ひな壇おじさん
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ひな壇おじさん
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適応障害の療養中です。

ひな壇芸人と称されたおじさん達の片割れ。
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それとはすなわち、「肉体」から「知識」を経て、第三の時代「知性」の時代の到来だ。とはいえ、そこに至るにあたって、重大な問題がある。そもそも人類は知性を持てるのだろうか。知性を持っていると言えるだけの人間が世界にどれだけいるだろうか。どこまで行っても人は猿の延長ではないだろうか。そうであってほしくないが、結局人類が猿の延長のままだったら、来る時代は「知性」ではなく「滅び」になるだろう。より高次の知能の存在と、人類との差別化、つまり「知能」と「知性」の棲み分けができなくなった時、人は脳を使う必要がなくなり、退化し、猿に戻っていく。それが何十年後か何百年後かは知らないが、そうならないことを切に願う。
April 20, 2025 at 5:35 AM
では、学校がすべて無意味となるかというと決してそうではない。知識はAIで置き換わっても倫理や知性は置き換わらないからだ。では知性とは何か。個人的な考えに過ぎないが、知性とは客観的な視点を持つことだと思う。自他の境界を分け、どちらも尊重し、自他がぶつかり合うならば感情を考慮に入れつつもなおそれに寄らず理屈や倫理により、妥結点を作る。そしてそれらをより理解しやすいようにアウトプットする、それが知性ということだと思っている。この話を踏まえて学校の話に戻すと、近い将来、学校は知識を学ぶ場ではなく、上述のような知性や社交性を学ぶ場となり、それはそれで社会に必須な場所として残り続ける。
April 20, 2025 at 5:35 AM
しかし、いまやシンギュラリティの到来は近いといわれ、将来的にAIは人間の知能を凌駕すると言われている。より知能のある物体の誕生ということ、それはつまり、「頭を鍛えること」も、前時代の「肉体」と同様、鍛えることが必須でなくなるということだ。教育は最良の投資ではなくなり、肉体と同じ流れを辿るなら、人は生き残るためではなく、健康のため、ボケないために、”娯楽”としてのみ知識を蓄える時代が来る。学校で教える学術的な知識も初等教育から全て”娯楽”となり、試験がただのゲームとなる時代が来るだろう。案外、米国はこれを見越して、将来的に無意味となるからこそ教育への投資を抑えているという気がしないでもない。
April 20, 2025 at 5:35 AM