怖いものがわからない、と彼は言った。それは豪胆だね、と評すると首を振り、怖いものがないのではなく、ただわからないのだ、と言葉を続けた。
彼は時々、夢の中で何か怖いものを見るのだという。しかし、起きればそれが何かを忘れてしまい、わからないままでいるのだと。
わからなければそのままの方が良いじゃないかと言うと、再び彼は否定した。わからない方が、避けたり、分析したりができないから不安なのだそうだ。
ならば、怖そうな話を自分で書いてみたらどうかと私は提案した。とにかく多くを創作する。するとそこから、恐れているものの正体が見えるのではないかと。
#一次創作
#小説
#怪談
怖い話、とはまた違うんですけど。
少し遠くの取引先に顔を出した帰り、その近くにあった商業施設にふと訪れてみたんです。きれいに整備されていたんですが、テナントの入っていない区画も多くて、寂しげな感じでした。
そうした空っぽのショーウィンドウに映る自分を見ていたら、後ろでそれが映っていたんです。いや、幽霊とかじゃなくて。
船なんですよ、ちょっと見上げるくらい大きいのが、悠々と舳先を進ませていて。スクリーンがあって、そこで流れる映像かと思ったんですが、そんなものは当然なくて。
その辺り、海はおろか、川も流れていない地域だったんで。今でもよくわからないんです。
#一次創作
#小説
#怪談
休日出勤で私と、後輩の一人だけオフィスにいた時の話です。
「ここ、幽霊が出る噂があるんですが、知っていましたか」
後輩がそう話しかけてきました。知らないと答えると、幽霊の説明を彼は始めました。
聞いていると妙なことに、見た目や生前の行動など、その特徴が全て目の前の彼に当てはまっています。特に冗談を言っている風でもありません。
「そんな奴ですが、本当に知りませんか。特に、なぜ死んだかとか」
私はなぜか、答えを鮮明に思い浮かべられていたのですが、知らない、と答えました。
「そうですか」
彼がそう言って、その話は終わりでした。
彼は今でも普通に働いています。
#一次創作
#小説
#怪談
キリギリスを捕まえたと言って、同級生のA君が虫籠を家に持ってきました。虫籠は黒いセロハンで一面覆われ、中を見ることはできません。
本当に中にいるのか、と問うと、耳を近づけてみろ、と言うのです。そうすると確かに中から、テープを巻き戻すようなキュルキュル、という音がしました。
鈴虫と音が違うからキリギリスだ、と彼は言いました。
後で母にそのことを話すと、嫌そうな顔をしました。A君の家は近所で評判が良くなかったそうです。何でも家の窓がいつも黒いセロハンで覆われているらしいです。
特に親しくなかった僕に、あの日彼が何を見せに来たのか、今でもわかりません。
#一次創作
#小説
#怪談
外気に長い間晒されていたと思われ、一部読めない箇所もある。
『近畿地方の南部、(判読不能)な祭事が村では伝えられている。毎年、八月(判読不能)の外れの神社に、村民全員の名前を記した紙を奉納する。その後、村民はそれぞれ家に帰り(判読不能)
それから最後、床に就く際に、彼らは頭の左右に、人差し指だけ立てた手を添えながらお辞儀をする。(判読不能)言を唱える。
「牛や、牛や。明日は誰ぞ、昨日は誰ぞ。かくして、あらわ。知らぬ名ぞ」
なお奉納した紙は翌朝、神主のみが確認する決まりとなっている。なお、今回我々はその内容を(判読不能)』
#一次創作
#小説
#怪談
飲み会の帰りに電車で寝てしまい、最寄駅を数駅過ぎてから目を覚ましました。慌てて降りると、幸い反対方面の電車はまだある時間帯だったので、ホームのベンチに座って待つことにしました。ホームの上に他に人はいません。
ふと線路の向こう、金網の奥側に見える道路に目をやると、そこには何人か人が立っていました。暗いからはっきりしませんが、どうやら皆こちらを向き、私を指差しているようです。
「選ばれてしまいましたね」
突然横から声をかけられました。驚いて見るといつからいたのか、スーツの男性が隣に座っていました。
「今度からあの人達、貴方の真似を始めますよ」
#一次創作
#小説
#怪談
山道を1人登っていると上から女が降りてきた。横を向き楽しそうに話をしているが、その隣に誰もいない。気味が悪く、目を合わせないようにしてすれ違った。
ああいう人は見えていないものが見えたり、見えるはずのものが見えなくなっているんだと考えていると、後ろから足音がする。先ほどの女が戻ってきたのかと緊張して振り返ると、健脚そうな若い男性で安心した。ゆっくり歩く私に追いつく彼に会釈すると、先ほど変な女が降りてきませんでしたか、と声をかけてきた。頷くと彼は言葉を続ける。
「足取りも覚束なくて、視線も危うげで怖かったですよね。お2人もどうか、気を付けてくださいね」
#一次創作
#小説
#怪談
ファーストフードの深夜シフトで働いていた頃のことです。朝まで働いた後、家で寝て、大学の授業は午後出るみたいな生活で。
明け方前は客が全然来ないので、その時間にゴミ出しをしていました。それで、その日もゴミ袋を持って外に出ると、道路を挟んだ向こうに誰か、横並びで数人立っていました。ちょうど私から見える位置に。
皆一様に右手を上げ、人差し指だけ立てていて。ええ、上を指差す姿勢のまま、彼らは声を揃えて言いました。
「〇〇さんはこの時間、午前4時51分のことでした」
〇〇がどんな名前か覚えていません。言っていた時刻は覚えているのに。不思議ですよね。
#一次創作
#小説
#怪談
これまでの話で、済んだ人間、という題材が出てくるのは、【済】、【群衆】の二篇だ。済んだ人間とは、『かつて自分と浅からぬ関わりがあったが、何故かその存在を忘れられた人々』である、というのが二篇に共通する。
ちなみに、存在の忘却、という観点で見れば、【上書き】、【磨りガラス】も忘却・認識齟齬を題材にしており、何らかの関係があるかもしれないが、特に前者は人ではなく場所の記憶であり、同文脈に含めるのが適切かは疑問が残る。
済んだ人間に話を戻すと、彼らは何者なのか、今時点では杳として知れない。この怪談を語り続ける中でわかるかも知れず、記述を継続していく。
#一次創作
#小説
#怪談
当時住んでいたアパート、廊下側の窓が磨りガラスでした。
大学から近い為、部屋はよく友人達の溜まり場になっていました。その日も徹夜で飲み明かした後で、昼なのに僕と友人の一人以外、皆寝ていました。
その友人が、皆の飲み物を買ってくると出て行きました。玄関で見送ってから、廊下側の窓をぼんやり見ていたんですが、いつまでも友人の影がよぎらないんです。なのに足音は遠くなっていったから、わけがわからず玄関を開けると、友人は普通に階段を降りようとしていました。
あれが徹夜明けの錯覚かはわかりません。ですが、その友人がどんな奴だったか、もう覚えていないんです。
#一次創作
#小説
#怪談
写真が飾ってあったんです、その家。玄関横にある戸棚の写真立てに。四人家族の写真で、両親と小学生くらいの男の子と、お婆さん。
変だったのが、彼らの目の部分。そこがずれているんです。まるで福笑いみたいに、どれも頭半分横にはみ出していて。
作り物かもしれませんが、そうだとしても目的もわからないでしょう。何か怖くなって、そこから奥へは行かなかったんです。
あの家がどこで、何で自分が玄関に入ったかも覚えてないんです。だから、間違ってまた行っちゃうかもしれない。その時、写真の目が更にずれていて、写真立てからもはみ出てたら、すごく嫌だなって思うんです。
#一次創作
#小説
#怪談
・昨晩の夕食の献立は?
・今朝は何時に起きた?
・通勤中にいつも見る看板の文字は?
・郵便受けにあった封筒の中身は?
・始業後、電話をかけてきたのは誰?
・〇〇という名前に心当たりは?
・ランチセットの値段は?
・あなたのメモ帳に書かれていた、覚えのない単語は?
・小学生の頃の友達の名前は何人言える?
・帰り道、貴方を追っていたのは誰?
・電車でうたた寝した時に見た夢は?
・貴方が忘れていることは何?
・シャンプーの中身いつ詰め替えた?
・本当に貴方は一人暮らし?
・さっきベランダで聞こえた音は?
・昨晩の夕食で、貴方の前に座っていた女は誰?
#一次創作
#小説
#怪談
小さな書店がある。その店を僕が認識して以来ずっと、そこは書店なのだが、なぜか時折、そこが以前定食屋だった記憶が頭をよぎる。おそらく、似た立地の定食屋に訪れたことがどこかであり、その記憶と混同しているのだと理解していた。
ある日、その書店を訪れると、いつにも増して記憶の混同が生じた。その為か、扉を開いた僕は指を一本立てて、奥の店員に見せた。定食屋で一名で入る時のように。
「右手の食券機でまず発券してください」
店員はさも当然のようにそう答え、それから泣き笑いのような表情を浮かべた。きっと僕も同じような表情を浮かべている。立てた指が行き先を失っていた。
#一次創作
#小説
#怪談
子供向けの小さな絵画教室があった。そこの先生が、絵のお題として『理想の家』を描くよう言った。
子供達は自由な発想で絵を描いた。世界各地に繋がる扉がたくさんある家、龍を飼っている家、様々だ。
ある子供は家の中に、無数の人影をぎゅうぎゅうに描いていた。この人達は誰かと尋ねると、彼はこう答えた。
「済んじゃった人達が集まる家だよ」
それから彼は、一つ一つの人影を指差し、その名前を言う。いずれも聞き覚えのない名だ。お友達の名前なの、と先生が尋ねると彼は首を横に振る。
「僕のじゃなくて、全員、先生の友達だった人だよ。済んじゃって、今は先生をじっと見ているだけの」
#一次創作
#小説
#怪談
その集団は毎月決まった日に公民館の会議室を借り、何やら打ち合わせをしている。年齢はばらばらで、参加者も毎回変わっている。彼らの帰った後、職員が部屋の中を確認すると、いつも備え付けのホワイトボードにこう書き残されている。
『今月も私たちは、〇〇さんの真似がよくできました』
〇〇に実際は、ある女性のフルネームが書かれているのだが、職員皆その名前に心当たりはない。
「彼らはわざと残して、聞かれるのを待っているんじゃないか」職員の間ではそう噂している。
「聞いたら、その〇〇さんと言う人の真似を全員でしてきそうで。それで何か完成しちゃうんじゃないかって」
#一次創作
#小説
#怪談
私用のパソコンの中に覚えのないファイルを見つけた。開くと氏名がずらり並ぶかなり長めのリストが出てきた。
リストには以前勤めていたバイト先の同僚、両親の知人、幼稚園の時のクラスの全員など、これまでの人生で自分が関わったことのある人々の名前が全て書かれていた。
このファイルがいつ、誰が作ったか不思議だったが、それ以上に気になったのは、そこに記された何名かの名前だ。いくら頭を捻ってもそれらの名で思い至る知り合いはいない。そして、彼らの欄には必ず『済』という文字が添えられていた。
この『済』が今後増えた時、僕はそれに気づけるだろうか。
#一次創作
#小説
#怪談
玄関の扉を開くと、同じ寮に住む先輩がいた。その脇に、厳重に梱包された何か大きな荷物を抱えていた。
「迷惑かけて悪かった、これはもう捨てるよ」
一月ほど前、彼は可動式のマネキンを持って帰ってきた。自分の服を着せたそれを夜中、寮の廊下に立たせ、他の住人を驚かせて遊んでいたのだ。
大きさから荷物はそのマネキンと思いつつ、僕はそこそこに挨拶をして扉を閉めた。
それから暫くして、めっきり姿を見せなくなった先輩を案じ、住人達は合鍵で彼の部屋を開けた。室内には、あの日の先輩の服を着たマネキンが椅子に腰掛けていて、手元には『リバース』とだけ書かれた紙を挟んでいた。
#一次創作
#小説
#怪談
亡くなった祖父から相続した山には、打ち棄てられた衝立がある。学校や公民館で使われるようなキャスター付きのパーテーションが、木々の間に立っている。面の部分に、几帳面な文字で書かれたメモがテープで貼られている。祖父の字ではない。
『向こう側から覗いて来ることがあります。これがあれば覗いて来るだけですので、撤去しないで下さい』
相続時に確認して以来、数ヶ月ぶりに再び山に足を踏み入れる。前は一つだったパーテーションが、今度はいくつも並べてあった。その一つに別のメモが貼ってある。走り書きのようだ。
『向こうがわのがふえてきました』
#一次創作
#小説
#怪談