する場が必要になる、ということになるのだと思います。
その上で終わった後のフィードバックでその表現が「相手のためになっていたか」「いっしょになっていたか」を探ります。そこに答えはないけど、ずっと探り続けるのがトレーニングですね。
つまり「素直な反応」といっても素直が一通りしかないわけじゃないので「素直な反応」のなかでもなぜその表現を自分は手に取ったのか、別の表現を手にすることもできたのか、その辺を深めていきます
これに関しては、その発言が出てくること自体は許容した上で、他の成員が「それに対してどう思うのか」という「and」を重ねていった方がよいと自分は思う。単に「ポリコレに気をつけて口をつぐむ」というのは所詮は対症療法でしかないので。
ただ、⑴それがグルーミングになりうる相手かを判断する観察力、あるいは、⑵そもそも、それがグルーミングになり得ない相手が存在するのだという想像力、を持っている人は思ったほど多くはない。⑴や⑵を持っていないことは端的な「無能案件」なので、それを責めるのはお門違いです。そうなると、そのことを責められることなく、自分が⑴と⑵を持っていないということを学習する場が必要になる、ということになるのだと思います。
これに関しては、その発言が出てくること自体は許容した上で、他の成員が「それに対してどう思うのか」という「and」を重ねていった方がよいと自分は思う。単に「ポリコレに気をつけて口をつぐむ」というのは所詮は対症療法でしかないので。
⑴「遠慮なく言いたいことを言いあえるコミュニティ」には、それまでの積み重ねの中で「yes, and」の「yes」が不可視的に蓄積されている。
この蓄積にはそのコミュニティ自体の歴史と、そのコミュニティ外の社会の歴史の両方が関係する。後者における心理的安全性が低くなると、前者がそれまでのつもりで「yes」を暗黙化した上で「and」を要求しても、新規参入者が尻込みしてしまうことが多い。これを克服するには、①前者における「yes」を明示化する、②新規参入者が「and」を出しやすくするような戦略的働きかけが必要。
これに関しては、その発言が出てくること自体は許容した上で、他の成員が「それに対してどう思うのか」という「and」を重ねていった方がよいと自分は思う。単に「ポリコレに気をつけて口をつぐむ」というのは所詮は対症療法でしかないので。
⑴「遠慮なく言いたいことを言いあえるコミュニティ」には、それまでの積み重ねの中で「yes, and」の「yes」が不可視的に蓄積されている。
この蓄積にはそのコミュニティ自体の歴史と、そのコミュニティ外の社会の歴史の両方が関係する。後者における心理的安全性が低くなると、前者がそれまでのつもりで「yes」を暗黙化した上で「and」を要求しても、新規参入者が尻込みしてしまうことが多い。これを克服するには、①前者における「yes」を明示化する、②新規参入者が「and」を出しやすくするような戦略的働きかけが必要。
⑴「遠慮なく言いたいことを言いあえるコミュニティ」には、それまでの積み重ねの中で「yes, and」の「yes」が不可視的に蓄積されている。
この蓄積にはそのコミュニティ自体の歴史と、そのコミュニティ外の社会の歴史の両方が関係する。後者における心理的安全性が低くなると、前者がそれまでのつもりで「yes」を暗黙化した上で「and」を要求しても、新規参入者が尻込みしてしまうことが多い。これを克服するには、①前者における「yes」を明示化する、②新規参入者が「and」を出しやすくするような戦略的働きかけが必要。
以前、近年の小沢健二を評して、「ニューウェーブ的なアマチュアリズムの皮の下に、プログレ的なプロフェッショナリズムが潜んでいる」と評したことがあったが、この傾向はMETAFIVEとかLOLOETにも感じることがあり、分野を問わず近年のアウトプッターに見られる共通の戦略性なのではないかと思う。そしてそうした戦略がとられる理由は、おそらく以前記事に書いた通りである。
note.com/angenomuddhi...
以前、近年の小沢健二を評して、「ニューウェーブ的なアマチュアリズムの皮の下に、プログレ的なプロフェッショナリズムが潜んでいる」と評したことがあったが、この傾向はMETAFIVEとかLOLOETにも感じることがあり、分野を問わず近年のアウトプッターに見られる共通の戦略性なのではないかと思う。そしてそうした戦略がとられる理由は、おそらく以前記事に書いた通りである。
note.com/angenomuddhi...
まあ、それ言ったら渡英中も似たようなもんではあったのだが、何せ時差があるもんで帰ってきた時点で折角向こうで培った体内時計が無効化されてしまったからな。
今年度からは公私共に外に出る機会が増えてきたため、外出日には強制的に矯正されるのでよいとして、うっかり在宅日に昼寝してしまうと結局夜寝られなくなり、翌日に最悪のコンディションで外出しなければならないなど、QOLに支障が出てしまう。
対策としては、⑴一番眠くなる昼食後に買い物やウォーキングに出かけて矯正する(ただしこの方法はもう少し暑くなるとキツい)。⑵眠い時でもやり過ごせるタスクを投入する。本当はシャワーとかがベストだが、データ関連の単純作業がセカンドベストか。
まあ、それ言ったら渡英中も似たようなもんではあったのだが、何せ時差があるもんで帰ってきた時点で折角向こうで培った体内時計が無効化されてしまったからな。
また⑴は夜寝る前などにやっていると頭がギンギンに冴えて眠くなることを考えると、午前中⑴→午後⑶→夜⑵という順番が望ましいだろう。
無論午後眠い時に退屈な⑶をやるのは、決して快適ではないのだが、QOLを維持したければ、この時間帯しかないだろうな、という感じ。
今年度からは公私共に外に出る機会が増えてきたため、外出日には強制的に矯正されるのでよいとして、うっかり在宅日に昼寝してしまうと結局夜寝られなくなり、翌日に最悪のコンディションで外出しなければならないなど、QOLに支障が出てしまう。
対策としては、⑴一番眠くなる昼食後に買い物やウォーキングに出かけて矯正する(ただしこの方法はもう少し暑くなるとキツい)。⑵眠い時でもやり過ごせるタスクを投入する。本当はシャワーとかがベストだが、データ関連の単純作業がセカンドベストか。
また⑴は夜寝る前などにやっていると頭がギンギンに冴えて眠くなることを考えると、午前中⑴→午後⑶→夜⑵という順番が望ましいだろう。
無論午後眠い時に退屈な⑶をやるのは、決して快適ではないのだが、QOLを維持したければ、この時間帯しかないだろうな、という感じ。
今年度からは公私共に外に出る機会が増えてきたため、外出日には強制的に矯正されるのでよいとして、うっかり在宅日に昼寝してしまうと結局夜寝られなくなり、翌日に最悪のコンディションで外出しなければならないなど、QOLに支障が出てしまう。
対策としては、⑴一番眠くなる昼食後に買い物やウォーキングに出かけて矯正する(ただしこの方法はもう少し暑くなるとキツい)。⑵眠い時でもやり過ごせるタスクを投入する。本当はシャワーとかがベストだが、データ関連の単純作業がセカンドベストか。
今年度からは公私共に外に出る機会が増えてきたため、外出日には強制的に矯正されるのでよいとして、うっかり在宅日に昼寝してしまうと結局夜寝られなくなり、翌日に最悪のコンディションで外出しなければならないなど、QOLに支障が出てしまう。
対策としては、⑴一番眠くなる昼食後に買い物やウォーキングに出かけて矯正する(ただしこの方法はもう少し暑くなるとキツい)。⑵眠い時でもやり過ごせるタスクを投入する。本当はシャワーとかがベストだが、データ関連の単純作業がセカンドベストか。
kyoko-np.net/2018042601.h...
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その後21世紀に入ってからも、そういう解放区みたいな隙間を見つけては居座り、また当局の締め付けが厳しくなると去る、みたいなことを繰り返している。そしてぼちぼち「解放区」というものは自分で作り出さないとならない段階になってきたな、ということも思う。
仕事自体は授業の空きコマに入って、利用者が来なければ座って自分の勉強をしていれば良かったので、事実上返済不要な奨学金をもらっているようなものだった(なので授業がない日もずっと大学にいた)。色んな専攻に跨って友人も出来て世界が広がったし、まあ幸いにして精神衛生に一切の変調を来さぬまま院生時代を終えられた。
その後21世紀に入ってからも、そういう解放区みたいな隙間を見つけては居座り、また当局の締め付けが厳しくなると去る、みたいなことを繰り返している。そしてぼちぼち「解放区」というものは自分で作り出さないとならない段階になってきたな、ということも思う。
仕事自体は授業の空きコマに入って、利用者が来なければ座って自分の勉強をしていれば良かったので、事実上返済不要な奨学金をもらっているようなものだった(なので授業がない日もずっと大学にいた)。色んな専攻に跨って友人も出来て世界が広がったし、まあ幸いにして精神衛生に一切の変調を来さぬまま院生時代を終えられた。
仕事自体は授業の空きコマに入って、利用者が来なければ座って自分の勉強をしていれば良かったので、事実上返済不要な奨学金をもらっているようなものだった(なので授業がない日もずっと大学にいた)。色んな専攻に跨って友人も出来て世界が広がったし、まあ幸いにして精神衛生に一切の変調を来さぬまま院生時代を終えられた。
老師は流行りの潮流からは常に距離をとり、その膨大な知見に基づいて何となくケムを撒くような結論で終わることが常なのだが、やはり盲信するならこういう人だと思う。盲信自体は決して悪いことではない。問題は何かを力説する人を盲信することであり、力説から距離をとって自在に振る舞う仙人を盲信することは、我ら衆生が自在の境地を目指す近道である。
老師は流行りの潮流からは常に距離をとり、その膨大な知見に基づいて何となくケムを撒くような結論で終わることが常なのだが、やはり盲信するならこういう人だと思う。盲信自体は決して悪いことではない。問題は何かを力説する人を盲信することであり、力説から距離をとって自在に振る舞う仙人を盲信することは、我ら衆生が自在の境地を目指す近道である。
多分この程度の覚書でも思い出せるだろうと高を括って略記したのだろうが、二週間後の自分は完全に「他人」であると想定して、もっと親切な覚書を残した方がよい、と痛感した。
論文でも小説でも何でもそうだが、最後まで仕上げるコツは、なるべく間断なく集中して執筆できるまとまった時間を確保することだと思う。そうすることで執筆や資料参照に必要な「脳内アプリ」を並列的に立ち上げることができ、作業能率を加速度的に上げることができる。
逆にまとまった時間を確保できないと、中断のたびに脳内アプリをいちいちスリープ状態から立ち上げ、みたいなことを強いられるため、作業能率が格段に落ちてしまう。
多分この程度の覚書でも思い出せるだろうと高を括って略記したのだろうが、二週間後の自分は完全に「他人」であると想定して、もっと親切な覚書を残した方がよい、と痛感した。
論文でも小説でも何でもそうだが、最後まで仕上げるコツは、なるべく間断なく集中して執筆できるまとまった時間を確保することだと思う。そうすることで執筆や資料参照に必要な「脳内アプリ」を並列的に立ち上げることができ、作業能率を加速度的に上げることができる。
逆にまとまった時間を確保できないと、中断のたびに脳内アプリをいちいちスリープ状態から立ち上げ、みたいなことを強いられるため、作業能率が格段に落ちてしまう。
論文でも小説でも何でもそうだが、最後まで仕上げるコツは、なるべく間断なく集中して執筆できるまとまった時間を確保することだと思う。そうすることで執筆や資料参照に必要な「脳内アプリ」を並列的に立ち上げることができ、作業能率を加速度的に上げることができる。
逆にまとまった時間を確保できないと、中断のたびに脳内アプリをいちいちスリープ状態から立ち上げ、みたいなことを強いられるため、作業能率が格段に落ちてしまう。
これを奇貨として500ページほどの史料を一気に読み進め、それをもとにしてさらに一章分次の論文の筆を進めた。残すは最終章と結論部のみ。とりあえず山は超えた感がある。
明日からは三泊四日の旅に出る。連休明けからはオンライン授業日もなく、週末には毎週のように何らかの予定が入る。研究に関わる作業はより細分化して日常の中にまぶしていかなければならない。
これを奇貨として500ページほどの史料を一気に読み進め、それをもとにしてさらに一章分次の論文の筆を進めた。残すは最終章と結論部のみ。とりあえず山は超えた感がある。
明日からは三泊四日の旅に出る。連休明けからはオンライン授業日もなく、週末には毎週のように何らかの予定が入る。研究に関わる作業はより細分化して日常の中にまぶしていかなければならない。