写真は川崎市立日本民家園の北村家住宅(神奈川県秦野市より移築)での再現展示。
同園の聞き取り調査によると、北村家では、この日の夜に履き物を外へ出しておくと病気になるとも言われていた。
昭和27年頃まではカゴを掲げるなどの「事八日」を行っていたが、その後、近所から「まだそんなのやっているのか」と言われ、やめてしまったという。
写真は川崎市立日本民家園の北村家住宅(神奈川県秦野市より移築)での再現展示。
同園の聞き取り調査によると、北村家では、この日の夜に履き物を外へ出しておくと病気になるとも言われていた。
昭和27年頃まではカゴを掲げるなどの「事八日」を行っていたが、その後、近所から「まだそんなのやっているのか」と言われ、やめてしまったという。
前者は中世日本的な仏教的世界観から脱し、西洋系の地理知識を反映して諸大陸を描いた地図(1枚目)が。唐土や天竺を中心に描いていた中世日本的なそれとはずいぶん異なる。
後者は、欧米列強のアジア進出を受けて記された世界地理書(ヨーロッパなどの地誌を紹介したもの)の地図(2枚目)。
この間およそ100年ぐらいか。この地図の変化に、江戸時代人の対外認識のバージョンアップが感じ取れるような気がした。
前者は中世日本的な仏教的世界観から脱し、西洋系の地理知識を反映して諸大陸を描いた地図(1枚目)が。唐土や天竺を中心に描いていた中世日本的なそれとはずいぶん異なる。
後者は、欧米列強のアジア進出を受けて記された世界地理書(ヨーロッパなどの地誌を紹介したもの)の地図(2枚目)。
この間およそ100年ぐらいか。この地図の変化に、江戸時代人の対外認識のバージョンアップが感じ取れるような気がした。
江戸時代、幕府は海外との窓口を長崎・対馬・薩摩・松前の4カ所に限っていたが、そんな時代に流入した海外知識の諸相を、それを記載した古典籍でたどるという、国立公文書館の面目躍如な展示だった。
江戸時代、幕府は海外との窓口を長崎・対馬・薩摩・松前の4カ所に限っていたが、そんな時代に流入した海外知識の諸相を、それを記載した古典籍でたどるという、国立公文書館の面目躍如な展示だった。
農相が「今のは言い過ぎで、池田君の舌が少し短いので」とフォローしたが、「貧乏人は麦を食え」発言として問題化する。
当時は不況で米価も高騰していた。こと、コメの問題になると目の色が変わるのは、コメを主食とするが故の国民性なのかも知れない。
写真は国立国会図書館「近代日本人の肖像」より。
農相が「今のは言い過ぎで、池田君の舌が少し短いので」とフォローしたが、「貧乏人は麦を食え」発言として問題化する。
当時は不況で米価も高騰していた。こと、コメの問題になると目の色が変わるのは、コメを主食とするが故の国民性なのかも知れない。
写真は国立国会図書館「近代日本人の肖像」より。
パリに立ち寄った後、一平、かの子はロンドンへ向かい、太郎はそのままパリに滞在。民族学を学びつつ、アンドレ・ブルトンらシュルレアリストとの親交を深め、サロン・デ・シュール・アンデパンダン展に「傷ましき腕」を出品するなどした。太郎は第2次大戦勃発により帰国するまで、10年間をパリで過ごした。
パリに立ち寄った後、一平、かの子はロンドンへ向かい、太郎はそのままパリに滞在。民族学を学びつつ、アンドレ・ブルトンらシュルレアリストとの親交を深め、サロン・デ・シュール・アンデパンダン展に「傷ましき腕」を出品するなどした。太郎は第2次大戦勃発により帰国するまで、10年間をパリで過ごした。
約4年間の大規模改修工事中だった。館内の原寸大模型展示では、朝野新聞社(写真)に替わって、明治時代の銀座のシンボルでもある服部時計店が登場するという。
www.edo-tokyo-museum.or.jp/news/other-n...
約4年間の大規模改修工事中だった。館内の原寸大模型展示では、朝野新聞社(写真)に替わって、明治時代の銀座のシンボルでもある服部時計店が登場するという。
www.edo-tokyo-museum.or.jp/news/other-n...
www.city.tono.iwate.jp/index.cfm/48...
www.city.tono.iwate.jp/index.cfm/48...
総理大臣以下、すごくクセのありそうな人たちの署名が並ぶ原本をこの目で見ることができる。
(画像は国立公文書館蔵)
www.archives.go.jp/news/2025110...
総理大臣以下、すごくクセのありそうな人たちの署名が並ぶ原本をこの目で見ることができる。
(画像は国立公文書館蔵)
www.archives.go.jp/news/2025110...
まず奇石博物館の「猪肉石(豚肉石)」。バラ肉の脂のようにみえるのは炭酸カルシウムの結晶。
次は札幌市時計台の明治初期の晩餐会料理。白鳥と鹿のローストがメイン。
そして、日本郵船氷川丸の昭和12年のディナー。秩父宮が乗船した際のメイン料理で、羊や野鴨のロースト。
最後に足立区立郷土博物館のコロッケ。
まず奇石博物館の「猪肉石(豚肉石)」。バラ肉の脂のようにみえるのは炭酸カルシウムの結晶。
次は札幌市時計台の明治初期の晩餐会料理。白鳥と鹿のローストがメイン。
そして、日本郵船氷川丸の昭和12年のディナー。秩父宮が乗船した際のメイン料理で、羊や野鴨のロースト。
最後に足立区立郷土博物館のコロッケ。
例えば「信越の村」へのルートにはちゃんとその土地の道祖神や馬頭観音などが建てられているなど、細かい演出がいい。地形を活かした切り通しの道などもあって、旅をしている感が味わえる。
例えば「信越の村」へのルートにはちゃんとその土地の道祖神や馬頭観音などが建てられているなど、細かい演出がいい。地形を活かした切り通しの道などもあって、旅をしている感が味わえる。
山に食べ物の少なくなる冬に餌をまいてあげたもの。その様子が新聞やラジオで報道されると、別府などを訪れていた観光客が連日数千人も押し寄せ、あっという間に一大観光名所となった。
写真は2000年代初頭の高崎山🐵
山に食べ物の少なくなる冬に餌をまいてあげたもの。その様子が新聞やラジオで報道されると、別府などを訪れていた観光客が連日数千人も押し寄せ、あっという間に一大観光名所となった。
写真は2000年代初頭の高崎山🐵
福澤諭吉というと西洋の学問のイメージだが、少年期に〈漢学を学んで頭角を現す〉(朝日日本歴史人物事典)とあり、漢学の素地も見逃せないという。
写真は大分県中津市の福澤諭吉旧居。JR中津駅にも近く、中津市歴史博物館や中津城と合わせて散策するのもおすすめ。
福澤諭吉というと西洋の学問のイメージだが、少年期に〈漢学を学んで頭角を現す〉(朝日日本歴史人物事典)とあり、漢学の素地も見逃せないという。
写真は大分県中津市の福澤諭吉旧居。JR中津駅にも近く、中津市歴史博物館や中津城と合わせて散策するのもおすすめ。
「遠慮しながら吸ってるんだ」とか言う人もいたとかで、「御遠慮」は自由主義全盛の頃の風潮であり、近頃はファッショ流行りだから役所も威厳を示せという時代めいた話にまでなっている。
「遠慮しながら吸ってるんだ」とか言う人もいたとかで、「御遠慮」は自由主義全盛の頃の風潮であり、近頃はファッショ流行りだから役所も威厳を示せという時代めいた話にまでなっている。
この時代にはまだ「インキュベーター」に「奇跡を約束して取り入ろうとする者」の意味合いはない。
この時代にはまだ「インキュベーター」に「奇跡を約束して取り入ろうとする者」の意味合いはない。
この展示、たぶん巡回しません。
池袋の古代オリエント博物館「やっぱりエジプトが好き❤️」展、〜11/24月まで❗️
興味のある方はこの機会を逃すな、急げ🐫
この展示、たぶん巡回しません。
池袋の古代オリエント博物館「やっぱりエジプトが好き❤️」展、〜11/24月まで❗️
興味のある方はこの機会を逃すな、急げ🐫
ただ並べるだけでなく、描かれたヒエログリフや人物の読み説きが秀逸❗
素人目にはなんとなくエジプト風としか思えないマッチラベルを〈ハトホル女神〉と看破し、ビールと強い結び付きがある女神であると明らかにしたり、模様からツタンカーメンの王名を読み取るなど、なんかスゴイ展開に。これがオリ博の底力なのか‼️
ただ並べるだけでなく、描かれたヒエログリフや人物の読み説きが秀逸❗
素人目にはなんとなくエジプト風としか思えないマッチラベルを〈ハトホル女神〉と看破し、ビールと強い結び付きがある女神であると明らかにしたり、模様からツタンカーメンの王名を読み取るなど、なんかスゴイ展開に。これがオリ博の底力なのか‼️
前に気になっていたけれども、行けなかった展示の続編だ❗️
〈ミミズには体の大きさや色が異なる多くの種類がいること、卵から生まれることなど、意外と知られていないことが、たくさんあります。この展示では、2018年に開催したテーマ展「ミミズ」をもとに新たな知見を加えて、ミミズの体のつくりや暮らし、自然界における働き、人との関わりについて紹介します〉
www.muse.pref.tochigi.lg.jp/exhibition/t...
前に気になっていたけれども、行けなかった展示の続編だ❗️
〈ミミズには体の大きさや色が異なる多くの種類がいること、卵から生まれることなど、意外と知られていないことが、たくさんあります。この展示では、2018年に開催したテーマ展「ミミズ」をもとに新たな知見を加えて、ミミズの体のつくりや暮らし、自然界における働き、人との関わりについて紹介します〉
www.muse.pref.tochigi.lg.jp/exhibition/t...
写真は平塚市博物館の「相模の家」のエビス講の展示。関東地方では田の神の性格も兼ねていると平凡社『世界大百科事典』にある。
写真は平塚市博物館の「相模の家」のエビス講の展示。関東地方では田の神の性格も兼ねていると平凡社『世界大百科事典』にある。
40年以上も前の本で、永らく品切れだったのですが、『源平盛衰記』の日食の記述から年月日さらに合戦の時間まで特定したり、藤原定家が『明月記』に記した「客星出現」を1054年7月4日の超新星爆発(かに星雲)と突き止めたり、ついでにいろんな史料の誤記が分かっちゃうなど、知的好奇心を刺激する1冊です。オススメ🌟
x.com/Iwanami_Shin...
40年以上も前の本で、永らく品切れだったのですが、『源平盛衰記』の日食の記述から年月日さらに合戦の時間まで特定したり、藤原定家が『明月記』に記した「客星出現」を1054年7月4日の超新星爆発(かに星雲)と突き止めたり、ついでにいろんな史料の誤記が分かっちゃうなど、知的好奇心を刺激する1冊です。オススメ🌟
x.com/Iwanami_Shin...
日本民家園は丘陵の起伏や自然環境を活かして民家が点在しているので、思った以上に旅情を満喫できる。
自分はここのライトアップには行ったことはないけれども、陽が稜線に消える夕暮れ時は旅先の寂寥感にも似て、とにかく旅に出た気分を味わいたいという人にもおすすめ。
www.nihonminkaen.jp/event/light-up
日本民家園は丘陵の起伏や自然環境を活かして民家が点在しているので、思った以上に旅情を満喫できる。
自分はここのライトアップには行ったことはないけれども、陽が稜線に消える夕暮れ時は旅先の寂寥感にも似て、とにかく旅に出た気分を味わいたいという人にもおすすめ。
www.nihonminkaen.jp/event/light-up
写真は同日発行の切手。東海道五十三次・由井を背景に、新ダイヤで登場した特急つばめを描く。
写真は同日発行の切手。東海道五十三次・由井を背景に、新ダイヤで登場した特急つばめを描く。
この日が甲子(きのえね)の日だったので『甲子夜話』と名付けられたこの随筆は、以後20年、278巻にわたって書き進められ、自らの見聞きした森羅万象あらゆるものを「書物」というストレージにアウトプットした。
その内容は、将軍や大名から市井の人に至るまでの逸話や人物評、異国船の来航や浅間山の噴火など政治社会の事件、さらに珍しい土地へ旅した人の話、盗賊の手口、幽霊や人魚の目撃談、その時々に流行った俗謡や川柳などなど多岐にわたり、平凡社の東洋文庫版で全20巻に及ぶ。
この日が甲子(きのえね)の日だったので『甲子夜話』と名付けられたこの随筆は、以後20年、278巻にわたって書き進められ、自らの見聞きした森羅万象あらゆるものを「書物」というストレージにアウトプットした。
その内容は、将軍や大名から市井の人に至るまでの逸話や人物評、異国船の来航や浅間山の噴火など政治社会の事件、さらに珍しい土地へ旅した人の話、盗賊の手口、幽霊や人魚の目撃談、その時々に流行った俗謡や川柳などなど多岐にわたり、平凡社の東洋文庫版で全20巻に及ぶ。
あたり一面焼け野原で国技館の屋根は弾痕で穴だらけだった。食糧事情も厳しく、やせ衰えた力士や復員したばかりの坊主頭の力士もいた。
興行は10日間だったが連日満員の大盛況で、占領軍兵士も見物に来たという。羽黒山が10戦全勝で優勝。また、千秋楽に横綱双葉山が引退を届け出た。
写真は双葉山。国立国会図書館「近代日本人の肖像」より。
あたり一面焼け野原で国技館の屋根は弾痕で穴だらけだった。食糧事情も厳しく、やせ衰えた力士や復員したばかりの坊主頭の力士もいた。
興行は10日間だったが連日満員の大盛況で、占領軍兵士も見物に来たという。羽黒山が10戦全勝で優勝。また、千秋楽に横綱双葉山が引退を届け出た。
写真は双葉山。国立国会図書館「近代日本人の肖像」より。
京都見廻組の犯行とされている。見廻組の今井信郎の孫で共同通信記者(当時)の今井幸彦は1971年に祖父の一代記『坂本竜馬を斬った男』をまとめ、「やっぱりウチのじいさんが手を下した、としか思えない」と結論づけた(朝日新聞1971.11.28付)。
その彼が京都支局長時代、ほろ酔い加減で河原町三条をぶらついていたら「竜馬遭難之地」碑に遭遇し、「こりゃいけねえ、と酔いもいっぺんにさめて逃げました」(前掲)という。
まるで「死せる孔明、生ける仲達を走らす」みたい(?)なエピソードだ。碑文だけになっても龍馬パワーは相当なようである。
京都見廻組の犯行とされている。見廻組の今井信郎の孫で共同通信記者(当時)の今井幸彦は1971年に祖父の一代記『坂本竜馬を斬った男』をまとめ、「やっぱりウチのじいさんが手を下した、としか思えない」と結論づけた(朝日新聞1971.11.28付)。
その彼が京都支局長時代、ほろ酔い加減で河原町三条をぶらついていたら「竜馬遭難之地」碑に遭遇し、「こりゃいけねえ、と酔いもいっぺんにさめて逃げました」(前掲)という。
まるで「死せる孔明、生ける仲達を走らす」みたい(?)なエピソードだ。碑文だけになっても龍馬パワーは相当なようである。