年を取るとプルオーバーを着ること減る、と(少し年上の)友人が言っていたことが今、わかってきた。パーカーも年を取ると似合う人を選ぶようになるし、ニットの方が便利(軽くて暖かい)かもしれない。
・・・と、自分は括弧をつけた文章で補足しがちであるのだが、文章の中でメインメッセージとストーリーを明らかにしつつ、具体と抽象のバランスを重視するせいかもしれない。
年を取るとプルオーバーを着ること減る、と(少し年上の)友人が言っていたことが今、わかってきた。パーカーも年を取ると似合う人を選ぶようになるし、ニットの方が便利(軽くて暖かい)かもしれない。
・・・と、自分は括弧をつけた文章で補足しがちであるのだが、文章の中でメインメッセージとストーリーを明らかにしつつ、具体と抽象のバランスを重視するせいかもしれない。
けれど、今ならその意味がよくわかる。
けれど、今ならその意味がよくわかる。
しかし、レストランのオーナーからは「うちには車椅子を使ったお客さんが来ないから必要ない」と断られるケースがあるとのこと。この主張には論理的な誤謬があるのは明らか(前後即因果の誤謬)なのに、現実問題として、スロープ設置の経済合理性や価値を定量的に示すのは難しいだろうな、と思う。来店機会の増加、社会的評価の向上といった要素は確かにあるが、これらを数値で示すのは容易ではない。
しかし、レストランのオーナーからは「うちには車椅子を使ったお客さんが来ないから必要ない」と断られるケースがあるとのこと。この主張には論理的な誤謬があるのは明らか(前後即因果の誤謬)なのに、現実問題として、スロープ設置の経済合理性や価値を定量的に示すのは難しいだろうな、と思う。来店機会の増加、社会的評価の向上といった要素は確かにあるが、これらを数値で示すのは容易ではない。
・創作に比べて現実との距離が近い
・視聴者に感情移入を強く要求する
・演出と「リアル」の境界が曖昧
・出演者の人生など「リアル」がコンテンツとして消費される
とかこういった点が議論されるべき?
けど、「興味がない」という感想だけで語られてしまうと、リアリティショーが抱える課題や利点についての議論が立ち上がらない、みたいな感じがする・・・。
・創作に比べて現実との距離が近い
・視聴者に感情移入を強く要求する
・演出と「リアル」の境界が曖昧
・出演者の人生など「リアル」がコンテンツとして消費される
とかこういった点が議論されるべき?
けど、「興味がない」という感想だけで語られてしまうと、リアリティショーが抱える課題や利点についての議論が立ち上がらない、みたいな感じがする・・・。
こちらは終始「知らんがな」状態だった。
こちらは終始「知らんがな」状態だった。
自撮り、ご飯、景色、文章メインの写真、趣味、飲み屋。そこからさらに、顔が大きく写っている/全身、外食/手作り、など細分化していろいろ試した。
その結果、いいねがつきやすいもの、メッセージが来やすいものなど、傾向がわかってきた。それらは単なる数値とは思うが、他人が何を求めているのか、何をみているのか残酷なまでにわかった。
自撮り、ご飯、景色、文章メインの写真、趣味、飲み屋。そこからさらに、顔が大きく写っている/全身、外食/手作り、など細分化していろいろ試した。
その結果、いいねがつきやすいもの、メッセージが来やすいものなど、傾向がわかってきた。それらは単なる数値とは思うが、他人が何を求めているのか、何をみているのか残酷なまでにわかった。
それが分かっていながらも、ネットのつながりに時間を割いてしまうのは、やっぱり不安や心配があるからなのかな、とも思ったり。
それが分かっていながらも、ネットのつながりに時間を割いてしまうのは、やっぱり不安や心配があるからなのかな、とも思ったり。
「馴染めるかわからないから不安になって断っちゃった」「へぇ…(これはじっくり考えたい話題だ…)」
「馴染めるかわからないから不安になって断っちゃった」「へぇ…(これはじっくり考えたい話題だ…)」
どちらも広い意味では「甘える」と思うが、年齢差があることで虚勢を張らずにいられる、というのは年下側にとって大きなメリットなのだと思った。
どちらも広い意味では「甘える」と思うが、年齢差があることで虚勢を張らずにいられる、というのは年下側にとって大きなメリットなのだと思った。
移動欲を出張で満たしてしまうせいか、余暇ではあまり遠出をしたいと思わなくなる、という側面がありそれがいやだった。
出張でマイルが貯まるという役得もなくなるけど、正直あまり活用できていなかったので、まあいいか、とも思う。
移動欲を出張で満たしてしまうせいか、余暇ではあまり遠出をしたいと思わなくなる、という側面がありそれがいやだった。
出張でマイルが貯まるという役得もなくなるけど、正直あまり活用できていなかったので、まあいいか、とも思う。
「自分はコンテンツを提供する側」と思っていたはずが、気づけば「消費されるコンテンツ」そのものになっていた、という危うさもあるな、と思った。
「自分はコンテンツを提供する側」と思っていたはずが、気づけば「消費されるコンテンツ」そのものになっていた、という危うさもあるな、と思った。
たとえば、「意思表示が曖昧で、好意なのか拒絶なのかわかりづらい」「拒絶が突然」「ドタキャンが多い」といった話は、東京以外(海外含む)に住む人から何度も聞いたことがある。
とはいえ、東京にいる人の多くは自分も含めて地方出身者の集合体。となると、特定の性格の人が多いというより、東京という環境が人をそう振る舞わせている、あるいはそれを許容してしまっている、という話なのかもしれない。
たとえば、「意思表示が曖昧で、好意なのか拒絶なのかわかりづらい」「拒絶が突然」「ドタキャンが多い」といった話は、東京以外(海外含む)に住む人から何度も聞いたことがある。
とはいえ、東京にいる人の多くは自分も含めて地方出身者の集合体。となると、特定の性格の人が多いというより、東京という環境が人をそう振る舞わせている、あるいはそれを許容してしまっている、という話なのかもしれない。
なぜだろうと考えてみると、前者は新しいものに触れること自体を重視しているのに対し、後者は自分の考えの正しさを補強するためにそれらを利用しているからではないか、と思った。
さらなる推察として、後者のタイプはSNSのフォロワーが多い場合、ポストとそれに対するコメントの往復によって、自分の考えの論拠が強まっていると真に感じていそう。でも実際ところ、エコーチェンバーの中にいることに気づけていない場合も多いのでは。
なぜだろうと考えてみると、前者は新しいものに触れること自体を重視しているのに対し、後者は自分の考えの正しさを補強するためにそれらを利用しているからではないか、と思った。
さらなる推察として、後者のタイプはSNSのフォロワーが多い場合、ポストとそれに対するコメントの往復によって、自分の考えの論拠が強まっていると真に感じていそう。でも実際ところ、エコーチェンバーの中にいることに気づけていない場合も多いのでは。