「風景を初めて、そして最後に見るかのように見るとき、人は世界中のすべての風景に属しているという感覚を得る」
「風景を初めて、そして最後に見るかのように見るとき、人は世界中のすべての風景に属しているという感覚を得る」
ランティモスは昭和の劇団のおっさんみたいだなと感じてしまうし(非常に独創的だとは思うんだけど、根底の「男かわいさ」が強すぎるし)、タラちゃんは「女に屈辱的なことをさせ、それを大勢の観客に見せている俺」というところまで含めたプレイっぽくて、そんな変態プレイに巻き込まれたくないわと思ってしまってから見なくなっちゃった。最近の作品はまた違うのかもしれないけど。
ランティモスは昭和の劇団のおっさんみたいだなと感じてしまうし(非常に独創的だとは思うんだけど、根底の「男かわいさ」が強すぎるし)、タラちゃんは「女に屈辱的なことをさせ、それを大勢の観客に見せている俺」というところまで含めたプレイっぽくて、そんな変態プレイに巻き込まれたくないわと思ってしまってから見なくなっちゃった。最近の作品はまた違うのかもしれないけど。
彼女をわがままで無軌道と批判する向きも当然あろうかと思うが、でもね、人には失敗する権利があるし、時には、わかっていても失敗してみたいときさえある、ということを、彼女を見ていると力強く元気に思い出すよ。
彼女をわがままで無軌道と批判する向きも当然あろうかと思うが、でもね、人には失敗する権利があるし、時には、わかっていても失敗してみたいときさえある、ということを、彼女を見ていると力強く元気に思い出すよ。
もっと意地悪く主人公のユリヤを罰するような状況にすることもできたと思うし、それは非常によくありがちなんだけど、例えばそのようにしてユリヤが余命わずかな元恋人の子を妊娠したとかいうことになると、もう全然テーマが変わってしまうんだよね。
もっと意地悪く主人公のユリヤを罰するような状況にすることもできたと思うし、それは非常によくありがちなんだけど、例えばそのようにしてユリヤが余命わずかな元恋人の子を妊娠したとかいうことになると、もう全然テーマが変わってしまうんだよね。
ま、同じ役柄を続けられるかって、かなりシビアなギャラ交渉もあるみたいだし運だよなーとも思うけど。
ま、同じ役柄を続けられるかって、かなりシビアなギャラ交渉もあるみたいだし運だよなーとも思うけど。
25年後に同じ役を演じる・演じさせるのって、同窓会のような楽しい部分もあるけれど、神の遊びのような非常に尊大な面もあり、役者にキャラクターを負わせることの業の深さを凝縮して感じるのだった。。。
そういう意味では、カイル・マクラクランの演じる人物が今のところ全く違うキャラクターなのは、すごく重要なことだなと思う。カイル・マクラクランだけ、なんか解放されてるもの。
25年後に同じ役を演じる・演じさせるのって、同窓会のような楽しい部分もあるけれど、神の遊びのような非常に尊大な面もあり、役者にキャラクターを負わせることの業の深さを凝縮して感じるのだった。。。
そういう意味では、カイル・マクラクランの演じる人物が今のところ全く違うキャラクターなのは、すごく重要なことだなと思う。カイル・マクラクランだけ、なんか解放されてるもの。
しかし25年ぶりに作る人気ドラマの続編でこの前衛芸術シーンを延々とやるのは恐ろしい度胸だなと思う。
しかし25年ぶりに作る人気ドラマの続編でこの前衛芸術シーンを延々とやるのは恐ろしい度胸だなと思う。