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X(旧Twitter)に疲れたのでこちらにやってきました。2024年11月18日スタート!ドールサイトを運用しており、その他、AIでの画像生成や小説の執筆をしているしがない四十路です。時に、法や政治の話をすることがあります(法律専門職の有資格者なので💦)が、特定の政治思想や立場を主張することはありません。すべてあくまで総論かつ一般論です。よろしくお願いします。
こんばんは☆彡。
今日は冷たかったですね💦。
本当に、生徒をどう導くかは教師の力量にかかるこころが大きいと思います。それにしても全国1番はすごいですね!1回だけ1桁はとったことがありますが、1番は遠い夢でした💦。
子どもは自分ではまだ自分のことを十分にできないから子どもなわけで、それを十分に導く大人、とりわけ教師の力はとても大切だと思います。ひとりひとりに向き合うのは物理的な限界もあって大変ですが、それでも時に不可欠なときがありますよね。
November 30, 2025 at 9:33 AM
事実今回も「斯く斯く然然の場合には武力行使を成し得ると解釈する」と表明してしまったばかりに、「それは脅威に該当する」として某国にかみつかれたのです。国際駆け引きとはそういうもので、かつて「国家安康、君臣豊楽」の文言の家康の文字を離して書いているのは呪っているからだとして攻撃の契機を与えたのと大体同じです。戦争の意志と能力のある勢力は常に自衛の名目をどこかに見出せないかを虎視眈々と探しているので、防御側としては、とにかく自衛の名目を与えない努力と工夫に徹することが一番なのです。詳しくは言いませんが日米には有名な密約があるので、名目さえ渡さなければ、核抑止の箍が実によく効くのです。
November 29, 2025 at 11:04 AM
実は、戦後国際社会において、もっとも手を出しにくい相手というのは、「俺は喧嘩をしない。たとえ殴られても殴り返さない。命を守ることはするが、そもそも喧嘩のための準備をしない。」と公表する相手を攻撃することです。それはどのような場合でも明らかな国連憲章2条違反であり、肯定することはできません。というのもかかる相手に対して「自衛の名目」を主張することは理論的に不可能だからです。9条は、腰抜けだの、自殺行為だの言われますが、核に及ばない下手な通常兵器を言い訳程度に増強するよりもはるかに強力な抑止力を持つのです。自衛の名目なく戦争をすることのリスクはそれくらいに大きいのです。
November 29, 2025 at 10:58 AM
ところが、2015年以降のいわゆる政府解釈改憲によって「存立危機事態」に該当するときには、外国戦力と一体となる形での武力行使が限定的に容認されることになりました。こうなると「どういう事態が存立危機事態であり、どこまでの武力行使が認められるか」という問題を自然的に惹起します。そしてそれに応答することは、一定の場合に武力を行使するという基準を宇内に明示することになり、特定の場合における我が国の「戦意」を推定させる機能を果たすのです。しかし、戦意の認定は文字通り戦争の意志の表明であり、これは相手方が自衛の名目を主張するのに十分な材料となります。そしてこの自衛の名目を相手に渡すことが一番危険なのです。
November 29, 2025 at 10:58 AM
戦後の戦争というのはすべて「自衛の名目」で行われます。時にどう見ても方便としか思えないものも多々ありますが、方便であってもすべては「自衛」が名目です。ウクライナ事変でさえ露の言い分では「ウ国に実在する、将来露の独立性と一体性を脅かしかねない潜在的脅威の除去」を目的とする先制的な自衛権の行使であって、少なくとも名目上の主張としては「自衛」なのです。そして、自衛の名目を成立させるためには、相手に脅威となるだけの実力と意志があることを必要としますが、戦力不保持で非戦を貫くという姿勢は、自衛の名目の成立をきわめて難しくするのです。9条はある意味で国際戦略の一環だったのです。凡そ理解されませんが…。
November 29, 2025 at 10:58 AM
労働の本質は「価値の供出と相互提供である」というのは単なる理想論ではなく、個の能力の外延が極めて制限される人間が生活上の必要を満たすために編み出したひとつの生存戦略であり、それを否定することはできません。近時では、資本集約の巧さが経営者の力量であるかのように言われますが、それは全くの誤解でしかありません。多額の資本を集めながら、その成果を実効的に社会に還元することができければ、その資本集約は単なる収奪であり、むしろ害悪です。資本集約によるスケールメリットが技術革新を導くことを否定しませんが、技術革新を導かない資本集約は、少年の夢であって、社会の資産とはなりえないのです。
November 29, 2025 at 10:28 AM
ところが、2000年代初頭から世界を支配的に席巻した資本主義は、労働の目的と結果を巧みにすり替えました。労働とは本来付加価値の生成とそれによる富の創出を機能にしますが、新自由主義は富の獲得のために付加価値を切削することを肯定するようになったのです。その結果、効率かという美辞麗句の下に、労働機会は縮小し、品質は最低限度に維持され、より善くするための投資は抑えられ、富の集中と収奪が自己目的化してしまったのです。その結果、働く場所は失われ、品質は向上せず、次世代製品の開発は遅滞しました。そしてどうなったかと言えば、名だたる大企業が、金は稼げるが売れる製品がない状態になったのです。これは成長でなし。
November 29, 2025 at 10:19 AM
「記事」というのは本来確認された「事実」を周知するための社会的機能であり、報道の自由が広範かつ強力に保証されるのは「事実の周知が市民の判断に資するから」であって、それが、「本当なのかどうか、どこまで正しいのかわからないし、謝っている可能性もあるがAIがそう言っている。なお、検証はしていない」では、出発点にさえ立てていません。というよりそんな報道は百害あって一理ありであり、丁寧な断りがついているだけで、SNS上のフェイクニュースと本質は全く変わりません。苟もジャーナリズムを自称するなら、それくらいのことは「言われる前に解れ」という話です。どうして我が国の文化水準は急にこんなに毀損するのか…。
November 29, 2025 at 10:09 AM
そもそも、神が社会を必要としないように、人間が完全に自立的に自存できるのであれば、社会は本質的に不要なのです。事実、構造が単純で、自己完結的に勢損が可能な生物(微生物など)は社会を構築せずその固有の存在だけで自然の摂理に組み込まれています。片や、身体構造や機能が複雑になり、自然との距離が遠くなるほど、生存のために団結して社会を構築する必要に迫られます。それは存在の複雑性ゆえに生の可能性の延伸と引き換えに自存が難しくなったことの当然の代償と言えます。人間や生命それ自体と向き合う教育が再度必要でしょう。肉を屠って食べるのばかりが命の教育ではありません。
November 29, 2025 at 8:27 AM
リベラルな理想論というのは、社会を前進させる原動力にはなり得ますし、その善きガイドラインとして機能することも否定しませんが、他方で、我々の生活には常に「現実」がつきまとうため、お題目だけ唱えて丸く収まるほど簡単ではありません。リベラリズム、リアリズムというのは本来主として政治学の概念ですが、これは世界を分析して理解するための観察眼(レンズ)であって、観察対象たる世界は同じなのです。どれほど理想的なリベラリズムの視点で世界を捉えても「しなければならないこと」が自動的に消化されるわけではないという厳しい視点は必要であり、そして限界を超えそうな場合は外部介入も時に必要なのです。
November 29, 2025 at 8:27 AM
こんにちは☆彡。
すっかり寒くなりました。もう冬ですね。
数字それ自体は嘘をつきませんが、都合よく解釈できるのもまた数字で、特に確立統計は迷いやすいというのは確かにありますよね💦。盲目的でもいけませんが、数字の意味と機能について意識を傾けておくのも大事なのだと思います。今の子どもたちは小さい時から偏差値と学内順位とうで管理されるのでかわいそうな側面は確かにあるかもしれません。多様性の社会と言いながら尺度は大抵単一なのが残念です💦。
November 29, 2025 at 7:57 AM