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Equality: What It Means and Why It Matters を読む
February 8, 2026 at 8:19 AM
Power and Progress: Our Thousand-Year Struggle Over Technology and Prosperity を読む
February 6, 2026 at 4:03 AM
P値 ―その正しい理解と適用― を読み直し
February 5, 2026 at 11:52 AM
データ駆動型回帰分析 計量経済学と機械学習の融合 を読む
February 4, 2026 at 11:35 PM
Growth: A History and a Reckoning を読む
February 4, 2026 at 4:55 AM
ポアソン分布・ポアソン回帰・ポアソン過程 を読み直し
February 3, 2026 at 9:58 PM
The Road to Freedom: Economics and the Good Society を読む
February 3, 2026 at 3:45 AM
TSUTAYA WAY ガーデンパーク和歌山店も0時までやってるので助かっている
February 3, 2026 at 3:22 AM
WAY書店TSUTAYAオークワ本社店、24時間営業なの本当にありがたい
February 3, 2026 at 3:20 AM
大規模言語モデル入門を読み直している
February 2, 2026 at 7:08 AM
和歌山の市民図書館って共通テストが終わったら高校生が本当に減る
February 2, 2026 at 4:41 AM
紙の本を買うことは既にコレクションに近い。ほぼ電子書籍で済ませてしまう
February 1, 2026 at 2:20 PM
和歌山にはなぜブックホテルがないのか
February 1, 2026 at 8:50 AM
嶋田氏が相互認識を肯定的に捉えるのなら、匿名性を前提としたインフラ/サードプレイスを目指すより、関係性を育てる“コミュニティとしての場”として位置づけた方が自然ではないか。
実際、多くの和歌山市民にとって読書や映画のインフラは駅やショッピングモールの書店や図書館、ネットやアプリの中にすでにあり、独立系の書店がそれらと差別化しようとすれば、編集性やイベント、関係性によってコミュニティ的に拡大している(ように見える)現在の行動は合理的であると思うのだが。
January 31, 2026 at 7:36 AM
インフラ、サードプレイス、アンチ・コミュニティを目指すと語るのに、匿名性(非承認)の扱いが語りの中で薄いことが最も気になった。
書店巡りが趣味の私は本屋プラグのころから本町文化堂の利用者で、帰和するとたまに何かを買うが、店で会話をしたことはないし、長く滞在することもない。認識されたくないからだ。
コミュニティの外側で過ごしたい人間にとっては、その「非干渉」こそがサードプレイスたり得る条件である。
もし「あなたを覚えている」と示す態度(声かけや常連扱い、文脈共有の前提)が強まるなら、私のような利用者にとっては利用のハードルが一気に上がり、足が遠のく可能性が高い。
January 31, 2026 at 7:35 AM
「熱意と儲け」「売れない賑わいは最悪」と持続性を強調する一方で、本屋プラグから本町文化堂までの売上や収益モデル(本・イベント・その他収入の比率など)の輪郭が提示されず、主張が実装可能か評価できない。
インタビューで数字が語られないこと自体は不自然ではないとしても、自身のモデルの前提条件が伏せられたままだと、結局は「本以外の活動」で帳尻を合わせる構図と同型に見え、一般化可能性が揺らぐ。
January 31, 2026 at 5:40 AM
「まちは俯瞰しなくていい」「文化を見るのはコンサル的」と俯瞰を批判しつつ、商店街・エリア単位では色づけが有効だとして、近隣との関係を「点と点が繋がって線になり、エリアを形成する」と語る。
ここには、俯瞰を①住民に要求する態度として退けるのか、②分析の手段として退けるのか、③外部の権力性(コンサル的介入)として退けるのか、といった射程の整理がない。否定したはずの俯瞰が、実践を語る語彙として再登場している印象を与える。
January 31, 2026 at 5:40 AM
テレビ情報誌を買う年配客を例にインフラ性を語るならなおさら、情報提供の形式、価格帯、滞在ルール、初見向け案内、アクセシビリティ等の最低要件が示されない限り、「インフラ」は理念の宣言にとどまりやすい。
January 31, 2026 at 5:38 AM
「まちのインフラ」を掲げ「ぼくのことが嫌いな人でも来れる店」にしなければならないと言うが、インフラ的な公共性とは本来、好悪の問題というより、運営側が利用者を中立・公平に扱い、属性や文脈共有の有無に左右されず利用できるよう摩擦を下げる運用の“規格”に支えられる。
にもかかわらず本町文化堂は強い編集性(個性的な選書)を前提としており、「インフラ」という語が要請する“予測可能性・低摩擦・アクセスの平等”と緊張関係を持ちうる。
January 31, 2026 at 5:37 AM
公共性を語るならそれが生まれる条件を可視化し、調整可能な設計論へ落とす責任があるのではないか。初見の導線、会話参加圧、暗黙ルール、居合わせの作法など――承認を生む条件が仕様として開示されないまま、議論が「むずかしい」「漠然」「しっくりくる」といった語りへ退いてしまうと、検証可能性が閉じてしまう。
January 31, 2026 at 5:37 AM
嶋田氏は内輪が「自分たちでおもしろいよね」と閉じる気味悪さを強く拒む一方で、まちに欲しいものを「あなたは当然ここにいるよね」という前提で語り、さらに「3年1組にはAさんがいます」という学校比喩で“居場所の自然さ”を説明する。
しかし、“当然いる”という承認は共同体が個人に与える所属感そのものであり、氏自身が述べる「コミュニティはどうやっても排他的」という診断と表裏一体である。
規範同調と、逸脱への排除を生む力学も働くのではないか。
January 31, 2026 at 5:33 AM
「コミュニティを作らない/常連を囲い込まない」と言いながら、本町文化堂での落語会や上映会など反復的なイベント運営は一般に、関係人口や顔見知り圏=コミュニティを自然に生成しやすい。
嶋田氏は「コンテンツごとに客層が分かれ、“この店だから参加”になっていない」ことで内輪化を回避しているつもりかもしれないが、外部からは店主中心の頻繁な発信や文脈共有が前提に見え、初見参加の心理コストがむしろ上がる可能性がある。
January 31, 2026 at 5:20 AM
「文化的イメージの消費」を否定するなら、何をもって“問題のあるイメージ消費”と判定するのかが必要である。
イメージ自体も価値として消費されうる以上、論点はイメージそのものではなく、イメージが作品や体験(本・映画等)の消費を代替し、コンテンツの売上や質の循環に接続しない状態を問題化しているのだろう。
しかし、その境界が明示されないままでは、どこからが批判対象なのかが曖昧になる。
たとえばシネマ203のような実践も、映画(作品)を実際に回しているのか、それとも「映画館がある」という記号価値を提供しているのかが外部から判別しにくく、イメージ批判との接続が宙に浮く。
January 31, 2026 at 5:17 AM
嶋田氏は、和歌山市では本や映画が「売れない」=そもそも「コンテンツを消費する」習慣が薄いのだとして、文化を“イメージ”ではなく「コンテンツ」として経済に乗せない限り先はない、と主張する。
インタビューでも文化を「コンテンツ」「消費できるもの」と定義し、地方では「文化的だというイメージ」だけが消費され、収益は行政委託などへ逃げがちだと批判したうえで、「売れないのに賑わうって最悪」とまで言い切る。
ただし、この議論は概念の切り分けと運用設計が十分に語られないため、論旨の整合が揺らぐ箇所が目立つ。
January 31, 2026 at 5:16 AM
嶋田詔太氏の語りには、文化を市場で自走させたいという主張と、居場所/インフラとして公共性を担いたいという主張、反コミュニティと所属承認への欲望、反俯瞰とエリア戦略が同居している。
しかし、それらをつなぐための定義(概念の境界)・運用仕様(設計)・収益モデル(実装)の提示が薄く、最終的な説得根拠が「感覚」へ回収されやすい。
少なくとも、①イメージ/コンテンツの境界、②インフラとしての運用仕様、③反コミュニティと承認の整合、④俯瞰批判の射程、⑤収益モデルの輪郭、が示されない限り、この主張は“個人の感覚”の正当化として読まれやすい。
January 31, 2026 at 5:14 AM