ボケがあって、その内容に対してツッコミをするのではなく、「ボケ」をしていること自体をツッコムというか(「こいつなんか言っとるわw」「滑ってんでw」みたいな)
それの一番わかりやすい例が、洒落怖の「うひゃひゃ」に対して、「改行メッチャ頑張ってて草」「最後の方コピペ連打してたんやろなw」みたいな反応を返す、つまり「形式」そのものに対してのアプローチをすることだと
だから、そもそも冷笑というのはメタ的で、だからこそ今のXの冷笑は冷笑ではないと思う=その形式に乗っかっちゃってるからで、「冷笑しちゃったわ〜」と言う時点で冷笑ではなくなるというか
ボケがあって、その内容に対してツッコミをするのではなく、「ボケ」をしていること自体をツッコムというか(「こいつなんか言っとるわw」「滑ってんでw」みたいな)
それの一番わかりやすい例が、洒落怖の「うひゃひゃ」に対して、「改行メッチャ頑張ってて草」「最後の方コピペ連打してたんやろなw」みたいな反応を返す、つまり「形式」そのものに対してのアプローチをすることだと
だから、そもそも冷笑というのはメタ的で、だからこそ今のXの冷笑は冷笑ではないと思う=その形式に乗っかっちゃってるからで、「冷笑しちゃったわ〜」と言う時点で冷笑ではなくなるというか
むしろそういう所が周到だから気持ち悪いと非難するべきだろう
むしろそういう所が周到だから気持ち悪いと非難するべきだろう
そして当人たちはそのコンテンツの話をしていると思っている
そういうのが嫌いなのでどんなことに対しても「趣味」ですと言いたくない
そして当人たちはそのコンテンツの話をしていると思っている
そういうのが嫌いなのでどんなことに対しても「趣味」ですと言いたくない
説明の方をいいねした人々にとって、元の「キリンのダジャレ、許せない」という文面はどう見えているんだろうと気になる
もしかすると恐山の方は文字が文字として認識されていないのかも(画像だけが認識されている)
説明の方をいいねした人々にとって、元の「キリンのダジャレ、許せない」という文面はどう見えているんだろうと気になる
もしかすると恐山の方は文字が文字として認識されていないのかも(画像だけが認識されている)
面白いのはレース部分とゲーマーがどこまで実際のレースで戦えるかみたいな所だろう
面白いのはレース部分とゲーマーがどこまで実際のレースで戦えるかみたいな所だろう
会話劇は基本的にキャラクターの行動を後ろに置くというか、(もちろん精神的には変わるとしても)現状は変化しないというのが前提にあるわけで、
そして「変化しない」中で面白くするためには内面と外面のズレみたいなところが主題になるものだから、そこが楽しめないのだと100%純粋な会話劇は楽しめないのではないか……と思う
行動ありきの会話劇は楽しめるとしても
会話劇は基本的にキャラクターの行動を後ろに置くというか、(もちろん精神的には変わるとしても)現状は変化しないというのが前提にあるわけで、
そして「変化しない」中で面白くするためには内面と外面のズレみたいなところが主題になるものだから、そこが楽しめないのだと100%純粋な会話劇は楽しめないのではないか……と思う
行動ありきの会話劇は楽しめるとしても
こういう漫画最近多い気がするけどそっちはどうなんだろう(スピリッツアフタヌーン系)
絵の力みたいな所で楽しめるのかな
こういう漫画最近多い気がするけどそっちはどうなんだろう(スピリッツアフタヌーン系)
絵の力みたいな所で楽しめるのかな