田中六大
banner
rokudait.bsky.social
田中六大
@rokudait.bsky.social
絵本作家
絵や画像や文章などの転載や利用についてはお問い合わせください。出版されたものに関しては出版社に問い合わせてください
このめっちゃしょうもなく意味も全くない「命」と「シュウォッチ」のこじつけを考えるためにいろいろ調べていたら刹那滅という言葉を知り宮沢賢治の「…せはしく明滅しながら…ひとつの青い照明です」というのが、本当は明滅してるけど継続して光るように見える電灯を刹那の生滅を繰り返しているのに連続しているように感じる自己になぞらえた(たぶん)ということに自力で気づいて、気持ちよかった。
November 14, 2025 at 1:12 PM
八百比丘尼はシュウォッチで、刹那滅(生滅の無常)のサイクルを擬似的に再現している。その「押す(生)と離す(滅)」の反復は、滅を失った無限の生への抵抗である。ゆえに、魂の十六連射とは、刹那に全存在を叩きつけ、自らの「命」を高速で肯定し続ける行為なのだ。
November 14, 2025 at 12:31 PM
しかし、死や無常の苦悩を認識しつつも、それを一時的に棚上げし、「今この瞬間」を全うする生き方こそ、ある意味で精神的に健全と言えるだろう。この「今」という刹那に全存在を集中させる行為を象徴するもの、それが「魂の十六連射」なのである。
November 13, 2025 at 2:35 PM
「無常の虎」という寓話がある。虎(死)に追われ、谷(地獄)の上でツタ(命)にぶら下がる旅人。ツタを齧る白と黒のネズミ(昼と夜=時間)が命を刻む中、旅人は目の前の蜜(現世の快楽)に夢中になる。これは、死を忘れ儚い喜びに溺れる人間の無常な生を説く。
November 13, 2025 at 2:12 PM
ちょっと無理かな。やっぱ。
November 12, 2025 at 1:17 PM
八百比丘尼は熊野観心十界曼荼羅の「老いの坂」で永遠に足踏みする存在。死への前進を許されぬ無意味な反復行為としての「その場での足踏み」は、結果なき連打をひたすら続けるシュウォッチの動作と本質的に酷似している。ゆえに、シュウォッチは八百比丘尼のアトリビュートとして適している。
November 12, 2025 at 12:40 PM
八百比丘尼とシュウォッチは一見関係がないが、不老不死は死という最終地点を失っており、それは連射の無意味性に似ている。八百比丘尼にとっての人生は終わらぬ16連射だといえる。
November 12, 2025 at 5:30 AM
ファンアート。ダルシム、春麗
November 9, 2025 at 1:16 PM
エドモンド本田、春麗
November 9, 2025 at 12:02 AM
36527281 セブンイレブン
November 7, 2025 at 8:32 AM
November 6, 2025 at 1:58 PM